世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1976

第1問

つぎの(A)・(B)・(C)の各問に答えよ。解答は、答案用紙の(ホ)欄に記入せよ。

(A)下記の2つの文章を読み,それぞれの設問に答えよ。

 (a)北アジアの遊牧国家では,古くからシャーマニズムが信ぜられていたが,8世紀の後半に,ひとつの(ア)宗教が新しくモンゴル高原へ伝えられ,(イ)当時の遊牧国家の内部で,国教に近い地位を占めるに至った。この宗教は,(ウ)(エ)ササン朝ペルシアで異端とされ,ソグド人を通じて中国へ,さらにそこからモンゴル高原へ伝えられたといわれる。(オ)北アジアの遊牧国家で最初に用いられた文字も,最近の研究によると,ソグド人の使っていた文字をもとにして作られたものであるらしい。

 (b)彼は,[ (カ) ]を首都とい東トルキフタン,イラシ,イラクの地を併合し(キ)南ロシア,北インドヘ遠征しただけでなく,[ (ク) ]の軍隊を破ってそのスルタンを捕虜とし,中央アジアと西アジアとにまたがる帝国をたてた。しかし,(ケ)中国に遠征しようとして出軍し,オトラルで病死した。[ (コ) ]ではじめて実用化された金属活字印刷術が,この帝国の領土内を通ずるシルク=ロードを経てヨーロッパヘ伝えられたという可能性もまったくないではない。

  設 問

 (ア)この宗教の名称と,それか創始された世紀とを記せ。

 (イ)この遊牧国家の名称を記せ。

 (ウ)ササン朝ペルシアの国教の名称を記せ。

 (エ)その国教の経典の名称を記せ。

 (オ)この文字は,わが国では一般に何と呼ばれているか。その名称を記せ。また,この文字を最初に使用した民族は、下記の4つのうちのどれに属するか。その名称を記せ。

    トルコ民族 チベット民族 満州民族 モンゴル民族

 (カ)空欄に適当なことばを入れよ。

 (キ)当時南ロシアにあった国家の名称を記せ。

 (ク)空欄に適当なことばを入れよ。

 (ケ)当時の中国の王朝名は何か。また,当時の中国の天子は何と呼ばれているか。それぞれの名称を記せ。

 (コ) 空欄に適当なことばを入れよ。

 

(B)下記のa組からe組までの5組は,それぞれ3語から成っている。各組から適当な語を1つずつえらび出し,合計5語を組の順にすべて用いて,江南の地域にいわゆる六朝があった時代の中国の文化史に関し,3行(105字)以内で記せ。句読点も1字に数える。えらび出した語はわくで囲め。

   a組 [ 楚 呉 北魏 ]   b組 [儒教 仏教 景教 ]  c組 [ 安陽 曲阜 雲崗 ]

   d組 [ 顧ガイ之 顧炎武 胡適 ]

   e組 [ 王莽 王羲之 王夫之 ]

 

(C)下記f組からj組までの5組は,それぞれ3語から成っている。各組から適当な語を1つずつえらび出し,合計5語を組の順にすべて用いて,宋の時代の中国の文化史に関し,3行(105宇)以内で記せ。句読点も1字に数える。えらび出した語はわくで囲め。

   f 組 [ 四書 五経 六諭 ]  g 組 [ 公羊学 朱子学 陽明学 ]  h組 [ 詞 辞 賦 ] i 組 [ 河北省 河南省 江西省 ]  j 組 [ 周口店 景徳鎮 威海衛 ]

 

第2問

 つぎの文章を読み,下記の設問に答えよ。解答は,答案用紙の(ハ)欄に,設問(A)・(B)・(C)・(D)・(E)の順に,間を1行あけ,それぞれ解答の最初に設問記号を付して記せ。なお設問記号および句読点も1字に数える。

 地中海は,(a)フェニキア人の活動いらい,古代において重要な商業圏をなしていたが,中世に入ると,その商業は衰退した。11・12世紀いらい,(b)北イタリア諸都市の活動によって,ヨーロッパ人の地中海商業が再び活発となったが,新航路の発見とともに,国際商業の中心は大西洋沿岸の諸国へ移った。海外植民地をめぐる列強の抗争において,イギリスの優位が確立したのは[ (c) ]条約によってである。イギリスでは,このころから、重商主義にかわって(d)自由主義的経済理論が次第に有力となり,また,産業革命の進行にともなって,(e)本国と植民地との間には,16世紀のスペイン植民地体制とは異なる経済関係が生まれた

〔設 問〕

(A)下線部(a)のフェニキア人によってカルタゴが建設されたが,この地で,それ以後,紀元後7世紀末までにおこった政治上の変化を,4行(140字)以内で年代順に記せ。

