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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1978

過去問 -東京大学

第1問(論述は第3問)

 つぎの(A)・(B)・(C)の問いに答えよ。解答は答案用紙(ニ)の所定の欄に記入せよ。

(A) つぎの文章を読んで、以下の設問に答えよ。春秋戦国時代の変革過程を経て周封建制は解体し、諸侯・卿・大夫らの世襲身分による伝統的支配秩序はすたれ、軍事力とそれを支える経済力の強化が為政者の目標となる。列強を打倒して最初の統一帝国を樹立した(1)秦朝により、全国に郡県制が確立された。秦漢以降、中央集権的帝国支配が清朝まで続いた。その間王朝の興亡がくり返され、ある時は周辺民族が侵入して中国の一部ないし全土を支配した。

 旧中国はあるヨーロッパの思想家により「持続の帝国」とよばれ、今日の中国ではそれを「二千年の封建社会」とよんでいる。魯迅は旧中国の歴史を、奴隷になりたくてもなれなかった時代と、しばらく無事に奴隷でいられた時代の循環だと辛辣に総括した。度重なる王朝交代は、有徳者に天命が遷るという易姓革命の思想により説明され合法化されたが、その実質は圧政に反抗する(2)農民反乱を契機とする政治変動であったといえよう。頻繁な王朝交代は旧中国史の特色をなし、日本に全くそれがなく、(3)朝鮮でもはるかに稀であるのと対照的である。

 旧中国支配を通じ官僚制の果した役割は重要であり、広大な帝国を有効に統治するため、上は宰相から下は官吏に至る整備された機構が存在した。官吏の登用法は時代によって変化し、後には経書の暗記と作文を主体とする(4)科挙制度が発達した。また官吏を督察する監察官に大きな権能が与えられていたことも中国の特色であって、[ (5) ]の構想した五権(行政・立法・司法・考試・監察)にまで影響が及んでいる。唐代以前に比べ宋代になると官僚機構は複雑化し、皇帝の権力は[ (6) ]。中国の伝統的官制は儒家の経典『周官(周礼)』や『礼記』王制篇などの影響を受け、名称や構成に古代以来の連続性が強い。中央の主要行政官庁(7)六部が『周官』の六官をひきついでいるのはその一例になる。しかし(8)時代とともに実権の所在が移ることも見逃してはならず、そこに官僚機構が現実に適応し得た一面が認められる。

設問

(1)秦が天下統一をなしとげた要因として適当な2項を下記より選び、記号で答えよ。

 a 秦が中原に位置し、統一に有利であった。

 b 秦が周王朝の血統を承け、諸侯の尊敬を得た。

 c 秦が法律を重視する改革を進め、強兵の実をあげた。

 d 秦が資源に富み、商業が栄え、経済的に他国より進んでいた。

 e 秦が国内の世襲勢力をおさえ、諸国から有能な人材を吸収した。

 f 秦が教育に力を入れ文化水準が高く、すぐれた学者を多く抱えていた。

 

(2)つぎの農民反乱によりひきおこされた王朝交代について、旧・新王朝名を漢字で答えよ。

  a黄巾    b紅巾

(3)朝鮮の統一王朝名を、年代の占いものから順に漢字で列挙せよ。

(4)科挙制以前、中正による官人推薦が行われたのはどの時代か、漢字で答えよ。また科挙制の廃止ともっとも関係の深い事項を下記より選び、記号で答えよ。

   a 辛亥革命  b 日清戦争  c 戊戌変法  d 総理衙門  e 洋務運動

(5)空所に該当する人名を記せ。

(6)以下の短文から空所に該当するものを選び、記号で答えよ。

 a 発展し強化された。

 b 外戚や宦官によって制約された。

 c 名目的に専制化したが実権を伴わなかった。

 d 宰相の実権におされ弱体化した。

(7)六部の中で戸部の管掌事項を記せ。

(8)下記の官庁がそれぞれ国政の中枢機関であった時代を、年代の古い順に記号で答えよ。

  a 内閣  b 中書省  c 軍機処  d 尚書・門下・中書省

 

