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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史2017

-東京大学 過去問

第1問
 「帝国」は、今日において現代世界を分析する言葉として用いられることがある。「古代帝国」はその原型として着目され、各地に成立した「帝国」の類似点をもとに、古代社会の法則的な発展がしばしば議論されてきた。しかしながら、それぞれの地域社会がたどった歴史的展開はひとつの法則の枠組みに収まらず、「帝国」統治者の呼び名が登場する経緯にも大きな違いがある。
 以上のことを踏まえて、前2世紀以後のローマ、および春秋時代以後の黄河・長江流域について、「古代帝国」が成立するまでのこれらニ地域の社会変化を論じなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。(太字は中谷の強調)
  漢字 私兵 諸侯 宗法
  属州 第一人者 同盟市戦争 邑

第2問
 世界史に登場する国や社会のなかで、少数者集団はそれぞれに、多数者の営む主流文化との緊張のうちに独自の発展をとげてきた。各時代・地域における「少数者」に関する以下の3つの設問に答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(3)の番号を付して記しなさい。

問(1) ポーランド人の国家は14世紀後半から15世紀に隆盛したが、18世紀後半に至ってロシア、オーストリア、プロイセンによって分割された。ポーランド人はそれぞれの大国のなかで少数者となり、第一次世界大戦を経てようやく独立した。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) ポーランド人の国家が隆盛した時期の状況と、その後衰退した背景について、3行以内で説明しなさい。
 (b) プロイセンの主導でドイツ人の統一国家が成立した際、ポーランド人以外にも有力な少数者集団が、国内の南部を中心に存在した。それはどのような人々であり、当時いかなる政策が彼らに対してとられたか、2行以内で説明しなさい。

問(2) 史上たびたび、アジアには広域支配を行う国家が登場し、民族的に多様な人々を治めるのに工夫をこらした。また、近代に入ると、国民国家の考え方が、多数派を占める民族と少数派の民族との関係にも大きな影響をもたらした。これらは、今日に至るまで民族の統合や衝突の背景となっている。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) 清朝は、藩部を掌握するために、どのような政策をとっていたのか、2行以内で説明しなさい。
 (b) 1965年に独立国家シンガポールが成立した。その経緯について、シンガポールの多数派住民がどのような人々だったかについて触れながら、2行以内で説明しなさい。

問(3) 北アメリカ大陸各地でも、ヨーロッパ入植民以来の発展のなかで様々な少数者集団が生まれた。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) カナダの国土面積の約15パーセントを占めるケベック州では、今日なお半数以上の住民が英語以外のある言語を母語としている。このような状況が生まれる前提となった、17世紀から18世紀にかけての経緯を2行以内で記しなさい。
 (b) アメリカ合衆国では、南北戦争を経て奴隷制が廃止されたが、その後も南部諸州ではアフリカ系住民に対する差別的な待遇が続いた。その内容を1行でまとめ、その是正を求める運動の成果として制定された法律の名称と、そのときの大統領の名前を記しなさい。解答はそれぞれ行を改めて記しなさい。

第3問
 人類の歴史は戦争の歴史であったといっても過言ではない。古代から現代に至るまで世界各地で紛争や戦争が絶えなかった。戦争に関連する以下の設問(1)〜(10)に答えなさい。解答は解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(10)の番号を付して記しなさい。

問(1) パルティアの領土を引き継いだササン朝は、西方ではローマ帝国としばしば戦火を交えた。260年のエデッサの戦いでは、ローマ軍を打ち破ってウァレリアヌスを捕虜とした。このときのササン朝の君主の名前を記しなさい。

問(2) 北部を除くイベリア半島全体を支配下におさめたイスラーム勢力は、ピレネ一山脈を越えて南西フランスに侵攻したが、732年、トウール・ポワティエ間の戦いでフランク王国の騎馬軍に敗北した。このときのイスラーム勢力およびフランク王国のそれぞれの王朝名を記しなさい。

問(3) 三十年戦争は、ハプスブルク家によるカトリック信仰の強制に対して、ベーメン(ボヘミア)の新教徒が反抗したことから始まった。バルト海に影響力をもっていたある新教国は、当初は参戦していなかったが、皇帝軍の北進に脅威を抱いて途中から参戦した。この新教国の当時の国王の名前を記しなさい。

問(4) ナポレオンは、1798年、イギリスのアジアへの通商路を遮断するためエジプトに遠征し、在地のマムルークをカイロから追放し、さらにエジプトの奥地やシリアにも転戦した。その後、フランス軍は1805年にイギリス艦隊に大敗した。ジプラルタル付近で起こったこの戦いの名称を記しなさい。

問(5) 清では、1860年代から、西洋の軍事技術などを導入して富国強兵をめざす政策が推進され、兵器工場なども建てられた。この政策において、曾国藩、左宗裳とともに中心的役割を果たした人物の名前を記しなさい。

問(6) 19世紀後半、南下政策を進めるロシアは、オスマン帝国からの独立をめざすバルカン地域を支援し、オスマン帝国と戦い、勝利した。このとき、締結された条約によって、ロシアはひとたびはバルカン地域での勢力を大幅に強めた。この条約の名称を記しなさい。

問(7) 19世紀末のスーダンでは、アフリカ縦断政策を進めるイギリスと、アフリカ横断政策を進めるフランスが対立し、軍事衝突の危機が生じたが、フランスの譲歩により衝突は回避された。この事件の名称を記しなさい。

問(8) インドシナでは、1941年に共産党を中心として、統一戦線が結成された。この組織は、植民地からの独立をめざして日本やフランスと戦った。この組織の名称を記しなさい。

問(9) 1963年に3か国の間で調印された部分的核実験禁止条約(PTBT)は、地下実験を除く核兵器実験を禁じている。この3か国の名称を記しなさい。

問(10) 17世紀の前半に活躍したある法学者は、戦争の悲惨さに衝撃をうけて『戦争と平和の法』と題した書物を著し、軍人や為政者を規制する正義の法を説いた。この法学者の名前を記しなさい。