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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

判る!解ける!書ける!世界史論述-1

『 判る!解ける!書ける!世界史論述 』河合出版

長所 
 1 初めて河合塾として本格的な論述の参考書がでた、といえます。これまでの子供じみた『世界史論述テーマ35』がお払い箱になったのは喜ばしいことです。本の題名は「判る!解ける!書ける!」とスーパーのチラシ広告のようなものになっていますが、意外と堅実な内容で、なによりの長所はZ会のより、いくらか信頼のできる解答がのっていることです。 
 2 ある程度、世界史全体を網羅していることも良い点でしょう。他の参考書も網羅には心掛けているのですが、Z会・山川のより経済史がいくらか多めなところを評価していいでしょう。たいてい政治史ばかりの論述をのせて世界史全部を網羅しているつもりになっていますから。今年(2007年度東大)の問題はZ会や山川では解けません。この河合塾のならなんとか付いて行けそうです。
 3 問題文の後に「問題の要求は?」というもっとも大事な問題のとらえ方がのっています。その後で「書くべき内容をメモしてみよう」という順になっていて、どっか拙著と似ています(p.13~14の「構成メモ」「構想をたて「メモ書き」も)。その後に「理解を深めよう」と解説にはいっていて、シンプルな構成です。

短所
 全体的な短所と個々の問題のとらえ方に短所があるのですが、まず全体的な短所。

1 「レベル」を言いながら、どこにもレベルはない。 
 「はじめに」の2段落目にこう書いてあります。 
 「どのレベルの答案を書けば合格できるのか」を知り、そして、そのために「どのように学習をすればいいのか」を着実に身につけるための問題集です。 
 と大見得を切っているのは期待をもたせますが、ざーっと問題集をめくってみたら、この大見得が実はどこにも表わされていないことに気がつきます。「どのレベルの答案を書けば合格できるのか」はどこにも書いてありません。たんに問題の難易を示す★が3つ右肩に付いているだけです。だんだん易から難にむかうような構成でできているのでもないし、問題のひとつひとつに「どのレベルの答案」という段階的な説明があるのでもないし、合格への諸段階を示すべくいろいろな解答があるのか、と期待しても1個しか解答はありません。ここまで書いたら合格点ですよ、これから先は満点ですよ、という説明があるのでもない。それとも例題→練習問題という本全体の構成がレベルだといっているのか? その程度のこと? もしそうなら問題の内容からはレベルになっていない。例題にのっけられなかった問題を巻末に入れているだけ。 

 2 「時代の流れをつかめ」では論述は解けない。 
 この文句はp.10に大きく訴えていますが、論述は歴史の流れがわかっていたら解けるほど簡単ではありません。たしかに筑波大のように流れの問題をたくさん出す大学はいいですし、他の大学も出題しますから、流れは無視できません。しかし流れの問題はだれでも書きややすいものであり点差も開きません。時代の流れをつかむ、ということは時代区分を知ることでもありますが、この参考書には時代区分がどこにも明示してありません(区分の重要性は後述)。 
 筑波大を別として、歴史の流れという年表的に事件を順に書きつづっていくだけの問題は少ないのです。京大のばあい1998年度からの10年間を見ても、91年度・3(b)(150字)と95年度・1(300字)、96年度・3(a)(200字)、98年度・1(300字)、99年度・1(300字)、3(300字)と28問中6問です。東大のばあい第1問だけをとると、93年度、95年度、96年度、99年度とありますが、どの問題も中身は教科書とはちがう視点(広角度のレンズ=視点)で書かせており、いわゆる王朝史的な勉強では歯が立たないものです。むしろ政治・経済・文化の分野別で書かせたり、さらに比較・原因→結果・理由・意義・関係という論理的な思考を要求しており、単純に、ああなってこうなって……という歴史物語をつづる答えは少ししか求めていません。流れの問題をいくら練習しても、論述の能力は高まりません。この問題集の編集方針のホンネはここにあるでしょう。つまり従来の時間順にただ問題を並べただけのものと差異はないということです。

