世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1989

第1問

 近代初頭以降、西ヨーロッパ諸国と中国の間には、政治・経済・文化の諸分野でさまざまな交渉があった。これについて、以下の設問に答えよ。解答は解答用紙の(イ)の欄を用い、冒頭に(A)、(B)の符号を付して、それぞれ指定の行数以内で記入せよ。

設問

(A)18世紀半ばから19世紀半ばにいたる時期について、西ヨーロッパ諸国と中国との通商関係の推移を12行以内で述べよ。

(B)明朝末期から清朝前期にかけての時期のイエズス会士への対応と、清朝末期の洋務運動とを例にとり、中国がヨーロッパ文化を受容するにさいして示した態度の特徴を8行以内で述べよ。

 

第2問

 内陸アジアの高原地帯に位置するアフガニスタンは、今日にいたるまで複雑な国際関係の渦中におかれてきた。この地方について、下記の設問(A)~(D)に答えよ。解答は解答用紙の(ロ)の欄を用い、冒頭に(A)~(D)の符号を付して、それぞれ3行以内で記せ。

設問

(A)パミール高原の難所をこえて、インドに求法の大旅行をした代表的中国人2名をあげ、その事蹟を述べよ。

(B)今日アフガニスタン住民の大部分が信仰している宗教が、この地方に普及する契機となった王朝の名をあげ、それについて知るところを述べよ。

(C)インドからイランにいたる地域の諸王朝の領域は、元来、固定的なものでなかった。しかし、こうした状況はイギリスのインド支配にともなって変化し、アフガニスタンの領域とその国際的地位は確定されていった。この過程について述べよ。

(D)1919年にアフガニスタンは独立した。そのさいアフガニスタンの独立国家としての存立を助けるような新しい国際環境が生まれていた。その国際環境について述べよ。

 

第3問

 世界の歴史の中では、「物」や技術などが、文明のあり方に大きな影響をあたえることがあった。これらをテーマとする次の各問に、解答用紙の(ハ)の欄を用いて答えよ。なお、解答は設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(8)の番号を付して記せ。

設問

(1)鉄の使用は、紀元前1000年前後から西アジア地方で普及するが、これに先立って鉄製武器を用いて力を伸ばし、小アジアに建国した民族がある。その民族名を記せ。

(2)金属を素材とする貨幣の鋳造は、前7世紀、小アジアに始まり、ギリシア世界にも伝えられた。そのころ商業交易も盛んとなり、富裕な平民層とならんで、負債に苦しむ人々も出現して、ポリスの貴族政治は動揺した。前6世紀初頭、アテネのソロンは、このような事態に対処するために改革を断行した。その内容を1行以内で記せ。

(3)火の使用は人類の進化にとって重要な役割を果したので、火を清浄なものとする宗教も出現した。その一つであるイランのゾロアスター教(拝火教)は中国の北朝にも伝わったが、そこではいかなる名称で呼ばれたか。その名称を記せ。

(4)ユーラシアの草原地帯には、歴史上、数多くの遊牧民族が出現して、勢力を誇った。かれらは、馬を移動や戦闘に使う騎馬民族でもあった。つぎの騎馬民族を、大規模な国家形成に成功した時代の先後により、古い順に並べかえよ。

      ウイグル 匈奴 スキタイ 突厥

(5)中国から製紙法を学んだイスラム教徒は、サマルカンド、バグダード、カイロなどの諸都市につぎつぎと製紙場をつくった。紙の普及はイスラム文化の発展に大きく貢献した。製紙法が中国からイスラム世界に伝えられるきっかけとなった歴史的事件の名称を記せ。

(6)奴隷貿易は人間を「物」として扱ったものであるが、西アジアのイスラム世界に商品としてもたらされた奴隷の中には、そこで軍人として勢力を伸ばし、やがて王朝をたてる者もあった。その王朝の例を一つあげよ。

(7)13世紀から14世紀にかけて、東西貿易の発展にともない、大量の文物・技術・情報がヨーロッパにもたらされて、その社会と文化の変容をうながした。次にあげる(a)~(d)のうち、その例として不適当なものを一つあげよ。

