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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史2005

第1問

 人類の歴史において、戦争は多くの苦悩と惨禍をもたらすと同時に、それを乗り越えて平和と解放を希求するさまざまな努力を生みだす契機となった。

 第二次世界大戦は1945年に終結したが、それ以前から連合国側ではさまざまな戦後構想が練られており、これらは国際連合など新しい国際秩序の枠組みに帰結した。しかし、国際連合の成立がただちに世界平和をもたらしたわけではなく、米ソの対立と各地の民族運動などが結びついて新たな紛争が起こっていった。たとえば、中国では抗日戦争を戦っているなかでも国民党と共産党の勢力争いが激化するなど、戦後の冷戦につながる火種が存在していた。

 第二次世界大戦中に生じた出来事が、いかなる形で1950年代までの世界のありかたに影響を与えたのかについて、解答欄(イ)に17行以内で説明しなさい。その際に、以下の8つの語句を必ず一度は用い、その語句の部分に下線を付しなさい。なお、EECに付した(  )内の語句は解答に記入しなくてもよい。

  大西洋憲章 日本国憲法 台湾 金日成 東ドイツ EEC(ヨーロッパ経済共同体) アウシュヴィッツ パレスチナ難民

 

第2問

 ギリシア人はみずからをヘレネスとよび、その国土をヘラスとよんでいた。アレクサンドロス大王の東征以後、ギリシア風の文化・生活様式はユーラシア西部に広く普及し、その後の世界にも大きな足跡を残している。このヘレニズムとよばれる文明の影響に関連する以下の3つの問いに答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。

 

(1) オリエントあるいは西アジアに浸透したヘレニズム文明は、さらにインドにも影響を及ぼしている。とりわけ、1世紀頃から西北インドにおいてヘレニズムの影響を受けながら発達した美術には注目すべきものがある。その美術の特質について、3行以内で説明しなさい。

(2) ギリシア語が広く共通語として受容されたことは、その後の古代地中海世界における学問・思想のめざましい発展を促すことになった。それらはやがてイスラーム世界にも継承されている。このイスラーム世界への継承の歴史について、中心となった都市をとりあげながら、3行以内で説明しなさい。

(3) ビザンツ世界やイスラーム世界と異なり、中世の西ヨーロッパは古代ギリシアやヘレニズムの文明をほとんど継承しなかった。ギリシア・ヘレニズムの学術文献が西ヨーロッパに広く知られるようになるのは、12世紀以降である。これらの学術文献はどのようにして西ヨーロッパに伝わったのか。3行以内で説明しなさい。

 

第3問

 人間はモノを作り、交換し、移動させながら、生活や文化、他者との関係を発展させてきた。こうした人間とモノとの関わり、モノを通じた交流の歴史に関連する以下の設問(1)~(9)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(9)の番号を付して記しなさい。

 

(1) 鉄製武器を最初に使用したことで知られるヒッタイトの滅亡は、製鉄技術が各地に広まる契機となった。ヒッタイトを滅ぼした「海の民」の一派で、製鉄技術をパレスチナに伝えた民族の名称(a)と、この民族を打ち破って、この地を中心に王国を発展させた人物の名(b)を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。﷯

(2) 文字の種類や書体と、書写の道具や材料との間には密接な関係がある。図版Aは紀元前8世紀のアッシリアの壁画に描かれた書記の図で、おのおの左手に粘土(a)とパピルス(b)を持ち、2つの公用語で記録をとっている。それぞれの材料に記された文字の名称を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。

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(3) 古代中国では、広域的交易網が活発に利用されるにつれ、図版Bに示したような中国史上最初の金属貨幣が出現した。この種の貨幣を用いていた国家は複数あり、覇権を争っていた。その複数の国家のうちから任意の3つを選び、その名称を漢字で記しなさい。

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(4) 古代より西方ではパピルスや羊皮紙などが書写材料として用いられていた。一方、中国では漢の時代のある宦官が、高価な絹や、かさばる竹簡・木簡に代わって、樹皮や麻くず、魚網を混ぜ合わせた比較的良質な紙を作ったとされている。この人物の名を記しなさい。

