世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1990

第1問

 第1次世界大戦は総力戦であり、植民地の人々も動員された結果、列強の国内はもとより、その支配地域も大きな変動に見舞われた。そのため、第1次世界大戦期から1920年代半ばにいたる約10年間には、世界各地で様々な性格をもつ大衆的な政治運動が高まることになった。この時期のヨーロッパとアジアにおける大衆的な政治運動の展開について、具体的な事例を挙げながら、20行以内で論ぜよ。解答は、解答用紙(イ)の欄に記せ。

 

第2問

 下記の設問(A)~(C)に答えよ。解答は、解答用紙の(ロ)の欄を用い、冒頭に(A)~(C)の符号を付して、それぞれ4行以内で記せ。

設問

(A)14世紀末の朝鮮半島では、高麗王朝が滅んで新王朝が興り、およそ1世紀間のうちに最盛期を迎えた。この新王朝の名を挙げ、当時の思想・文化上の特徴につき、高麗王朝のそれらとの比較をも念頭において、具体的に説明せよ。

(B)15・16世紀のインドでは、宗教・思想の面で色々の新しい重要な展開がみられた。その状況につき、知るところを記せ。

(C)オスマン帝国は16世紀に最盛期を迎えるが、この時期の軍事制度の特徴、ならびに領内の非イスラム教徒への対応について、説明せよ。

 

第3問

 以下の三つの文章(A)~(C)は、いずれも歴史における各種の集団に関するものである。下線部(1)~(10)に応じた設問(1)~(10)に関して、解答用紙の(ハ)の欄を用いて答えよ。なお、解答は冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。

 

 (A)セム族の一派ヘブライ人は、出エジプトの苦難のなかで神の選民としての自覚を深め、一神教の信仰を築いた。彼らは(1)ペリシテ人と争いながら前11世紀末には王国を形成したが、後に分裂し、強大な外国の支配に苦しんだ。前6世紀のバビロン捕囚の後、彼らはイェルサレムに神殿を再建して儀式の規則を定め、ユダヤ教を確立した。しかし、度重なる政治的苦難を蒙ったことから、救世主を待望する動きも高まっていった。相次ぐ予言者の出現のなかで、ローマ帝国の支配下に、ユダヤ教の(2)律法主義と指導者とを批判したイエスが登場し、その死後、復活の信仰が弟子たちの間で生まれ、キリスト教が成立した。ペテロ、パウロらの使徒たちはイエスの教えを帝国各地に伝道し、(3)教会がつくられた。キリスト教徒はしばしば国家によって追害されたが、教会組織を強化し、信者を獲得し続けた。4世紀になるとキリスト教は公認され、その後の深刻な(4)教義論争を経て、正統派の教義を確立し、やがて国教となった。

 設問

(1)ペリシテ人とは、ある集団の一派がパレスチナ地方の海岸平野に定住したものであった。この集団は、前12世紀頃東地中海地域に出現したが、雑多な民族構成をもち、ミケーネ文明の崩壊にも多大の影響を及ぼした。この集団の名称を記せ。

(2)ことのほか律法を重んじてイエスによって非難された一派があった。その名称を記せ。

(3)信者の団体としての教会は、布教活動の初期には、ローマ帝国のどのような地方に数多く形成されたか。その地方名を二つ挙げよ。

(4)三位一体説を批判して、325年ニカイア教会会議で異端とされた一派があった。その名称を記せ。

 

(B)清朝政府は、(5)白蓮教などの宗教結社を邪教集団とみなして、厳しく弾圧したが、宗教結社の活動はしだいに活発化し、18世紀の末には、(6)陝西・四川・湖北三省の境界地域を中心に、大規模な白蓮教反乱が勃発した。当時、正規軍は弱体化していたため、清朝は、(7)地縁的結合を基礎として編成された地方の義勇軍(郷勇)の力を借りて、これを鎮圧せざるをえなかった。

 設問

(5)白蓮教徒を中心として起こり、王朝交替の直接原因となった、中国史上の大反乱について、その反乱の名称を挙げ、何世紀のいつ頃起こったか記せ。

(6)反乱勃発の背景をなしたこの地域の社会経済的状況を説明するものとして、適当な文章を、下記の(a)~(d)のうちから一つ選び、解答を(a)~(d)の符号で記せ。