 3 p.13の解答用紙のあいまいな説明。 
 technical check (a)はじめに「最初のマスをあけて書くのか、詰めて書くのかに決まりは特にない。ただし……」とある部分。ここに、この予備校のあいまいさがまだ続いていることを表わしています。かつてこの予備校の模試には、かならず「はじめの1字を空けて書け」というどこの大学にも書いてない文句が付いていました。最近は付かなくなりましたが、過去のあいまいさが尾を引いているようです。まだ「原稿」用紙という感覚でいるのかもしれません。「特にない」と言いながら、後の実際の解答例はみな最初のマスを詰めて書いています。
  (b)~(i)はいいとして重大なものが抜けています。句読点をどう書き込むのか、という基本的なことです。行のさいごに句読点が来たら 文字とともに書き込むのか、それとも次行の最初のマスに入れるのか、という問題です。「解答」用紙(この参考書の末尾に付いています)の使い方なら、もちろん次行にもっていくべきものですが、本文の解答には次行の初めのマスに句読点を入れたものが見事にありません。ワープロ・ソフトで書けば自動的に字を詰めてくれますが、紙の用紙は自動的に詰めてくれません。たとえば、p.25の下の解答例2行目と5行目を見て、すぐ上の行の字の位置と比べたら判明するように、微妙に字が詰まって、最後のマスに読点がきています。これは紙の用紙にはありえないこと! ワープロで仕方ないとしても、少なくとも用紙にマスの埋め方を示すべきでした。
 句読点も字数に含めよ。(東大・京大の問題文にある命令)……これを文字どおり実行しなかったら、減点か没。

 4 字が小さいこと。ルビの集まりみたい。ひとによってはツライ。

 5 構想メモの作り方をどうするのか説明がない
 問題の後にすぐ「問題の要求は?」はとあり2~3行で、だいたい問題文に書いてあることをピックアップしています。この要求のとらえ方の変なところは後述するとして、この要求にしたがって「書くべき内容をメモしよう」とあり、どのページにも細かいメモが付いています。このメモのように受験生はすぐは書けない。もちろん自分で書いてみて、これと比較せよ、「見落としがないか」と指示しています(p.5,13)。これらのメモの内容をざーっと見わたしてみると、論理的な問題をあつかっていないことが判明します。いちおう線や囲みがいろいろあって構成的・論理的な様相をしていますが、実はああなってこうなって、という流れの問題のメモであることがほとんどです。構成的・論理的な問題になると破綻したメモが出てきます(後述)。つまり影響・意義・比較・変化・一般化などのメモをどうつくるかの手ほどきがなく、いきなり完成したメモが来ます。構想メモをつくることができたら、ほぼ解答はできたも同じですから、そこへ行く道すじ(方法・思考過程)が実はいちばん難解な部分です。それをスパッと省いています。
 たいていの論述の参考書の形式と同じように時間順に問題を並べて解説すると、それは流れを重視して問題選びをすることになります。これがメモの内容と関連している訳です。一番あつかわれている大学は筑波大(例題12、練習問題7)で、これは駿台の参考書もそうですが、筑波は一地域の流れ問題をよく出題するので解説にも都合がいいのです。ちなみに次は京都大(例題11、練習問題4)、東京大(例題9、練習問題7)、千葉大(例題6、練習問題9)、京都府立大(例題5、練習問題2)、一橋大(例題5、練習問題6)とつづきます。なお練習問題には解説は一切なく解答例だけがあげてあります。さて自分で自分の答案の成否は判定できるのか? その判定の目を養う訓練はどこでしたことになるのか?

