世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

改訂版・詳説世界史論述問題集-2

第2部

p.107 例題5

 これも旧版(p.111)にあるもの同問・同解説・同答です。まちがいはないのですが、この程度の解答は学生もよく書くレベルのもので、東大の厳しい採点に半分も得点があるかどうか。「厳しい」とは合格した受験生の再現答案と開示得点との対比から見えてくる厳しさです。東大1989年第1問(B)です。

  明朝末期から清朝前期にかけての時期のイエズス会士への対応と、清朝末期の洋務運動とを例にとり中国がヨーロッパ文化を受容するにさいして示した態度の特徴を240字(元の問題は「8行」)以内で述べよ。

  これは世紀がちがい、入ってきたヨーロッパ文化もちがうもの、受容する中国側もちがう時代・課題があり、何を受容したかも、誰が受容したかもちがうのに、そこには「特色」=共通点がある、それを論証せよ、という課題です。ここには共通点を探させるという比較の思考が求められています。

 この参考書では、解答が、イエズス会士が主語になった1文目と、2文目は中国側を主語にして中国側の対応を書く、という別々の視点で書いてしまい、「特徴」を探るための比較の基本的な(同じ視点で比べる)姿勢ができていません。

 イエズス会士のもってきたものが何か、何を明清の誰が受容したかが不明です。19世紀のヨーロッパ文化はどういう類のものかも不明です。一応、受容したのは、前者は「科学技術」とし、後者は「学問・技術」としていますが、これでは受容した文化の内容がわかりません。解説文の中に「文化紹介や洋務運動の具体的内容を列挙しても得点にはならい」とありますが、変なアドバイスです。文化の全部を受容したのでなく中国側の取捨選択があったことを書かなくては課題に応えたことになりません。初めの文でも「孔子崇拝やその伝統儀礼を認める方針をとったため、中国側は抵抗なく文化を受容した」と書いていますが、この文化の中には、西欧文化すべてが入っているはずはありません。政治思想・哲学・科学・芸術・音楽を受容したとはいえません。もっと具体的・技術的な世界地図、時計、幾何、建築、遠近法、大砲(三藩の乱のときに効果大)、プランテーションの作り方(『農政全書』にあり)などです。こうした知識や技術の背後にある全体的な学術体系を無視している点に受容の特色があるのです。これは洋務運動のときも同じでした。

 また受容といっても王朝なり中国が全体として受容したのではありません。「態度の特徴」には誰が受容したかも言及していいはずです。

 偉そうなことを言っているので、わたしの解答例をあげておきます。これと山川の解答とを見比べてみてください。

(わたしの解答例)

イエズス会士からは中国にない世界地図・時計・天文・砲術などを学んだ。受容したのは一部の士大夫で、キリスト教を受容したものは稀であった。洋務運動は国内反乱鎮圧の力をつけるための軍事技術とそれを補完する工業を導入した。これを受容したのは一部の漢人官僚で政治思想と科学を学ぶ姿勢はなかった。皇帝専制・典礼・儒学を固守して西欧文化の背後にある大系を無視し、物質的技術的軍事的なものだけ受容するという共通点がある。ここには後進性の認識はなく、読書人は異文明にたいして抑制的・拒否的であった。

 

p.114-115 例題9

 1995問第2問の、ベンガルの歴史を120字で説明させる問題。これも旧版(p.114-115)と同文です。解答解説に間違いはないが、この中にカルカッタ大会というベンガル史に必要なことが書いてありません。200字で書いたみたという解説の中の解答にも120字の解答にもありません。

 

p.116-117 例題10

 これも旧版(p.116-117)にあります(1991年第1問)。解説のところと解答を変更したのは、西欧のところで、解説では、

(旧)16世紀以降の絶対主義により、一元化、中央集権化されたとすればいい。また南アジア……

(新)16世紀以降の主権国家体制により、一元化・中央集権化されたとすればよい。ただし地域世界の政治体制を問われているので、ヨーロッパは分裂が続いたことを述べなくてはならない。また南アジア……

