世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1988

第1問

 欧米において近代市民社会が形成されるにあたり、17世紀から19世紀初頭にかけて、さまざまな変革が生じたが、それらの変革の様相は地域によってそれぞれ異なっていた。そこで、イギリス、アメリカ、フランス、プロイセン(プロシア)の四つについて、以下の(A)、(B)の設問に、それぞれ10行以内で答えよ。解答は冒頭に(A)、(B)の符号を付し、解答用紙(イ)の欄に記入せよ。

 設問

(A)イギリス革命(ピューリタン革命および名誉革命)とフランス革命に関し、革命を引き起こした原因と、革命がめざした目標とについて両革命を比較し、それぞれの革命の特色を述べよ。さらに、19世紀初頭のプロイセンの改革の特色と思われる点を指摘せよ。

(B)アメリカ独立革命に関し、ヨーロッパにおける諸変革との比較を念頭において、アメリカの場合の特色と思われる点を述べよ。

(注)解答において、イギリス、アメリカ、フランス、プロイセンを、それぞれ、英、米、仏、普、と表記してよい。

 

第2問

 アジアの民族運動とその指導者に関する下記の設問(A)~(C)に答えよ。解答は、解答用紙の(ロ)の欄を用い、冒頭に(A)~(C)の符号を付して、それぞれ4行以内で記せ。

 設問

(A)第一次大戦後の中国では、軍閥の割拠と半植民地状況に反対する民衆の運動が高まり、それは1924-27年の国民革命へと発展していった。中国国民党の指導者孫文が、晩年においてこの国民革命の基礎を固めるために行なった政策転換を、具体的に説明せよ。

(B)ガンディーの活躍した1920-30年代のインドの民族運動や大衆的な運動は、19世紀のそれと比べて、運動の性格、目標、参加者などの点で異なっていた。インド国民会議結成当時との比較を念頭において、1920-30年代のインドの民族運動や大衆的な運動について、その特徴を述べよ。

(C)第一次大戦後のトルコ革命の指導者として、アタテュルク(ムスタファ・ケマル・パシャ)がトルコの国家と社会の近代化をめざして行なった改革について、具体的に説明せよ。

 

第3問

 以下の三つの文章(A)、(B)、(C)は、古代ギリシア・ローマ、中世ヨーロッパ、および東アジアの都市について述べたものである。下線部(1)~(9)に応じた設問(1)~(9)につき、解答欄(ハ)を用いて答えよ。なお、解答は設問ごとに行を改めて記せ。

 (A)古代ギリシア人は、小アジア西岸・エ一ゲ海の島々・ギリシア本土の各地に(1)都市部を核とする数多くの小国家をつくり、さらに植民活動によりそれを地中海および黒海沿岸一帯にひろめて、独自の世界を築いた。ギリシア人につづき古代イタリア人(イタリキ)もイタリア半島内に多数の都市国家を建設するが、ここではその中の一つローマが他にぬきんでた力を発揮する。(2)ローマはまず半島を制覇し、ついでカルタゴやマケドニアにうち勝って領域をひろげ、やがて西南アジアや西ヨーロッパの内陸部をも含む地中海周辺全域を支配して、(3)一大帝国を形づくるにいたるのである

設問

(1)ギリシア人よりも先に、古代オリエントにおいて都市国家分立の世界をつくり出した民族の名を二つあげよ。そのうち特にギリシア人と密接な交渉をもった民族の名に下線を施せ。

(2)この過程でローマ軍の中核をなす土地所有農民が疲弊・没落して、共和政ローマは深刻な社会的危機にみまわれた。他方、ギリシア植民の最大の要因は、母市(本国)での耕地不足にあった。以上二つの事実をもとに、ギリシア・ローマの都市国家が、本来、共通にそなえていた一つの特徴について、2行以内で述べよ。

(3)ローマ帝国属州各地の行政・経済・文化の中心は都市にあった。帝政後期に入ると、これらの都市は、経済的にも文化的にも次第に活力を失って行く。その原因は何か。考えられるもののうち一つをあげ、2行以内で略述せよ。

 

(B)アルプス以北の西ヨーロッパ諸都市は、12・13世紀ごろに今日の基礎が形づくられたが、当時は今日とは違う、また日本の中世・近世の都市とも違う(4)独特の外観を備えていた。町は狭く汚なかったが活気に満ち、同じころ主要都市に建設された(5)町一番の大建築物は、中世社会におけるダイナミックなエネルギーをみごとに表現している。それと同時に、遠隔地商業の発達や、腕を磨くための職人の遍歴、(6)ハンザその他の都市同盟の活動は、当時の都市、都市民の国際性をよく示している。

