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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史2005

過去問 -一橋大学

1
 中世後期のヨーロッパ大陸諸国において、君主によって設けられ、招集される議会が生まれた。フランスの三部会、ドイツの等族議会が良く知られているが、その他にスペインのコルテス、ポーランドのセイムなどがあり、諸身分や団体の代表が出席した。これらは「身分制議会」と呼ばれるが、その歴史的な経緯と主な機能、そしてその政治的役割について、特に近代の議会との違いに留意しながら具体的に述べなさい。(400字以内)

2
 第二次世界大戦後に「冷たい戦争(冷戦)」という米ソ両体制の対立する時代が形成された背景には、大国による核開発、核保有が大きな役割を果たしている。第二次世界大戦後の冷戦勃発から、1989年のベルリンの壁の崩壊に至るまでの時期を対象に、各国の核保有、各国間の核軍縮の経緯を押さえた上で、この冷戦期の国際政治に核兵器が果たした歴史的役割について述べなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

 キューバ危機 中距離核兵器全廃条約 封じ込め政策 ワルシャワ条約機構

3
 次の文章Aは、インドの民族主義運動指導者の『自叙伝』から抜粋した19世紀末アフリカ南部における経験の記述、Bは同時期に清末変法運動で活躍した中国人の海外における経験の記述とその解説である。これらを読み、また、表1~3も参照して、下記の問いに答えなさい。
A
「『あなたは、本当にホテルに泊まれると思ったのですか? と彼(ヨハネスバーグで事業を行っている知人)は言った。私は尋ねた。『どうして、いけないのですか?』彼は言った。「ここに二、三日おられれば、お分かりになるでしょう。私どもがこんな国に来て生活しているのは、ただ金もうけのためです。侮辱をこらえるぐらい平気です。ですから、ここにいられるのです。』こう言ってから、彼は、インド人が南アフリカでなめている困苦、辛さの数々を物語ってくれた。
 彼ら(南アフリカにいるインド人)の中には、労働者の境遇から身を起こして、土地や家屋の所有者になりあがる者が多数あった。彼らに続いて、インドから商人がやって来て、商業を営みながら定住した。……これには、白人の商人があわてた。
 (南アフリカにおけるインド人の権利を守るという目的を達成するため)私たちは常設的な大衆組織を持とう、ということを決定した。こうして、……インド人会議が誕生した。この会議には、南アフリカ生まれのインド人や会社裏務員の階層は会員として参加してきたが、不熟練賃金労働者、年季契約農業労働者は、まだ枠外に留まっていた。……彼らには、基金を寄附したり、入会したりするなどして、会に所属する余裕のあろうはずがなかった。
 なおなし遂げていないことが一つあった。それは、インド人移民を、祖国に対する義務に気づかせることであった。」(蝋山芳郎駅に基づく。)

B
 「この三つの業種(靴・タバコ・ほうきの製造業)は以前はとても盛んで、出資者も同胞で、これらで財をなした同胞の商人も少なくなかった。だがのちに労働組合がそれをひどく妬み、あれこれ法律を作っては圧迫した。たとえばルソン産の葉巻タバコは政府の認可がないと販売できず、わが同胞労働者の製造したタバコを政府は認可しない、というのがその例である。こうしたことはもともと国際ルールに大いにもとるところだ。……強権というほかない。」

 この文章は梁啓超が清朝からの弾圧にあって亡命中、1903年にカナダ・アメリカの諸都市を回って記した紀行文『新大陸遊記』から、サンフランシスコでの『中国人の営業自由の制約』について紹介した部分の抜粋である。同じく亡命した康有為が東南アジアで同胞を結集し、支援を要請するために保皇会を組織しており、梁啓超のこの旅は、保皇会分会創設のためでもあった。また、ほとんど同時期に。早くから亡命生活を送った[ ア ]も、中国が列強からの侵略の危機にさらされているのは、「中国が自立できないためであり、中国が自立できないと、世界平和は保てない」として、在外同胞の支援を求めて回った。1905年に[ ア ]は東京において中国同盟会を結成し、東南アジアでの分会結成を目指した。

