世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1996

【1】
 中世から近代にいたる西ヨーロッパの人口を正確にとらえることは困難であり、ど うしても推計に頼らざるをえないが、歴史家による推計値はかならずしも一定していない。また、人口変動は当然ながら国や地域によって相異なった傾向を示す。とはいえ、長期的に見ると、西ヨーロッパ全体で明らかに次のような三度の大きな人口変動の波を確認することができる。

(1)14世紀前半を頂点とする人口増加とその後の減少
(2)15-16世紀の人口成長と17世紀の人口停滞
(3)18世紀後半以降の飛躍的人口成長

これら三つの大きな人口変動をひきおこした要因は多様でありうるが、人口増加を支えた経済的要因としてとくに注目しなければならないのは、農業における食糧増産である。上記の三時期のうち(1)と(3)とでは、食糧増産に結びつく農業の制度的ならびに技術的変化にどのような基本的相違があったか、述べなさい(400字)。
  
(この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)

【2】 
 次の史料を読んで下の問いに答えなさい。 

国の内外を問わず、われわれは決して警戒心を緩めてはなりません。しかし私は、このように言うとき、反共の名の下に行われるいかなる行き過ぎや不正にも賛成するものではありません。不幸にして、われわれの中には、不安やヒステリーや恐怖から、利己的な利益を得ようとして、アメリカ国民を前に争点を混乱させ、覆い隠し、あいまいにしようと望む人々もいるのです。これら、混乱から利益を上げようとする人々は、今や対外政策の分野において、また国内問題についても活動しております。
(アドレー・スティーヴンソン民主党大統領候補の選挙演説、1952年9月)

問 この演説が行われた世界史的背景を、アメリカ合衆国の国際環境・対外関係に即して、いくつか事例をあげて説明しなさい。(400字)
  
(この問題のコメントは『世界史論述練習帳 new』にコメント)

【3】 
 下記の問い(ア)、(イ)に答えなさい。

(ア) 清とロシアとの間では国境を定める条約が幾度か結ばれ、そうしたなかで、両国の国境は次第にロシアに有利なかたちに改定されていった。清とロシアとの間に結ばれた条約のそれぞれの名前、その条約が結ばれた年、その内容を簡潔に述べ、両国の国境問題の歴史をまとめなさい。その際、下記の語句を必ず使用し(重複しても良い)、その語句に下線を付すこと。(280字)

黒竜江 沿海州 ムラヴィヨフ 外興安嶺

(イ) 日清戦争後、中国東北地方の利権をめぐって、ロシアと日本との間には対抗的な関係が形作られていった。そのなかで、鉄道をめぐる問題が一つの焦点となってくる。この鉄道について簡潔に説明しなさい。(120字)


コメント
【1】
 中世から近代の農業について、ああなってこうなって……と流れとして過程をのべることは求められていません。要求は「(1)と(3)とでは、食糧増産に結びつく農業の制度的ならびに技術的変化にどのような基本的相違があったか」という「比較」です。受験産業の解答は、比較がなく、双方を羅列するだけで「比較」したつもり「相違」が表れているはず、といういいかげんなものです。羅列は比較ではありません。双方をつきあわせて見比べてみて出てくる違いを文章として明解に述べなくてはなりません。二つの「相違」が要求されています。制度と技術の両方とも必要です。制度とは、「団体を運営したり、社会の秩序を維持したりするための決まり」(新明解国語辞典、第四版、三省堂)ですが、この場合、農業生産のための団体は、(1)なら領主と農奴の関係、すなわち荘園という団体のありかたであり、(3)は地主・借地農・農業労働者の3者の関係です。技術は教科書にある程度書いてあります。とくに『詳解世界史』(三省堂)には三圃制の他に「鉄製の有輪犁や耕作馬のための蹄鉄の使用、犁を馬にくくりつける繁駕(けいが)法の改良」(これは山川の『用語集』より詳しい説明)とあります。(3)の技術は『用語集』(山川)や『詳解世界史用語事典』(三省堂)の「ノーフォーク農法」に書いてあります。
【2】
 演説の「反共(反共産主義)」による「混乱」というのはマッカーシズムのことです。『詳説世界史』には用語さえのっていませんが、『詳解世界史』にはのっています。しかし演説者のスティーヴンソン民主党大統領候補が当選したかどうか、ということは知らなくてもいいことであり(もちろん大統領にそんな名前はなかったはずだから……となるが、アイゼンハウアーの当選も書かなくていいのです)、むしろその後の「1952年」が「演説が行われた世界史的背景」の時間のヒントになっています。戦後の冷戦から朝鮮戦争(1950~53年)の真っ最中ということが想起できたら、もうできたもの。「アメリカ合衆国の国際環境・対外関係に即して」というのは、なくても良いくらい、冷戦は合衆国の対ソ政策と深くかかわっています。この副問があるから、合衆国サイドで書くとして「事例」はたくさんあります。とすれば意外とかんたんな問題だったことになります。
【3】
(ア)「清とロシアとの間に結ばれた条約」という私大の問題にもよく見られる、ありきたりのテーマです。指定語句もあり、「年、その内容」と二つの要求も詳細・難問ではないでしょう。
(イ)はじめはロシアが敷設して、後で、その南半分を日本がとる、という順です。

………………………………………
(わたしの解答例)
【1】
       (君の答え)
【2】
       (君の答え)
【3】
 (ア)清朝はロシアの北方への進出をくいとめ、1689年両国でネルチンスク条約を結び、外興安嶺と黒竜江の支流アルグン川を国境とした。1727年のキャフタ条約では外蒙古とシベリアの国境が定められた。19世紀には、東シベリア総督ムラヴィヨフがアロー戦争を利用して進軍し、1858年に結んだ愛琿条約で黒竜江以北をとり、ウスリー江以東の沿海州を清朝との共同管理地とした。だが2年後の60年には沿海州をロシアに割譲させた。この南端にウラディヴォストーク港の建設を始めていく。イスラム教徒の反乱に乗じてロシアがイリ地方に出兵し、1881年イリ条約により清朝から領土をとりあげた。
(イ)ロシアは、日本から遼東半島を返還させる三国干渉の代償として、東清鉄道敷設権を獲得した。しかし日露戦争の日本が勝ち、ポーツマス条約により日本は遼東半島南部の租借権を獲得し、この南部の旅順と長春間をむすぶ南満州鉄道の利権をとりあげた。