読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1999

過去問 -一橋大学

【1】
 8世紀後半から11世紀にかけて、ノルマン人の活動はヨーロッパ全体に大きな影響を及ぼしたが、とりわけイングランド初期の歴史には密接な関わりを持っている。9世紀初めから11世紀までのイングランドの王朝の変遷を、次の語句を用いて説明するとともに、それが11世紀以降に及ぼした政治的影響について述べなさい。(400字)
 七王国(ヘプターキー) ロロ  ヘースティングズの戦い
  (この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)

【2】
 次の文章は、ドイツの法学者オットー・フォン・ギールケが、1889年4月5日に行った講演の一部である。これを読んで、下の問いに答えなさい。

 我々に必要な私法は、個人の不可侵の領域を十分尊重するけれどもそこに共同体の思想が息づいているような私法です。端的に言えば、公法には自然法的自由の気風が息吹かねばならないし、私法には社会主義の油を一滴しみ通らせねばならないのです。

 問 この講演にみられるようなドイツ民法典への社会的要請について、フランス民法典と比較しつつ、1870年から1900年までの政治的・社会的状況を説明しなさい。(400字)
  (この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)

【3】
 次の文章は、ある朝鮮人革命家がアメリカのジャーナリストに語った話をもとに書かれたものである。これを読んで、下の問いに答えなさい。

 全朝鮮人は右派左派共々に、中国におけるこの(革命の)高まりを己れ自身の国を解放する第一歩と考えて喜んだ。戦闘参加を志願して真先に広東へ馳せ参じた人の中にさまざまな種類の朝鮮人革命家たちがいた。
 (中略)朝鮮人は中国人にまじってあらゆる分野で活発に働いた。あるものは顧問として、あるものは黄埔軍官学校や中山大学の教官として、あるものは革命軍の幕僚として。他のものは軍隊に入って戦った。
 (中略)今となってはあの北伐に向かう革命家たちすべてが感じていた、浮き立つ心と熱狂を思い出すことさえ難しい。……華北へ、朝鮮へ、私たちの心はおどった。「故国で、満州で、二千万朝鮮人が全アジアの自由のための武器をとって帝国主義と戦おうと待っている」と私たちは中国人に確信をもって語った。
 (ニム・ウェールズ『アリランの歌』、1941年、松平いを子訳)

問1 中国のこの革命はどのようなかたちで収束したのか、次の語句を使って説明しなさい。(300字)
  武漢  南京  上海
問2 当時広東には朝鮮人以外にもアジア地域の革命家・独立運動家が集まっていた。民族革命のための組織を広東で結成した、アジアのある地域のこの時期の革命運動について述べなさい。(100字)
  (この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)


コメント
【1】
 時間は「9世紀初めから11世紀まで」で、テーマは二つ「イングランドの王朝の変遷」と「それが11世紀以降に及ぼした政治的影響について」という易しい要求です。流れ(編年体)と影響の問題。ただし「集権的封建制を導入した」と書かないように。大陸の封建制度を導入したものの、その大陸じしんの封建制度は集権的ではないからです。イギリスを征服してから集権的に変えたのであってもともと集権的だったのではありません。
【2】
 狂問です。「ドイツ民法典への社会的要請について、フランス民法典と比較しつつ」という部分です。しかし、これは明解な説明ができなくとも、「1870年から1900年までの政治的・社会的状況を説明」することはできるはずです。3分の2はかせげます。
【3】
 問1「中国のこの革命はどのようなかたちで収束したのか」だから北伐(国民革命)のすべてを初めから説明する必要はありません。後半だけでいいのです。長江から国民党だけで再開する部分からでいいでしょう。 問2「広東には……アジア地域の革命家・独立運動家が」という点は細かい私大的な知識ですが、広東という中国南部の位置から推理してヴェトナムの革命家に無理やりしてしまい正解になったというひともいるかも知れません。

………………………………………

(わたしの解答例)
【1】

【2】

【3】問1 この革命は国民党単独で収束に向かうことになった。はじめは国共合作ではじまったが、1926年の蒋介石が民族資本家たちと結んだ上海クーデタと、その後の武漢政府の分裂、内部分裂した武漢政府の南京国民政府への合流により、共産党を排除して革命はすすめられた。28年から北伐が再開され、日本が山東省の済南に出兵をおこない武力衝突事件をおこしたが、北伐軍の主力はこれを迂回して北上し、北京を占拠していた軍閥張作霖を追放した。日本は張作霖を爆殺したため子の張学良が蒋介石の南京政府に合流し、ここに多くの軍閥を吸収した国民党による中国統一たる国民革命が一応収束した。共産党を排除できず、軍閥の地方支配はつづいたままであった。

問2 ファン=ボイチャウが広東で光復会を結成し反仏蜂起をおこなったが挫折した。ホー=チミンも広東で青年革命同志会を結成し、反仏独立闘争を展開。1930年にインドシナ共産党を結成し独立運動の中心勢力となった。