世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史1999

第1問

 ある地域の歴史をたどると、そこに世界史の大きな流れが影を落としていることがある。イベリア半島の場合もその例外ではない。この地域には古来さまざまな民族が訪れ、多様な文化の足跡を残した。とりわけヨーロッパやアフリカの諸勢力はこの地域にきわめて大きな影響を及ぼしている。このような広い視野のもとでながめるとき、紀元前3世紀から紀元15世紀末にいたるイベリア半島の歴史はどのように展開したのだろうか。その経過について解答欄(イ)に15行(1行30字)以内(450字)で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した語句に必ず下線を付せ。

 カスティリア王国 カール大帝 カルタゴ グラナダ

 コルドバ 属州 西ゴート ムラービト朝

 

第2問

 以下の(A)~(C)は15世紀~20世紀の経済史に関する問題である。これを読んで、設問(1)~(8)に答えよ。解答は解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(8)の番号を付して記せ。

(A) 次の図Aは、ヨーロッパ各地の生活物資の代表としての小麦の価格を集成したグラフである。期間は大航海時代に先立つ1450年から産業革命に先立つ1750年まで.縦軸は小麦100リットル当りの価格を銀の重量(グラム)であらわす(対数目盛り)。ヨーロッパの最高価格が網のかかった帯の上端に、最低価格が下端にあらわれ、この帯のなかにすベての地域の小麦価格がおさまる。15世紀から18世紀にかけて外の世界と交渉しつつ大きく成長したヨーロッパ経済の動向を考えながら、このグラフを読みとり、次の設問に答えよ。

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(1)このグラフによれば、1500年から1600年の間にヨーロッパ全域で価格が上昇し、ほとんど3倍から4倍になっている。この現象を何とよぶか。漢字5字以内で答えよ。

(2) 1450年のヨーロッパにおける小麦の最高価格と最低価格との比は6.8であったが、1750年の最高価格と最低価格との比は1.8に縮小している。このことの背景にはどのような変化があったか。2行以内で記せ。

(3) グラフ内の折れ線は、地中海沿岸a、北西ヨーロッパb、北東ヨーロッパcの代表的な都市における価格変動をしめす。中世末から近代にかけて経済活動の中心が移動したこと、aとbは17世紀前半に交差して相対的位置が交代していること、cはほとんど常にヨーロッパの最低値に近いことに注目しながら、この期間のヨーロッパの商工業と農業をめぐる地域間の関係について、3行以内で記せ。

 

(B)19~20世紀の南アジアや東南アジアでは、生産と交易の形態は大きく変動した。

問(4) 次の表Aのa~dは、1828~60年度のインドの主な貿易相手国である。数値は、各相手国に関してインドの商品輸出額からインドヘの商品輸入額を差し引いた貿易収支で、マイナスは輸入超過を示す。この表のaとbの二つの国との貿易収支に関して、この期間にみられる顕著な変動を生じさせた理由はなにか。a、bそれぞれの国の名称と主な取引商品に言及しつつ、4行以内で記せ。

 

表A    a     b    c   d  その他〈単位百万ルピー)

1828年度 18.9  21.0   4.8  4.5  8.5

1834年度 13.9  31.4   3.2  2.7  7.6

1837年度 15.1  40.6   7.2  3.0  4.9

1839年産 25.4  10.1   5.7  9.0  12.8

1850年度 -2.4  53.6   1.8  2.2  10.7

1860年度 -57.1 102.5   6.4   5.6  37.4

 

(5) 19世紀後半から20世紀にかけては、南アジアや東南アジアでは、輸出向けの一次産品生産が発展し、そのために多数の労働者が海外から移動した。ビルマとマレー半島の2地域について、こうした特徴を持つ産品として最も重要なものを、両地域合わせて3品目挙げよ。解答は、ビルマについては(イ)、マレー半島については(ロ)の符号を付して、産品の名を記せ。

 

(C)16世紀~19世紀の東アジアや東南アジアでは、様々な勢力によって交易の拠点が設けられ、それぞれ特色ある貿易が行われた。

(6) 次の地図B上のaの港市では、16世紀後半から18世紀にかけて盛んな国際交易が行われていた。この港市の名を記せ。また、改行して、そこで行われていた交易の主要な内容を1行以内で述べよ。