(5) 前近代の社会では、動物や人間も消耗品的なモノの一種として扱われることが少なくなかった。南インドには、この地で繁殖することのむずかしい軍用の動物が、アラビアやイランから海路で継続的に輸入された。この動物の名称(a)と、この交易について13世紀に記録を残したイタリア商人の名(b)を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。

(6) 図版Cは画家ヤン・ファン・アイクが1434年に﷯制作した油彩画で、これにはネーデルラントの都市ブリュージュ(ブルッヘ)に派遣されたメディチ家の代理人とその妻の結婚の誓いが描かれている。この時代のネーデルラントは、イタリア諸都市と並んで、この絵の中にも描かれているあるモノの生産で栄えたが、やがてその生産の中心はイギリスヘ移っていった。この製品の名称を記しなさい。

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(7) 人々はさまざまな農具を開発し、工夫をこらし﷯て自然に働きかけ、耕地を増やしてきたが、中国では、そうした営みが書物の形で提供され、やがて膨大な蓄積を誇るようになった。図版Dに示したのは、明代の農書に掲載された道具で、起源は古い。古代以来の蓄積と内外の新しい知見をまとめて成ったこの農書の名称(a)と、その編者の名(b)を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。

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(8) アジア各地よりヨーロッパに輸出された陶磁器は、食器としての用途の他に美術品としてもおおいに人気を博し、模倣品の製作を促した。図版Eはそのうちの1つで、明が滅びて中国からの輸入が激減した17世紀の後半に、代替品として生まれたデルフト焼の皿である。このモデルとなった中国陶磁器の生産中心地の都市名を漢字で記しなさい。

(9) ロンドンやパリのような都市では、17世紀頃か﷯ら、海外のプランテーションなどで生産された飲食物が流行し、それらをたしなむ社交場が出現した。18世紀に入ると、そこには学者や文人、商人たちが多く集まり、政治を語り、芸術を論じた。またそこでの情報交換を通じて、身分を越えた世論の形成が促された。この社交場の名称を記しなさい。

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………………………………………

[第1問の解き方

 論述問題は知識があれば良く(換言すれば、『詳説世界史論述問題集』で満遍なく知識吸収的な論述問題を解く)、後は問題の要求通り書くのはそんなに難しいことではない、と受験生も教師たちも予備校講師もおもっているようです。知識があってもどうしようもない問題が今年の問題でした。それはネット上に公表されている諸解答(4例)を見てもわかることです。いかにひどい解答を書いているか、確かめるといいでしょう。これから確かめ方を教えます。

 問題は「第二次世界大戦……戦後の冷戦につながる火種が存在していた。第二次世界大戦中に生じた出来事が,いかなる形で1950年代までの世界のありかたに影響を与えたのかについて」書くことでした。

 このかんたん明瞭な問いをより単純化すれば、

 戦争中の出来事火種)→戦後のありかた火事

 ということです。公表されている「模範」答案の確かめ方は、戦争中の出来事(火種)がどれだけ書いてあるか、その部分に下線を引いてみる、という作業だけです。その結果、戦争中の出来事(火種)はほとんど書いてなくて戦後史ばかり書いているため、双方の関連(リンク)がまったく分からないことが判明します。白痴的な答案です。

 ある解答は、指定語句の「大西洋憲章(戦争中の出来事)」をつかい、戦後の国際平和機構を構想……戦後の国際連合に結実した、と書いています。しかしこれは問題文に「さまざまな戦後構想が練られており,これらは国際連合など新しい国際秩序の枠組みに帰結した。しかし,国際連合の成立」と説明済みのものであり、これで得点できるためには、大西洋憲章以外のことか、大西洋憲章発表当時の情勢を書くかして補強しないと点数はもらえません。問題を解説しても得点にならないことは言うまでもありません。後は指定語句の「アウシュヴィッツ(戦争中)」をつかい、イスラエルを建国した、と戦後につなげています。得点になるのはここだけで、20点満点でせいぜい2点です。なんとも粗末な答案で、不合格者の「模範」答案はかくあれかし、という見本です。

 この問題は「第二次世界大戦中に生じた出来事」が戦後に「影響を与えたのか」ということですから、出来事→影響、というパターンができていればいいのです。この二つがどれだけつなげられるかかがポイントです。

