世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史対策

一橋大学の問題分析と対策

<1>問題分析・論述の構造から

(1)易しい問題が多い

 一橋大学は難しいことで名高いのではありませんか? とすぐ反論がきそうです。

 いえ、易しいです。資料(史料)を出して、まわりくどく問うので難しく見えるだけなのです。

 例をあげて説明すればわかかるはずです。

 例1 (史料を省く)「この講演にみられるようなドイツ民法典への社会的要請について、フランス民法典と比較しつつ、1870年から1900年までの政治的・社会的状況を説明しなさい。(1999年度)」という問題は、「ドイツ民法典への社会的要請について、フランス民法典と比較しつつ」が異様に難しいですが、しかしほとんど誰も書けない部分です。しかし、「1870年から1900年までの政治的・社会的状況」で3分2は確実に点がとれるのです。これは第2問ですが、第1問のイギリス史も第3問の北伐史もたんなる経過(流れ)の問題です。

 例2 「次の文章(省略)は、フランスの評論家ダニエル・アレヴィ(1872〜1962)によるものです。ここで語られていることをふまえて、1870年から19世紀末に至るまでのフランスの政治状況を、以下の用語を使って説明しなさい。(1998年度)」も流れの問題です。歴史のああなって、次はこうなってという経過です。教科書の内容をほぼ、そのままか、要約して書くだけでいい問題です。この場合ですと、「ナポレオン3世の退位以後、パリに成立した国民防衛政府は抗戦を続けたが、ついに1871年1月、ドイツ軍に降伏した。その後、共和派のティエールを首班とする臨時政府がヴェルサイユに成立し、2月ドイツと仮講和条約を結んだ。ところが、これを認めない社会主義者は、パリ市民を指導して反抗し、3月には民衆による革命的自治政府を樹立した。これをパリ=コミューンという。この革命政権はわずか2カ月で、ドイツ軍の支援をうけたフランス政府軍に鎮圧され、その後、王党派と共和派の争いが続いたが、共和派の勢力はしだいにのび、1875年共和国憲法が制定されて、第三共和政の基礎が確立した。しかし政府はつねに分立した小党の連合政権で、政情は安定しなかった。……フランスは、工業化ではドイツやアメリカに追いぬかれたが、資本力が強く、銀行は国外投資によって利益をあげた。第三共和政憲法成立(1875年) 後、80年代から海外侵略を強め、インドシナやアフリカに、イギリスにつぐ大植民地をつくりあげた。国内では、普仏戦争の敗北から回復すると、ドイツに対する報復の主張や共和政に対する攻撃が、ブーランジェ事件やドレフュス事件となってあらわれた。政府は世論の支持をうけて、これをしりぞけた。その後も、左右両派の抗争が続き、労働運動のなかにも労働組合の直接行動によって革命をめざすサンディカリズムが広まった……」(詳説世界史)と句読点を含めて579字の文章です。

 同年度の第3問の「(ア)1644年以降における清の中国支配の確立の過程について、簡潔に説明しなさい」も経過の問題です。

 例3 「4〜5世紀のローマ帝国の政治・社会状況(1997年度)」もありきたりの論述問題です。同年度の第2問のワイマール憲法の特徴と1919年から1923年までのドイツの政治的・経済的状況というテーマも教科書に充分データのある経過の問題です。第3問の孫文・袁世凱もありきたりの論述問題です。

 

(2)難しい問題もあります

 なにか(1)と矛盾しますが、多くはなくても独特の一橋大学らしいものがあります。この「難し」さには3種類あります。一見難しく見えて実は易しいという、上で説明したもの。第二は、ほんとに狂問といっていい、絶対できない、という問題もたまにですが出ることがあります。

 例1 聖フランチェスコは既存の教会や社会のあり方に対してどのような態度をとったのか(200字)。(1989年度)

 例2 アルビジョア十字軍について(400字)。(1993年度)

