世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1994

第1問

 13世紀は「モンゴルの世紀」と呼ばれる。チンギス・ハーンが、モンゴル高原を統一してモンゴル帝国を築くと、続いて各ハーンが度重なる征服戦争をおこなった。彼らは中国を支配したばかりてなく、朝鮮半島、東南アジアまで勢力を伸ばし、さらに中東イスラム世界、ロシア・東欧にいたる大帝国をつくりあげた。

 マルコ・ポーロは、「東方見聞録」の中で、この帝国の多様な性格について、次のように述べている。

 フビライ・ハーンは11月にカンバルック(大都)に帰還し、そのまま2~3月の候までそこに逗留している間に、われわれの復活祭の季節がめぐって来た。……彼は盛大な儀式を催して自ら何回も福音書に焼香した後、敬虔な態度で吻(くちさき)を、これに当て、かつ居並ぶすべての重臣・貴族にも命じて彼にならわしめた。この儀式はクリスマス・復活祭といったようなキリスト教徒の主要祭典に際してはいつも挙行される例であった。しかしハーンはイスラム教徒・偶像教徒(仏教徒)・ユダヤ教徒の主要聖節にも、やはり同様に振る舞うのだった。

 このモンゴル帝国の各地域への拡大過程とそこにみられた衝突と融合について、宗教・民族・文化などに注目しながら論ぜよ。解答は、下に示した語句を一度は用いて、解答欄(イ)に20行(1行30字)以内(600字)で記せ。また使用した語句には下線を付せ。

  ガザン・ハーン、 色目人、 バトゥ、 大理国、 駅伝制、

  モンテ・コルヴィノ、 細密画、 マジャパイト王国、 授時暦

 

第2問

 世界史における農村社会の変動について、下記の設問(A)~(C)に答えよ。解答は解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(A)~(C)の符号をつけて記せ。

(A)18世紀イギリスでは、農村社会に大きな変化が起こり、それが工業化にも一定の影響を与えた。この変化について、3行以内で記せ。

(B)ロシアでは、近代になっても土地問題や農民問題が重要な課題でありつづけた。 1860年代はじめから1910年代末までにこの国でとられた代表的な農村社会変革の政策について、5行以内て記せ。

(C)中華人民共和国の経済政策においても、農民問題は重要な位置を占めている。中華人民共和国成立後1950年代末までの中国の農村経済政策について、3行以内て記せ。

 

第3問 

 世界史上、一つのくにの中に言語・文化・宗教などの面で異質な複数の集団(民族またはエスニック・グループ)が含まれる場合がしばしば見られる。前近代におけるこのような状況を述べた以下の短文を読み、設問に答えよ。解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して解答を記せ。

(1) 政治的に他民族の支配下に置かれた民族が、文化的には逆に支配者に大きな影響を与えるということが、歴史上しばしば起こっている。その一例として、アケメネス朝ペルシアでは、被支配民族の言語が帝国の共通語となった。この被支配民族の名称と、この民族がまだ独立を保っていた頃の中心都市の名称を記せ。

(2) 政治的な独立を失っただけでなく、異郷への移住を余儀なくされた民族が、その後も長く民族としての一体性を保持するうえで、民族宗教の果たした役割はきわめて大きい。その最も有名な例がユダヤ教である。この宗教が成立する契機となった歴史上の出来事の呼称と、それが起こったのは何世紀かを記せ。

(3) 被支配民はしばしば制度的に社会の最下層に置かれて、差別的な支配を受けた。アーリア人侵入後の古代インドでは、四つの種姓からなる厳格な身分制度が成立し、その最下位に先住民を中心とする隷属民階層が置かれた。この種姓における最上位及び最下位身分を何と呼ぶか。それぞれ記せ。

(4) 中国大陸では、古くから漢民族の文化圏となっていた華北で、4世紀に北方起源の民族が動乱を誘発し、北方や西方から新たにいくつかの民族が移動した。この頃華北で建国し、興亡をくりかえしたこれら諸民族を総称して何と呼ぶか。また、そのうちチベット系の民族名を一つ記せ。