 

解答では、

(旧)中央集権化が進んだ。

(新)中央集権化が進む形で諸王国が並立していた。

 

これはわたしが旧版の批判をしたのをそのまま反映したようです。以下。

 たんに中央集権化では答えになりません。「各国の中央集権化で分裂は固定した」とすべきでしょう。

  しかしこの変更は些細なことで、「「対比」をしたのかどうか文面から読みとることはできません。みな中央集権化したと言いたいのでしょうか。」という根本的・全体的な欠陥はそのまま放置しています。「対比しつつ」という課題なのに3地域を羅列して終わっています。これでは厳しい採点なら没です。いくら図が付いていても、たんに国名を配置しただけでは対比(違いを指摘する)にはなりません。思考しなくては違いは見えてきません。

 

p.120-121 例題12

 これもまったく同じページに同文・同答が載っています。1995年第1問です。

 学生にも見られる欠陥をたくさん持った解答です。解答がそうだということは解説の思考に欠陥があるということです。欠陥といっても、何も特別のことでなく問題を素直に読まなかった、という非です。

 この問題の要求しているのは、「どのような文明がおこり、また異なる文明の間でどのような交流と対立が生じたのか」ということです。

 このブログの過去問→東大→1995 に次のように指摘しています。これは今まで添削してきた受験生に見られる欠陥を表しています。

 (1)政治史になりやすいから気をつけるように。東大が要求するのは政治史でなく文化や経済の……

(2)「どのような文明がおこり」とある以上は、○○文明と明示し、かつ「どのような」ということは内容を問うているのですから、ローマ文明なら…… 

(3)「周辺地域」の文明も要求されていることに注意。周辺にイスラム文明を書いたら地中海以外の文明を書いたことになるのか? ……

 これらの注意を無視した欠点を3つとも内包した解答です。せいぜい解答になっているのは、10行目のイスラーム文明の内容だけです。10行目自体も指定語句を羅列したちっぽけな内容です。

 

p.122-123 例題13

 1996年の第1問です。これも旧版と同文です。

 パクス=ブリタニカの盛衰、という課題です。この解答も学生並です。とくに「盛」の部分。「盛」で書いてある地域は中国・インド・エジプトくらいで、これで「パクス=ブリタニカ(大英帝国の世界支配)」? 「衰」の部分も「盛」と同じように指定語句を説明したら済む、という安易なものです。

 

p.128-129 例題16

 これは2005年の問題であるため旧版にはなく新たに載せたものです。POINTのところで、大戦中の動きと戦後の冷戦構造との結び付つきをきちんと書く……と書きながら、それができていない、ということは自分でできないことを受験生にむかって言っていることになります。

 この解答の中で大戦中の「動き」、いや東大の本文は「動き」ではなく、「出来事」と事件性を示す用語を使って要求していますが、解答に「出来事」はどれくらい書いてあるのでしょうか? 戦争中の出来事らしいものをピックアップしてみます。

 1 大西洋憲章によって示された連合国の戦後構想
2 国民党中心の政府を連合国は承認していたが、大戦中から国民党と共産党は対立
3 大戦中からアジア諸地域で独立運動が激化した
4 アウシュヴィッツでの大量虐殺

  と。これだけです。それにここに書いてある中で出来事といえるものは4くらいしかありません。1-3はどれも具体性がなく「出来事」と言えるものではありません。指定語句にある大西洋憲章とアウシュヴィッツだけが何とか得点になりそうですが、後は没です。こういう答案を受験生が提出したら、書き直しをわたしは命じます。解答の戦後史は戦争直後の出来事を元にして書いています。戦中→戦後、という構成ができていません。問題が分からなかった、という他ありません。3の「大戦中からアジア諸地域で独立運動が激化した」ってどこにそんな史実があるのでしょうか? 侵略に対する抵抗はあっても、それは独立運動だったでしょうか? フィリピンのフクバラハップ(フク団)のゲリラ、ヴェトミン……これらはアメリカ・フランスの植民地でした。朝鮮抗日ゲリラ、八路軍の抗日攪乱などは独立運動? インドの民族運動家は軒並み逮捕されて牢獄にいましたからインドは静かでした。アジアってどこだ? どこが「激化」したのか? 戦後と間違えているのではないか? 