 解答例のように戦争中の出来事が二つしか書いてない、というのは、下に表わしたように、指定語句だけで左と右に振り分けてみても左の大戦中の出来事は二つあり、書かざるをえないのです。が、それだけだと、この問題の課題に応えたことになりません。 

 導入文にあまりにも親切な文章があります。「中国では抗日戦争を戦っているなかでも国民党と共産党の勢力争いが激化するなど,戦後の冷戦につながる火種が存在していた」と。火種を探しなさい、その上で戦後の対立につながるような説明をしなさい、ということです。

 いくら戦後史を指定語句をつかって書いていても、それが「大戦中」の出来事と関連づけていなければ無意味な解答になるのです。戦中と戦後のラインがつながっていなくてはいけない。火種は大きくなって炎となり、火事となる、という発展の説明が必要です。

 東大の指定語句のいじわるさでもありますが、語句は戦後の出来事(火事)に集中しているのです。「大戦中の出来事(火種)」を探してこい、という課題です。

 

<大戦中の出来事> → <1950年代までの影響>
大西洋憲章
            日本国憲法   
            台湾
            金日成 
アウシュヴィッツ   →パレスチナ難民
            東ドイツ
            EEC(ヨーロッパ経済共同体)

  構想メモをつくれば、すぐ判明することですが、左の出来事だけで「大戦中の出来事(火種)」を満たせるはずはないのです。大戦(中)のことは教科書では8ページ(新課程・詳説世界史の場合)も書いてあり、充分すぎるほどのデータがあります。東京大学の問題は教科書に書いてある知識をいかに縦横につかえるかにかかっています。受験企業の「速報」を書くにも作答者たちは教科書を見たはずで、なんで「模範」答案がこんなに貧しいのかが不思議です。

 もちろん愚劣な答案を書いてしまう理由は明らかです。つまり、指定語句にひっぱられ、指定語句さえ使えばもう要求に応えたと錯覚し、問題文に書いてある問題そのものを素直につかめない、ということです。ま、根本的な欠陥といっていいでしょう。「模範」解答はそれぞれの受験企業のトップが書いていて、その企業の代表であり、顔のはずですが、なんともはや……。

 教科書に書いてあって、この問題に生かせるデータは以下のものです。

 第二戦線問題(独伊との北アフリカ戦線、ノルマンディー上陸)、ポーランド解放問題、レジスタンスにおける共産党の働き(フランス共産党、チトーのパルチザン闘争、ヴェトミン、中国の抗日民族統一戦線)、ヤルタ会談における戦後処理と対立、太平洋戦争、米軍による日本の都市無差別爆撃・原爆、ソ連の対日宣戦と朝鮮半島南下などです。

 なお「大戦中の仏独の対立」という解答例がありますが、第二次世界大戦は独仏がほとんど戦わず、かんたんにフランスが占領された戦争であり、第一次世界大戦の両国の激戦と勘違いしているものもあります。あまりにかんたんにフランス第三共和政が降伏したので、ドイツ軍のロンメル将軍は、フランス攻撃を「フランス旅行」とあざ笑っていました。その後もフランスはドイツに協力するヴィシー政府が南半分を管轄し、他は44年までドイツの占領下にあったのです。もしレジスタンスという抵抗運動を国と国の対立として「仏独の対立」とした場合はおかしいでしょう。フランス軍の主力はイギリスに亡命していきましたから。

 

 1986年度の過去問に今回の問題文に解説している問題そのものがありました。

 中国は長期の抗日戦を通じて国際的地位を高め、国連五大国の一つとなったが、その民族運動の内部には戦争後期から戦後にかけて大きな変化が起こり、中華人民共和国が成立した。どのような変化が起こったか、その経過について述べよ。〔指定語句→重慶 政治協商会議 土地改革〕

 また金沢大の1983年の問題に類題がありました。

 20世紀は戦争の世紀と呼ばれるくらいに戦争の頻発した世紀であった。中でも20世紀の戦争を特徴づけたのは第一次世界大戦であった。そこで、この戦争が、ヨーロッパとアジアの国々にどのような変化をもたらしたかを、大戦中の主要なできごとをあげて論述しなさい。(540字以内)

 この問題の模範解答が出版されていますが、できごとはわずかしか書かないで戦後史を書く、というアホな解答です。

 

[第2問の解き方

(1)