 6 時代区分がない
 時代区分がなぜ重要かは、実際の問題に出てくるからです。避けて通れない。
 たとえば、 「キリスト教文化圏としてのヨーロッパは、中世初期から現代にいたるまで(東大・1986年)」
中世末から近代にかけて経済活動の中心が移動したこと、aとbは17世紀前半に交差して相対的位置が交代していること、cはほとんど常にヨーロッパの最低値に近いことに注目しながら、この期間のヨーロッパの商工業と農業をめぐる地域間の関係について、3行以内で記せ。(東大・1999年)」
  「中世中期のヨーロッパにおいても著者のいう空間像の変化・空間革命に対応する現象があった。それはどのようなきっかけによるものであったか。またその空間革命の内容をそれ以前の空間意識と対比しながら経済、政治、文化の諸側面について説明せよ。(一橋・1982年、中期っていつかわかりますか?)」 
 「 「古代」、「中世」、「近代」という時代区分はヨーロッパ史をモデルに設定されたもので、非ヨーロッパ世界の歴史に対して(一橋・1992年)」
  「4世紀のローマ帝国には、ヨーロッパの中世世界の形成にとって重要な意義を有したと考えられる事象が見られる。そうした事象を、とくに政治と宗教に焦点を当てて、300字以内で説明せよ。(京都・2004年)」という風に。中世世界ってわかりますか? 
 p.48に中世とは「西ローマ帝国が滅亡後……15世紀頃までの約1000年間を指す」と正しく説明していますが、この問題は封建制の成立について問うた問題で、2段落目の説明から「9~10世紀」が成立期なのに、そのことは解答例にはまったく触れられておらず、時間が消えたかのようなものになっています。時代区分の重要性が分かっていない答案例です。

 7 指定語句にしばられるような危険な指導をしている
 p.18に「指定語句から、何を書かせようとしているかを読み取ろう」と訴え、筑波の時間設定のない問題(1994年)を指定語句だけから類推して上に「(a)建国からダレイオス1世の時期」としています。この問題は帝国の衰退・分裂について体制のありようから言及しても何らまちがいではないのに、自らを限定しています。 
 p.26の一橋の問題(2001年)はインドの「古代の社会・宗教・文化体系」について書け、という問題ですが、インドで古代といえば、とくに文化体系の完成期はグプタ朝ですが(教科書を見よ、『詳説』には「インド古典文化の黄金期」とグプタ朝の説明を開始し、「ヒンドゥー教は、……現在にいたるまでインド世界の独自性をつくりあげる土台となっている。」と)、それが指定語句にないためグプタ朝までは言及しない解説・解答になっています。「社会・宗教・文化体系」の総元締みたいなヒンドゥー教への言及がない点が決定的欠陥です。問題というものは問題文にあるのであり、指定語句にないことは論述問題を解くイロハみたいなものですが、それが分かっていないためです。インドの時代区分が分かっていない、ということも原因でしょう。 
 p.132の(a)「8~15世紀頃(指定語から判断)」と指導しています。この指導のまちがいは、問題文に時間限定がない(また筑波、2005年)ための方法として出しています。すると16世紀以降にイスラームの拡大はない? 解説の末尾に書いてあるアチェ王国・マタラム王国、書いてないがバンテン王国などはなぜ無視しなくてはならないのか? これらは15世紀末~16世紀になって登場するイスラーム国家です。アフリカのニジェール川の上中流域に栄えたソンガイ王国も15世紀末から16世紀末まで栄えたイスラーム王国です。ソンガイ王国の前のマリ王国からイスラーム教は広まっているとしても支配領域が拡大しています。上の解説には東アフリカ沿岸のことしか触れられていません。
 p.134 こうした過度の指定語句へのこだわりは、問題要求からはずれても気がつかないようになります。指定語句を説明したらもう十分答えたことになると錯覚します。モンゴルの拡大と宗教・民族・文化の衝突・融合について問うた東大の問題(1994年)は指定語句にだまされやすい一例です。指定語句がほとんど融合面ばかり出ているため、解説・解答に衝突がまったく書いてない。気がついていないようです。指定語句はだましの作用もします。「問題の要求は?」の(b)に「衝突」という字があるのに。衝突をどれだけ書けるかで差のつく問題です。

