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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1985

過去問 -一橋大学

【1】マホメット(570ごろ一632)のもとでイスラム教徒として統一されたアラビア人は、かれの死後、カリフの指導下に、アラビア半島から各方面にむかって「聖戦」をくりひろげ、アラブ国家を大規模に拡張した。この征服の経過を、西南アジア世界への方向と、地中海世界への方向の二つに分けて、前者については7世紀中葉にいたるまで、後者については8世紀前半にいたるまで記述せよ。その際、それぞれの地域がアラビア人の支配下に入る以前は、どのような政治的、宗教的状態にあったのかが分るような形で記すこと(400字以内)。

【2】アメリカ独立革命とフランス革命とを比較し、共通点と相違点とを述べよ。なお解答にあたっては、革命の基本的宣言の中で表明された理念、革命の国際政治との関わり、および革命で生まれた政治体制のゆくえについて、必ず言及すること(400字以内)。

【3】1940年代の東南アジアにおける民族運動の展開を、任意の2地域を選んで記述せよ。その際、日本の東南アジア侵攻がこれらの運動に及ぼした影響に言及すること(400字以内)。
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【1】(構想メモ)

征服過程:西南       地中海
     半島→ササン朝  北アフリカ→半島→仏
政治:半島は部族国家    北ア:皇帝教皇主義
   ササン朝サトラップ制 半島:少数ゲルマン支配のラテン人を支配
              仏:少数ゲルマン人がラテン人を支配/分立
宗教:半島は多神教     北ア:正教と単性論異端
  ササン朝ゾロアスター数 半島:アリウス派異端
  ・マニ教他       仏:正統信仰

(注:西南の半島はアラビア半島、地中海の半島はイベリア半島、アラビア半島はムハンマド(マホメット)の段階では完全に征服されておらず、初代カリフのアブー=バクルのときに征服が完了するため解答の中に入れています) 

【2】(構想メモ)

米                仏
理 共:普遍的権利と民主政治の基本理念を表明
念 独立宣言         人権宣言
  違:重商主義と政治的独立 普遍的な人権

国 共:国際的な戦争に発展、植民地争奪戦争の一環
際 違:全欧の支援     全欧と対決

ゆ 共:中央集権国家の成立・議会政治
く 違:連邦憲法成立後は  革命中に三憲法→ナポレオン憲法→王政復古→七月王政と変転
え 体制不変

【3】400字の全部を埋めることができなくても、300字くらいは書こう。
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(わたしの解答例)
【1】西南アジア方面では、まず半島を征服した。半島は部族国家が分散し多神教であった。その後ニハーヴァンドの戦いでササン朝を破り、中央集権のサトラップ体制とゾロアスター教を国教とするペルシアを支配した。しかし、帝国内には仏教・マニ教・ネストリウス派も信徒をえていた。地中海方面ではビザンツの支配下にある北アフリカに進出。ここは皇帝教皇主義の専制と重税が課されていた社会であり、ギリシア正教を正統信仰としながら単性論異端が普及していて、異端者はムスリムを解放者として迎えた。イベリヤ半島には711年にわたり、王政・ゲルマン法とローマ法の西ゴートを滅ぼした。ここではアリウス派からカトリック改宗していた。ピレネーをこえてフランク王国に入りトゥール・ポワティエの戦いでカール・マルテルに敗れたが、その後もフランス南部を荒らした。フランクを主とするゲルマン人少数者がラテン人を支配し、カトリック信仰をもっていた。

(注:西南の半島はアラビア半島、地中海の半島はイベリア半島、アラビア半島はムハンマド(マホメット)の段階では完全に征服されておらず、初代カリフのアブー=バクルのときに征服が完了するため解答の中に入れています) 

【2】理念では、ともに独立宣言や人権宣言において、社会契約説に立ち人間の普遍的な権利を目標として革命を推進した。ただし米は13植民地に圧力をかける本国イギリスに対する抵抗であるのに対して、仏は自国の絶対王政を打倒し中世以来の旧制度からの解放を求め、万人平等の理想をかかげた点でより普遍的であった。国際政治とのかかわりでは、両革命とも国際的な戦争に発展し、植民地争奪・保持をめぐる戦争でもあった。ただし米は全欧の支援を受けたが、仏は全欧と対決した点がちがっている。体制のゆくえは、ともに議会政治による共和政ができ民主主義の進展が見られ、中央集権的な国家を形成した。ただし米は13州それぞれの憲法を認めるとともに合衆国憲法も制定する連合体制であり、中央では三権分立を明確にした。革命後の政体変化はなかった。ところが仏は行政府の権力集中が常にあり、革命中に三つの憲法が制定され、その後も政体はめまぐるしく変動した。

【3】帝国主義の日本に対しては徹底抗戦をするものと、対日協力をすることで帝国主義のイギリス・フランス・オランダに対抗するという二つのタイプの運動があった。前者の典型がヴェトナムである。日本はヴィシー政府のインドシナ連邦政庁を通じて支配する間接統治をはじめた。ホー=チミンはヴェトミンを結成して抗日・抗仏運動を全土にゆきわたらせたため、大戦末期にフランスはバオダイを擁立したが支持をえることはできず、日本が敗戦すると直ちに独立を宣言した。再植民地化を図るフランスに対してこの経験が攻勢的な戦いをなしえた。後者の典型はインドネシアである。日本軍はオランダを排除して軍政をしきスカルノらを協力させた。しかし苛酷な支配は反日の気運も生み、日本敗戦直後にスカルノは独立を宣言した。復帰を図るオランダとの戦争では、日本軍のおいていった武器や、育成した軍隊が役に立ってオランダを苦しめ、1949年についに独立を承認させた。