(B)下線部(b)に該当する都市名2つ,および,地中海商業が再び活発となるきっかけとなった事件名をあげよ(同一行内に並べて記せ)。

(C)空欄(c)の部分に入れるべき適切な言葉を記し,さらに,下記の地名群の中から,イギリスがこの条約で得たものを選んで,(ア)・(イ)・(ウ)……の符号で記せ(同一行内に並べて記せ)。

  (ア)カナダ (イ)ジブラルタル (ウ)ケープ植民地 (エ)ルイジアナ東部

  (オ)シンガポール

(D)下線部(d)に該当する18世紀後半の理論家の名前とその主著,および同時期のフランスにおける自由主義的経済理論家の名前とその主著を,それぞれ1つずつあげよ(同一行内に並べて記せ)。

(E)下線部(e)の内容を3行(98字)以内で説明せよ。

 

第3問

 つぎの(A)・(B)各問に答えよ。解答は,答案用紙(イ)の欄に,はじめに(A)・(B)の記号を附して記入せよ。なお,句読点もます目1字分を用いて記すこと。

 

(A)下記の語句のうちより7つをえらび、それらを用いて、19世紀における鉄道の発達について、8行(280字)以内で記せ。1つの語句を何度用いてもよいが、最初に用いたときに下線を付して明示せよ。

  産業革命 ヨークシャー 電力 鉄血政策 3B政策 3C政策 金融資本  財貨の流通 鉄工業 ロシアの東方経営 西部開拓

 

(B)帝国主義のもとで従属的地位におかれたアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの社会(解答では、これを簡略に表現して、従属地域の社会ということばを用いてもよい)において、そこでの鉄道建設はどのような効果や影響をもたらしたといえるか。いろいろの角度から眺めて考えをまとめ、10行(350字)以内で述べよ。自分の考えをまとめるに当って、以下の(a)~(i)の文章をよく吟味して読み、参考にすること。これらの文章は、さまざまの異った時代・問題関心・立場において、従属地域での鉄道の意義・役割を論じた議論の例である。

 

(a)世界の鉄道の発達は、下の表((省略)で明らかなように、(ウ)と(エ)の地域で最近もっとも著しい。だが、合衆国・イギリス帝国・ロシア・ドイツ・フランスという5強国の鉄道の延長が、おのおのの植民地の分まで含めると、世界の鉄道の全長の80%にも達している事実や、さらに合衆国・ロシアの鉄道でさえ、イギリスとフランスの百万長者が握っているという事実を忘れてはならない。

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(b)今や東三省(中国東北)の鉄道はすでにロシアの手に帰した。もしイギリスが香港と漢口とを鉄道で連絡することになれば、国家の形勢はあやうい。 

 (c)南満洲鉄道会社は、名義上、一民間会社であるが、同時に鉄道経営のみならず行政的権限をも併せもっており、日本政府がこれを純粋に経済的企業などと考えたことは、一時たりともなかった。 

 (d)この鉄道の建設に対していかなる態度をとるべきか、ヨーロッパ各国の世論は激しくゆれた。けっきょくイギリス政府は資本参加を拒否したが、ロシアとフランスとはそれぞれ、北部イランとシリアとにおける鉄道敷設権とひきかえに、この計画を認めた。1899年イギリスがクウェートの首長と条約を結び、イギリスの承認なしに他国との外交関係を開かないように約束させていたのは、この鉄道建設計画の進行を予想した対抗的布石なのであった。

 (e)アルゼンチン経済の特色は、大土地所有下の農場・牧場がイギリスに輸出するための食肉・小麦を生産しているところにある。イギリス系の鉄道はこれら農牧場をもっぱらブエノスアイレスに結びつけている。その結果アルゼンチン経済の発展は、むしろ妨げられ、ゆがめられているのである。

 (f)1909年には、インドに3万マイル余の鉄道が開通し、3億4千万人の旅客と7000万トンの貨物を運んだ。鉄道は、インド全域の住民に、鉄道なくしては考えられなかったような活動の刺激を与え、しかもイギリスの軍事力をすこぶる増強したのである。

 (g)運河建設のための財政投資はすぐ収益をあげはじめたのに、鉄道建設はいつまでたっても大きな財政負担を残したままだ。こんな状況では、インドのような農業国の統治者は、鉄道より運河の建設に力を入れそうなものだ。だがイギリス人は鉄道の方が好きで、インドにとって何が必要かということについて判断を誤った。イギリス工業界はことに、運河より鉄道の方が、ずっと早くインド内陸部を自己の商品として開いてくれるものと期待した。こうしてインドでは、当面の必要性を超え、資源の力に余るような規模で、どんどん鉄道が建設されたのに、灌概工事の方はおろそかにされてきたのである。

