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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1981

【1】 今日、ひろく世界の諸国における政治生活の基礎をなしている代議制は、その歴史的成立に即して見ると、中世ヨーロッパ諸国に特有の身分制議会にさかのぼる。そうした意味における中世の身分制議会が成立する事情を、西ヨーロッパのある一国を例にとって記述せよ。その際、同国の身分制議会が他の国のそれと較べて、どのような特色をもっているかについても言及せよ(300字以内)。

【2】 パレスチナ問題は現代の世界できわめて解決の困難な問題のひとつといわれているが、この問題の困難さを歴史的に説明せよ。そのさいつぎの語をかならず用いること(300字以内)。
 シオニズム バルフォア宣言 中東(パレスチナ)戦争

【3】近代アジアに関する下記の二つの問いに答えよ。
1.明治維新と同時期に中国でおこなわれた改革の試みについて、その改革の目的、西洋の科学技術をとり入れる際に根拠とされた考え方、実際にもたらされた結果、の三点を中心にして150字以内で説明せよ。
2.19世紀後半から第一次大戦までのインド経済の特徴を、この時期に進められた鉄道建設の性格を考えながら、150字以内で述べよ。また、文中で、この時期におけるインドの主要輸出品(少くとも三つ)とそれぞれの産地にも言及せよ。

コメント
【1】 問題は「西ヨーロッパのある一国を例にとって記述せよ。その際、同国の身分制議会が他の国のそれと較べて」とあっても教科書の記事からは英仏しか書けませんし、また学生は知らないとしても、ヨーロッパ議会史では中世議会をイギリス型とフランス型に分けていて、二院制と身分制の事実上一院制とに区別しています。拙著『練習帳 new』の別冊「基本60字」問題集、p.49の問19 「イギリスとフランスの身分制議会のちがいはなにか。  上院 三部会」という問題をのせていますが、これらのことを踏まえています。 答え:前者は上院下院の二院制で、身分別が厳密でなく議会開催が頻繁であったが、三部会は身分別が厳格で開催は少なく閉鎖された。 (注:イギリスの上院には高級聖職者と高級貴族があつまり、下院には下級貴族と市民の代表があつまる。下級聖職者は別の会議をもった。フランスは高級下級の区別がなく身分別会議。)
【2】 この問題は意外とむつかしい。たとえば、つぎのような解答例はだれでもつくれそうです。
 19世紀末パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとするシオニズムがおこり、第一次大戦中、英はバルフォア宣言でこれを支持し、ユダヤ人の移住が始まった。一方、英はマクマホン宣言でアラブ人の独立も承認していたので、この矛盾から両者の対立は激化した。戦後英はここを委任統治領としたが、ナチスの迫害によるユダヤ人移住が激増すると、対立はより深刻化した。第二次大戦後国際連合の分割案による調停も難航し、48年イスラエル共和国が成立すると、アラブ諸国との間にパレスチナ戦争が勃発、多数のアラブ難民が生まれた。その後数度の戦いの中から、PLOなどを中心とする難民のゲリラ闘争も展開、問題の解決はより困難となっている。
……答えは流れ、つまり「歴史的に説明」に終わっていて、どうして「困難さ」があるのかを説明していません。なお、イスラエルは共和国ではありません。イスラエル国といいます。用語集にはまるでかつてそう名乗ったことがあるかのように説明していますがまちがいです(かつて用語集はイスラエル共和国とも書いていました)。入試問題でもまちがって表記されることがあります。わたしはイスラエル大使館に直接問うて確かめたのでまちがいありません。建国当初から「イスラエル国」です。 現代では解決しがたい問題を国連が討議し調停者を派遣するか(カンボジア三派の対立)、軍事力(米軍かNATO軍)により強引に解決するか(アルバニア難民)、戦争の勝敗で決するか(ヴェトナム戦争)、さまざまな解決が図られていますが、パレスティナはなぜいつまでも泥沼なのか、という問題です。この問題のまともな解答は参考書の中からは見つけられません。
【3】1. 課題の「目的、考え方、結果」をきっちり書くことが求められます。
 2. 難問です。とくに「インドの主要輸出品(少くとも三つ)とそれぞれの産地」が難しい。ただ三省堂の教科書では「海をこえたアジア人労働者」と題して「海外に進出したヨーロッパ人は、各地でそれまで知らなかった数多くの嗜好品や有用な資源を「発見」した。たとえば香辛料・茶・コーヒー砂糖(砂糖きび)・グアノ(海鳥の糞)・ジュート・錫・生ゴム、などである。嗜好品はヨーロッパ人の生活に変化とうるおいをあたえ、工業原料は大量生産の基礎となり、科学技術の発展をうながしたばかりでなく、ヨーロッパに大きな富をもたらした。……労働力移動の流れとしては、つぎのようなものが代表的である。イギリスによってアッサム地方やスリランカに移植された茶は、大規模なプランテーションで栽培されていたが、ここにはインド各地から多くの労働者が移動した。」と書いています。ここに「茶」が「アッサム地方やスリランカ」だと示しています。
 また山川の『世界の歴史』という教科書は「イギリスの支配は,インド社会を大きくかえた。安い機械織り綿布の輸入によってインドの古くからの木綿工業は大打撃をうけ,また綿花・アイ・アヘン・ジュートなどの輸出用作物の栽培,商品経済の浸透,あたらしい地税制度の採用などにより,伝統的な村落社会がくずれた。いっぽう,植民地支配をおこなうため資源開発や交通網・通信網の整備がなされ,イ……」と書いています。このうち綿花やアヘンはベンガル(とくにベンガル・アヘンは名高い)やデカン高原、アイ(藍という濃い青色の染料、インディゴともいう)はインド北部、ジュートはインド南部やベンガル地方です。イギリス政府は1897年には専売制を強化して,ベンガル大管区のビハール,ベナレス(ワーラーナシー)の2州にケシ栽培を制限することで利益をあげました。他にパンジャーブの小麦もあります。これらの商品がわかっても産地が分からなければ、商品名だけでも書いておくといいでしょう。
 特長は、なにより鉄道は原料・食糧を西海岸のボンベイ港に運び、これをイギリスにもっていき、そして機械工業による商品をインド内部市場に深く入り込ませることでした。この経済的な目的の他に反乱がおきればすばやく鎮圧軍を送り込むためでもありました。こうした経済的・軍事的な従属化の下に、モノカルチュア化がすすめられ、これまでの村落だと自前で食糧も生産していたのが、できなくなり、どこか小麦や米の指定された地方の生産に頼ることになりました。もしそこが不作だといっきに一定の地方が飢饉に陥り、50~100万人の餓死者を出しました。