 (a)香辛料などの輸入にたずさわる港湾都市が大いに繁栄した。

 (b)羅針盤の改良・普及により、航海が容易になった。

 (c)活版印刷術が東方からもたらされて、出版活動が盛んになった。

 (d)マルコ・ポーロが『東方見聞録(世界の記述)』を著して、東方への関心をひろげた。

(8)「大航海」時代には、アメリカ大陸から新しい消費物資が旧世界に導入されて、人々の生活に変化がおこる一因となった。次のもののうち、原産地アメリカ大陸からヨーロッパにもたらされたものを三つあげよ。

  コーヒー 砂糖 じゃがいも たばこ とうもろこし 木綿

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[第1問の解き方

(A)「通商関係の推移」という課題です。推移とは「状態などが移りゆくこと。時につれて変化すること。(岩波国語辞典)」「時のたつにつれて、そのものの状態が変わること(三省堂・新明解国語辞典)」です。18世紀半ばから19世紀半ばという100年ものあいだに大きく関係は推移(変化)したはずという前提での問題です。

 そうすると、18世紀の状態と19世紀の状態に変化があった、ということで、たんなる事件史にならないように注意しないといけません。

 つまりはじめに清朝の制限貿易の姿勢がどう変わっていくのか、ということからはじめて、結局アヘン戦争・アロー戦争の結果、どう変わるのか、ということです。初めに書いたことを最後まで追っていく必要があります。

 公行→公行廃止

 一港→五港・11港開港

 アヘン流入→アヘン流入増加

 銀流入→銀流出→銀流出の激増

 制限(朝貢)貿易→自由貿易

 関税自主権→自主権の喪失

 

(B)これは比べて共通性をさがさせる問題です。共通性とは明示してないものの「態度の特徴」は16世紀と19世紀の西欧文明にたいする対応ですから、ちがう時代とちがうものが入ってきていながら、それを受け入れる中国人的な態度がある、ということですから共通性ですね。 

わたしの解答例

第1問

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第2問

(A)東晋の法顕。戒律の原典を求めて超日王時代のグプタ朝を訪れて仏跡を巡り,『仏国記』を著した。唐の玄奘。戒日王の知遇を得,ナーランダ僧院で学び,法相宗を開く。『大唐西域記』を著した。

(B)ガズナ王朝。アフガニスタン最初のトルコ系イスラム王朝。10世紀末以来インド侵入をくり返し,北インドのイスラム化を推進した。宮廷の保護のもと,イラン系の学芸が盛んであった。

(C)イランのカージャール朝のアフガニスタン侵攻に際し,これを支援するロシアの南進を恐れるイギリスが介入し,19世紀の2度のアフガン戦争の結果,アフガニスタンはイギリスの保護国となった。

▲この解答文にたいして、「アフガニスタンの「領域の確定」について触れないといけないと」疑問が出されました。

 私の解答→なるほど。この解答文の後に英露協商で領域確定を書けば「過程」が完結しました。ありがとうございます。解答文は次のように訂正します。

北のロシア、西のイラン(カージャール朝)、東南のインドを支配するイギリスが、このアフガニスタンで衝突したがロシアの敗北の結果、イランの3分とともにアフガニスタンの領域も確定した。

(D)レーニンの布告とウィルソンの14カ条の中の民族自決の原則に力づけられてアフガニスタンの独立運動は高まり,英国勢力の後退に乗じてインドに侵攻し,第3次アフガン戦争で独立を達成した。

第3問

(1)ヒッタイト(2)従来の債務を帳消しにし債務奴隷を禁じ,財産政治を行った。

(3)ケン(示+天)教(4)スキタイ→匈奴→突厥→ウイグル

(5)タラス川の戦い(6)マムルーク朝(7)c(東方からかは不明、マルコ=ポーロ説もあるが、グーテンベルクのはブドウ絞り機からヒントを得ているよう)

(8)じゃがいも,たばこ,とうもろこし