 ガンダーラ「美術の特質について」という特色を書く問題でした。拙著『世界史論述練習帳new』(パレード)の巻末問題に「ガンダーラ美術とグプタ美術の違いを説明せよ(指定語句:ヘレニズム文化、純インド)」というのがあります。

 また方法編には、特色(特徴/特質)問題は、かんたんには、そのことについて「内容を説明しなさい(知っていることをなんでも書きなさい)」という問いであることが多い、と説明しています。本来、特色は「ほかのものと違って(すぐれて)いる点」(『新明解国語辞典』)というのが定義です。比較の思考が入っているのですが、この問題の場合は比較する対象が示されていません。

 特質を、もちろん定義に合う内容で書いた方がベターではありますが、書けそうもなかったら次善の策として、なんでも書くことです。ヘレニズム文明をつたえたバクトリア王国、ペシャワールを中心に、クシャーナ朝下でつくられた、ギリシア的要素の濃い仏像、仏像を史上初めて制作といったことがらです。ただこれでは美術そのものの特質に到達していない解答ではあります。

 どうするか。ガンダーラ美術といっても比較する対象はインドの他の仏像(グプタ様式の仏像)か中国・日本などの仏像を想定して書くのが本来の「特質」の表し方です。後者の対象になる仏像の特色は、全体が静かに目を閉じて瞑想している姿であり、髪の毛は巻き貝のような丸々の集まりであったり、剃って禿であったり、からだに密着した薄い衣か、真っ裸です。それに対してガンダーラ美術の仏像は、前者のようなシンメトリ(左右対称)なすがたをしておらず、今にも歩き出しそうな行動的な斜めの姿勢をもち、長い髪の毛はカールしており、厚く着ている衣も波うつ襞(ひだ)が見られます。こうした内容が本当は特質です。

 また教科書も問題もヘレニズム文明(ギリシア文明)の影響のつよいことをあげていますが、最近の研究ではヘレニズムの影響を受けたローマの立像の影響の方が強いとみなしています。もし知っていたらローマ文化の影響もあげていいでしょう。

(2) 

 「古代地中海世界における学問・思想……イスラーム世界にも継承されている。このイスラーム世界への継承の歴史について」でした。

 拙著『世界史論述練習帳new』の巻末問題に「イスラム文明の世界史的役割について述べよ(90字)。  指定語句→西欧 ルネサンス」という問題はこれに関連していました。つまり古代ギリシア・ローマの学問はゲルマン人の闊歩する中世で失われていき、逆にイスラーム世界が吸収していき、その後で西欧側が「12世紀ルネサンス」によって再発見する(問3)、という過程です。この前半が問われています。9世紀(830年)にバグダードでバイト=アル=ヒクマ(智恵の館)という翻訳機関をつくって古典(ギリシア語)の組織的翻訳(アラビア語)につとめました。ここでアルキメデス、プラトン、アリストテレスの著作が翻訳されます。それが教科書では表の中にある外来(異民族起源)の学問です。これと自民族起源(固有)の学問との二つが融合した普遍的な文明をつくりあげています。

 古代史との流れとしては、アレクサンドリア他のローマ帝国の都市で研究がつづけられ、キリスト教の普及とともにササン朝ペルシア帝国の支配下でうけつがれ、ササン朝の後継者といっていいイスラーム世界に伝えられました。

(3)

 これは12世紀ルネサンスの説明を求めた問題ともとることができます。このルネサンスは翻訳という事業だけをさした狭いことばではありませんが、その重要なひとつであることは変りません。

 またまた引用すれば、拙著の巻末に「イタリア・ルネサンスがおきた要因を述べよ。  指定語句→大商人 都市」という解答の要因例としてあげています。論述では必須の用語といっていいでしょう。センター試験でも1995年度の追試に出題されています。