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(7) 地図上のb島は17世紀に経済上軍事上の要地として注目され、諸勢力の争奪の的となった。17世紀にこの島を支配した三つの主要な勢力に言及しつつ、その勢力の交替の過程を3行以内で述べよ。

(8) 18世紀に地図上のc地点で、中国・ロシア間の国境と貿易方法を定める条約が結ばれた。この貿易を通じて中国に輸入された主な産品を一つ挙げよ。また、中国・ロシア間の東部国境線について、1800年時点と1900年時点での国境線を地図上のイ~ニのなかからそれそれ一つ選び、「1800-ホ、1900-へ」のように記号で記せ。

 

第3問 

 19~20世紀の世界経済は、後発諸国家や後発地域の人々とその動向に大きな影響をあたえる一方、さまざまな対応を生み出し、他方で、新しい国際経済秩序を求める動きもよびおこした。これに関する問(1)~(8)に答えよ。解答は解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(8)の番号を付して記せ。

(1) アヘン戦争後に結ばれた南京条約で、清朝はイギリス人が海港場に居留することを認めた。その後、こうした外国人の居留地では清朝の行政権が及ばない特別な地域として拡大し、対外関係の窓口として特殊な発展をとげた。このような地域は何と呼ばれるか。また、こうした地域では外国商社と特に関係の深い中国人商人が成長した。彼らは何と呼ばれるか。それぞれ漢字2字で名称を記せ。

(2) 後発地域における国家建設には、経済基盤の準備が重要な意味をもった。1834年、ドイツ連邦内の諸国がドイツ関税同盟を発足させたことは、後のドイツ統一の基礎となった。

 (a)同盟を早くから提唱し、一時アメリカ合衆国に亡命しながら、著作を通じて関税同盟の設立や保護関税の導入を働きかけたドイツの経済学者はだれか。その名を記せ。

 (b)当時のドイツ連邦構成国であったある有力国家は、この関税同盟には加わらなかった。その国名を記せ。

(3) オスマン帝国は、19世紀なかば、西欧化の改革であるタンジマートを実施して、旧来のイスラーム国家から法治主義にもとづく近代国家への移行を目指した。タンジマートはどのような結果をもたらしたか。2行以内で説明せよ。

(4) 近代の人口増や工業化による大きな社会変動は、ヨーロッパから大量の移民をアメリカ合衆国に送り出した。

 (a) 19世紀の合衆国への主要な移民送り出し地域は、北・西ヨーロッパにあった。この地域で、19世紀後半、合衆国への移民を、イギリス(アイルランドを含む)についで多く出した国はどこか。その国名を記せ。

(b) 19世紀末からは、東南ヨーロッパ地域からの移民が多くなった。19世紀末から1920年にかけて、この地域の国で合衆国への移民をもっとも多く出した国はどこか。その国名を記せ。

(5) ソヴィエト政権は戦時共産主義のもとで、極度の国家統制による経済政策進めようとしたが失敗した。このため、1921年には新経済政策(ネップ)導入した。ネップの具体的な内容を二つあげよ。

(6) 1930年代、ロ一ズヴェルト政権のもとで、ラテンアメリカ諸国との関係改善が具体化した。合衆国のこの政策は何と呼ばれるか。その名称を記せ。また、この時期に食肉市場を確保するため、イギリスとの経済関係を強めたラテンアメリカの国はどこか。その国名を記せ。

(7) 辛亥革命で中華民国が成立したのちも、中国では軍事力を擁する地方勢力が割拠し、国家の統一は進まなかった。しかし、1920年代末に成立した南京国民政府は、1935年、通貨の統合にようやく成功した。この統合された通貨を何と呼ぶか。その名称を記せ。また、この改革を支援した有力な外国2カ国の国名を記せ。