 (h)げんに、鉄と石炭をもっているインドに、いったん鉄道を導入したとなると、それを維持するために日々必要とされる資材調達・修理のための工鉱業発展をおしとどめることはできなくなる。となると、やがて鉄道に直接関係のない工業部門でも、機械が応用されるようにならざるをえない。そこで、インドにおける鉄道網は、、まさに近代工業の糸口となるであろう。

 (i)1919年のエジプトの反英独立運動では、各地で鉄道が切断された。駅や電信設備を襲撃して破壊する、村民こぞってレール・枕木・電柱を運び去る、そして復旧作業のイギリス軍を攻撃する、というように。しかし他方、民衆が鉄道を制圧し活用することもあった。ただ乗りで列車の屋根まであふれた大衆が、停車駅ごとに周辺の村々の村民と大交歓集会をひらいていった、3月18日の事件などがそれである。

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わたしのコメントと解答例

第1問

A (ア)マニ教、3世紀 (イ)ウイグル (ウ)ゾロアスター教 (エ)アヴェスター (オ)突厥文字、トルコ人 (カ)サマルカンド (キ)キプチャク=ハン (ク)オスマン=トルコ (ケ)明、永楽帝 (コ)高麗

B (「江南……六朝」といいながら江南の文化だけを書かせようというのではなく、この時期の「中国文化史」が課題)北魏では一時仏教は弾圧されて道教教団がつくられたが、他の皇帝の時には仏教は尊ばれ雲崗・龍門石窟がつくられた。北の実用的な文化に対して江南では感性的な文化が見られ『女史箴図』の顧ガイ之や書の王羲之らが活躍した。

C (指定語句がある場合は、指定にないものをどれだけ探せたかで解答も決まってきます。これも指定されたものだけでなく、宋の文化全体をとらえているかを問う良問)北宋で基礎ができ、四書を重視し経典から儒学の本質・精神を明らかにする朱子学が南宋の朱熹により大成された。文学では詞が流行し、また士大夫に禅宗、庶民に浄土宗が普及した。さらに江西省の景徳鎮では陶磁器が発達した。

第2問

A 前2世紀後半の第3回ポエニ戦争の結果、ローマがこの地を征服しカルタゴはカエサルによって再建された。その後、4世紀末のローマ帝国分裂で西ローマ帝国に属したが、5世紀にヴァンダルがこの地を征服した。6世紀前半にビザンツ帝国がこの地を回復したが、7世紀後半にウマイヤ朝に征服された。

B ヴェネツィア、ジェノヴァ、十字軍

C パリ、(ア)(エ)

D アダム=スミス、『諸国民の富』、ケネー、『経済表』

E スペインは植民地で鉱山開発を行い、金銀の略奪を行う重金主義政策をとったが、イギリスは一次産品を植民地で作らせ、それを輸入して本国で工業製品を生産し、植民地へ輸出する政策をとった。(別解:スペインはインディオに貢納・賦役を課して鉱石・穀物をうばう王室的重商主義を展開した。イギリスはインディオを追放し、発展してきた工業を抑制する議会的重商主義を強行した。)

第3問

(A)産業革命による生産力の増大は、新たな財貨の流通の手段を必要とした。産業資本家は1825年ストックトン・ダーリントン間で初めて実用化された鉄道に参画した。30年にはリヴァプール・マンチェスター間鉄道が開通し、1840〜50年代には鉄道建設はブームとなり、鉄工業を中心とする第二次産業革命を促進した。西欧の進出とともに植民地に拡張され、50年代ボンベイ・ターナー間の営業が開始された。1869年開通したアメリカの大陸横断鉄道は西部開拓を促進した。ドイツは3B政策の軸としてバグダード鉄道を建設し、ロシアの東方経営もシベリア鉄道建設をテコに進められた。世紀末には電力の鉄道が走った。

(B)従属地域の鉄道は19世紀末〜20世紀初め金融資本によって建設され、鉄道は従属地域の国家的独立を奪い、植民地行政を担当し、世界分割を進める手段となった。列強は敷設権をめぐって度々緊張した。鉄道は食料・原料を帝国主義国に吸いあげるパイプであり、従属地域の経済発展を歪めた。鎮圧軍を早く輸送できるため軍事的支配を容易にした。また鉄道は列強の市場拡大に有効な手段となったが、その裏で灌漑事業は放棄され、農業は荒廃した。従属地域の鉱山の開発・経営にも鉄道は不可欠であった。しかし鉄道の開通は従属地域に近代工業の発達をもたらし、農民の離村を進め、現地の資本家、労働者を台頭させた。また鉄道によって各地の閉鎖性が破られ、鉄道によるネットワークを形成して全国的な反帝主義運動が可能となり、また鉄道を攻撃目標とした。