 こんな場合でもめげないで100字でも書いたらいいです。どうにしろ他の受験生も書いていないのですから。出題者の非常識につきあっているわけにはいきません。

 第三の難問は、かんたんそうに見えて意外と点がとれない問題です。それは東大の問題と似ていて、構成(論理)的な問いかたの問題です。とくに比較を求めた問題は難問になります。訓練すればできるようになるが、訓練の場は一般にありませんから。

 例1 「第二次世界大戦における日本、ドイツ、イタリア三国の敗戦過程の特徴を比較しながら説明せよ」(1983年度)という比較の問題。

 例2 「アメリカ独立革命とフランス革命とを比較し、共通点と相違点とを述べよ。なお解答にあたっては、革命の基本的宣言の中で表明された理念、革命の国際政治との関わり、および革命で生まれた政治体制のゆくえについて、必ず言及すること」(1985年度)

 例3 「アメリカ合衆国とロシアの近代化において1860年代の奴隷制と農奴制の廃止は、重要な画期であった。それぞれについて廃止までの経過とその意義について述べなさい。その際、アメリカでは奴隷制が国内の戦争を経て廃止されたのに対して、ロシアでは農奴制が大きな政治的混乱もなく廃止された理由についても言及しなさい」(1988年度)のうち、「意義」とはなにかが判らない、「理由」は比較の思考が必要という場合、ほとんど書けない、というのが添削してきたものの感想です。同年度の第Ⅲ問も比較の問題です。比較ほど学生も教師たちもまともに書けない問題はないといっていいです。

 例4 「第一次世界大戦前と大戦後とを比較し、日本をとりまく国際状況がどのように変ったかを述べよ」(1989年度)も比較の問題。

 

(3)過去問がかたちを変えて出題されます

 例1 中世都市の「自由」の問題は1983年度と1994年度。

 例2 中世の民族史問題としては、1986年度のノルマン人、1991年度のマジャール人、1999年度のノルマン人。

 例3 中世の膨張をめぐる問題は、1984年度の空間革命、1993年度の十字軍、1996年度の人口増加。

 例4 中世期の欧州全体を描かせる問題は、1987年度の叙任権闘争、1988年度の経済的国民主義、1989年度の神聖ローマ帝国、1992年度の5〜8世紀の地中海世界 。

 例5 科学技術史の問題は、1986年度の17世紀と19世紀問題、1995年度の第二次産業革命。

 例6 2000年度の三角貿易問題は、1984年度の18世紀後半期中国の対外通商関係の特徴や、1990年度の砂糖と茶とヨーロッパ諸国の対外関係との類似問題です。

 例7 2001年の10〜11世紀の転換期問題は、1987年度の叙任権闘争問題の焼き直しでした。

 例8 2002年度第一問の叙任権闘争は、1987年度の叙任権闘争とそっくり問題です。これは例7にあるように2001年度の問題とも通じています。つまり「教皇の台頭」が一橋の中世史の大テーマです。

 例9 2002年度の第三問Bは、1991年度の第三問と類似問題です。

 

(4)現代史は必須です

 19世紀末から20世紀を現代史とすれば、この時期の問題が出題されなかった年度はほとんどありません。ここ20年間の問題では1988年度と2001年度が例外でした。

 

(5)朝鮮史をしっかり学ぼう

 1991年度の甲午農民戦争と皇民化政策、1992年度の日韓協約、1998年度の清朝・日本との関係の変化、2001年度の4〜7世紀の朝鮮史、そして2002年度の日本による支配政策の展開と朝鮮史は必須です。安定した統一政権の時代(新羅・高麗・李氏朝鮮の18世紀まで)の歴史を勉強しておきましょう。これは朝鮮史の未出題分野です。

 

<2>対策

(1)教科書は『詳解世界史』(三省堂)は参考書とし良かったのですが絶版です。東京書籍でも山川の詳説世界史の双方を使うのが良いです。絶版本の解説版である『詳解世界史用語事典』(三省堂)はまだ買えます。これらを利用しながら、はじめは論述問題を解かないで、ひたすら私大の問題を解きつつ知識を充足することが第一歩です。山川の『世界史問題集』のようなもの。