 (8) 第二次世界大戦末、連合国はブレトン・ウッズで戦後の国際経済再建構想を協議し、ドルを機軸とする二つの国際経済・金融組織の設立に合意した。

 (a) この二つの組織の名称を記せ。

 (b) 国際基軸通貨としてのドルの地位は、1960年代未から1970年代初めにかけて大きく動揺する。その背景について2行以内で説明せよ。

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[第1問の解き方

 主問(主たる要求)は「このような広い(イベリア半島……には古来さまざまな民族が訪れ、多様な文化の足跡を残した)視野のもとでながめるとき、紀元前3世紀から紀元15世紀末にいたるイベリア半島の歴史はどのように展開したのだろうか。その経過について」です。問題の要求はハッキリしています。だが、これを学生に書いてもらうと、なかなか難しい問題であったことが判明します。指定語句がほとんど政治用語であるためか、半島の「経過」たる政治史に終始してしまうのです。政治史を求めていません。「民族が訪れ、多様な文化の足跡を残した……イベリア半島の歴史」です。民族と文化の歴史を書かなくてはならないのです。東大お得意の「民族」と「文化」「文明」の問題です。政治史をできるだけ簡略に書いて、民族と文化をどれだけシッカリ書けるかに合否がかかっています。

(わたしの解答例)

第1問  

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。下にこの参考書に載っている3種の解答例のうちレベル1を載せておきます。

カルタゴを基地に植民してきたフェニキア商人はアルファベットや地中海世界の物産を交易品として持ってきた。このカルタゴと衝突して勝利したラテン人ローマはここを属州とし、ラテン語を広め、ローマ風の都市・道路・水道橋・劇場を造った。5世紀にゲルマン人の西ゴートが建国しアリウス派を伝えた。8世紀にはアラブ人ムスリムが高度なイスラーム文明をもたらした。建築(グラナダのアルハンブラ宮殿)、学問(医学・哲学・数学・化学)、灌漑農業(サトウキビ・棉・オレンジ栽培)を広めた。8世紀末、フランク人カール大帝がムスリムに挑戦し、騎士道物語を残した。レコンキスタの中心国となったラテン系のカスティリヤ王国はカトリック信仰を基に、ベルベル人のムラービト朝・ムワッヒド朝と戦い南に追いつめた。奪ったトレドでムスリムが残したアラビア語文献をラテン語に翻訳した結果「12世紀ルネサンス」がおき、コルドバ生まれのイブン=ルシュドが研究したアリストテレス哲学はスコラ学を基礎づけた。だが15世紀末ムスリムもユダヤ人も追放された。

第2問 

(A)(1)価格革命 (2)中世末に比べて、重商主義政策が貨幣流通を増大させ、中継する銀行や会社企業の設立により商業の全欧的発展がみられたため。 (3)商業革命により商工業の中心がaから次第にbに移動した。cはbへ穀物・木材を供給する後背地となる。すなわち大領主が自由農民を農奴に落とし安価な穀物の供給を行うための転換をはかったため。

(B)(4)aのイギリスとの貿易では手織りのキャリコを輸出して利益をえていたが、産業革命がおきてからはaからの安価な機械制綿布の輸入が増えて赤字に転落した。bの中国との貿易ではイギリス商人によるインド産アヘンの輸出が急増してインド側の黒字となった。 (5)(イ)米 (ロ)錫、ゴム (C)(6)マニラ スペイン商人が墨銀をもってきて、中国の陶磁器・絹と交換した。 (7)オランダ東インド会社が日中間の中継貿易の基地を建設した。明の滅亡後、鄭成功がオランダ人を追放して反清復明の抵抗拠点としたが、清の康熙帝が鄭氏を滅ぼして台湾を征服、直轄領とした。(8)毛皮、1800-イ、1900-ハ

第3問 

(1)租界、買弁 (2)(a)リスト (b)オーストリア (3)近代化の最終段階としてミドハト憲法が制定されたが、露土戦争を機に停止されスルタンの独裁となる。英仏に経済的に従属した。(4)(a)ドイツ (b)イタリア (5)余剰穀物の販売の自由と中小企業の営業の自由を許可した。(6)善隣外交、アルゼンチン (7)法幣、イギリス、アメリカ (8)(a)IBRD(国際復興開発銀行)・IMF(国際通貨基金)(b)全世界的な米軍の駐留、対外援助、ヴェトナム戦費がアメリカの財政・経済を悪化させ、ドルの相対的地位を低下させた。