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問い
 インド人と中国人が大量に海外に移動し、海外で生活の基盤を築き始めたのは、表1、2から理解されるように、19世紀中葉以降のことであった。この大量移動は、いかなる歴史的状況の下で起こったのか、さらに、それらの人々がそれぞれの出身国の国内政治といかなる関連を持ったのか、また、その大量移動が移動先の社会に現在いかなる影響を与えているのかを、述べなさい。解答にあたっては、インドと中国の双方にふれ(その字数の割合は問わない)、また、Aの『自叙伝』の著者、およびBの文章における空欄[ ア ]がそれぞ誰であるかも述べなさい。(400字以内)


コメント 
 I 】 
 議会史の問題は、一橋の古い過去問につぎのようなものがありました。

 今日、ひろく世界の諸国における政治生活の基礎をなしている代議制は、その歴史的成立に即して見ると、中世ヨーロッパ諸国に特有の身分制議会にさかのぼる。そうした意味における中世の身分制議会が成立する事情を、西ヨーロッパのある一国を例にとって記述せよ。その際、同国の身分制議会が他の国のそれと較べて、どのような特色をもっているかについても言及せよ。(1981年第1問)

  拙著『世界史論述練習帳new』(パレード)には、東大の議会史の問題(p.35-36)や一橋の過去問をもとにした問題が巻末「基本60字」問題集に「イギリスとフランスの身分制議会の違いはなにか (指定語句:上院・三部会)」という問題でのっています。

