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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1997

過去問 -東京大学

第1問

 20世紀の民族運動の展開を考えるさい、第一次世界大戦の前後の時期は大きな意味をもっている。この時期にはユーラシアの東西で旧来の帝国が崩壊し、その結果一部の地域では独立国家も生まれたが、未解決の問題も多く残った。それは、現代世界の民族と国家をめぐる紛争の原点ともなった。こうした旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について、とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら、解答欄(イ)に15行(1行30字)以内(450字)で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した箇所には必ず下線を付せ。

 民族自決、三民主義、少数民族、シオニズム、アラブ、モンゴル、オーストリア・ハンガリー、バルト三国

 

第2問 

 世界の海洋の歴史に関する以下の(A)~(C)を読み、設問(1)~(6)に答えよ。解答は解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(6)の番号を付して記せ。

 

(A)ギリシア人のオリエントとの交流は、紀元前8世紀にはいるといちだんと盛んになっていった。他方で、南イタリア、ナポリ湾の小島で出土した陶製杯には、ホメロスの叙事詩にちなむ韻文がギリシア文字で書かれていた。杯の製作年代は前8世紀後半で、文字も同時期に刻まれたものらしい。

設問(1)杯がこの島で用いられるにいたった歴史的背景を、下線部に注意しながら5行以内で記せ。

 

(B)ペルシア湾と紅海は、インド洋世界と西方世界を結ぶ海上交通路として、古くから競合関係にあった。ところで、10世紀後半にイスラム世界に起こった変革の影響を受けて、それ以降は、従来栄えていたペルシア湾ルートに代わって、紅海ルートの方がよく利用されるようになった。またそれとともに、ペルシア湾沿岸のムスリム商人が、アラビア半島南岸やアフリカ東岸に移住することも起こった。

設問(2)ペルシア湾ルートに代わって紅海ルートが栄えるようになった歴史的要因を、3行以内で説明せよ。

設問(3)アフリカ東岸には、移住したムスリム商人によって多くの海港都市が築かれた。そのような都市の名を二つ記せ。

設問(4〕それらの海港都市を中心に広く用いられるようになった、アラビア語の影響を受けて成立した言語の名を記せ。

 

(C)モンゴル帝国がユーラシア大陸を支配していた13~14世紀は、東シナ海から地中海に至る海上交易が飛躍的に発展した時代でもあった。その後、明の永楽帝は勘合貿易を推進し、数回にわたって大艦隊を東南アジア諸国、インド、西アジア、東アフリカに派遣して、豊かな海上交易路を把握しようとした。

設問(5)この艦隊を率いたムスリムの名を記せ。

設問(6)この艦隊は、マレー半島のある海港都市を拠点とした。この海港都市は、当時成立したばかりのある国家の中心地であったが、その後長い間、中国、東南アジア、インドを結ぶ海上交易の拠点として繁栄した。14世紀末から16世紀前半までのこの海港都市の変遷を3行以内で記せ。

 

第3問 

 物質文化と技術は、精神文化や制度と同じくらい、人類史の展開にとって重要な意味と役割をもつ。「もの」と「わざ」にかかわるつぎの設問(1)~(10)に答えよ。解答は解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。

(1)図版Aは中国の青銅貨幣で、農具をかたどったものである。この貨幣が使われていた時期における農業技術上の大きな変化を1行以内で記せ。

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(2)図版Bは『天工開物』という書物からとったものである。この図は何から何を作っているところか、1行以内で記せ。また当時の中国におけるこうした産業の中心地域を記せ。

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(3)10世紀以降の中国では窯業が発達し、その生産品は外国にもさかんに輸出された。ほぼ同じ時期から朝鮮半島でも特徴ある陶磁器が作製されたが、その特徴を記せ。またその後、明清時代にいたるまで窯業の中心地として栄えた江西省の都市の名を記せ。

(4)図版Cにある機器の使用は、海図や船尾舵の発明とならんで、ヨーロッパ人の大航海事業を準備した。この技術の発祥地といわれる中国で、それが実用化されたのはいつか。王朝名で記せ。またこの技術の改良が実現されたのは、ヨーロッパのどこでか。国名または地域名で記せ。

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(5) 8世紀以降、サハラの塩と西アフリカの金とを交換する長距離交易が発展した。このころ金の取引で栄えたニジェール河畔の王国の名を記せ。その後この地域はイスラム化するが、11世紀以降、西アフリカの経済と文化の中心地となったニジェール河畔の都市の名を記せ。