(2)論述によく問われる問題は、拙著『世界史論述練習帳new』の別冊にある「基本60字」を学びましょう。一橋大学は他の大学でもよく問われる論述問題をよく出していますから。

(3)過去問を20年分くらいさかのぼって自分の答案を書いてみましょう。理由は、過去問がよくかたちを変えて出されていること。受験産業の模試は、一橋大学の問題の一見難しい問題にあおられてより難しい問題をだす傾向があり、そんなものを受けても参考にならないからです。また参考書も同じで、より詳細な「模範」解答をカンニングしてつくっており、そんなものは学生に書けません。また受験場で書ける答案ではないのです。まして、「模範」とはとても言えないような解答や詳細すぎる解答を写経しても、なんら進歩するとは思えないことです。それより教科書本文の要約練習をしたほうがまだいいですよ。

(4)現代史はそうかんたんには掌握できないくらい複雑多岐です。講習で現代史を受講したり、問題集の現代史部分を幾冊も解くのが手っ取り早い掌握法です。 

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 過程と経過について。次のようなブログの記事がありました。

http://ameblo.jp/darirann/entry-10917645663.html

 ↑恥ずかしいと思ったのかブログを消してしまいました。わたしのでっち上げでない証明として、Google に記事(「東大へのキセキ & 一橋からのキセキ 練習帳」)が残っていますから確かめることができます。今はグーグルでも消えていますので下に挙げておきます。

ちなみに賛否が割れる論述練習帳も乗ってましたが

当然、僕は反対派ですから。多分、荒巻派の人間は全員 アンチ中谷。

彼は自身のホームページで自分が「経過と過程の違いを区別できてません」っと公言してしまったからね。

1993年度 アルビジョワ十字軍の解説で言っちゃいましたな。見たい人はググって調べてください。

そして、一橋の世界史は、「教科書に載ってないこと」を出すのではなく

「教科書で省略された部分を自分で読み取りそれを文章に書き起こす」

この作業をさせているにすぎません。

さらには、「経過を述べよ」って黄本にありましたけど

一橋の問題で経過をかけって聞いた問題はほぼゼロ

一橋では必ず、過程をかけって聞いていますから。

この違いを説明すると

過程= 原因 経過 結果 影響 意義

であり、経過は過程に含まれるものなのです。

言葉に敏感になること。論述上達の第一歩です。

(太字にしたのは引用者)

経過の例

1978年【3】

 ナポレオンは1806年大陸封鎖令を布告した。彼の狙いはどこにあったかを記し、それがどのような経過をへて、アメリカ経済に如何なる影響をあたえたかを記せ。(125字以内)

 

1979年【1】

(イ)中世キリスト教世界の西半部においては、ローマ教皇の皇帝に対する優位性の主張は、11世紀の後半に一つの頂点に達し、それを契機として、教皇権と皇帝権の間では、約50年にわたる激しい争いが展開された。その争いの経過を具体的に記せ。

 

1984年【1】

 16世紀前半のヨーロッパにおける宗教改革の大きなうねりの中でうまれたイエズス会(ジェズイット教団)は、ヨーロッパの宗教状況の展開に重大な影響を及ぼすとともに、その海外布教活動の過程で、東西文化交流にも大きな役割をはたした。このことに関連して、次の二つの問いに答えよ。(各150字)

(a)この教団が成立する背景とその成立経過を記せ。

 

1985年【1】

 マホメット(570ごろ一632)のもとでイスラム教徒として統一されたアラビア人は、かれの死後、カリフの指導下に、アラビア半島から各方面にむかって「聖戦」をくりひろげ、アラブ国家を大規模に拡張した。この征服の経過を、西南アジア世界への方向と、地中海世界への方向の二つに分けて、前者については7世紀中葉にいたるまで、後者については8世紀前半にいたるまで記述せよ。その際、それぞれの地域がアラビア人の支配下に入る以前は、どのような政治的、宗教的状態にあったのかが分るような形で記すこと(400字以内)。