 「学術文献はどのようにして西ヨーロッパに伝わったのか」という問いに対しては、十字軍の影響であったかのように書いた答案がありますが、いったい十字軍という無知な集団がどういう学問的な貢献をしたというのか、考えたらおかしいと気がついてもいいはずです。たしかに教科書では「十字軍をきっかけに東方との交流がさかんになる12世紀には,ビザンツやイスラーム圏からもたらされたギリシアの古典が,ギリシア語やアラビア語から本格的にラテン語に翻訳されるようになり,それに刺激されて学問や文芸も大いに発展した。これを12世紀ルネサンスという。」とありますが、よく注意して読めば、「十字軍をきっかけに東方との交流……12世紀には」と同時代であることを指摘しているだけで、十字軍がアラビア語の文献をもたらしたとは書いてないことです。ましてこの場合の「ビザンツやイスラーム圏」の後者はパレスティナではありません。イスラーム教政権のあったイベリア半島、南イタリアです。前者はレコンキスタをやりながら奪ったトレドで東方学院をつくって翻訳をはじめ、後者はノルマン人が進出してアラブの遺産をうけつぎ、ナポリ王国・両シチリア王国をつくり、その都パレルモで翻訳したものです。後はイスラーム圏ではないビザンツから入ってきます。これは商人がもたらす書籍であり、どうにしろ十字軍ではありません。ちなみに十字軍がもたらした文化的なものといえば、築城術であり、家具であったり、シャーベットであったりと学問ではない異国趣味的なものです。

 トレドやパレルモは細かいとおもうかもしれませんが、過去問には指定語句として出しています。1987年の「イベリア半島の中世史は異文化間の摩擦と交流と混淆の歴史……設問(3)このことについて次の語句を参考として4行以内で説明せよ。イブン・ルシュド トレド」と。また1998年度の問題文に「スペインのトレドでは、12世紀になると、科学や哲学の書物が活発に翻訳された。こうした翻訳書がパリなどに流入することで、中世スコラ学は飛躍的に発展した。この場合、主として何語から何語へ翻訳されたのかを記せ。」という設問がありました。また2003年度の第2問に「平面幾何学を大成させたエウクレイデス(ユークリッド)が、研究活動を行った都市名を記せ。また彼の著作が、アラビア語訳からラテン語に翻訳されたのは、何世紀か。」という問いも出ています(解答はアレクサンドリア、12世紀)。

 パレルモにしても1986年度のイスラーム世界と中世キリスト教世界との関係史の過去問に書いてもいいものでした。また1981年度の過去問には、「ギリシア語文献の翻訳」が指定されています。

 

第3問

(1)(a)「海の民」の一派で,製鉄技術をパレスチナに伝えた民族の名称、とは細かい。パレスティナ人、旧約聖書ではペリシテ人、別名カナーン人です。勘違いしやすいのは現在のパレスティナ人とはちがう民族であることです。現在のひとたちは正統カリフ時代にやってきたアラブ人のことです。パレスティナ人という純粋な民族はおらず、現在パレスティナという地に住んでいるアラブ人のことです。 (b)「民族(パレスティナ人)を打ち破って,この地を中心に王国を発展させた人物の名」はパレスティナ人(かれらの代表ゴリアテ)との戦いで勝利した旧約聖書のダヴィデ(ダビデ)がふさわしいでしょう。教科書の写真にのっているミケランジェロの彫刻ダヴィデは投石機でこれからゴリアテの額に石をなげつける直前のすがたを写しています。

(2)(a)「前8世紀のアッシリアの壁画」で粘土に記した文字、といえば楔形文字しかない。またパピルスとあればエジプトの文字ということになりますが、はたしてアッシリア帝国はエジプトのことばと言語を必要とし公用語にしたのでしょうか? 受験企業の答えはみなエジプトの文字にしていますが、それだとアッシリア帝国がエジプトを征服するのは前671年、この問題は「前8世紀のアッシリア」なのだから、それ以前から公用語だったことになる。まさか。当時のメソポタミアに広がっていて公用語たりうるのは商人アラム人のアラム文字しか考えられない。実際、アッシリア帝国はアラム商人を保護しましたし、外国人を積極的に登用し、宰相にアラム人(アフカルという人物)がいたことが知られています。

