世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1996

第1問

 18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、世界全体に工業社会の到来をもたらし、現代世界の形成に大きな役割を果たした。そのさい、人々はイギリスの覇権を「パクス=ローマーナ」(ローマの平和)になぞらえて「パクス=ブリタニカ」と呼んだ。しかし、「パクス=ブリタニカ」の展開には、さまざまな地域において、これに対抗する多様な動きが伴った。現代世界はこのような対抗関係を重ねるなかで形作られたとも言えよう。そこで、19世紀中ごろから20世紀50年代までの「パクス=ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について、下に示した語句を一度は用いて、解答(イ)に15行(1行30字)以内(450字)で述べよ。なお、使用した語句に必ず下線を付せ。

  自由貿易、南京条約、アラービー=パシャ、3C政策、マハトマ=ガンディー、宥和政策、マーシャル=プラン、スエズ運河国有化

 

第2問

 世界史における異文化の出会いについて、下記のA・Bを読み、設問(1)~(6)に答えよ。解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(6)の符号を付して記せ。

 

 A コロンブスは1492年にカリブ海に到達した。これがいわゆる「新大陸の発見」であるが、先住民の側からすれば、それはヨーロッパあるいはキリスト教文明の「発見」でもあった。次の文章は、コロンブスの航海を後援していたスペイン王室に向けて、彼が書き残した日誌の一部である。

 

 奥地には王が居て、連れてきた男達が手真似でいうところによれば、王はこの近辺の島々を領有しており、衣服をまとい、その自らの身体にたくさんの黄金を身につけているということであります。それで夜が明けたなら、集落の見つかるところまで行って、その王に会うなり、話をするなりしたいと考えております。彼らは利口なよい使用人になるに違いありません。私は、彼らは簡単にキリスト教徒になると思います。彼らはどんな宗教も持っていないようなのであります。神の思し召しにかなうなら、この地を出発するときには、言葉を覚えさせるために、六人の者を陛下のもとへ連れていこうと考えております。

 両陛下は、短期間に多数の民を我らの聖なる教えに改宗させることができましょうし、広大な領土と、富と、これらすべての民を、スペインのものにしてしまうことができるものと考えます。と申しますのも、この地に莫大な量の黄金が産することは疑いもないことだからであります。(『コロンブス航海誌』より)

 

設問(1)下線部の「両陛下」とは具体的に誰と誰のことを指しているのか。その人名を記せ。

設問(2)この航海誌に見られるコロンブスの先住民へのまなざしの中に、新大陸にくり広げられたその後の悲劇がすでに暗示されている。この悲劇の実例として、16世紀前半にスペイン人が行ったことについて、3行以内で説明せよ。

設問(3)この「発見」の年、イベリア半島ではキリスト教徒がある都市を征服し、彼らによって展開されてきたある運動が完了した。この運動は一般に何と称されているか。また、その都市はどこか。運動の名称と都市名を記せ。

 

B 中国の明朝末期から清朝の初期には、ローマ・カトリックの東アジアヘの布教が盛んに行われた。次の文章は、ローマ教皇クレメンス11世が中国に派遣した特使に対して、清の康熙帝が与えた指示の一部である。

 近来西洋から来る者ははなはだ雑多である。いま特使が来たのを機会に、一定の規定を定めなかったならば、将来誤解を生じ、教皇をもまきこむことになるのを恐れる。以後西洋から来る者は二度と西洋に帰らない者にかぎって内地に居住することを許すべきである。さらに、面倒なる事件を起こしたり、商人でありながら商業を妨げたりする者たちは、居留させるわけにはいかない。各国のそれぞれの修道会の人はみなひとしく天主を敬っているのに、どうして議論が分かれるのであろうか。一同ともに居住して永く争うことのないようにせよ。(『康熙与羅馬使節関係文書』より)

 

設問(4)下線部に関連して、『崇禎暦書』を作成した宣教師の名を記せ。

設問(5)上の文章からうかがわれるさまざまな紛争のうち、布教をめぐって発生した紛争について、それ以後なにが問題になり、また清の政府はどのように対応したか、3行以内で説明せよ。

設問(6)清代の後期にも、キリスト教の布教に関連して大きな事件が起こっている。キリスト教の影響を受けて洪秀全が作った宗教結社の名を記せ。

 

第3問 

 次の地図(A)はユーラシア大陸西部・北アフリカ、地図(B)はユーラシア大陸東部にある都市の位置を示したものである。地図上のaからpの都市に関する設問(1)~(18)に答えよ。解答は解答欄を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(18)の番号を付して記せ。

(1)aの都市には、14世紀初めから約一世紀にわたって教皇庁が置かれた。教皇庁をこの都市に移転させた君主の名を記せ。

(2)bの地にあった古代都市国家について、モンテスキューは「商業によって成り立つ強国は、凡庸な状態では長く存続しうるが、きわだって繁栄したまま永統することはない」(『ローマ人盛衰原因論』)と語り、その滅亡を説明している。この都市国家の滅亡を招いた戦争の名を記せ。

(3)ボッカチオはcの都市について、「1348年、どの都市よりもはるかに美しいこの町に、恐るべき悪疫が襲来した。一日に何千人も発病し、看護も世話も受けられないまま、全員空しく死んでいった」(『デカメロン』)と述べている。この悪疫は、またたくまに近隣諸国に広がり、人口を激減させた。これも一因となり西ヨーロッパの農村では、どのような変化が生じたか、1行で述べよ。

(4)次の記述は、古代に繁栄したdの都市国家の政治について触れたものである。文中の[  ]に入る適当な制度名を記せ。

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「ある人の権力が国家や国民の力に釣り合わないほど大きくなったとき、それによって内乱が生じ、そこからさらに独裁制や門閥制が出現する。そのために、この都市では、過度に力をもった人々を[  ]によって排斥する習慣があった」(アリストテレス『政治学』)

