世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1979

第1問

(A)4世紀から18世紀まで朝鮮半島に存在した諸王朝の変遷について、中国との政治的関係を重視しながら、250字以内(句読点も1字に数える)で述べよ。必要な年代は世紀で示せばよい。 

(B)中世西ヨーロッパ世界の形成・発展に対して、キリスト教会は政治、社会、文化などの面で広く、かつ持続的な貢献をした。これらの貢献のうち主なものを4つあげよ。解答は項目ごとに改行し、合計8行以内(1行35字:280字)に記せ。句読点にも1字分を使用すること。

 

第2問

 1850年代から1870年代半ばにかけての世界は、さまざまな点で顕著な時代的特徴をもっている。

 これは欧米における科学技術の進歩、経済の発展.国際政治の変化、そして、これらにもとづく欧米と他の地域との関係の新展開のなかに認められる。この時代の特徴を、科学技術、経済、社会、政治の相互連関に留意し、前後の時代をも考慮しながら、600字以内(句読点も1字に数える)で述べよ。解答には、下記の語句を随意の順序で少なくとも1回は用い、また最初に用いたときに下線で明示せよ。

 クリミア戦争 南北戦争 アロー戦争 明治維新 通信手段 鉄道建設 産業資本家 自由貿易 国民国家

 

(この年は第3問がありません)

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第1問の解き方]

 (A)「中国との政治的関係」でないものを解答例1・2でさがしてみよう。

解答例1

4世紀には北に高句麗、南に百済・新羅と三国が鼎立、日本の勢力下に任那も存在したが、これは甲く滅んだ。7世紀、高句麗は隋を撃退する程の勢いを示したが、唐と結んだ新羅は他の2国を滅ぼして朝鮮に初の統一王朝をつくり、唐の保護下にその文物制度を摂取して繁栄した。10世紀前半高麗が成立、仏教文化が栄えたが、遼・金の圧迫をうけ、ついで元に服属し、日本遠征に駆使された。倭寇の被害の中で14世紀未李氏朝鮮にかわり、中国の影響下に民族文化を高めたが、政治的には明・清に朝貢、その従属国の形で存続した。

解答例2

朝鮮半島では、4世紀半ば中国文化の影響で南部に新羅・百済が成立、北部の高句麗と並立した。三国のうち最強の高句麗は7世紀初頭の隋の攻撃を撃退しが、同世紀後半唐と結んで百済を倒した新羅に滅ぼされ、半島は新羅の下に統一された。新羅は唐の律令制を摂取して国制を整えたが、唐の衰退とともに衰え、10世紀前半高麗に代わられた。高麗は北進策をとったので、北方の遼・金・元に服属を余儀なくされた。中国で明が元を倒すと、高麗でも親明派の李成桂が李氏朝鮮を建て、17世紀に清の台頭でその属国となり、19世紀に至っている。

 

第2問の解き方]

(この問題は『世界史論述練習帳new』本文p.124-126に掲載)

 特徴の問題です。「1850年代から1870年代半ばにかけての世界は、さまざまな点で顕著な時代的特徴」と。これはさらに「前後の時代をも考慮しながら」という問い方で更に補足したような問い方になっています。前であれ、後であれ比べないと、この次期の特徴は表せません。特徴は『練習帳』の方法7に示してありますから、参考にしてください。

 一番まっとうな解き方は問題文の通りに構想メモをつくることです。

     科学技術  経済発展   国際政治   他地域

 前の時代                     

1850~1870 

年代                 

 後の時代                           

  書き方は「前の時代」はこうこう、そして「1850~1870年代」はこうこう、「後の時代」はこうこう、という順です。

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(わたしの解答例)

第1問

(A)4世紀、北部の高句麗は西晋の衰退期に楽浪郡を併合した。南部では西の百済と東の新羅が対立していた。高句麗は6〜7世紀隋・唐の侵入を撃退した。新羅は唐と同盟して百済と高句麗を滅ぼし、唐の安東都護府設置後、唐羅戦争に勝ち半島統一に成功した。唐解体後10世紀に王建は高麗を建国した。高麗は10〜11世紀に遼の侵入を防ぎ、金・宋に服属したが、13世紀モンゴル軍に敗れ元朝に服属した。元明交代期の14世紀に李成桂は高麗を滅ぼし、李氏朝鮮を樹立し明に服属した。17世紀李朝は清ホンタイジの侵入を受け、事大の礼をとった。

(B)政治的には、教会が世俗の権力たる皇帝・諸侯に対抗して独立した政治的な勢力となり、政治と宗教の分離した世界を形成した。

教皇が対イスラームの戦闘である十字軍運動をおこし、またレコンキスタに経済支援と派兵をおこない西欧を保護した。

社会的には、未開地を開墾し、修道会を派遣して森林を切り開き、道路をつくり、橋をかけ、耕作技術の改良をし、ワインを醸造した。

中世において教会と修道院は教育と学問の中心であり古典の筆写と研究にいそしんだ。ローマ法大全の研究、イスラーム文献の翻訳は修道士であった。


第2問(「前の時代」→「1850~1870年代」→「後の時代」の順に書いてあります)

英国だけが唯一産業革命を完成し、この時期以前の綿工業から鉄鋼業に転換をはじめた。大規模な鉄道建設が欧州全域で展開した。海上では蒸気船が発達し、スエズ運河の開通、米国の大陸横断鉄道も開通した。やがてこの科学技術は電気を利用した通信手段の発達とともに国家と大企業に独占されていく。経済的には英国中心の自由貿易体制であった。この英国に対抗する欧米では、関税同盟を結成していたドイツが鉄道建設による重工業を推進した。米国は南北戦争を通じて北部主導の国内市場を統一するとともに産業革命を完成した。ロシアはクリミア戦争敗北後に農奴解放を行って資本主義の基盤をつくった。だが1873年からの大不況のもとで独占が形成されていく。国際政治の面では、1848年革命の挫折後、それまで革命推進勢力であった産業資本家は保守化し、イタリア統一戦争・普仏戦争などの国民統一戦争をおこなった。70年代以降は帝国主義にかたむく。一方労働者は、労働組合や第一インターの結成・パリコミューンにより国民国家と対立する独自の勢力となった。欧米諸国の工業化で欧米市場を失っていく英国は海外進出を強化した。アジア・アフリカ地域は、欧米とは貿易関係だけであったが、しだいに従属化されることになった。インドはシパーヒーの乱後植民地化し、中国はアロー戦争の後従属下し洋務運動を進め、日本は明治維新をおこなった。中国は半植民地化し、日本は帝国主義となる。