 しかし、今年の問題の変った点は、イギリスをはずしていること、身分制議会同士の比較をもとめているのではなく、近代議会との比較を求めている点です。
 かといってイギリス以外の国の身分制議会について書けるのはフランスの議会だけであり、他の国の議会について書いた教科書がないのです。英仏の身分制議会にももちろん共通点があり、それなりに「近代議会」との比較は可能です。受験生は想起できない他の身分制議会は無理していいのです。旧課程では『新世界史』が英仏以外の身分制議会についてもっともよく説明していました。ドイツの領邦議会やスペインのコルテスについて書いていました。ただこれは知らなくてもいいことです。課題のひとつである「歴史的な経緯」はフランス三部会を説明すればよく、他は無視せざるをえないでしょう。「三部会を例にすれば」と書き出せばいい。他の国の議会について書いた予備校の解答にはいかにもカンニングして調べて書きました、という答案がありますが、そういうものは受験生の「模範」になるはずがありません。またフランスを例にしないで、イギリスを含めて一般論として中世後期にいっせいに身分制議会が出現した経緯を書いてもいいでしょう。
 「比較」タイプの問題の難しさは、このホームページにのせた他の参考書が失敗していることを指摘しているように、プロも思考力がなく、たいてい低得点しかなさそうな答案ばかりが厚顔にも公表されており、これは今回の問題にかんして公表されている「模範」解答例でも見られます。どれだけ比較が明快か、どれだけの比較した跡があるのか確かめたら、これだけでいいの……と疑わざるを得ない解答が出されています。こういう解答にだまされないで冷静に判断できる頭をきみはもっていますか? たとえば、ある解答例は課税協賛権にかぎり、近代議会がそれ以外のどういう権限をもっているかはどこにも書いてなく、まったく比較した跡もない解答(怪答?)もあり、また身分代表と国民代表という点だけ書いて満足してしまっているのもあります。そんなこと「諸身分や団体の代表が出席した。これらは「身分制議会」と呼ばれるが」とすでに問題文にあり、分かり切ったことを書いて、なんで解答のつもりなのか?
 この問題のもうひとつの困難は「近代」という短いことばです。これについては後述します。
 さてフランス三部会の「歴史的な経緯」は教科書に書いてあるので、あまりここで詳しい説明の必要はないでしょう。ありきたりのかんたんなもので済ませます。ただこの「経緯」の中に「近代」との違いになる点がいくつかありますから見逃せません。
 国王フィリプ4世がエドワード1世の英国と争っても英領をうばうことができず、財政破綻をきたした→そこで免税特権をもっている聖職者にも課税→教皇ボニファティウス8世が非難→(全国)三部会をノートルダム大聖堂で開催して全身分が教皇に反対し教皇非難決議、かつ国王支持を表明させる→再び教皇の非難→アナーニ事件へ
 もちろんアナーニ事件まで言及する必要はありません。ちなみにフィリップ4世は三部会で課税しても赤字はつづいたため、貨幣の悪鋳をやり、当時のひとびとは国王を「偽金作り」と呼びました。
 一般論として経緯を書くのであれば、中世後期には、皇帝と教皇の権威の失墜とともに王権の強化がみられたこと、各国の国王は軍隊と官僚の整備、宮廷の費用の増大に対処しなくてはならず、王室の収入に限界がきたこと、逆にこの国王が強大化するのを警戒する諸侯・市民は納税の代わりに国政にたいする権利と発言権をもち国王の勝手な行動に規制を加えたいという払う側の要求もあり、ここに議会という話し合いによる妥協・談合の機関が出現した、と。
 課題の「主な機能……政治的役割について、特に近代の議会との違い」についです。主な機能は、この経緯の中にあるように、国王の必要性から出発していて、臨時の開催であり、ここに近代のように、国家全体の必要性(予算)からきているのではなく、また定期的なものでもないことが見えます。
 政治的役割の点では、全国的な課税が可能になり、今まで王領だけではまかなえなかった乏しい経済を国民からの税収でまかなえる、というひとつの「国家」の経済基盤ができました。全国からあつめた多くの資金で官僚と軍隊を養い、絶対王政形成に役立っているのです。これは近代議会のように絶対王政を否定する傾向(チャールズ1世処刑、ルイ16世処刑)とは逆になっています。 また国家利害・国益という考え方が生まれ、国内の有力者(身分代表)と話し合いで決めることで、国王はその行動に合法性ももたせました。
 さらに中世において封建制度という国王と家臣(聖職諸侯と世俗諸侯)との主従関係が基本でしたが、そこに主従関係からはずれている市民という経済人(新興都市民)を加えることで、全国民的な規模になり、中世を抜け出す契機になりました。だが、あいかわらず身分制の下にあり、市民といっても主として大商人層が絶対王政から利益を吸い取ろうとしており、この「市民」の閉鎖性も明らかです。近代の普通選挙が前提の市民ではありません。
 この身分制議会は、もちろん責任内閣制にはなっておらず、議会の多数派が内閣を構成し行政権をにぎるようにはなっていません。つまりこの時代の議会は立法権がなく、国王に法案の決定権があり、議会としては「請願」して法になるよう求める他はありませんでした。国王が行政権を独占しています。もっともそれが絶対王政ですが。また政党政治(多数意見の対立)がないことも指摘できます。
 さあ、これで比較した解答はもうできるでしょう。つぎのような表つくってメモしましょう。

 1経緯:
      (身分制議会)      (近代議会)
2機能
3政治的役割       

  「近代」について。教科書ではルネサンスや大航海時代の説明からを「近代ヨーロッパ」という題をつけています。つまりほぼ16世紀からを「近代」としています。ところが『詳説世界史』のこの題をつけたすぐ下の囲み記事には、この時代区分をいきなり否定するような説明をしています。つまり「 第9章では,15世紀末から17世紀前半の近世・近代初期のヨーロッパをとりあげる。15世紀末から,ヨーロッパ人は海外進出にのりだし……」と「近世」という表現と「近代」とを並列しています。また「第11章 欧米における近代社会の成長」と題したところの説明文では「第11章では,18世紀の後半……これら両革命は,近代市民社会の原理を提起するものであった」と近代市民社会が18世紀後半から始まったことを指摘しています。これはいったいどういうことなのか。学生を混乱させます。実際、今年の一橋の問題を中世の議会と絶対王政の議会とを比較した受験生もいるはずです。しかし絶対王政の議会と比較すると「違い」はあいまいにならざるをえません。そういう解答もネットでは載っていますが(T)、解答にはほど遠いものです。