(5) 隣接する民族が文化的に魅力に富む場合、その文化を吸収する際の対応は一様ではない。中国を中心とする文化圏におけるこの種の対応の中で、固有の文化を意識するにいたった結果、漢字風文字を制定した事例がいくつかある。その中で10世紀に中国の北辺地帯を占領した民族が建てた王朝名と、その文字の名称を記せ。

(6) 異民族の大集団を治めるために、支配者自らが意識的に被支配民族の宗教や文化を取り入れる場合もある。例えば、5世紀末のガリアでは、フランク人の王が被支配民族の間で優勢だった宗教に帰依している。この被支配民族と、彼らが信奉した宗教の名称を記せ。

(7) 民族移動ののち、ある民族が新しい定住地に征服者として新しい王朝、あるいは王国、公国を建設し、先住民族がその被支配民となる場合は、民族の共存状態が存在する。9世紀から12世紀にかけてのイングランド、シチリア・南イタリア、バルト海東岸の内陸部・ドニエプル川流域に、こうした新しい王朝、王国、公国を建設した人々は同じ民族に属していたが、その呼称と、彼らの地理的起源を記せ。

(8) (7)の人々により9世紀にドニエプル川のほとりに建設された公国の名称を記せ。また、この征服者たちに大きな文化的影響を与えることになる先住民族の名称を記せ。

(9) イングランドでは、5~6世紀にも外来の民族による征服活動がおこなわれた。その結果、被支配民の地位に置かれることになった先住民族と、新たに支配者の地位におさまった民族の名称を記せ。

(10) 征服や侵入によってではなく、外部の脅威に対抗するために、二つの異なった民族が手を結んで一つの国を形成し、協力しあうようになることもある。例えば、14世紀末にポーランド人とリトアニア人は連合して新しい王朝を建設した。新しく創設された王朝の名称と、この場合脅威となった外部の勢力を記せ。

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[第1問の解き方

 課題は(1)拡大過程 (2)衝突と(3)融合です。それが(2)(3)が宗教・民族・文化の分野ごとに注目して書け、ということで、複雑です。また融合は書けても衝突はなかなか書ける受験生がいません。ここで差がつきます。(2)(3)をからませて(1)を主に書いていく方法と、(1)を書いてから(2)(3)を書く方法とがあります。その際

(2)衝突──宗教的衝突・民族的衝突・文化的衝突

(3)融合──宗教的融合・民族的融合・文化的融合 

という構成です。この順で厳密に書くのは難しいですが、衝突→融合という流れで書いていくとある程度は網羅できます。

[第2問の解き方

(A)農村社会の変化として囲い込み(エンクロージャー)を書くのはいいのですが、「工業化」があるため、追い出された農民が全部都市に行ってしまったかのように書かないように。資本主義的農業経営(地主・大借地農・農業労働者の3者による経営)についてどれだけ書けるかがキーポイントでしょう。「農村社会の変動」が主なのであり産業革命ではありません。

(B)1910年代末がロシア革命も含んでいることに気をつけなくてはなりません。

 農奴解放令→ストルイピンの農業改革→ロシア革命による国有化→戦時共産主義の順です。

(C)これも50年代末の人民公社とその失敗(1959年の秋から明らかに)まで書けるかどうか。

(わたしの解答例)

第1問・第2問  

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第3問

(1)アラム人,ダマスクス (2)バビロン捕囚、前6世紀 (3)バラモン,シュードラ (4)五胡、テイ[「低」の人偏がない外字](羌) (5)遼,契丹文字 (6)ローマ人(ラテン人)、アタナシウス派キリスト教(ローマ・カトリック) (7)ノルマン人、スカンディナヴィア・デンマーク  (8)キエフ公国、スラヴ人 (9)ケルト人、アングロサクソン (10)ヤゲロー(ヤゲウォ)朝、ドイツ騎士団