世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1978

【1】大づかみにいって、新大陸発見以前のスペインの歴史は、他の地中海諸地域との密接な関連の中で展開した。これに関連して、下記(ア)~(ウ)の問いに答えよ。

(ア) 紀元前205年ローマははじめてスペインの一部を自らの属州とし、その支配に編入した。それに先立つスペインの政治事情について記せ。
(イ) イスラム支配下の12世紀のスペインで、もしある古代ギリシアの哲学者の著述にたいする注釈がおこなわれなかったならば、13世紀の西ヨーロッパにおけるスコラ哲学の開花はおこらなかったであろう、といわれている。このギリシアの哲学者の名前、13世紀のスコラ哲学を代表するイタリアの神学者の名前とその主著名を記せ。
(ウ) レパントの海戦におけるフェリペ(フィリップ)2世の勝利は、スペイン王国が13世紀末以来、東地中海地域に対して有していた政治関係の一帰結を意味する。スペイン王国が15~16世紀のイタリアに対してもっていた政治的関わりについて記せ。((ア)~(ウ)合わせて125字以内)

【2】 東部ドイツ(プロシア)とロシアでは、西ヨーロッパにみられるような市民階級の成長がみられず、近代化が遅れた。市民階級の成長を妨げていた、両者共通の制度的要因を記し、それを解体させる政策を行なったそれぞれの為政者の名を記せ。(50字以内) 

【3】 ナポレオンは1806年大陸封鎖令を布告した。彼の狙いはどこにあったかを記し、それがどのような経過をへて、アメリカ経済に如何なる影響をあたえたかを記せ。(125字以内)

【4】 第一次大戦後、世界の恒久平和を目的として、史上はじめての大規模な国際的機構である国際連盟がおかれたが、これは第二次大戦後に設けられた国際連合の前身とみることが出来る。以上に関連して下記の問いに答えよ。
(ア) 国際連盟の基本原則となったものは何か。
(イ) 国際連盟の総会、理事会、事務局のほかに設けられた主要機関2つを記せ。
(ウ) 設立当初国際連盟に加入していなかった主要な国3つを挙げよ。 
(エ) 国際連盟では侵略者を制裁するための執行権が充分ではなかったため、1945年に設立された国際連合では、この点を強化するために特別な配慮がなされた。その最も重要なもの1つを挙げよ。((ア)~(エ)合わせて50字以内)

【5】 次の文章を読んで、下記(ア)~(エ)の問いに答えよ。  歴史的に見て、南アジア(インド亜大陸)のヒンドゥー教徒とイスラム教徒(ムスリム)との関係には、相互の和解や協力よりも、対立や相克の方が目立つようである。実際、(ア)2つの宗教の間には多くの基本的な相違がある。亜大陸の大部分においてムスリムの諸王朝による支配の数百年も続き、そしてその後の植民地支配も両教徒の分割統治を方針としたのであるから、かかる対立関係が目立つのは当然のことと言えよう。  しかしながら、ムスリム諸王朝の支配の時代に、(イ)2つの宗教が融合して新しい宗教が生まれたり、2つの文化が接触して新しい様式の建築物や絵画が造り出されたこともあった。それだけではない。(ウ)ムスリムの君主が政治的にも両教徒の融合を試みたこともあったし、また植民地時代にも(エ)両教徒が自発的に結束しようとする動きが何回か現われたことを忘れてはならない。
(ア) 2つの宗教を対比して、最も基本的な相違点と思われるものを1つ挙げよ。 
(イ) かかる宗派を1つ挙げ、何世紀に誰がどの地方で始めたかを記せ。 
(ウ) かかる事例を1つ挙げて説明せよ。 
(エ) かかる事例を1つ挙げて説明せよ。

【6】 ノイン・ウーラ遺跡の発掘が示すように、北アジアの草原地帯は古くから遊牧諸族の生活圏であった。その中から現われたトルコ系の一群は、中国と政治的、文化的交渉を重ねた後、中央アジアをへてアナトリア高原に達し、15世紀にはヨーロッパ世界との前哨に立つに至った。以上のような歴史的過程について、下記の問いに答えよ。 
(ア) この遺跡はスキタイ文化の影響下に、はじめて大遊牧国家をたてた部族のものである。この部族の名とその族長の称号を記せ。 
(イ) 中国の北方にあって、はじめて固有の文字を持った部族名と、その活躍した世紀を記せ。 
(ウ) (イ)の部族から現われ、反乱の鎮圧に協力して唐を助け、中央アジアに進出した部族を何と呼ぶか。またひの反乱はどう通称されているか。 
(エ) 10世紀頃イスラム教をとりいれるとと共に、中央アジアをトルコ化し、いわゆるトルキスタンの発端をつくり出した王朝の名を何というか。 (オ) 今日のソ連邦の中で、連邦構成共和国を形成するトルコ系民族の名を2つ記せ。((ア)~(オ)合わせて50字以内)

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コメント 
【1】すべてで125字でと制限されているため、ぎしぎしの余裕しかない。それで体言止めを使わざるを得ない。体言止めに対する躊躇は止めましょう。(ア)は東大の1999年度のイベリア半島史にも類題があります。ローマの大スキピオが行くと、そこにいたのは誰か、という問題でもあります。(イ)「イタリアの神学者」は違和感があるかも知れない。出身がイタリア半島でパリ大学神学教授。この教授の教授がアルベルトゥス=マグヌス。この人は大学でイブン=ルシュドの著書をラテン語に直しながら教えていた。このイブン=ルシュドが依拠していたギリシアの哲学者は誰? という問題。コルドバ出身です。(ウ)スペイン王国は15世紀末にできるから、まだ統一ができていない時代の、つまりカスティラ王国・アラゴン王国の時代も考慮せよ、ということ。アラゴン王国はシチリア島とサルディニア島をもっていました。それが統一されて16世紀にはイタリア戦争もあり、父のカール5世の段階ではイタリア半島南部のナポリ王国も持つことになりました。スペイン人の徴税のすさまじさが知られていて、これもイタリアを荒廃させた一因のようです。 
【2】これは京大1994年の「18世紀のヨーロッパでは,プロイセン(1),オーストリア(2),ロシア(3)などに,啓蒙思想の洗礼を受けた君主が出現し,改革的な政治を行った。啓蒙専制君主と呼ばれるこれらの君主の名をそれそれの国についてあげ,またそれらに共通する背景と政治の特徴を,200字以内で説明せよ。」とそっくりな問題です。拙著『世界史論述練習帳 new』p.13-15にとりあげています。ま、論述では頻出問題のひとつだということです。
【3】1992年の東大の問題「1806年にナポレオン1世は大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発布したが、その大陸封鎖令の目的と結果とを、3行以内で記せ。」の類題です。 
【4】政経のような問題。 
【5】(ア)いくつもあるものの、一つしか相違点はあげられない。身分差別と平等・多神教と一神教・民族宗教と世界宗教・入信の儀式の有無・聖典の有無など。(イ)ムガル帝国のできた頃とほぼ同じと見られています。場所は今も黄金寺院がたっている地方。ムガル帝国の崩壊と共に独立王国を築いたことがあります。インド西北部。(ウ)は私大でもセンター試験でも頻出。(エ)第一次世界大戦直後のこと。両派の代表組織をあげて説明します。
【6】北アジア史の基本ばかり。解答は、(ア) 匈奴、単于 (イ) 突厥、6~8世紀(厳密な年代で覚えておくべきもの。552~740年) (ウ)ウイグル、安史の乱 (エ) カラ=ハン(カラハン)朝 (オ) ウズベク、キルギス。