(B)つぎの文を読み、あとの設問に答えよ。

(a)インドで仏教を勉学した法顕は、ベンガルからセイロン島(スリランカ)に渡って経典を求めたのち、海路中国に帰った。

(b)セイロン島の上座部仏教は、ビルマ人が建てた[   ]王朝によって信奉された。それは上座部仏教がタイ、カンボジア、ラオスにまでひろがるもといとなった。

(c)モロッコ生れのイスラム教徒の大旅行家イブン=バトゥータは、はるばるインドに来て滞在したのち、さらに海路中国を訪れた。

(d)義浄はインド旅行の往復に海路をとり、帰路にはシュリヴィジャヤに数年間滞在し、この間にインド・南海の仏教事情を記した[   ]を著した。

設問

(9)(a)~(d)の4つの文が示す事実を年代順に並べ、占いものから順に(a)以下の記号をもって記せ。

(10)(a)の文の法顕のとき、北インドを支配していた王朝の名を記せ。

(11)(b)の文の空所に該当する語を記せ。

(12)(c)の文のイブン=バトゥータのころ、イスラム教徒の商人との貿易でさかえた中国の港の名を1つ記せ。

(13)(d)の文の空所に該当する語を記せ。

 

(C)つぎの設問に答えよ。

(14)イスラム教の発展のなかでシーア派が生まれた。シーア派によるとマホメットの後継者はだれであるべきだと主張されたか。その名を記せ。

(15)北アフリカから興ってエジプト、シリアなどを征服し、カイロに都を建設したシーア派の王朝がある。この王朝の名を記せ。

(16)中央アジアから興ったトルコ民族の王朝は、ブワイフ朝を倒して西アジア一帯を支配した。この王朝の名を記せ。

(17)アフガニスタンのゴール朝の軍隊は、ベンガルに至るガンジス川流域を征服したのち、その部将がデリーに王朝を樹立した。その年代を世紀で記せ。

(18)マラッカでイスラム教徒の国家が建設され、それは東南アジアのイスラム化の一大拠点となった。この国が興隆した時期はいつか。それを世紀で記せ。

 

第2問

 つぎの(A)、(B)の各問に答えよ。解答は答案用紙(ロ)のB欄に記人せよ。

(A)つぎの河川が境界線とされるに至った経過と、これをめぐる現代国際政治上の争点とを、(ア)、(イ)、(ウ)についてそれぞれ3行(1行は35字)以内に要約して述べよ。

(ア)アムール川(黒竜江)・ウスリー川

(イ)ヨルダン川

(ウ)オーデル川・ナイセ川

 

(B)つぎのa~kの記述を読み、下記の設問(ア)、(イ)に答えよ。

a ヴァスコ=ダ=ガマの成功のあとをうけて、1500年、インドヘむけて航行しようとしたアルヴァレス=カブラルの船団は、嵐のためブラジル北東海岸に漂着した。

b ヨーロッパ・アフリカ大陸西海岸・南北アメリカ(西インド諸島、ブラジル、英領北米植民地)を結ぶヨーロッパ商人の三角貿易において、主要商品のひとつはアフリカ人奴隷であった。

c ブラジルでは、砂糖きびやカカオを栽培する大農園経営が展開し、やがて19世紀からはコーヒーなどの大農場が発達した。

d ラテン=アメリカ諸国の境界線は、アステカ・マヤ・インカ文明などを築きあげたインディオの諸国家のひろがり、それらの運命、またその後の移住や混血を伴う「開発」の歴史と切りはなして論じることができない。一国だけで南アメリカ大陸の面積のおよそ半分を占めるような国がうまれた事情も、このような面から考えてみることができよう。

e リオ=ゲージャネイロには、ナポレオンに攻められた本国の国王が逃れてきて、亡命政権をおいたが、やがて国王の本国帰還後、王子は独立を宣言し、皇帝ペドロ1世となった。