 

1987年【2】

 現在の南アフリカでは、先住黒人の他、オランダ系・イギリス系の白人やインド系住民からなる多人種社会の特徴がみられるうえ、人口の多数を占める黒人住民の選挙権や移動の自由を否定する人種差別・隔離(アパルトヘイト)政策が維持されてきた。このような多人種社会が形成された経過と人種差別政策が維持されてきた歴史的原因を400字以内で説明しなさい。

 

1988年【1】

……(マーシャル『産業と商業』より訳出)

 引用文中の下線を付した二つの部分(《 》の箇所)の関連に注意して、マーシャルが重視していると考えられる具体的な歴史経過を略述せよ。

 

1988年【1】

 引用文中の下線を付した二つの部分(《 》の箇所)の関連に注意して、マーシャルが重視していると考えられる具体的な歴史経過を略述せよ。

 

1991年【1】

(ア)9世紀なかば、ドン川・ドニエプル川間の生活圏を追われて西方に移動を始めたこのアジア系遊牧民族が、10世紀中に、西スラブ世界を南北に両断するような形で定住し、みずからの国を建てるに至った経過を略述せよ。その際、9世紀末まで西スラブ諸族に広く覇権を及ぼしていた大国とその運命についても言及せよ(200字)。

(イ)ヨーロッパ諸国のなかで、マジャール族の脅威をもっとも深刻に蒙ったのは東フランク王国であったが、919年、はじめてザクセン族出身の貴族として王位についたハインリッヒ1世(ヘンリー1世)とその子オットー1世は、いくつかの重要な戦いに勝利し、この外敵の侵入を終らせることによって、王としての不動の地位を固めたのみならず、キリスト教世界の防衛者として西欧世界全体における最高位につくに至った。その経過を具体的に記せ(200字)。

 

1994年【2】

 歴史的に「ネーデルラント」と呼ばれた地域は、14世紀から19世紀前半にかけて、どのような歴史的経過をたどってきたであろうか。「ネーデルラント」を構成する各地域の宗教的特色や政治権力の移り変わりに留意しながら、この点について説明しなさい。その際、下記の語をすべて文中に用い、それらを最初に使用したところでは下線を引きなさい(400字)。

………………………………………

過程の例

1984年【1】

 16世紀前半のヨーロッパにおける宗教改革の大きなうねりの中でうまれたイエズス会(ジェズイット教団)は、ヨーロッパの宗教状況の展開に重大な影響を及ぼすとともに、その海外布教活動の過程で、東西文化交流にも大きな役割をはたした。このことに関連して、次の二つの問いに答えよ。(各150字)

(a)この教団が成立する背景とその成立経過を記せ。

(b)東西文化の交流にはたした役割につき、中国の具体例に即して記せ。

 

1991年【1】

(イ)ヨーロッパ諸国のなかで、マジャール族の脅威をもっとも深刻に蒙ったのは東フランク王国であったが、919年、はじめてザクセン族出身の貴族として王位についたハインリッヒ1世(ヘンリー1世)とその子オットー1世は、いくつかの重要な戦いに勝利し、この外敵の侵入を終らせることによって、王としての不動の地位を固めたのみならず、キリスト教世界の防衛者として西欧世界全体における最高位につくに至った。その経過を具体的に記せ(200字)。

【2】

 ヨーロッパ共同体(EC)が発展する上で、第二次世界大戦後にフランスとドイツ連邦共和国がそれまでの敵対関係を克服していったことが決定的影響を及ぼした。両国の関係が対立から協調へと変化していった過程とその原因を、次の用語をすべて使って、説明せよ(400字)。

【3】

 下記の問いに答えよ。

(ア)1894年に朝鮮全羅道古阜郡でおこった農民一揆は、単なる一揆に終らず、朝鮮王朝の土台をゆさぶる広がりをみせた。そのためこの一揆は別に甲午農民戦争(東学党の乱)といわれ、その鎮圧をめぐって日清戦争を惹起し、東アジア世界に大きな波紋をひきおこしたが、以下の字句を使って戦争の原因、展開、挫折の過程を述べよ。なお字句の重複使用は可、また字句の下には下線を付せ(200字)。