 設問

(4)その独特の外観とは何を指すか。1行以内で説明せよ。

(5)その大建築物を何というか。また西ヨーロッパでの代表例を二つあげよ。

(6)ハンザ同盟は国際的経済活動を行ない、さまざまな国の都市に在外商館を置いたが、その代表的な都市名を二つあげよ。

 

(C)次の文章は、中国から派遣された外交使節の一人が書き残したもの(抄訳)である。──この国は、西は遼河をへだて、北は(7)契丹の旧地に接し、金とはへだたっている。今、(8)王城は鴨縁江の東南に位置し、周囲が六十里ほどあって、山が曲りくねって続き、その地形にしたがって築造されている。西南隅に王府・宮室が建てられている。その東北隅の順天館は立派に整備され、西門もまた壮麗に建造されているが、それは(9)中国人使節のために設けられているからであろう。

 設問

(7)契丹族がたてた王朝の名を二つ記せ。

(8)この王城に関する描写は、ある王朝の王都の情景である。その王朝と王都との名を記せ。

(9)このとき本国に帰った使節は、まもなく江南遷都という国難に会うが、中国各地の都市はその後も一層繁栄した。その時代の代表的な都市名三つと、都市繁栄の理由とを2行以内で記せ。

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第1問 <構想メモ

(A)   英           仏 

〔原因〕

 王の伝統的議会無視     王の非伝統的三部会召集

 武力行使と不当課税     特権層への妥当な課税案

 宗教対立(国教と非国教)  反教権的啓蒙思想(反宗教的)

 対蘭経済への無策      対英劣勢

〔目標〕

 議会主権          旧制度廃棄

 英固有の権利回復      普遍的な人間の解放

原因:仏占領下、工業未発達、大土地所有・農奴制残存、英経済思想(スミス)の影響

目標:資本主義経済の基礎確立

展開:官僚・軍人主導、民衆不参加、憲法不成立、議会政治未発達

(B)原因:植民地への本国の圧迫、民主政治の自生的発展(タウンミーティング、植民地議会)、旧制度・封建制わずか、自治制度の発達

目標:本国からの離脱、債務帳消し、残存する旧制度の排除(王政・長子相続・十一税)

展開:民兵と西欧の援助による独立闘争、独裁政権不成立、三権分立の憲法制定

 

[第2問の解き方

(A)(解答例)

三民主義のスローガンの下での民族の独立と統一が現実に達成されていなかったことに対し、コミンテルンの助言を入れ国民党を改組し、“連ソ・容共・扶助工農”の新路線を採用、中国共産党を受け入れ、また革命軍をつくり国民革命の完成をめざした。

 ▲「民族の独立」は辛亥革命で実現していますから、おかしな文章です。あと内容は正しいのですが、「転換」ですから、前の政策がなんだったのか出すべきでした。後の政策として「中国共産党を受け入れ、また革命軍をつくり」は正しいですね。ただじゃ前は? となると書いてありません。前は秘密結社の中華革命党の活動と各地での蜂起をくり返して失敗しています。公開の政党にした点がちがうのです。またソ連の援助を受けることになったのですが、前は同族(主に華僑)の協力か一部の日本人に頼っていました。旧新三民主義の内容でなくても「転換」が書けるはずです。

(B)構想メモは以下のようになるでしょう。 

1885年頃       1920~30年代

性格:談合機関の会議  大衆を導く反英組織

目標:改革提案     自治要求

参加:知識人・地主   労働者・農民・学生

(C)容易な問題です。4行全部埋まらなくても3行でも心配することはありません。たいていのひとがそうでしょうから。あえていえば、ケマルの改革は総括的な改革ではあるものの、土地改革がなかった、とその弱点・不徹底性を指摘すると結論めいた指摘になります。

 

わたしの解答例

第1問・第2問

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第3問

(1)シュメール人、フェニキア人(アルファベットを導入、地中海商業の先輩、シチリア島でもギリシア人と協力と対立の関係)

(2)どちらも傭兵に頼らず市民が武器自弁で軍隊を構成しており、土地拡大よりも国内の反乱や他国の侵略から守るために戦っていた。(ともに自作農民兵を基盤して国家を形成し、農民には武装自弁の原則を課していた。)

(3)有力市民が専制君主政の重税で、払えない市民の分も負担させられたため都市を捨て、地主化したため。

(4)城壁で囲まれ、中の広場には教会と市庁舎が並び立っていた。 (5)教会建築、ケルン大聖堂、ノートルダム大聖堂 (6)ロンドン、ブルージュ、ベルゲン、ノヴゴロド、このうち二つ。 (7)遼、西遼 (8)高麗と開城

(9)泉州、広州、抗州。ムスリム商人によるインド洋経由の海上交易が盛ん、市制も消滅していたため(農業生産とその技術の飛躍的進歩、市制崩壊による営業の自由/草市・鎮市など従来の大都市の周辺にも自由市場ができ人口が都市に集中した)。