 ドイツも朝鮮も「分割占領」という終戦直後の出来事を元にして独立・分断を書いています。この問題は戦後史で戦後史(冷戦)を書いてはいけないのです。細かいことをいえば、ドイツの戦争は1945年5月で終わり、7月に分割占領が決まります。朝鮮は日本降伏の8月15日直後の26日にソ連が平壌に入り、米軍は9月7日に上陸してきました。

 

p130-131 例題17

 これも2006年の問題なので旧版にありません。三つの戦争(三十年戦争・フランス革命戦争・第一次世界大戦)の助長・抑制について書く問題です。解答全体としては間違いはないものの、どれが助長なのか抑制なのか分からない部分もあります。

 1行目の、

 三十年戦争は、神聖ローマ帝国内の宗教対立からはじまったが、

  という文章は助長を言っているつもりなのでしょうか? 「始まった」というのは原因表現であり、それが起きるまでの助長の説明ではありません。

  5-8行目の、

 しかし、王朝間の戦争は続き、民主化が戦争を抑制する方法とされた。だが18世紀末のフランス革命戦争では、革命を守るためナショナリズムに訴え、徴兵制が施行されてむしろ戦争は激化した。

  この初めの文章「しかし、王朝間の戦争は続き」はウェストファリア条約の後をを受けての文章ですが、これは抑制にはならなかったと言いたいのでしょうか? 抑制の限界はこの問題の場合なぜ言わなくてはならないのか不明です。

 またつづく文章「民主化が戦争を抑制する方法とされた」は主語が書いてない意味不明の「された」です。いったい誰が「された」のか? 解説文では、「「民主化されれば戦争はなくなるのではないか」という見解もあった。」と誰の発言かもわからないような見解を解答では「された」と断言しています。それにこれは助長と言いたいのか抑制と言いたいのか不明です。

 さらに「だが18世紀末のフランス革命戦争では、革命を守るためナショナリズムに訴え」とあり、もう革命戦争が始まってからの説明になっています。何が助長だったのか?

 受験生が学ぶ参考書は曖昧さではなく明晰さが求められます。失格ですね。

 

p.139-140 例題22

 これも2007年の問題なので新版だけです。「11世紀から19世紀までに生じた農業生産の変化とその意義」という問題です。「変化」プラス「意義」をシッカリ書けるか、どれが変化か、意義かと問いながら読んでみると欠陥が見えてきます。

 第1文は無意味な解答です。これは変化でも意義でもありません。「11世紀までの世界では・(読点「、」のはず、原文のまま)中国・インド・メソポタミア・エジプトが高い農業生産力をもち、豊かであった」というのは古代文明の話しで、いきなり11世紀に行く? だいたいメソポタミアの「肥沃な三日月地帯」という表現される時代は終わっており、前6世紀から7世紀までと9-10世紀には荒廃しています。一時的に8世紀のアッバース朝のときには灌漑工事に努めて肥沃さが回復しましたが。古代からずっと肥沃さがつづいているかのように、次文は「特に中国では……」とあります。

 2文目の耕地拡大を受けて、3文目に「このような生産力の向上は」と書いているので、ずっと生産力拡大ということを言いたがっていることが分かります。とすると11-16世紀を一緒くたにして意義らしい「商品作物の栽培やさらなる分業をうみ、茶や陶器などの生産が進んで、優れた手工業製品が作られた」となります。すると11世紀だけの技術の意義はないのか? 干拓や「湖広」のもつ「変化」は何かも書いてありません。またここには「明代」と不用意なことばをつかっていますが、明代約300年間ぜんぶが変化ではありません。16-17世紀の「明末(清初)」です。