f 1885年、列強は、コンゴ川周辺地域を、ベルギー国王レオポルドニ世のコンゴ自由国、フランス領コンゴ、イギリスのあと押しするポルトガル領アンゴラに公割することを決定した。

g ブラジルでは、1888年、奴隷制が廃止され、翌年、共和制がしかれた。

h イベリア半島のふたつの独裁政権は、中立を守ることにより、第2次世界大戦を生きのびた。

i 1961年インド政府はゴアの武力解放をおこない、1976年インドネシアは東ティモールを併合したが、マカオの地位は変っていない。

j ギニア=ビサウの独立運動の指導者アミルカル=カブラルは、独立を目前にして、1973年暗殺されたが、理論家としてはアメリカの黒人や広く第三世界の人びとに大きな影響を残した。

k 北大西洋条約機構(NATO)の原加盟国のひとつであったこの国が領有する大西洋上の諸島は、1973年10月の中東戦争のとき、アメリカ合衆国の対イスラエル武器援助の空輸基地として使われた。この国で、1930年代以来の政治に終止符を打つ大きな変化がはじまったのは、それからまもなくである。

設問

(ア) 南アメリカ大陸の中でのブラジルの特殊な歴史的地位について考えを整理し、?言語、(2)住民構成、(3)独立の仕方の3点に関して、特徴的なことがらだけを指摘せよ。(1)、(2)、(3)の順に3点に分けて記述し、全体を2行(1行は35字)以内におさめること。

(イ)(1)ギニアニビサウ、アンゴラ、モザンビークの独立は、アフリカの歴史の申でどのような新しい時期を画したか。(3)これらの地域の独立運動は、それを植民地として領有していた国に、どのような政治的変化を及ぼしたか。これら2点について考えを2行以内にまとめて述べよ。

 

第3問

 つぎにかかげる8つの事項は、すべて、ある同一の世紀に属している。それは何世紀か。その世紀における、これらの事項が関係する地域の特徴を論述せよ。その際、この世紀に見られるそうした特徴が、それ以後の発展に対してどのような影響を与えたかという点に、とりわけ留意すること。解答では、下記の諸事項に、随意の順序で、かならず1回は言及し、言及箇所をわくで囲んで明示せよ。 

 解答は、答案用紙(イ)のB欄の第1行目に、問われている世紀を明記し、つぎの行から21行(735字)以内で記入せよ。数字、括弧、句読点も、それぞれ1字に数える。 

  キリスト教の国教化 フン族の西方移動 コンスタンティノープル遷都 コロヌスの土地緊縛令 西ゴート族 キリスト教徒大迫害 ニケーア公会議 ドミナートゥス

………………………………………

[第3問の解き方]構想メモ:初めに指定語句をあてはめてみる。漠然とした問題は政治・経済・文化に3分してみる。

~3世紀  政治            経済     文化

4世紀  

     ドミナートゥス       コロヌスの  キリスト教徒大迫害

     コンスタンティノープル遷都 土地堅縛令  ニケーア公会議

     フン族の西方移動

     西ゴート族                キリスト教の国教化

5世紀以降

 

