世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1987

第1問

 朝鮮戦争(1950~53年)とヴェトナム戦争(1960-75年)について、下記の設問(A)~(C)に答えよ。解答は解答用紙の(イ)の欄を用い、冒頭に(A)~(C)の符号を付して記せ。

 設問

(A)以下は、朝鮮戦争をめぐる経過を年代順に配列したものである。空欄に入れるのに適当な事項を15字以内で記せ。

  大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の成立─→朝鮮人民軍の南進─→米軍出動・第7艦隊の台湾海峡派遣─→国連安全保障理事会決議─→国連軍仁川上陸─→国連軍の北進─→[   ]─→マッカーサー解任─→休戦協定締結

 

(B)以下は、ヴェトナム戦争をめぐる経過を年代順に配列したものである。空欄に入れるのに適当な事項を10字以内で記せ。

 ジュネーヴ協定締結─→南ヴェトナム解放民族戦線結成→ゴ・ディン・ジェム政権崩壊─→「トンキン湾事件」→米軍の北爆と南ヴェトナムヘの地上軍投入─→テト攻勢─→[   ]─→米軍のカンボジア侵攻→米軍の撤退→サイゴン陥落

(C)朝鮮戦争とヴェトナム戦争の原因・国際的影響・結果について、両者を比較しながら18行以内で記述せよ。

 

第2問

 下記の設問(A)~(C)に答えよ。解答は解答用紙の(ロ)の欄を用い、冒頭に(A)~(C)の符号を付して、それぞれ4行以内で記せ。

 設問

(A)宋代に朱熹によって大成された宋学は、後世の中国歴代王朝で儒教の正統な学派とされ、また近隣諸国でも官学として受けいれられていった。その理由と思われるところを述べよ。

(B)紀元1・2世紀以降、東南アジア大陸部・島嶼部各地にインド文化が波及し、仏教とヒンドゥー教(バラモン教)の両者が受けいれられたが、最終的には、仏教が大部分の社会に深く根をおろすこととなった。その理由と思われるところを述べよ。

(C)7世紀にアラビア半島に興ったイスラム教は、西アジアと北アフリカを中心とする広大な地域にひろまったが、その初期の過程で、各地のキリスト教徒・ユダヤ教徒・ゾロアスター教徒などがイスラム教徒の支配を進んで受けいれるということがしばしば見られた。その理由と思われるところを述べよ。

 

第3問

 以下の三つの文章(A)~(C)は、イベリア半島の歴史について、それぞれの時期の経過を略述したものである。下線部(1)~(8)に応じた設問(1)~(8)に関して、解答用紙の(ハ)の欄を用いて答えよ。なお、解答は冒頭に(1)~(8)の番号を付して記せ。

 

(A)古代のイベリア半島は、ケルト人の侵入についで、ギリシア人、フェニキア人が入植し、さらに、ローマ人の進出によって、地中海世界との関わりを深めることになった。前2世紀初頭いち早く(1)ローマの属州として併合されたヒスパニアでは、都市化・文明化が著しく進展した。やがて、ローマ帝国の弱体化にともなって、(2)ゲルマン民族の2部族が侵入し、その一方は定住するに至った

 

設問

(1)前241年のシチリア、前238年のサルディニアについで、前197年、イベリア半島に属州が成立した。この時期にローマがイベリア半島の属州化を推進したのはなぜか。1行以内で説明せよ。

(2)その2部族名を記し、定住した部族名に下線を付せ。

 

(B)(3)イベリア半島の中世史は異文化間の摩擦と交流と混淆の歴史であり、西ヨーロッパ・キリスト教世界が最初の大きい異文化体験をもったのもここを通してであった。南から侵入した外民族は間もなく政治的には四分五裂におちいり、これに対しいったん北にのがれたキリスト教徒たちは「再征服運動」を進め、この間に半島の(4)中部から西にかけて拡がる内陸的なa王国と、東よりに地中海商業によって繁栄するb王国を形成した。(5)この地域の他の一国であるポルトガルは、もともと後者とかかわりの深い海洋国家として生まれ、中世末期にはこれとあい携えて海外にのり出して行った

 

設問

(3)このことについて次の語句を参考として4行以内で説明せよ。

   イブン・ルシュド トレド

(4)a王国とb王国の呼称を、それぞれa、bの記号を付して記せ。

(5)この文は明白な誤り2カ所を含んでいる。誤りを正した文を記せ。

 