 山川出版社が教師用に出している「詳説世界史・教授資料」の第9章の初めには「ヨーロッパは、近世と呼ばれる15世紀末から18世紀末の時期に、遠洋航海の拡大によって……この時代にヨーロッパは、ルネサンスや大航海、宗教改革、絶対王政、資本主義の発達といった経験を通じて近代世界の主要な要素を準備した」と。この「教授資料」が正しい説明です。ヨーロッパ史学では modern ということばで16世紀以降のすべての時代をくくる名称にしていますが、本来は16世紀(15世紀末)からを「近世」として本格的な「近代」を18世紀末(1760年代)からと表現すべきです。先にあげた拙著の巻末にはこうした時代区分をハッキリさせています(p.57上段)。一橋の過去問ではこの「近代」を17世紀でつかったり、19世紀でつかったりしていて、それほど厳密ではありません。チャールズ1世の処刑が17世紀であるように近代的なものの生起は時間のズレがあります。ただ西欧全体にかぎり、基本的に近代的なもの(市民革命・産業革命)は18世紀後半からであることは学界の常識であり、これにしたがうのが一番でしょう。近世(16~18世紀前半)は近代の準備期間ととり、世紀の数字が書いてないかぎり「近代」とは18世紀後半からとしましょう。要するに市民革命によって成立した議会で、その後の選挙法改正によって平等に選挙権が国民にあたえられた議会をモデルとして、中世の身分制議会と比較するのです。

 【2

 時期が「第二次世界大戦後の冷戦勃発から,1989年のベルリンの壁の崩壊に至るまで」とあり、テーマは「各国の核保有,各国間の核軍縮の経緯を押さえた上で,この冷戦期の国際政治に核兵器が果たした歴史的役割」と3つあり、事務的な要求は「下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を」というものです。
 指定語句の四つはやさしいものなので迷うことはないはず。キューバ危機は軍縮のきっかけとして、中距離核兵器全廃条約は軍縮そのものですし、封じ込め政策とワルシャワ条約機構の結成は冷戦と核開発との関連で書けます。
 3つの課題の1は核保有をしている各国の名前をあげることがまず第一の要求です。米ソ英の3国は必ずあげなくてはならないでしょう。さらにフランスと中国もあげる必要があります。その他、インド・パキスタンや保有の疑いのある国々(イスラエル・イラン・北朝鮮など)は無視していいでしょう。
 教科書にのっている核保有の流れは以下のとおりです、

  1945 アメリカの原爆実験と投下(広島、長崎)
 1949年 ソ連が原子爆弾の開発
 1952 アメリカが水爆実験
           イギリスの核実験
 1953 ソ連も水爆の保有
 1957 大陸間弾道弾(ICBM)実験(米ソ)
           人工衛星スプートニク打ち上げ
 1960 フランスの核実験
 1964 中国の核実験
 1974 インドの核実験
 1980年代 アメリカの戦略防衛構想(SDl)、軍事衛星による敵国攻撃

 

 これらの核実験が核を遠くに確実に投下するための技術である大陸間弾道弾と連動しています。それはさらに宇宙開発にもつながっていますが、このことは「役割」で書いてもいいことです。

  2番目は核軍縮の経緯」です。軍縮の呼びかけ(原水爆禁止大会、 ラッセル・アインシュタイン宣言、パグウォッシュ会議、ゲッティンゲン宣言など)は「開発」とともにすぐでてきますが、それは呼びかけであっても国家の軍縮そのものではないので得点にはならないでしょう。

  1962 「キューバ危機」→核軍縮交渉へ
 1963 部分的核実験停止条約
 1968 核拡散防止条約(NPT)
 1972 SALT l(戦略兵器制限交渉)
 1979 SALTll((戦略兵器制限交渉))→アフガン侵攻で形骸化
 1987 ゴルバチョフの提案でINF(中距離核兵器全廃条約)締結

