世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1992

【1】
 西ローマ皇帝アウグストゥルスがゲルマン人傭兵隊長オドアケルに廃位されて以後 、八世紀半ばに至るまで、旧ローマ帝国領だった地中海地域には民族の移動を含む大きな政治的変化が生じた。これらの変化を、次の三つの人名を用いて説明せよ(400字)。

 ユスティニアヌス帝 ムハンマド(マホメット) カール・マルテル(チャールズ・マルテル)

【2】
 東欧諸国が大国の政治支配から脱して真の独立国家を実現するには、長い時間を要 した。東欧諸国のうちポーランドまたはチェコスロヴァキアを選び、その国が19世紀以降、形式的ではあれ、国家的独立を達成してからワルシャワ条約機構解体にいたるまでの歴史過程を、国際政治とのかかわりで大きく三期に区分して述べよ(400字)。

【3】
下記の問いに答えよ。

(ア) 「古代」、「中世」、「近代」という時代区分はヨーロッパ史をモデルに設定されたもので、非ヨーロッパ世界の歴史に対して、それをそのまま適用することはできない。しかし同時に、非ヨーロッパ世界の多くが、その前後の時代と異なる「中世」的な時代をへたこともまた歴史的な事実である。そこで、イスラム世界を例に、以下の二つの字句を説明するなかで、「中世」という時代の政治体制、思想状況の特徴を述べよ。なお、その際、字句は重複使用してもよく、また、字句の下には下線を付せ(200字)。

  マムルーク スーフィー信仰
  
(この問題は『世界史論述練習帳 new』本文p.121-123に解説・解答例を掲載)

(イ) 1904年2月、ロシヤとの戦争を決意した日本は宣戦布告に先だって、韓国 領土を占領するとともに、次々に韓国に対し「議定書」、「協約」、「条約」を強要し、日本の朝鮮支配は一挙に完成にむかって加速された。朝鮮民衆は激しく抵抗したが、日本は直接これらの抵抗をうちくだき、ついに1910年8月韓国を併合した。次の用語をつかって日露戦争勃発から韓国併合までの過程をのべよ(200字)。

  日韓議定書  第二次日韓協約  抗日義兵闘争


コメント
【1】
 時間は「西ローマ皇帝アウグストゥルスがゲルマン人傭兵隊長オドアケルに廃位されて(476年)以後 、八世紀半ば(750年頃、カロリング朝成立)」、テーマは「地中海地域には民族の移動を含む大きな政治的変化が生じた。これらの変化を」、事務的要求として「次の三つの人名を用いて」という条件がついています。一つの世界としてのローマ帝国が三つの世界に分解していく過程を描くという、論述ではありきたりの易問です。ただし地中海南部の沿岸線からイベリア半島まで占めることになるイスラム世界も他と同じくらいきっちり書くことが必要です。
【2】 
 実際にはポーランドを選ぶのが無難です。データもチェコよりは多いからです。時間は「その国が19世紀以降、形式的ではあれ、国家的独立を達成してからワルシャワ条約機構解体(1991年)にいたるまで」の歴史過程を、副問(書き方や構成の要求)として「国際政治とのかかわりで大きく三期に区分して述べよ」ということです。まず受験産業の解答のように、19世紀半ばから書いたりしないように。「19世紀以降」ということは1801年から、ということでナポレオン戦争最中のできごとも必要ですよ。また「三期に区分」という条件がついているので、それと判るような表示を文中に入れることです。たとえば、「第一期は」とか「〔1〕、(1)」とかの記号だけでも書いてから書きはじめるきのです。
【3】
(ア)学生には判りにくい題意です。「イスラム世界を例に、以下の二つの字句を説明するなかで、「中世」という時代の政治体制、思想状況の特徴を述べよ」と。西欧の中世は政治体制としては封建制度があり、思想状況としてはカトリック信仰が普及し、一方で神秘主義や異端の活動も活発であった、ということを想起すると、イスラム世界にも、それと似たような現象がないか考えてみてくれ、ということでしょう。ここまで考えたら容易なはずです。
(イ)流れの問題です。「日露戦争勃発から韓国併合までの過程」ですから、指定語句を説明したら終わり、としないで、第二次日韓協約があれば第一次も第三次もきっちり書くといいです。朝鮮現代史をしっかり書けるようにしておくのが一橋の論述対策です。
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(わたしの解答例)

【1】地中海は専制君主政のローマ皇帝に統合されていた。そこにゲルマン人が主に西方に流入・建国し、東方皇帝を仰ぎながら実質ゲルマン支配を実現した。たしかに6世紀前半にユスティニアヌス帝はヴァンダル王国・東ゴート王国をほろぼしローマ支配を再現したかに見えたが、死後崩壊する。同世紀後半のアヴァール人・スラヴ人の移動が東方におこり、東西のちがいは明白になる。7世紀ムハンマドからはじまるアラブ人勢力の地中海進出はイベリア半島からフランク王国内にまで及び、地中海と南岸はイスラム世界に入った。こうして地中海世界西北にはトゥール・ポワティエでイスラムと対決したカール・マルテル以来、ゲルマン的キリスト教的封建制西欧が成立していく。東北のビザンツ帝国は皇帝専制を強化しテマ制をしいてイスラムと対決するギリシア・スラヴ的正教世界を形成する。ウマイヤ朝下の大征服はアラブ民族主義を崩し、平等主義のアッバース朝に転換した。

【2】ポーランド。〔1〕第一次大戦まで。19世紀初めまでナポレオンの傀儡たるワルシャワ大公国ができたが、皇帝の没落とともに崩壊した。ウィーン会議はロシア皇帝を王とするポーランド王国を成立させたが、30年の反乱を契機にロシアに併合され、40年代のクラクフ・ポズナニの反墺・反独蜂起、60年代の反露農民蜂起はみな鎮圧された。〔2〕第二次大戦まで。第一次大戦末期ピウスツキー主導のポーランド共和国が成立、サン・ジェルマン条約によって独立が承認された。だが39年ナチスのポーランド回廊・ダンツィヒ港の要求を拒否すると、ナチスと組んだソ連も進軍し両国の分割により国は再び消滅した。〔3〕戦中の対独蜂起を無視したソ連軍が全土を解放し、人民民主主義の連立政権が成立した。しかし統一労働者党(共産党)が選挙に勝利し単独政権になりソ連の指導下に衛星国となった。56年のポズナニ、80年のグダニスクの反ソ運動は鎮圧されたが、89年には反共政権が成立した。

【3】(ア)カリフ神授説・アター制をとる文治主義アッバース朝が衰退して10世紀には各地に政権ができて割拠状態になる。ブワイフ朝がバグダードの支配者になることで武断政治に転換、この王朝のもとで軍人奴隷マムルークが台頭し、11世紀のセルジューク・トルコによるスルタン位就任はカリフの地位を名目化した。思想的にはシーア派や神秘主義のスーフィー信仰がひろがり正統スンナ派と対立、アズハル大学・ニザーミーア学園が建設された。
(イ)日露戦争勃発直後に日韓議定書を強制し韓国の軍事施設を接収した。さらに日韓協約を結び顧問を採用させ、翌年のポーツマス条約で韓国優越権を獲得し、第二次日韓協約で外交権をうばい、6年統監府をおいた。前年から抗日義兵闘争が激化した。7年ハーグ密使事件を責めて第三次日韓協約をむすび内政権もうばった。9年には義兵の安重根が統監の伊藤博文を暗殺する。翌年、韓国側に要請させて韓国を併合し、総督府の支配をはじめた。