 8 歴史学会で流行の歴史用語を使わせようと無駄な努力をしている
 世界システム(p.60)、社団国家(p.70)という用語をつかわなくても書けるのに、さもものすごく重要な用語であるかのように説明しています。前者については、「世界システムの理解が問われている……近代世界システムの拡大過程……西ヨーロッパが世界システムの中心となった……アジア地域は、19世紀以降に世界システムに組み込まれた」としつこく書いています。この用語はウォラスティンというマルクス主義者がつくった用語で、世界はヨーロッパ中心で回っているというヨーロッパ中心史観です。しかし、その中身は京大の出した『世界資本主義の歴史構造』(河野健二・飯沼二郎編、岩波書店、1970)とあまり変わりません。ウォラスティンの著書は70年代半ばですから、京大の方が早い。この中に世界分業体制のこと、中心と周辺のことも書いてあります。「世界システム論」で近世・近代を理解できても、それ以前はどうなのか関連はわかりません。解説文を読めば、なにも大げさに言わなくても、どれも教科書に書いてあることばかりです。
 社団国家は日本人の歴史家(柴田三千雄)が言いだしたことで、絶対主義社会の理解のひとつの道具にはなります。しかしこの言葉は知らなくてもいいし、つかう必要もありません。本書には「社団国家と国民国家の相違を理解せよ」とありますが、そんな必要はありません。教科書の絶対主義(絶対王政)のところにじゅうぶんな説明があります。たとえば、こうです。 
 主権国家の形成期に絶対王政とよばれる強力な国王統治体制がうまれた。絶対王政のもとでも社会には旧来の身分制度が残っており、領主である貴族や聖職者たちは免税などの特権をもつ中間団体を形成して、国王による国民の直接支配をさまたげた。このため、国王は商人や金融業者などの有産市民層(ブルジョワジー)を社会的に上昇させ、彼らに経済上の独占権をあたえるなどして、協力関係を強めた。(『詳説世界史』)……ここに「社団国家」という用語はありません。
 問題(一橋、2001年)は絶対主義の限界を問うていますから、近代市民社会のありようを想起して比較すれば、もっと明快に限界は現われます。近代市民社会は、法前平等の原理にたち、政治的・経済的に自由な個人の活動が保障されている身分制のない社会です。軍隊も市民のものであり階級がなく、議会・政府がコントロールできるものでなくてはなりません。市民の声を代表する議会が頻繁に開催されていなくてはなりません。さて、すると絶対主義はこれらとどうちがうのか考えてみます。「絶対主義にないもの=限界」が現われてきます。  

 9 ここから個々の問題の問題点を指摘していきます。その欠点を言いたてていくと解答や参考書の全否定のようにとられると困ります。わたしが突いているのは一部なのか全体なのかを見極めて下さい。ここで指摘する箇所は本全体の一部です。

p.23~24 例題5 キリスト教が国教になるまで帝国でキリスト教が広まった理由。  指定語句「パウロ」は布教だけで説明が終わっていますが、これでいいでしょうか? 教科書には「パウロは、神の愛は異邦人(ユダヤ人以外の民族)にもおよぶとして、ローマ帝国各地に布教(『詳説』)」「その十字架の死と復活を全人類を救う贖罪の行為と解して,パウロを先頭に帝国各地に伝道(『新世界史』)」「十字架上の死は全人類を救済するための贖罪の死であったと宣教(東京書籍)」「パウロが、イエスの死を神の子が人間にかわって罪をあがなったものと解釈して非ユダヤ人への伝道を推進したことが、キリスト教の拡大に大きく貢献した。(詳解世界史)」と信仰する教義をユダヤ教徒だけの救世主としてでなく全人類の救世主としてキリストを提示した人物としても描いています。 
 また「メモ」に2世紀と3世紀のことを「苦しむ人……悩む人々が受容」とあり、解答には「軍人皇帝時代には不安に悩む上層民にまで拡大した」と書いています。これだけでいいでしょうか? 聖書の編纂があり(200年頃)、カンタコーム(地下墓所礼拝所)で隠れつつネットワークを広げてきたことも拡大の理由のはずです。
 残酷な迫害に屈しなかった姿を見てキリスト教に帰依するものもいました。