 

1992年【2】

 東欧諸国が大国の政治支配から脱して真の独立国家を実現するには、長い時間を要 した。東欧諸国のうちポーランドまたはチェコスロヴァキアを選び、その国が19世紀以降、形式的ではあれ、国家的独立を達成してからワルシャワ条約機構解体にいたるまでの歴史過程を、国際政治とのかかわりで大きく三期に区分して述べよ(400字)。

【3】

(イ) 1904年2月、ロシヤとの戦争を決意した日本は宣戦布告に先だって、韓国領土を占領するとともに、次々に韓国に対し「議定書」、「協約」、「条約」を強要し、日本の朝鮮支配は一挙に完成にむかって加速された。朝鮮民衆は激しく抵抗したが、日本は直接これらの抵抗をうちくだき、ついに1910年8月韓国を併合した。次の用語をつかって日露戦争勃発から韓国併合までの過程をのべよ(200字)。

 

1993【1】

教皇権が絶頂に達したのは、第4回十字軍をおこした教皇の時代といわれる。この教皇は東方だけでなく、ヨーロッパの内部にも十字軍を送っている。いわゆる異端討伐の十字軍である。これは、宗教と政治の双方においてともに重大な歴史的結果を生み出した。この十字軍の名称とそれを最初に主唱した教皇名を明らかにしつつ、その過程と結果を下記の語を用いて説明せよ(400字)。

 

1998年【3】

(ア)17世紀前半、女真族が建てた後金は明軍を破って中国東北を支配し、国号を清と改めた。この清が1644年に北京に都を移してから、さまざまな対抗勢力をおさえて、中国本部の全域に対する支配を確立するまでには、およそ40年を要した。1644年以降における清の中国支配の確立の過程について、簡潔に説明しなさい。(200字以内)

 

2007年【1】

 カール大帝とその後継者ルートヴィヒ1世の死後、フランク王国は分裂の道を歩んだ。その過程で東西王国のいずれにおいてもカロリング家の血統に属さない国王が現れ、新しい独自の王国が形成された。王国は後にさらに発展し、西欧中世世界の中心となっていった。とくに東側の王国は神聖ローマ帝国の中核部を構成した。フランク王国の分裂と東側の王国の成立と発展の過程を、分裂に関わる二つの条約の締結から神聖ローマ帝国の初代皇帝となる国王の選出にいたるまでの期間について記しなさい。

 

2009年【3】

 この会議にインドを代表して参加した人物は、英国の植民地支配下にあったインドを独立に導いた民族主義的政治団体の指導者の一人であった。この人物および政治団体の名前を記し、次に、この団体の政治運動の展開過程を説明しなさい。(150字以内)

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 ここ30年くらいのあいだで、「過程」は9回使用されており、「経過」は10回使われています。こういう数字を見て「一橋の問題で経過をかけって聞いた問題はほぼゼロ」とみなすひとは何人いるのでしょう? ちなみに経過とよく似たもうひとつの言葉「経緯」という言葉で問うた問題は8回あります(1986【3】、1990【3】、2004【1】【3】、2005【1】【2】、2009【1】【3】)。

 本当に、「過程= 原因 経過 結果 影響 意義 であり、経過は過程に含まれるもの」でしょうか?