 4文目から西欧に入り、「鉄製農具と三圃制の普及で農業生産が高まったが、飢饉が頻発し、今だ豊かでなかった」とし、この「鉄製農具と三圃制」がどういう変化なのかが不明であり(鉄製農具や三圃制の前は何か)、「飢饉が頻発し、今だ豊かでなかった」とあれば意義はないようです。

 教科書には、こう書いてあります。以下。

農業技術の進歩により農業生産は増大し、人口も飛躍的にふえた。それにともない西ヨーロッパ世界は、しだいに内外に向けて拡大しはじめた。修道院を中心にした開墾運動、オランダの干拓、エルベ川以東への東方植民、イベリア半島の国土回復運動、巡礼の流行などがそれである。なかでも大規模な西ヨーロッパの拡大が、十字軍であった。(『詳説世界史』) 

 この参考書の題名は「詳説世界史論述問題集」となっていますが、『詳説世界史』は勉強していないようです。題名は変えた方がいい。

 後半は産業革命を主にして農業は消えかかっています。なにを勘違いしたのか、世界的な視野で書かなきゃと、がんばったようですが、農業を書くのが課題であることを忘れたようです。それは「アジア・アフリカに特定農産物の生産を押しつけ」という文章に表れています。特定農産物を書く必要はありません。この問題の課題は導入文にあるように「基礎食糧」すなわち穀物です。 

 全体として得点ポイントの少ない解答です。それはこの解答文で同じような言葉が頻発することでも示されています。農業生産力、生産力向上、農業生産が高まった、生産力を上げた、生産率向上、農業の生産力向上……解答に具体性が欠けていていることを表しています。

 解説の初めのほうに「東大が「よいところを見つけて点を与える」加点法を採用している可能性が高い、さらに解答例も複数のパターンがあると考えてよいとわかってきた」と愚鈍なことが書いてあります。採点基準の厳しさを知らず、複数などど、受験生の多様な解答を知らないことを告白しています。

 

p.141-142 練習問題5 →p.71-73 解答解説

 この問題の題として「ヨーロッパ知識人たちの中国観」としていますが間違いです。中国観は引用文に表れていることで課題は「啓蒙思想の歴史的意義」です。2000年の問題で旧版にはありません。

 この題名の間違いがそのまま解説・解答に表れています。副問は「18世紀の時代背景、とりわけフランスと中国の状況にふれながら」、主問は「彼らの思想のもつ歴史的意義について」です。雄弁に中国観を語っている史料に圧倒されて、主問の思想の意義が書けなくなる、という点は学生と同じ間違いを犯しています。問題文を素直にとれないことは、解答を作成する前の最大の障害です。素直にとらえることができたら最初の関門通過です。この解答・解説はそれができていません。史料について「まとめろ」とも「言及しつつ」とも要求されていません。史料の直後に「これらの知識人がこのような議論をするに至った」と課題を出す前に述べているように思想家の言説はあくまで前提です。課題そのものではありません。それなのに解答に、「ヴォルテールは……。またレナールは……。またモンテスキュー……」と要らないことをずらずら書いています。

 主問である「意義」に当たるのは「フランス革命に大きく寄与」だけで、後は意義ではない限界として、オリエンタリズムのような偏見に満ちた中国観を生む温床となった、と無駄なことを書いています。

 

p.142 練習問題8 →p.75-77 解答解説

 2008年のこの問題は(東京大 改)となっていますが、「解答欄(イ)に18行以内」を「540字以内」としているだけで問題そのものを1字たりとも変えていません。こういうのを(改)とするのは解せません。

 課題は「1850年ころから70年代までの間に、日本をふくむ諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ、また対抗したのかについて」です。「組み込み」と「対抗」を書くことです。組み込みとはイギリスの政治的経済的支配の歯車・駒になることです。とくに経済的支配の一環・部分・片割れになったことを示す必要があります。その上で「対抗」です。この二つのことがどう書いてあるか検討すればいいのです。

 「インドでは、イギリスの植民地化に対して」と、これで「組み込み」を表したことになる? 指定語句の「インド大反乱」は使わざるを得ませんから「対抗」にはなっていますが、さて「対抗」はこれだけ? 『詳説世界史』に書いてあることを書けばいいのに……。

 中国について「その典型例が清に対するアロー戦争であり、その勝利後に設置させた総理衙門である」と。ここのどこに中国が「組み込まれ」、「対抗」したと書いているのか? 