p,30~31 例題8 春秋・戦国時代の鉄器による経済的・社会的変化(京大、1991年)。
 この問題の要求は「変化」と問題文のとおり素直にとっているのに、解説にも解答にも変化の「前」が書いてないも箇所があります。鉄器の前はなにか、青銅貨の前は、農耕のあり方は? 変化の前を書かないと、何から何への変化かは分かりません。「変化」問題はかならず前を書かなくてはいけない、と言いたいのではありません。問題文にすでに前のことが書いてあったり、短文過ぎて余裕のない場合は書かなくてもいいでしょう。しかし300字の字数があれば書くべき事柄です。
 歴史では、変化は「前」も書くことが主要素です。「木簡・竹簡に記されたが,蔡倫が紙の製法を改良し(実教出版・世界史B)」「活版印刷技術で、本の値段はそれまでの手写本とくらべて約10分の1になった。(三省堂・世界史B)」「16世紀にはスペインが全盛であったが、17世紀前半には……オランダ・イギリス・フランスなどの国が有力となっていった。(『詳説世界史』)」と。「紙が発明された、活版印刷術が現われた、オランダ・イギリス・フランスなどの国が有力」と書いてもある程度は変化の予想はつきますが、「前」(木簡・竹簡、手写本、スペイン)を書くのが歴史の納得できる説明の仕方です。
 ただ社会的な「前」は書いてあります。共同体・封建制度・世襲・邑などです。  問題は「社会」のこと。p.30のはじめの◆の末尾に「社会的変化」とは? それでは……時代以前の社会をみておく。と次の◆そもそも西周時代の封建制度とは? ……と解説がつづきます。この中に社会的変化とは何か、こうこうこうだ、と説明があるのかと読んでいくと、どこにも書いてありません。文章のさいごには、「……経済・社会の変化である。」あれ? 経済とはちがう社会の説明だったのではないか? 上の解説文は封建制度が血縁関係であり世襲だとあります。これは政治制度でもあります。もちろん社会として封建制度を説明してもいいのですが、なぜか分かりますか? この説明がありません。 
 最後の◆そして、社会は? ここにも政治的なこととからめて氏族共同体の解体・実力本位ということを書いています。社会としてはこれでもいいですが、社会は政治以外のことであり、少なくとも政治について書いてはいけない。社会には経済も入ります(例題9の場合は文化が抜き出ています)。この問題の場合はすでに経済があげてありますから、経済を省いた他の分野(政治以外の人間の組織・関係=村落・民族・言語)や文化もあげていいのです。なぜ諸子百家をあげないのか不思議です。実力本位ともかかわります。

p.32~33 例題9 2世紀末以降、統一に至るおよそ100年の歴史(魏晉)について、政治・社会・文化。  右のページ◆社会的側面の末尾に「西晋も占田・課田法を行なったが、これは統一後のことなので、本問では不要である」とありますが、さて? 西晋は265年にでき「280年に呉を滅ぼして、中国を再統一した」と赤字で書いてあります。実はこの年に占田・課田法をしきます。これはどうしたのか? 知らなかった? たぶん。

p.34~35 例題10 唐宋の支配層・官僚制・軍制・土地制度の転換。 
 転換も「変化」の言い換えにひとしい要求です。この場合は「前」にあたる唐が指定されていますから唐→宋の転換は書きやすいはずです。表もあり明快そうな転換のようです。ところが、解答例は混乱しています。
 官僚制について「三省六部など行政組織も律令に基づき整備され、官僚は試験による科挙で登用された。しかし実権を握ったのは門閥貴族……皇帝が自ら行う殿試を加え整備された科挙を通じて新興地主が登用され士大夫と呼ばれる支配層を形成した」と。つまり唐宋とも科挙によってえらばれるという登用法に「転換」はなく、支配層が貴族から士大夫に変った、と書いています。すると官僚制(制度)の転換はなく支配層について転換を書いただけになっています。官吏登用法についていえば、殿試が加わっただけの変化ではないでしょう。科挙のあり方のちがいをもっと明快に書くべきでした。「三省六部など行政組織も律令に基づき整備され」がなぜ書かなくてはならなかったのか問われていないことです。もしこれも官僚制に付随することとして書いたのなら宋の組織と律令に代る法は何かを書かなくてもいいのでしょうか? 書かないと整合性がありません。
 また土地制度については、初めのところで均田制を書いているのはいいとして、これはどう転換したのでしょうか? 3~4行目に書いてある「農民が没落し、彼らを佃戸とする新興地主の荘園が拡大する」と書いてありますが、これで転換になっているのでしょうか? 均田制から荘園? 荘園は魏晉南北朝の時代からあり、今更です(『詳説』の魏晉南北朝のところに「大きな荘園をもつ貴族」とあり)。むしろ均田制の原理である土地公有制が私有制に転換したことを書くべきところです。それに佃戸をつかう新興地主のいるところは中国全土ではなく、まだ江南に限られています。このあたりを多くの教科書は誇張していますが、正確に書いている教科書もあります。 「農業開発と人口集中が進んだ江南には地主制が広がった。彼らは貧困な小作人(佃戸)を使って農地を開き,新たな社会勢力となった。(山川の『新世界史』)」ここには「江南」という限定がついています。これが正しい。中国全土の説明として地主・佃戸制はまだ早いのです。明末からです。