  これらのデータのすべてをあげる必要はないし、欠けていても書いたものが合っていたらいいのです。

 3番目の歴史的役割」は意見の分かれるところですが、ごく一般論的なものをあげるだけでいいでしょう。さきほどあげた、宇宙開発を促進したこと、冷戦を激化させたこと、実験による地球環境の破壊、世界的な反核運動をおこす……といった点は教科書が書いている役割です。
 教科書にはのっていない議論はいろいろあります。
 ひとつは核抑止論です。冷戦のために米ソは膨大な数の核兵器をつくり攻撃にそなえた、もし使えば地球そのものを破壊してしまうくらいの戦争になるので、結果的に核兵器が相手に攻撃を思いとどまらせ、平和を維持することに役だった、という議論です。核保有肯定の最大の論拠になっています。じゃ、平和維持のためにはすべての国がもてばいいはずで、これは人間が狂っていることを示す議論です。
 まただからこそ、核兵器の開発は米ソの政府にとり重荷となり、とくにソ連は二度の戦略兵器削減条約(START)に調印したばかりか、体制の崩壊につながった、という議論もあります。
 余談ですが、米国が核をもちながら、北朝鮮に核の廃絶をせまっているのも、滑稽なすがたです。体制維持のために核をもてあそぶ坊やも困りものですが、一理あるところが坊やを支えています。破壊衝動のある坊やが肥大化する可能性もあるわけで、この21世紀も核の恐怖の下に生きざるをえません。その歴史的役割はまだ終わっていないのです。もしかして人類を滅ぼした、という役割が残っているのかも知れません。そのときこれを言えるひとは生きていないのですが。
 さてインターネットに公表されている解答例には、米ソしか核を保有していなかったよう解答や、指定語句にひっぱられて戦後の冷戦の流れを書いただけで終わり、役割がいったいどこにあったのか全く言及していないものもあります。それでも「模範」答案のつもりらしい。指定語句にとらわれず、要求の3項目について書く──これが基本です。

 

3】 
 19世紀中葉以降のインド人・中国人の大量海外移動について、これも3つの問いが設けられています。第一は「この大量移動は,いかなる歴史的状況の下で起こったのか」、第二は、移動した「人々がそれぞれの出身国の国内政治といかなる関連を持ったのか」、第三は「その大量移動が移動先の社会に現在いかなる影響を与えているのか」の3点です。小問として空欄Aの人物はだれか書け、というのがありますが、孫文という解答は容易にでてくるでしょう。
 答案をだれのであれ、検討(添削)する規準はこの3つがちゃんと書いてあるかどうかを確かめることです。第一はあやふやなものが多く、第三は書いてない答案もあります。これは東大が過去によく出しているテーマで、たとえば、1982年度の

  下記の文章群(A)~(F)は、帝国主義の時代に、アジア・アフリカの民族運動が成長していくとき、植民地化されたアジア・アフリカの諸地域の民衆が──指導者だけでなく──国際的な移動や交流をすでに盛んにおこなっていたということを示している。しかも、その移動や交流には、この時代独特の姿を見ることができる。そのような移動や交流が地域を超えて大規模におこったことの原因と意義とについて自分の考えをまとめ、600字以内で述べよ。(文章群(A)~(F)は省略)

  また1986年度の

 19世紀半ば以降、各国植民地に中国・インドからの労働力の移動が増大した。その理由、移動先、ならびに従事した仕事の内容について述べよ。

  さらに2003年度の

 私たちは、情報革命の時代に生きており、世界の一体化は、ますます急速に進行している。人や物がひんぱんに往きかうだけでなく、情報はほとんど瞬時に全世界へ伝えられる。この背後には、運輸・通信技術の飛躍的な進歩があると言えよう。歴史を振り返ると、運輸・通信手段の新展開が、…… 運輸・通信手段の発展が、アジア・アフリカの植民地化をうながし、各地の民族意識を高めたことについて、下記の9つの語句を必ず1回は用いながら、解答欄(イ)を用いて17行以内で論述しなさい。
  スエズ運河 汽船 バグダード鉄道 モールス信号 マルコーニ 義和団 日露戦争 イラン立憲革命 ガンディー