(C)スペインは、16世紀の大発展ののち、17世紀以降、「スペインの没落」とよばれる長い時代をむかえる。(6)おもな植民地の喪失が大きな痛手となり、また、(7)スペイン継承戦争、ナポレオン軍の侵入、(8)スペイン内乱などにおいて、ヨーロッパ諸国が干渉・介入したことが、事態を複雑にした。

 

設問

(6)その過程で、「98年の世代」とよばれる知識人集団が現われ、自国への憂慮を表明した。これのきっかけとなった歴史的事件名とその結果を、1行以内で記せ。

(7)スペイン継承戦争に参加したイギリスは、イベリア半島の戦賂拠点を領有するに至ったが、この地は、現在でもスペイン・イギリス両国間で係争中である。この地名を記せ。

(8)スペイン内乱は、第2次世界大戦の前哨戦であるともいわれている。その理由を、内乱にかかわった諸陣営を念頭において3行以内で説明せよ。

………………………………………

[第1問の解き方

 問題は「朝鮮戦争とヴェトナム戦争の原因・国際的影響・結果について、両者を比較しながら18行以内で記述せよ。」と短いが、難問です。だからこそ(A)(B)で相当くわしく経過を出しておいてこの問があります。もう示されていますから、この問題は経過を問うていません。

  原因---------------------→結果

       ↓

     国際的影響

 という三つが要求されています。比較は共通点と相違点の双方がでてくる可能性があります。英英辞典では compare :to examme or judge ( one thing ) against another in order to show the points of likeness or difference(Longman Dictionary of Contemporary English )とあり、国語辞典では、比べる:二つ(以上)のものをつき合わせて、その異同・優劣などを調べる(三省堂『新明解国語辞典』)とあります。かんたんにでも経過を説明している(A)(B)をにらみながら、構想メモをつぎのようにつくってみると、意外と異同がでてくるはずです。

     朝鮮戦争     ヴェトナム戦争

原因

影響

結果

  原因にあたるものは、(A)の朝鮮人民軍の南進、(B)の南ヴェトナム解放民族戦線結成に示してあります。この東大の問は教科書ではたいていヴェトナム戦争を北爆の開始の1965年にしているのに、問題文では「(1960-75年)」と時期が書いてあり、1960年のできごとを開始にしなくてはならないことです。だからこの結成以降になります。

 影響も(A)米軍出動、(B)トンキン湾事件、米軍の北爆とアメリカの関与が書いてあります。もちろんこれだけでは「国際的」には不十分ですが示唆されてはいます。

 結果も(A)休戦協定締結と(B)米軍の撤退→サイゴン陥落である程度しめされています。

 この問題の構想メモをつくっても、朝鮮戦争を先に書き、後でヴェトナム戦争を書く、という手順でやると失敗する可能性があります(これをタテの比較と呼んでおきます)。たんなる流れとして書いてしまう危険性です。この書き方では、後で書く戦争との比較を無視してしまうものです。比較はできるだけヨコの比較で書くように。ヨコでとは、原因は原因で双方とも書いてから、つぎは影響にうつる、という手順です。

構想メモ(C)共通点:

原因:南北分裂国家、背後に米ソ大国の支援(米の南独裁政権援助)、統一選挙の失敗・無視

影響:国連の無力証明、日本の基地化と特需、大国の政権交代が終結を促進

 

相違点:朝鮮戦争           ヴェトナム戦争

原因:米ソ占領終了後に北の南に侵入  仏軍撤退後に米継承、南内部における反政府運動

影響:半島のみ戦場          周辺に戦場波及

   中ソ封じ込め、冷戦強化     米中接近、中ソ対立、多極化

   ドルは世界通貨の基軸(ブレトン=ウッズ体制) ドル危機(IMF体制動揺)