(6)16世紀のヨーロッパに「価格革命」と呼ばれる現象をひきおこし、またこの時から18世紀まで、ヨーロッパからアジアに向けて大量に輸出された物資の名を記せ。またこの輸出量を減らす目的で、オランダやイギリスの商人が組織した貿易はどのようなものか。10字以内で記せ。

(7)17~18世紀には、ヨーロッパの輸入するアジア産品のなかで、インド製綿布が重要になった。この綿布の一部は、武器や火薬とともに、ヨーロッパから西アフリカに再輸出され、ある特殊な商品との交換に用いられた。この商品の名を記せ。またこの商品の販売によって栄えた西アフリカの王国名をひとつ記せ。

(8)ヨーロッパの18世紀には、アジア・アメリカなど非西欧からもたらされた文物を整理分類し、新しい知の体系に総合するための模索がみられた。博物館や植物園が整備されたのも、この時代である。このころ植物の分類法を確立した博物学者の名を記せ。また、ディドロたちの編集刊行したある出版物には、非西欧の文物を含む当時の先端的な知識が集大成されている。この出版物を記せ。

(9)技術の実用化は、ふつうに考えられているよりも長い年月を要した。イギリスで従来から用いられていたある機械を、1769年にワットが改良して特許を取得したが、これは生産の実用には役立たなかった。その機械がさらに改良されてある都市の紡績工場に設置されたのは、ようやく1789年のことである。この機械と、この都市の名を記せ。

(10)19世紀から20世紀への転換期にヨーロッパや合衆国などでは、石炭・石油・電気などを用い、精密な科学技術を応用して、冶金・化学をはじめとする重化学工業が発達した。このころ生まれて工業に用いられた合成素材をひとつ記せ。また、この工業の高度化を何とよぶか、その名称を記せ。

………………………………………

[第1問の解き方

 主問(主たる要求)は「旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について」、副問(副次的要求)は「とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら」です。主問はなんとか書けそうですが、副問がやっかいです。450字で相違なんて書けないよ、という声が聞こえてきそうです。主問を書いたら、おのずと相違が現れてくるよ、というのは、しかし甘いですよ。それだったら、この副問なしの問題でよかったはずです。わざわざ「とくに」とあればなんらか書かざるをえないところです。考えたら、そんなに難しくはないけれど考えなかったら、たんなる帝国崩壊史の羅列になります。たいていの参考書の答えもそうですが……。

(わたしの解答例)

第1問・第2問  

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。そのうち第1問の3種の解答例のうちレベル1を下にあげます。

鉄道国有化に対し武昌の革命派が蜂起し、革命軍は帰国した三民主義の孫文を推し中華民国を建国した。宣統帝退位により清朝は滅亡した。民国は清朝の領土を受けついだが、外モンゴルは独立を宣言した。共産党は大戦後に結成される。大戦末期ドイツでは水兵がキール軍港で蜂起すると、皇帝はオランダに亡命し共和国になった。社会民主党は共産党を抑えた。オーストリア・ハンガリー帝国は解体し、帝国内に民族自決の蜂起が戦中から起き、それを戦後承認した。新たな線引の中で少数民族問題がおきる。共産党は成長しなかった。ロシアでは労働者・兵士がソヴィエトを組織して革命を推進、皇帝は退位しロマノフ朝は消滅した。十月革命で共産党が政権を握った。バルト三国は独立したが、帝国領を保持してソ連を形成した。オスマン帝国は敗戦して大幅な縮小をしいられた。ケマルがトルコ大国民議会を組織してたちあがりスルタン=カリフ制を廃止した。大戦前後、アラブ人が半島の東西で独立し、シオニズムのユダヤ人は独立の約束を英国からとりつけた。共産主義は未知であった。

第3問  (1)木製から鉄製の農具に変わり、手作業から牛耕に変化した。 (2)まゆを生糸から紡いでいる姿、江南 (3)うすい青色の表面に繊細な模様が浮彫りになっている、景徳鎮 (4)宋、イタリア (5)ガーナ王国、トンブクトゥ (6)銀、アジア内貿易(三角貿易) (7)黒人奴隷、アシャンティ王国 (8)リンネ、百科全書 (9)蒸気機関、マンチェスター (10)ナイロン、第二次産業革命