(a)全国的な人口急増に伴い、山間部に大量の移住民が流入し、不安定で競争的な社会状況が作り出されていた。

(b)農奴を使った大規模稲作経営の普及により、穀倉地帯として発展したが、農奴の反抗運動も激化しつつあった。

(c)北方民族の侵入をしばしば受け、軍需物資の徴発による農村の窮乏がはなはだしかった。

(d)輸出商品の生糸・陶磁器の主産地であり、列強の進出の影響を早くから受けていた。

 

(7)19世紀後半に至ると、郷勇を基礎に有力官僚によって育成された軍隊が清朝軍の主力となった。清末の有力官僚が組織した郷勇の名称を一つ挙げ、改行して、その成立事情を1行以内で記せ。

 

(C)伝統的な社会秩序が崩れつつあったヨーロッパの諸地域では、19世紀に入ると、下から、新しい社会をめざす様々な集団の運動が起こってきた。その場合、運動の軸になる人々の結びつきの場をどこに求めるかが、重要であった。1830年代に、イギリスでは(8)労働運動を中心にした大衆運動が起こって、改革をめざし、イタリアでも、新しい世代に期待して、(9)統一国家をめざす運動が登場し、ポーランド人やアイルランド人にも影響を与えた。19世紀後半には、ロシアで、(10)農民に期待する革命運動があった。

設問

(8)この運動の主な要求を1行以内で記せ。

(9)この運動の名称と、それを提唱し、指導した人物の名を記せ。

(10)ヨーロッパではこの頃、革命の主体は労働者と考えられていた。それに対し、この運動が農民に期待したのはなぜか。1行以内で説明せよ。

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[第1問の解き方

 時期が時期だけに、どうしてもガンディー(弁護士)、孫文(医師・政治家)、レーニン(革命家)、ケマル(軍人)というエリートでつづってしまいやすいので注意です。

 教科書を見ると意外と「大衆」を書いているのを発見するはずです。

 三・一運動に関して教科書では「知識人があつまって独立宣言を発表し,学生たちは大規模な示威運動をおこなった。」(世界の歴史)、「知識人や宗教家が「独立宣言」を発表した。」(新世界史)、「独立万歳のスローガンをさけぶデモが全国の都市・農村にひろがった」(現代世界史)、「学生らが「朝鮮独立万歳」をさけんでデモをおこなった」(要説世界史)、という記述があります。これらはみな山川出版社の教科書です。

 ガンディー自身はロンドン大学に留学して弁護士になったエリートですから、かれの名前だけでは大衆的とは言いがたいでしょう。教科書では「ガンディーの指導する運動は都市住民・学生・労働者・農民のあいだにひろまった」(詳解世界史・三省堂)、「ガンディーはローラット法に抗議して,全国的なハルタル(商店・工場などの一斉休業)をよびかけた。予想に反して民衆は,こぞってガンディーの指令にこたえ,各地の都市や農村に運動の輪が広がった」(新世界史・清水書院)、と書いています。インドに関しては、あまり山川のはこの大衆性を描いていない面はありますが、他の会社のは書いています。労働者はガンディーの塩の行進に参集した、とすればまだ良いとおもいます。

 

[第2問の解き方

(A)高麗の思想・文化と対比して李氏朝鮮の思想・文化がちがいを明快に出せるかどうか。仏教と儒教、印刷・文字・陶磁器など。

(B)スーフイズム、カビール、ナーナク、アクバルの神聖宗教

(C)「特徴」は真面目にとれない。たんに知っていることを書けばいい。ティマール制、ミッレト制。

 

わたしの解答例

第1問・第2問

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第3問

(1)海の民(海の民族)

(2)パリサイ派(人)

(3)シリア、小アジア(バレスティナ、ギリシア、ローマ以南のイタリア、エジプト)

(4)アリウス派

(5)紅巾の乱、14世紀中頃(1351年。語呂は「(紅巾、赤頭巾)父さん恋しい」『世界史年代ワンフレーズ』から)

(6)(a)(ヒントは問題文の3地域と「境界」という語句。b農奴は中国史では使わない用語。c清朝自体が北方民族。d江南(江蘇省・浙江省))

(7)湘勇(湘軍)太平天国軍に対して曽国藩が郷土の読書人を中心に組織した。

(8)男子普通選挙、議員の財産資格廃止、議員への歳費支給(無記名投票)、議員の毎年選挙など。

(9)リソルジメント、マッツィーニ

(10)当時は労働者が少なく、多数の農民には一揆の伝統があった。(ナロードニキは農村共同体ミールを社会主義の基盤と考えた。何も資本主義から社会主義というコースをたどる必要はなく、もともと社会主義的な共同体=ミールがあり、それに帰ればよい、と。)