世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1995

 

【1】
 ドイツを舞台とする宗教戦争としてはじまった三十年戦争は、ドイツに政治的利害 と領土的野心をもつフランスとスウェーデンなどの介入をまねき、多数のヨーロッパ諸国が関与する戦争となった。また、その講和会議はヨーロッパ最初の国際会議とされる。以上のような点に留意しながら、三十年戦争の結果と、それが後のドイツに及ぼした影響について述べなさい(400字)。
  
(この問題は『世界史論述練習帳』本文p.95-96に解説・解答例を掲載)

【2】
 つぎの文章を読んで設問に答えなさい。

 「すでに20世紀の技術の発展は、われわれが今日第二あるいはむしろ第三の産業革命に直面していることを示している。しかしこんないい方をすると、この革命が新しい種類のものであり、計画的な科学研究が個々の職人的な発明の才にますます取って代わりつつある革命だという事実が、あいまいになるかも知れない。そのうえ、あの産業革命は、おもに動力の産出と伝達に関与したもので人間をつらい筋肉労働から原理上解放するものだったが、20世紀の革命は、おもに労働者の熟練を機械ないしは電子装置でおきかえることにあり、これは人間を単調な事務的ないし機械番人的な仕事の重荷から解放すべきものである。」(J.D.バナール『歴史における科学』より)

引用文のなかでバナールは20世紀の「産業革命」を「むしろ第三の」それであると評価しているが、それでは第二の「産業革命」とはなんであろうか。いくつかの産業をとりあげてその特徴を具体的に説明するとともに、「第三の産業革命」との関連を明らかにしなさい。解答にあたっては以下の事項に必ず言及し、下線を引いて明示すること(400字)。

  内燃機関、  ファラデー、  人造繊維、  電話機
  
(この問題のコメントは『世界史論述練習帳 new』にコメント)

【3】
 次の文章を読み、以下の3つの問いに答えなさい。

今日東南アジアと総称される地域は、豊かな自然や貿源に恵まれ、しかも東西交通上の要衝の位置を占めた。ここには様々な人々が、ある時は大規模な集団をなしまたある時は少人数で、流入し続けた。新集団の登場は、しばしば新たな国家や政治権力の形成を促したし、また、社会の変質をもたらした。こうして、有史以来、この地域は実に多様な人々の移動・移住と国家の興亡の舞台となり、高度な外来文化を受容しつつも、同時に各地に独自の社会・文化を育ててきたのである。

問1 ほぼ16世紀に始まる西ヨーロッパ諸国の東南アジア進出は、この地域における経済の仕組みにどの様な影響を与えたかを述べなさい。その際、貿易の担い手、貿易品目、生産形態などの変化に留意すること。(240字)

問2 西ヨーロッパ諸国の進出以外に、東南アジアを舞台としてどの様な人々の移動・移住があり、それがこの地域にどの様な影響を与えたかを、具体例を1つあげて、述べなさい。(100字)

問3 東南アジアの人々が、高度な外来文化を受容しつつ築いた独自の文化遺跡の具体例を1つあげて、その時代、地域、特徴を述べなさい。(60字)