 すると過程という問いがある場合、これらのすべてを書け、と解釈してかくのでしょうか? まさか。だいたい辞書にこれほどの意味を込めた定義を書いた辞書は見たことがありません。もしあれば読者のなかで教えていただけませんか。

 それに1984年度の問題も過程という語句を使ったものとしてカウントしましたが、導入文にあるのであり、問いは「成立経過を記せ」です。すると過程は8回で、経過の10回より少ない。きっと調べてもいなのだろう。

 また1991年度の問題文でも、【1】では経過、【2】では「過程とその原因」と問うています。この問い方に「とその原因」とあるように過程と原因を区別しています。

 同年【3】では、「戦争の原因、展開、挫折の過程を述べよ」と問い、何も影響・意義を問うていません。それも書いてほしいときには一橋は他の問題を見たら分かるように、影響を書け、意義を書け、と問います。他年の問題も一つ一つ見たら、過程に「原因 経過 結果 影響 意義」が全部含まれているかのようにとる必要のないことが分かります。論述問題は字数によってこれらのことが書ける容量がある問題と、ない問題があります。余裕があれば全部書いたらよく、余裕がなければ問われていないことをわざさわ書いても意味がありません。問われていることは目一杯かくことが解答というものです。

 それに過程であれ経過であれ、それらのうちの一部に限定して問うていることは問題文を見れば分かります。

 

 下の辞書の定義を見れば、ある程度のちがいはあります。「過程」は、ある出来事や物が完成したり、変化したりするプロセスを指している。

 「経過」は、時間的な概念で、中身の変化にあまり重点がおかれていない、と言えます。

 しかし歴史問題でこの経過という言葉で問う場合、何の変化もない事柄を問うことはあり得ない。じっさい、経過の意味説明に、「進行」「変化」「段階」「成り行き」という言葉が入ってもいて、無変化のままの経過を問う論述問題自体がありえない。

 以下に辞書の定義を一部あげておきます。

 

大辞泉(JapanKnowledge)

か‐てい【過程】

物事が変化し進行して、ある結果に達するまでの道筋。プロセス。「進化の─」

 

三省堂『例解小学漢字辞典』

ものごとがはじまってから終わるまでのみちすじ。プロセス。(類)経過・経緯

 

三省堂『新明解国語辞典』

過程 進行していく物事の順序。またその途中の経過。

 

集英社『国語辞典』

過程 物事の生成、変化、発展、進行する状況・道筋、経過、プロセス。

 

ベネッセ『表現読解国語辞典』

か-てい 物事が変化し進行していく、ある結果に達するまでの道筋。類>経過

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経過

大辞泉(JapanKnowledge)

けい‐か【経過】

[名](スル)1 時間が過ぎること。「一〇年の歳月が─した」2 ある時間内の物事の進行・変化のぐあい。成り行き。「手術後の─は良好」「試合の途中─」3 ある場所・段階を通りすぎること。

 

三省堂『例解小学漢字辞典』

経過 時間がすぎていくこと。ものごとのうつりかわり。(類)過程

 

三省堂『新明解国語辞典』

経過 時間が過ぎて行くこと(に従って変化する物事の進み具合)

 

集英社『国語辞典』 

経過 1)時が過ぎること 2)ある過程・段階を経ること 3)物事の変化。成り行き。

 

ベネッセ『表現読解国語辞典』

けい-か 時間が過ぎてゆくこと。類>過程

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 しかし、あまり違わない言葉について、妙に「敏感」がっている学生が自分が教えてもらった講師の解答に疑問をもたなかったのは不思議です。東進は4(大?)予備校の中で毎年、最低の「模範」答案を出しつづけていることに鈍感なようです。きっと確かめもせず講師のことばを鵜呑みにして「ほぼゼロ」などと書いてしまったとおもわれます。批判精神は買いますが、事実をもとに批判しましょう。これを実事求是といいます。

 ま、希望を与えてくれる良いブログです。この程度でも合格できる、という意味で。

 「教科書で省略された部分を自分で読み取りそれを文章に書き起こす」この作業をさせているにすぎません……「すぎません」のためのどれほどの勉強が必要か分からないのか? わたしは一橋の受験生を過去に100人くらい見てきていますが、書けないものは書かなくても合格してます。無駄な努力はしない方がいい。もちろん一橋対策としての特異なもの(中世都市・叙任権闘争・オットー1世・朝鮮史など)はありますが、それはそれで集中的に教科書にプラス・アルファしたものを学べばいいので、他の分野もというのは無理があります。