p.42~43 例題14
 ウマイヤ朝とアッバース朝の統治方針や性格の相違点(指定語句はアラブ人ムスリム、ユダヤ教徒、キリスト教徒、マワーリー、ジズヤ、ハラージュ)。  指定語句にしばられた解説と解答がのっています。「内容メモ」のところがタテに線を引き、左右にわけて「相違」点が分かるようにメモすべきところを、たんに用語を羅列しています。こうしたメモの作り方は解答を瞹昧にする危険性をもっています。 
 「性格」とメモしながら、それらしい記述は「アラブ帝国からイスラム帝国」くらいしかありません。これで「性格(王朝の全体的特徴)」を表わしたことになる?  右頁の解答には、指定語句にあるジズヤ・ハラージュのことばかり書いて、それで「統治方針や性格の相違点」を書いたつもりでいます。1文目は啓典の民にジズヤ・ハラージュ、アラブ人に免税。2文目はアッバース朝で税がマワーリーとアラブ人で平等になった、としています。この解答にまちがいはありませんが、これで「統治方針や性格の相違点」を表わしたことになりますか?
 この解答がいかに薄いものかは教科書の記事を紹介すれば足りるでしょう。
 (『詳説世界史』)アッバース朝時代には、イラン人を中心とする新改宗者が要職につけられ、宰相の統率する官僚制度が発達し、行政の中央集権化がすすんだ。 
 (『詳解世界史』)ウマイヤ朝カリフの権力基盤はアラブ戦土団であったが、アッバース朝カリフ政権を支えたのは、イラン系のホラーサーン軍と官僚であった。また、9世紀ころまでにはイスラム法(シャリーア)の体系化も進み、国の行政はこのイスラム法にもとづいておこなわれるようになった。カリフ自身も、アラブ戦士団の長ではなくムスリムの長を自任した。このように、イスラムを統治の基本にすえたことから、アッバース朝は一般にイスラム帝国とよばれている。  
[この教科書の注]アッバース朝時代にはカリフ権自体の性格も変化し、それまでのような「神の使徒の代理」ではなく「神の代理」とみなされるようになり、カリフ権の神授的性格が強調された。

p.44~45 例題15 10~11世紀の西アジアにおける政治・社会・宗教の転換(京大、1993年)。
 このメモにしろ解説にしろ解答にしろ、よく分からないのは「社会」面です。この参考書のどこにも社会とは何かの定義はなく、この問題の解説(右頁)にも「政治面・社会面という問いかけをされると戸惑う人が多いかも知れないが、普段から政治面・社会面・経済面・文化面・宗教面などを意識して学習することを心がけよう」と呼びかけていますが、書いている本人が分かっているのか怪しい。解答の社会面を読むと怪しさがでてきます。
 社会面では、従来の俸給制が行き詰まったため、軍人に徴税権を与えるイクター制がブワイフ朝によって創始され、セルジューク朝時代に各地に普及した。この結果、イスラーム諸王朝では地方分権化が進んだ。 
 イクター制はイスラームの「封建制」ですから社会的な面はもっているのですが、この解答はほとんど政治的な説明になっています。俸給制・軍人・徴税権(権に注目)・地方分権化……これは政治の説明ととっても自然でしょう。軍事奉仕の代償として与えられたイクター制が政治的な面をもつのは当然です。軍人を徴税官(官僚)としてもつかう制度ですから。社会とは人間と人間の関係のことで政治以外のことを指しますから、ここではこのイクター制の下で隷属化した農民や農村に言及しないと社会面にならないのです。また経済上(社会面の一部)や民族の面(これも社会の一部)に大きな変化がこの時期にあるのになぜ書かないのか不思議です。イクター制しか浮かばなかった? たぶん。

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