  という具合に東大の過去問もやっておくと、これは容易な問題だった。一橋はたしかに中世史は必出といっていい傾向はあるが、他はそれほど分野的な偏りがない。未出題分野の問題としては東大は良問を連発しているから、このホームページにある東大の問題も見ておくことをすすめます。

 第一は「この大量移動は,いかなる歴史的状況の下で起こったのか」には二つ状況があります。ひとつは列強や列強のもつ植民地でのプル(需要)要因と、インド・中国側のプッシュ(押し出す)要因とです。
 いいかげんな「模範解答」では、列強が進出すると移民が増加すると書いていますが、列強が進出したら、なぜ移民なのかを説明しなくては解答とはいえません。つまり列強の進出が進出地になにをもたらすのかという点です。国土・故郷を出なくてはならないほどの何があったのか? 19世紀中葉以降のインド・中国とあれば、なによりシパーヒーの反乱(インド大反乱)と太平天国の乱を想起します。この大事件の背後に進行していることがらは、なにより経済上の変化です。資料文に「金もうけのため……商人がやって来て……同胞労働者の製造したタバコ」というまさに経済上の原因が大移動を生んでいます。
 三省堂の教科書(新課程)は「アヘン戦争の戦費や賠償金支払いのために銀がさらに急騰し、これに飢饉などもくわわり、民衆の生活はますます悪化した。また貿易の中心が上海などに移ったため、これまでの商業路はおとろえて大量の失業者流民が生まれ、治安は悪化していった。」と書いています。三省堂の別の教科書(詳解世界史・旧課程)は「アヘンの密輸により中国の銀が大量に流出し、またアヘン戦争での戦費調達や賠償金支払いのために、銀納の土地税や地代が増大した。さらに、貿易の中心が上海などに移動したため、失業者も多く出た。こうして、民衆生活は破綻し暴動が頻発した」と述べています。教科書には書いてありませんが、こうした変動の結果、土地を売り払わざるをえない農民がふえ、逆に土地を買い占める地主もでてきました。こういう現象を階級分解とか、やさしい表現では貧富差の拡大といいます。しかも18世紀以来人口は増加傾向にありました。土地のない農民が増えており、かれらは食っていけない、という状況に陥ったのです。これがなにより海外移住の決断の背景です。
 一方、インドの場合はセポイ(シパーヒー/スィバーヒー)の反乱の原因として「小土地所有者が小作人化し、地主・政府の二重の収奪を受けたこと、地方領主(藩王)が支配権を喪失し、家臣や兵士が失職したこと、イギリスの商品の流入によって手工業者が打撃を受けた」(詳解世界史・旧課程)と書いています。また別の教科書(詳説世界史・新課程)では「植民地政府の最大の目的は,より多くの富を効率よく収奪することにあった。最大の収入源は地税であった。……ザミンダーリー制や……ライヤットワーリー制などが実施された。これらの土地制度の導入は,インド社会に深刻な影響をあたえた。従来のインドの村落では,一つの土地に対して,耕作者はもちろん,洗濯人や床屋や大工などのさまざまな仕事をする人びとが権利をもち,村の総生産物の一部をえて生活していた。しかし,新たに導入された制度では,人びとのなかから1人だけが選ばれて土地所有者とされ,ほかの人びとの従来の権益は無視されたため,それまでの共同体的な人と人との関係が大きく変化することになった。また,税額もきわめて重かったために,人びとの生活は困窮した。」と指摘しています。またモノカルチュア化や、それを原因としておこった飢饉(50~100万人の死者)もおきていました。これらのことが脱出・出稼のために海外にわたる理由です。