次に欠けているものを足してみる

~3世紀 軍人皇帝時代        ラティフンディウム  カタコーム

   (内乱はありながらひとつの帝国)貨幣悪鋳       新約聖書、ストア哲学

4世紀  政治            経済         文化

     ドミナートゥス       コロヌスの      キリスト教徒大迫害

                    土地堅縛令     ミラノ勅令→公認

     コンスタンティノープル遷都 西方属州都市     ニケーア公会議

     フン族の西方移動       の衰退  

     西ゴート族 

     ゲルマン大移動

     東西分裂                     キリスト教の国教化

5世紀以降

     ゲルマン諸国       (西)農奴      (西)アリウス派

     →西ローマ帝国滅亡       自然経済      →正統に改宗

     東ローマ帝国の繁栄    (東)貨幣経済     ローマ教会が中心

                             (東)正統信仰と

                                単性論

………………………………………

わたしの解答例

第1問

(1)c、e   (2)aー後漢、魏、b-元、明   (3)新羅、高麗、李氏朝鮮 

(4)魏・晋・南北朝、c(戊戌変法の挫折→義和団事件・日露戦争の日本の勝利→一連の国政改革(科挙・六部廃止・憲法大綱)となるのでcが妥当なところ) (5)孫文 (6)a  (7)戸籍・財政事務の担当

(8)d→b→a→c  (9)a→d→b→c (10)グプタ朝 (11)パガン朝 (12)泉州 (13)南海寄帰内法伝(14)アリー (15)ファーティマ朝 (16)セルジューク朝  (17)13世紀 (18)15世紀

第2問

(A)(ア)アロー戦争に乗じてロシアが清朝とのアイグン条約でアムール川以北を獲得し、ウスリー川以東は共同管理としたが、1860年の北京条約でこれを獲得した。1969年にウスリー川の珍宝島で武力衝突が起きた。

(イ)1947年に国連のパレスチナ分割決議案によりヨルダン川西岸にパレスチナ人の入植地が作られた。第三次中東戦争によりイスラエルがこの地を占領した。この地の一部でパレスチナ人の自治が認められた。

(ウ)第二次世界大戦中のポツダム協定によりポーランドと東ドイツの国境として暫定的に決定されたが、ブラント首相が「東方外交」で東ドイツを訪問してこの川を国境とすることに同意した(1970)。

(B)(ア)(1)言語はポルトガル語を公用語とし、(2)クリオーニョとメスティーソが約5割ずつである。(3)ポルトガル王室から独立し、ブラジル帝国を建国した。

(イ)(1)全アフリカの解放を決定的にした。(2)独裁政権が倒れ民主化が進んだ。それがEC加盟を可能にした。

第3問(わくでなく下線で)
4世紀
この世紀は政治的には軍人皇帝の乱立状態を終わらせドミナートゥス体制に転換した。皇帝は専制君主として君臨し全官僚の任命権をもち、元老院と二分していた属州をすべて所有・細分化して中央集権的支配体制をつくりあげた。元老院は名目化しイタリア半島は属州のひとつに格下げした。迫害を受けてきたキリスト教は、ディオクレティアヌス帝のキリスト教徒大迫害が失敗に終わり、コンスタンティヌス帝の公認とともに、ニケーア公会議で教義の正統異端を裁定した。これまでのローマの神々による皇帝の神聖化からキリスト教の神による神聖化の転換がなされた。またコンスタンティノープル遷都は帝国重心の東方移転を決定的にした。世紀中頃、フン族の西方移動を契機として西ゴート族の南下がはじまり、ゲルマン大移動が展開、ゲルマン人の西方世界形成のスタートがきられた。経済的には衰え始めていた商業活動がより衰退し、西方属州の都市没落、貨幣悪鋳、コロヌス土地堅縛令などが農業社会への転換を促した。奴隷制によるラティフンディウムはコロヌス制に転換した。文化的にはキリスト教の国教化と新プラトン主義も継承する教父哲学がローマ多神教・ユダヤ教などを排斥し、ストア哲学を衰退させた。こうしたこの世紀の転換は、政治的にはドミナートゥス体制の西方属州での崩壊とゲルマン諸王国建設へ、東方ではこの体制の維持・強化となり、後者は次第にラテン的要素を失いギリシア的ビザンティン帝国に変貌する。経済的には西欧の自然経済化がすすみコロヌスは農奴につながる。東欧はまだ金貨の純度を保持し貨幣経済が普及、都市は繁栄をつづけた。文化的には西欧でゲルマンの習俗と融合したキリスト教ができ、東欧では帝国は正統を維持したが、南部では単性論異端の普及がみられた。