コメント
【1】
 主問(主要求)は「三十年戦争の結果と、それが後のドイツに及ぼした影響について」です。三十年戦争そのものの経過説明は要りません。決して書かないように。「留意しながら」とされる副問(副次的要求)として「三十年戦争は……多数のヨーロッパ諸国が関与する戦争となった。また、その講和会議はヨーロッパ最初の国際会議とされる」という、どちらかというと無くてもいい文章がくっついています。結果としては、どうしてもウェストファリア条約の成立する会議について言及せざるをえないはずで、なぜこんな文章がくっついているのか。念を押しているということでしょうか。会議そのものの歴史的な「国際会議」について何らか書いてほしいということらしい。この会議そのものの意義(長い時間の中で見る意味づけ)を書いたものは教科書では見つかりません。結果と影響だけなら教科書にも充分なデータのある易問です。
 会議について『詳説世界史研究』は「多数の国が参加する国際条約のはしりとなったこの条約」としか示唆的なことばしかない。ウェストファリア会議についての国際政治学者の猪口邦子著『戦争と平和』現代政治学叢書(東京大学出版会)では、次のように説明しています。
 ウェストファリア条約で終わり、これを分水嶺にヨーロッパ世界は宗教的勢力が最高権力 maximesumma として戦争を遂行する時代から、領邦国家が主権を主張する時代へと転換していく。この戦争の主戦場となったドイツでは人口は半減し、四万近くあったボヘミアの村落のうち残ったのは六千でしかなかった。破壊の規模においても、一般住民が兵士よりはるかに多くの犠牲になった点でも、中世の平均的な戦争とは異質であった三十年戦争は、ヨーロッパ社会を根底から揺さぶり、秩序維持主体としての宗教的権威の破綻を明確にしたのであった。再びヨーロッパ世界がその規模の破壊を見るのは一世紀半も後のナポレオン戦争であり、再び非戦闘員の犠牲が戦闘員のを大幅に上回るのは、大規模な空襲が可能となった第二次世界大戦でしかなかったことを考えると、三十年戦争の衝撃が、戦後処理過程において主権の理念に武装された近代国家による新たな国際システムへの動きを生み出すほどに大きいものであったことは理解できよう。
【2】
 文化史の難問です。二つの要求があります。一つ目は「第二の「産業革命」とはなんであろうか。いくつかの産業をとりあげてその特徴を具体的に説明する」こと、二つ目は「「第三の産業革命」との関連を」というものです。指定語句じたいが、第二革命の内容をある程度示唆しています。第一の産業革命である綿織物技術でないものが思いうかぶでしょうか? 第三革命への関連は「電子装置でおきかえる」で示唆されています。それでも難問ですね。半分書けたらいいと腹をくくって書いてみましょう。半分でもめげないことが必要です。
【3】
問1 要求は詳細です。「16世紀に始まる西ヨーロッパ諸国の東南アジア進出は、この地域における経済の仕組みにどの様な影響を与えたかを述べなさい」、副問(書くさいの絞り方)が「貿易の担い手、貿易品目、生産形態などの変化に留意すること」とあります。変化だから、変化する前と後とを書きます。それが変化を書くときの基本です。
問2 西欧人以外はどんな民族でもいいのだから、華僑でもインド人でも、タイ人でもビルマ人でもいいことになります。
問3 「文化遺跡の具体例を1つあげて、その時代、地域、特徴を」という要求のうち「特徴」は「内容説明」ととっていい。ほんとは他のなにかと比べてでてくる違いですが、この短文でそこまでは書けないし、出題者もそこまでは期待していないはずです。ボロブドゥール寺院かアンコール=ワットのどちらかを書くことになります。時代(世紀)、地域(国)、特徴(内容)を順に書いていきます。

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【1】
       (君の答え)
【2】
       (君の答え)

【3】問1 担い手は従来の現地民、華僑の商人にポルトガル、オランダ商人が加わった。品目は胡椒や象牙・サンゴ、開発の結果によるゴム、サトウキビ、コーヒー、茶、タバコ、綿花。変化はプランテーション栽培はヨーロッパ経済の必要に応じて導入され、発展させられた近代資本主義経済と、他方その自立的発展が制限され、「停滞」を余儀なくされた伝統的農業、つまり焼畑・採集・狩猟が併存することになった。前者のために広大な地域の森が切り開かれ、その全面に単一種類の作物が植えられ、多くの農園労務者が投入された。 

問2 タイでは、モンゴル人の雲南侵入で南下したタイ人が、13世紀にスコータイ朝をたてて小乗仏教をとり入れ、タイ文字をつくり、14世紀に同じタイ人のアユタヤ朝を建国した。

問3 12世紀完成のカンボジアのアンコール=ワットは、ヒンドゥー教・大乗仏教のインド文化の影響がみられ、繊細・優美な彫刻が特徴。