 これに対してプル(需要)要因として列強が求めている労働力がありました。奴隷貿易の廃止・奴隷労働制の廃止を19世紀はじめに西欧各国がふみきったことから、奴隷に代わる労働力を求めていました。それが苦力(クーリー、低賃金契約労働者)です。クーリーは新課程の教科書はのせているものの詳しい説明をつけたのは旧課程の『高校世界史』(山川出版社)だけでしょう。このコラムに「19世紀に入って欧米諸国では黒人の奴隷貿易が禁止されたが, その一方で奴隷にかわる労働力としてクーリーが導入された。クーリーとは一定の期日内で契約を結んで労働をおこなう人々や年季奉公人をさし,おもにインド人・中国人などアジア系移民から構成され,奴隷と同様にきびしい労働に従事した。……1830年代以降の 100年間に約3000万人のインド人がクーリーとして, ヨーロッパ人の経営する世界各地のプランテーションで働くために, インドを離れた。中国の場合は1842年の南京条約以後, 海外にクーリーが供給されるようになり, 彼らは「豚のシッポ」,その集結場所は「豚囲い」,売買は「豚の売買」とよばれていやしめられた……中国から合衆国へのクーリー輸出は1849年にはじまり,50年代にはその輸送業はおおいに利益をあげた。彼らはカリフォルニアの金鉱や西部の鉄道網建設の主要労働力として合衆国の発展に……」と書いています。
 まとめると歴史的状況としプッシュ要因は、セポイの反乱と二つのアヘン戦争前後に直面した経済的な困窮があり、具体的には、開港(海禁廃止)、階層分解の進行(貧富差の拡大、貧困=失地農の拡大、地主制の拡大)、18世紀からの人口増加、モノカルチュア化と旧社会の崩壊などです。
 プル要因としては、列強における奴隷制度の廃止と植民地労動力の需要、具体的には、鉱山・鉄道建設・農園(プランテーション)における労働力需要です。また列強が整備した鉄道・汽船・通信手段の発達がこの大量移動を可能にしています。
 2番目の要求たる「国内政治といかなる関連」という点は、ヒントがA「インド人移民を,祖国に対する義務に気づかせること」、B「同胞を結集し,支援を要請するために保皇会を組織し……在外同胞の支援を求めて回った。1905年に[ ア ]は東京において中国同盟会を結成し,東南アジアでの分会結成」と、出稼ぎ労働者と革命運動を結びつけることでした。在外支部をつくり、在外者(華僑・印僑)の協力をもとめることです。これ以外には留学生もおり、かれらは革命思想を学んできたものでもあり革命運動のリーダー(エリート)にもなります。出身地の旧思想に対抗する西欧の革命思想の対立・融合も見られました。とくに孫文の三民主義にこれは表れています。
 3番目の「移動先の社会に現在いかなる影響を与えているのか」は地理的な知識ですが、歴史的にはイスラーム同盟の説明として「サレカット=イスラムともいわれる。当初はジャワの商人が華僑に対抗するために結成された。(詳解世界史)」という記述が示唆しているように、華僑や印僑の経済的進出があり、それに対して先住民が反発するという姿勢が世界史の教科書にも書いてあります。
 実際、民族紛争がおきるとこれら外来の出稼ぎ者と子孫に対してはげしい攻撃がなされることは新聞・テレビで見たことがあるでしょう。
 2001年の数字では世界全体で約3400万人を数えるといわれる華僑、そして印僑は約1692万人で、華僑は主に東南アジアにおり、印僑は東南アジアだけでなく西アジアやアメリカ・ヨーロッパと広くいます。大英帝国の遺産でもあるわけです。アジアのユダヤ人といっていい華僑・印僑は東南アジア経済を支える主要な勢力です。かれらは旧植民地の各国の経済の中枢に食い込んでいて、しかも国を超えるネットワーク・資金・人材・技術・市場をもっているのです。それが余計によそ者のくせに、という反感を呼んでいるのでしょう。かれらの仕送りが本国をうるおしています。