(5)中世においてeを首都とした国家の支配者は、しばしば文書のなかで「太陽」としてあがめられた。このことは、当時の西ヨーロッパ世界でインノケンティウス3世が「教皇は太陽、皇帝は月」と言ったことに比べて対照的である。前者の国家を支えた固有の政教関係の理念は何か、それを記せ。

(6)fの都市では、西アジアやインドなどの説話を融合した文学作品が16世紀ごろにまとめられた。この文学作品の名を記せ。

(7)9の都市について述べた次の文章(ア)(イ)を読み、ともに正しければ○、ともに誤まっていれば×、片方だけが正しければその文章の記号を記せ。

(ア)この都市は十字軍がイスラム勢力から奪回を試みたことで有名である。その原因の一つは、この都市がセルジューク朝の征服によって初めてイスラム勢力の支配下に置かれたことにある。

(イ)イギリスは、第一次世界大戦中、この都市を合む地域にアラブ人の独立国家を認めると約しながら、後にはフサイン・マクマホン協定によってユダヤ人の建国をも支持し、今日まで続くパレスティナ問題の一因を作った。

(8)hの都市で新たなる一神教の教えが生まれたころ、北インドではある王の保護の下で仏教文化が花を咲かせていた。中国人の高名な仏僧がインドに向けて旅立ったのも、ほぼ同じ時期である。仏教を保護したこの王の名を記せ。

(9)iの都市がある王朝の都であったころ(16世紀末-18世紀初め)、この王朝が支配する社会では、宗教上の大きな変化が起こった。この変化とは何か。1行で述べよ。

(10)の都市がルネサンスの最盛期を迎えていたのと同じころ、jの都市でもある王朝の治下で特色ある高度な文化が発展していた。この王朝の名を記せ。

(11)中東や中央アジアの都市には紀元前からの長い歴史を有するものが多いが、中にはイスラムの勃興後、新たに建設された都市もある。地図上でこの地域に位置するfからjの五つの都市のうちで、後者の例を一つ選び、その記号を記せ。

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(12)kの都市の郊外、小屯を中心とする一帯が『史記』に見える「殷墟」に当たる。この河南省の都市の名を記せ。

(13)「魏志倭人伝」の景初三年(239年)六月の条に「倭の女王、大夫難升米等を遣わし、郡に詣(いた)り、天子に詣りて朝献せんことを求む。大守劉夏、吏を遣わし、将(ひき)い送りて京都に詣らしむ」とある。ここでの「京都」の遺跡は1の都市の郊外に残る。この都市の名を記せ。

(14)mの都市の一帯は古くから水田の開拓が進み、秦漢時代からは人口が集中する地区の一つとなった。後漢末に、この地域に入って政権を樹立したのは誰か。その名を記せ。

(15)『入唐求法巡礼行記』によれば、日本の求法僧円仁は、「朝貢使」に随行して渡海し、各地の仏跡を訪ねたのち、nの都市にあった国都に入った。ここでいう「朝貢使」は一般に何と称されるか。その名称を記せ。

(16)12世紀に、首都が占領されて皇帝たちが捕虜になり、ついに0の都市へと都が移された。この遷都にさいして起こった一連の事件は、何と呼ばれるか。その名称を記せ。

(17)pの都市は、イブン=バットゥータが「世界で最も大きい港の一つであるザイトゥーン」(『三大陸周遊記』)として紹介している。宋代には、この都市にも対外貿易関係の事務をあつかう役所が置かれた。この役所の名を記せ。

(18)マルコ=ポーロは、大運河の南端に位置するある都市について、おおよそ「城内すみずみまでも幅広い街路や運河が通じ、アーチ式の石橋が数限りなくある」(『東方見聞録』)と伝えている。このような景観をもつその都市を、k~pのうちから一つ選び、その記号を記せ。

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[第1問の解き方

 主問(主たる要求)は「19世紀中ごろから20世紀50年代までの「パクス=ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について」です。山のように、はじめは上り坂で、後半は下り坂で表現します。書くデータが、はじめは「展開=パクス=ブリタニカの形成・拡大」となり、次は「衰退=帝国の動揺・離脱」を表すようにします。指定語句をいちいち説明していたら、とてもじゃないがマス目がすぐ埋まってしまいます。すべての文章を簡潔に書くことができるかどうか、日頃の練習成果が試されます。

わたしの解答例

第1問

 解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。 

第2問  

(1)イサベル、フェルナンド(5世) (2)アステカ・インカ文明の破壊と、住民の虐殺、ポトシ銀山における酷使、エンコミエンダ制による貢納強制や信仰の強制があり、この地にアフリカから大量の奴隷を輸入し酷使した。 (3)レコンキスタ、グラナダ (4)アダム=シャール (5)イエズス会は中国人信者に上帝・孔子の崇拝や祖先の祭祀などの典礼を容認した。康煕帝は、イエズス会宣教師以外の布教を禁じ、雍正帝は1724年にキリスト教の布教を全面的に禁止した。 (6)上帝会

第3問  

(1)フィリップ4世 (2)ポエニ戦争 (3)生き残った農民の価値が高まり農奴解放を促し反乱が頻発した。 (4)陶片追放 (5)皇帝教皇主義 (6)千夜一夜物語(アラビアン=ナイト) (7) × (8)ハルシャ=ヴァルダナ (9)サファヴィー朝は十二イマーム派を国教とし住民に強制した。 (10)ティームール朝(帝国) (11) f  (12)安陽 (13)洛陽 (14)劉備 (15)遣唐使 (16)靖康の変 (17)市舶司 (18)○