   マッカーシズム          国際的反戦運動

結果:統一失敗、米軍残存       北による統一、米軍撤退

[第2問の解き方

(A)宋学にかんして『詳説世界史』以外の記述→「朱子学は、君臣・父子・華夷の秩序を重視したから、君主独裁制を支える理論として儒学の正統とされた。(詳解世界史)」

 「中国の皇帝に冊封された国王は、貢物を奉じて使節を皇帝のもとへ送ること(朝貢)を義務づけられたが、その君臣関係は皇帝の権威に服従するだけであり、朝貢国の実質的独立は認められた(冊封体制)。遠方からの朝貢は皇帝の徳がそこまで及んだことの証明とされ、皇帝の国内的権威もそれだけ強化された。朝貢国の側も、自国内や近隣諸国に対し、中国の皇帝の権威を借りて、王の権威や地位の保障をはかることができたので、進んで冊封下にはいることも多かった。(世界史B 三省堂)」 

 「華夷の区別を正し、君臣・父子・夫婦間の身分関係を論ずる「大義名分論」もここに登場した。こうした一連の思想活動は北宋の周敦イに始まり、南宋の朱熹が大成し、朱子学とも宋学ともよばれる。宋学はのちに中国の正統儒教思想となり、日本や朝鮮の思想界にも深い影響を及ぼした。(高校世界史・山川)」

(B)ヒンドゥー教・仏教と東南アジアについて教科書の記述は、理由の答えになるほど明快なものはありません。が、ある程度推測できる面はあります。→「古代の王権と結びついたヒンドゥー教や大乗仏教の影響が衰え、あらたに儒教・上座部仏教・イスラムの影響がひろがった。……パガン朝時代の11世紀にセイロンからビルマに伝わった上座部仏教は、13世紀以降、タイ・ラオス・カンボジアへとひろがる。(詳解世界史)」

 「半島部のこれらの国家では、ヴェトナムをのぞき小乗仏教(上座部)が民衆の生活にまで深く浸透した。(世界の歴史・山川)」

 基本的な知識として知っておかなくてはならないのは、東南アジアは初めから小乗仏教ではないことです。紀元1~2世紀ヒンドゥー(バラモン)教とともに拡大した仏教は主に大乗仏教でした。問題文の「仏教が大部分の社会に深く根を」という仏教は小乗仏教(上座部仏教)です。するとこれはどこからきたのか? これは教科書に書いてありますし、わたしは授業でもいっています。それぞれを保護した王朝国家が何であったかを想起する。宗教問題の理由を政治に求めることになるが、それでも次善の策です。

(C)これは「征服地の住民でイスラムに改宗しない人びとは庇護民(ジンミー)とよばれ、地租(ハラージュ)や人頭税(ジズヤ)の支払い義務を負ったが、それぞれの宗教や習慣は容認され、兵役の義務は免除された。(詳解世界史)」という記述に表れています。「啓典の民」とされたユダヤ教徒・キリスト教徒だけでなく、ゾロアスター教徒もムガル帝国の場合はヒンドゥー教徒もジズヤを免除もされて信仰が許されています。

 

わたしの解答例

第1問・第2問

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第3問

(1)カルタゴの将軍ハンニバルがイベリア半島に根拠を置いたため(イタリア半島に押し寄せたハンニバルの背後を討つため)。

(2)西ゴート族、ヴァンダル族

(3)イスラム世界の西側ではコルドバを中心にイスラム文化が発達した。そこではイブン=ルシュドなどの哲学者も生んだ。彼らが書いたアラビア語文献は中世中期以降トレドを中心にしてラテン語に翻訳され西欧哲学の発展に大きな影響を与えた。(イブン=ルシュドを主にイスラーム世界ではアリストテレス哲学がアラビア語で学ばれていた。半島をレコンキスタの勢力が奪うと、トレドに東方学院という翻訳所を設け、ラテン語に翻訳した。これがパリ大学を通してスコラ哲学を完成させる役割を演じた。)

(4)a カスティリャ b アラゴン 

(5)この地域の他の一国であるポルトガルは、もともとレコンキスタの過程で前者カスティリヤ王国から離れて生まれ、中世末期には単独で海外へのり出して行った。(下線部が修正箇所です)

(6)米西戦争。キューバ・フィリピン・プエルトリコなどを失った。 (7)ジブラルタル

(8)選挙で勝利した人民戦線派の政府軍ををソ連や欧米の社会主義者らが編成した国際義勇軍が支援し、フランコを中心とした保守派の反乱軍をドイツ・イタリアが支援したから。(人民戦線内閣へは国際義勇兵とソ連が参戦し、民主主義・社会主義陣営となった。反乱を指導したフランコはドイツとイタリアの支援を受け、全体主義・ファシズム陣営を形成した。)