 この推測のとおり、この同じ図版をのせた中央公論社『人類の起源と古代オリエント』(世界の歴史─1)に、図の注として「二つの言語で書かれた。書紀は二人一組になり、一人は粘土板にアッカド語(これはもちろん楔形文字──中谷の注)、もう一人は羊皮紙にアラム語を書いた。」とあり、東大の設問のミスなのか、それとも絵からはどちらの紙なのか判別しにくいのかもしれない。羊皮紙とあるべきところをパピルスにしてしまい、受験生に迷いをあたえたようです。ただ、書き写す材料がパピルスであれ、羊皮紙であれ、前8世紀のアッシリア帝国で神聖文字・神官文字はありえないことに変わりはありません。この絵がのっているインターネットのページは以下のアドレスです。

http://www.ezida.com/commentaires.htm

(3)戦国七雄の中から南の楚だけをのぞいて3つの国名を書けばいい(……と説明していたのですが、それはまちがいではないか、という指摘があり、その指摘のとおりなので訂正します。蟻鼻銭は貝貨だけだとおもい、銅製のものも造られていたことを知りませんでした。わたしの無知でした。)

(4)「比較的良質な紙」ということで蔡倫の名前が正しく書けたらいい。現在の中国では最古の紙は前漢景帝の時代(呉楚七国の乱があった)の紙が出土していますが、紙の質は悪くぼけぼけのものです。

(5)(a)「軍用の動物が,アラビアやイランから海路で継続的に輸入」はなにか、という難問です。「アラビア」から馬かラクダかと迷うところです。ラクダをインドで使っているというイメージはないので、ここは決断して馬にしておきましょう。もちろん答えとして正しいことは(b)マルコ=ポーロ著『東方見聞録(世界の記述)』で確かめることができます。インドのある国にいったときの記事で、次のように書いてあります。

この国は馬を産しないので、これを買うために、国富の大部分がついやされている。キスやホルムズ、ドファル、ソエル、アデンなどの商人は軍馬その他の馬をあつめ、この国やその兄弟(同じく国王である)の領地へもってくる。ここでは一頭金百サッギオ、すなわち銀で百マルクにも売れ、しかも需要が多い。実はこの王もその兄弟も、毎年二千頭以上は買いたいのだ。二千頭買いこんでも、年末には死んでしまって、百頭くらいしか生きのこらないからである。これは管理がわるいからで、この地方の住民は馬の取り扱いかたを全く知らない。獣医さえここにはいない。……

 と嘆きながら書いています(教養文庫)。

 教科書『新世界史(新課程)』山川出版社に交易ルートとともに各地の産物図がのっていて、アラビア半島には「馬」と書いてあります。

(6)毛織物工業地帯としてのフランドルを知っているか、という問題です。百年戦争でまっさきに戦場になり、職人たちがイギリスに移ってきて根付き、それが、いままで羊毛原料を輸出してフランドルの毛織物を買っていた植民地的イギリスを工業国に変貌させるきっかけでした。百年戦争の後半からエンクロージャーが展開するのも牧羊のためと学んだのはそのことです。イギリスはこの戦争で敗北したが技術を獲得しました。

(7)明代の農書とあるので、(a)農政全書(b)徐光啓は易問。

(8)これも中国陶磁器の生産中心地では景徳鎮がすぐ出てきます。

(9)「ロンドンやパリのような都市で……社交場の名称」であれば、コーヒー=ハウス(カフェ)となる。旧課程ではこれはのっていなかったから平等性を欠くと指摘した参考書がありますが、そんなことはない。旧課程の『新世界史』(山川出版社)には「啓蒙思想と社会」と題して、

都市の文化サークル,貴族の客間で開かれるサロン,ロンドン市民のあいだにはやった喫茶店(コーヒーハウス)のような社交機関がこの時期から発達しはじめたことが,政府から独立した「世論」という観念をうみ,これが政治の流れを変えはじめた。

 と書いていました。また清水書院の新世界史A(旧課程)のコラム記事にも次のように書いてありました。

17世紀半ばにイギリスでコーヒーハウスがあらわれているから,茶とほぼ同じ時期といえる。……コーヒーハウスはさまざまな階層の市民が集まり,情報交換の場にもなった。

(わたしの解答例)

第1問・第2問  

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第3問
 問(1)(a)ペリシテ人、(b)ダヴィデ(ダビデ)

 問(2)(a)楔形文字、(b)アラム文字
 問(3)秦・燕・斉・韓・魏・趙・楚の中から3つ
 問(4)蔡倫
 問(5)(a)馬、(b)マルコ=ポーロ
 問(6)毛織物
 問(7)(a)『農政全書』、(b)徐光啓
 問(8)景徳鎮
 問(9)カフェ(コーヒーハウス)