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【1】13世紀初めジョン王の失政に対し貴族たちは大憲章を認めさせた。その子ヘンリー3世の大憲章無視にシモン=ド=モンフォールらが対抗したため州と都市の代表を加えた身分制議会が召集された。世紀末には模範議会となった。14世紀半ばには上下両院が成立する。議会を軽視したテューダー朝とて宗教改革は議会をとうしておこなった。ステュアート朝のチャールズ1世の専制に対し議会は権利の請願を可決したが、清教徒革命が起こり一時共和政となった。王制復古の王にたいし議会は審査律や人身保護律で対抗、チャールズ2世の旧教復活にたいし名誉革命を起こし権利の宣言を新王に認めさせて権利の章典が発布された。18世紀半ばに責任内閣制も確立する。

【2】第一は、シオニズム運動は「離散からの帰還」をめざすものであるが、それは同時にパレスティナ人の追放「離散」を強制するものであり、ユダヤ民族主義は反ユダヤのパレスティナ民族主義を生みだしたこと。バルフォア宣言という帝国主義の思惑とも矛盾して両主義は成長したこと。第二は、国連の分割案で認められたものの、イスラエル国存続の正当性は中東戦争で示された軍事力による既成事実だけであること。アラブ側には既住の正当性はあっても、抵抗の力は弱く、民族・宗派の対立を内包していること。第三は、国連は人道的な関心でパレスティナ人を支持しながら有効な解決案を出せず、米ソも緊張緩和のために決定的な行動にでなかったこと。

【3】1.洋務運動は富国強兵と経済の再建を目的とした。考え方は「中体西用」で、中国思想を変えず、西欧軍事技術の導入だけを図ることであった。その学問は技術的なものを導入するのに必要な言語・数学。物理などであった。結果は民間企業の育成がなく、官僚たちは外資依存と私的蓄財に専念したが機械工業の開始となった。
2.アッサムの茶、ベンガルのアヘン、デカン高原の藍や綿花などが輸出品となり、これらの原料を運んでイギリス本国で生産した綿織物をインド国内に深く浸透させて市場化するためにも鉄道はパイプとなった。在来のインド手工業は破壊され、モノカルチュア化され、自給自足の村落はなくなった。そのため飢饉も頻発した。