 日本は流しているだけでどう「組み込まれ」、「対抗」したか分からない文章です。

 トルコは「イギリスは、オスマン帝国に対するロシアの南下をクリミア戦争で防止した。オスマン帝国は自ら近代化して自国を強化する試みを行ったが、ミドハト憲法の施行が停止されるなど成功しなかった」と。どう「組み込まれ」が分からず、「対抗」は「自ら近代化して……成功しなかった」で、指定語句の憲法だけができてます。

 つづけて「イギリスの経済的な優位とその影響は欧米にも及んだ」と書き、その例として、米国の南北戦争やドイツの国民国家建設・工業化で「追いつくことを目指した」と書いています。いったい米独はどうイギリスに「組み込まれ」たのでしょうか? 「対抗」も組み込みがあってのことで、たんにイギリス経済を追いこすことが「対抗」だというなら、安易なことばの使い方です。南北戦争もドイツの統一戦争も皆イギリスに対抗してやったのだ……、というのは粗雑すぎる議論です。

 

p.143 練習問題11 →p.80-81 解答解説

 これは旧版にもあります(p.138 練習問題6)。旧版もそうでしたが、問題文を一部変えているのに「改」の文字がありません。1997年の問題は「とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら」であったのに「とくにそれぞれの帝国の解体状況に注意しながら」と変更しています。こうなると問題そのものが違うものになってしまいます。「相違に留意」という比較の問題が「状況に注意」では流れの問題に変形します。だいたい、この問い方の文章の前に状況について言っているのに、また状況ということばを使うことはありえないことです。

  こうした旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について、とくにそれぞれの帝国の諸解体状況に注意しながら、

  という変更した文章は変ではありませんか? 同じことを繰り返すのなら「とくに」以降はなくてもいいのです。「相違」を留意するのが難しいので避けたのでしょうが、それでは棘を切り取ったバラになります。棘があって東大らしい問題なのに。

 それでいて巻末の解説のPOINTには、解体過程の相違は、革命による崩壊と第一次世界大戦による崩壊に分けられる、と書いています。じゃ、問題文はもとのままでいいいのに。解答はこの相違が明快には述べておらず、革命と戦争という経過だけが書いてあります。羅列です。「とくに相違に留意しながら」書いた答案とはおもえません。

 

p.144 練習問題13 →p.81-82

 これも旧版にある(p.138→解説解答p73-74)、1998年の問題。問題文には「15行以内」とあるのに解答は465字にしています。15字オーバーでも良いのでしょうか? 旧版では1字1句変わらないのに、447字としています。じっさいは両方とも間違いで、467字です。字数オーバーは変わらない。減点されます。

 この問題は、「18世紀から19世紀末までのアメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国の歴史について、その対照的な性格に留意しつつ、ヨーロッパ諸国との関係や、合衆国とラテンアメリカ諸国との相互関係のあり方の変化を中心に」です。素直に問題を読めば、18-19世紀の200年間の歴史であること、合衆国とラテンアメリカ双方の歴史を「対照的な性格に留意しつつ」書くこと、つまり違いを書くということで、それをヨーロッパと相互の関係も含めて、と課題は多いです。

 解答は、ラテンアメリカ史は19世紀の独立運動から始めていて、18世紀のラテンアメリカ史はどこにもないこと、また「対照的な性格」がどこにあるのか不明です。対照的な面がないのではない。こうです。

 (ラテンアメリカは)工業化が進まなかった。このため、自由貿易主義をかかげた英の工業製品が流入して植民地型輸出経済が促進され,かえって経済的従属が深まった……合衆国は……飛躍的な工業発展を遂げ……ラテンアメリカ諸国に対する主導権を握り

と対照的に書いているようで、実はこれはすでに導入文に書いてあることです。導入文はこうなってます、

 アメリカ合衆国の場合には、急速な工業化を実現していったのに対して、ラテンアメリカ諸国の場合には、長く原材料の輸出国の地位にとどまってきた。そしてラテンアメリカ諸国は、政治的にも経済的にもアメリカ合衆国の強い影響下におかれることになった

  導入文にすでに書いてある同じことを言い換えるだけで、それで対照的だというのはいかがなものでしょう? それに対照的な性格はこれ以外書いてありません。なんとも貧しい解答です。

 

p.144 練習問題15 →p.85-86

 これも旧版(p.140-141、解説解答はp.75-77)とほとんど同文・同答が載っています。1992年の問題は「……この三組の地図に示された変化の特色に注目して、主権国家体制がそれぞれの段階でいかなる新しい展開を示したかを、20行以内で論ぜよ。」というもの。

 解答の主流は、図1は合衆国・ラテンアメリカのヨーロッパ系白人中心の国家→図2はヨーロッパ民族自決の風潮、国家は民族に基づいて構成されるべき→図3はアジアなどの一民族の主権国家が成立……ということです。

  これについて、すでに旧版でコメントしています。こうです。

 なにもまちがいではありませんが、この程度のことをいうためにこの問題はあるのか? と疑問に思われます。末尾の「さらに」以降は問題から離れた無駄な文で、それよりもっと6枚の地図にせまって「特色」がまだないか考えたらよかった。

  この問題文にある注意すべき言葉は、「三つの世界的変動……時期の変化……地図に示された変化の特色……新しい展開」とあるように、「変化」を書かなくてはならないことです。「前→後」という構成でなくては変化にならないことです。そうしないと「新しい」特色は表せません。地図を6枚も掲示して、それも左右に置いて、左右が前後を示すように親切に並べてあります。それなのに、解答では白人(人種)→ヨーロッパ(地域)→アジア等(地域)という、ほぼ広がりだけの変化しか示していません。6枚の地図が示している3組それぞれの前→後をまず書いて、たとえば「前」支配者→「後」支配者、民族、思想、実現方法、戦闘期間という風に比べるとよかった。これは拙著『(旧版)世界史論述練習帳』p.145に構想メモとして提示しています。その上で前の地図にないどういう新しい事態が起きているのか比べて探します。

 主権国家とはこういうもんだ、お前ら知らんだろ、こういう風に展開したのだよ、といかにも教師風を吹かして書いた解説ですが、内容の乏しい解答を書く結果に終わりました。それに解説の初めに、

  この問題を読んでまず戸惑うのは、「主権国家体制」なる言葉である。「主権」とか「国家」とかであれば聞いたことがあっても、「主権国家体制」という用語が明確に説明されていない。

  と無知なことを書いています。反宗教改革の後に教科書では「主権国家体制の形成」という章題で説明してあり、この言葉は『詳説世界史』では5回も使ってあります。『詳説世界史』を知らないでこの参考書を書いた可能性があります。

 

 これで東大の問題だけで一応、批評は完了にします。参考書の批評をしたのですが、これは学生・受験生も同じ過ちを犯すから書いていることで、たんなる参考書批判ではない。わたしが添削している受験生の多くの答案に見られる欠陥をこの参考書も持っています。受験生も同じですよ、ということです。問答ができないこと、つまり問いがまともに読めず、解答内容のレベルの低さ、論理性のなさ。受験生とこの参考書の著者たちに勧めたいのは何より教科書『詳説世界史』を勉強しましょう、ということです。

 この本の帯には「受験対応型論述問題集の決定版」とある。これが決定版とはお寒い状況です。

  わたしの一人よがりの愚説もあるでしょう。疑問・反論はコメント欄にどうぞ。 

 他者の批判ばかりで自分の解答を出してないではないか、という方に、わたしの解答は出しています。→こちら