世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

疑問教室・西欧近代史〔仏以外〕

西欧近代史〔仏以外〕の疑問

Q1 なぜ産業革命自体はイギリスばかりで他の国はあまりとりあげていないのですか?

1A 産業革命の諸条件(資本、労働力、市場、原料、資源など)が一番早くととのった先駆であるためです。イギリスを説明しておけば、他の国も同じような条件がそろわないと革命がおきないからです。もちろん国ごとに微妙にちがいはあります。先の条件があったり無かったり、不十分だったりするからです。


Q2 なぜ一番初めにイギリスが産業革命に成功したのですか?詳しくおしえて欲しいです。

2A そのことは教科書に必ず書いてあります。下に書くことは補足にすぎません。
 (1)イギリスはどこよりも早く農奴解放を実現した国であること(13〜14世紀)。農奴解放によって土地から自由に出ていってもいい農民が成立しました。ほとんどの国も時代も人間は農民であり、土地ととともに生きてきました。ところがイギリスでは土地から離れてもいい状況が生まれたのです。それを加速したものに囲い込み(エンクロージャー)があります(15〜16世紀)。浮浪者・乞食になったものもいましたが、マニュファクチュア(工場制手工業)の賃金労働者になったものもいます。まだ手工業段階で機械工業ではありませんが、この賃金労働者という存在が新しい農民の変貌した姿なのです。
 (2)17世紀の市民革命(清教徒革命と名誉革命)により封建的土地所有の廃止、ギルド制廃止による営業の自由、国内市場の統一など法的規制を排除して自由に流通する経済社会をつくりあげたことも一因です。
 (3)18世紀の植民地戦争の勝利による原料供給地(原料は植民地で安く入手可能)や市場の獲得は教科書にも書いてあります。書いてないことを追加すれば、リヴァプール港市を中心に奴隷貿易による利益がたんまり蓄えられ、資本(投資するお金)の蓄積になったこともあげられます。
 (4)また産業革命は綿織物でする新興産業であり、中世以来のギルド規制がないこと、綿織物が大衆消費財であり大量生産に向いていることもあげられます。
 (5)ここまではイギリス独自の優越性ですが、これからは逆にイギリス自身によるのでなく、外からの影響で実は産業革命をおこさざるをえなかったという面を指摘します。東インド会社がインドから輸入したキャリコ calico の刺激が大きかったことです。この手織りの綿布は、イギリスが毛織物工業で栄えているところ入ってきたので、脅威になりました。綿布は肌ざわりがよく、染めると毛織物よりずっときれいに染ったからです。あまりに売れるので、毛織物業者が困り、議会に働きかけて、キャリコ輸入禁止法という法律をつくってもらいました(1700年)。それでも売れるのでキャリコ使用禁止法もつくってもらいました(1713年)。それでもよく売れました。また植民地でも西インド・アフリカでも需要がありました。とするとイギリスの毛織物業者も決心して、じゃわしらも、綿織物をつくろう、とインドの物まねを始めたのです。この物まねを産業革命といいます。
 (6)また羊毛より機械にかけやすい、という綿織物の独自の特性もありました。


Q3 ナポレオン=ボナパルトのエジプト遠征で第一回対仏大同盟がイギリス、オーストリア、ロシアにより作られたと書いてあって…何でロシアがこの同盟に参加するのか、理由がわからないんです。

3A ナポレオンの遠征は革命を輸出するものだったからです。征服地にフランス革命の成果(君主政の廃止・憲法・議会・人権)を伝えるものですから、各国の君主は反仏の立場をとったのです。それとナポレオンを倒せるのは大国の軍隊でしかできないからです。


Q4 1815年、四国同盟を結んで、のち、イギリス外相カニングの時に四国同盟から離脱してるんですけど、ナゼですか? 領土の対立とかあったんですか?

4A 四国同盟でも五国同盟になってもイギリスと他の国々との対立はよくおきていました。中南米植民地の独立(1809〜25)、ギリシア独立戦争(1821〜29)をめぐってです。1820年からのスペインでの革命運動でも対立したのですが、イギリスの反対を無視してフランスが派兵してつぶしたことに抗議して離脱しています(1822)。この後も、フランスで七月革命(1830)、ムハンマド・アリーの反乱(1831)でも対立しています。


Q5 フィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」と講演した時は、ドイツという国は存在しないのに、何故「プロイセン」でなく「ドイツ」という言葉を使っているのですか?

5A 「ドイツ」というのはもともとドイツ語を話すひとびとを指し、そこから話すひとびとの地域も指していきます。8世紀ころから使われていました。国はなくても「ドイツ」という民族・地域表現はあったのです。東フランク王国がほぼ、その地域に該当します。この東フランク王国は、カール大帝がつくりあげたフランク王国の東部で、9世紀(メルセン条約、870年)に国境が確定します。フランク王国の西部は古代ローマの属州となっていましたが、東部はライン川(ローマ帝国国境線)の東にあったためローマ文化の影響を受けていません。ゲルマン人の言語や文化が保たれた地域だったわけです。具体的には北部からザクセン族、フランケン族、バイエルン族、シュヴァーベン族などのゲルマン諸部族が住んでいたドイツ語地域です。11世紀ころから「ドイツ王国」という名称も使われ、事実上「神聖ローマ帝国」の別名として使われます。したがってドイツ語民族はすでに存在していて統一国家だけがない、という状況、しかもフランス軍に占領されているという屈辱の中での演説は、あるべきと考えている「ドイツ国民」にむかって話していることになります。


Q6 ナポレオン戦争・大陸封鎖令は産業革命期のイギリスになんらかの影響を及ぼさなかったのですか?

6A もちろんあります。(1)産業革命のために都市に人口が流入し、自然増の人口増大もあり、食糧需要が高まっています。そこにフランス革命・ナポレオン戦争のためにヨーロッパから穀物が輸入できない状態になり、穀物価格はどんどん値上がりしています。穀物をつくれば「大儲けできる !」という情勢だから囲い込み(第二次エンクロージャー)が行なわれます。 (2)革命の波及をおそれて、1795年に50人以上の集会の禁止令、1799年に労働者の団結やストを禁止する結社禁止法(団結禁止法)が制定されます。1801年には人身保護法も戦争中は停止されています。 (3)経済一般は戦争ですから、どこでもいつでも見られる現象があります。インフレ、戦費のための新課税、貿易減少、国債の膨張など。しかしもうけた分野もあります。穀物生産の農場だけでなく、武器・軍艦製造の製鉄関連産業です。軍服をつくる繊維業ももうけました。これらの軍需産業のより早く大量に製造したいという要請が、蒸気機関の生産を促しました。米英戦争(1812〜14年)は一時的に米国産の原綿輸入を滞らせましたが、全体としては産業革命刺激剤だったわけです。


Q7 なぜ穀物法が地主を保護し、撤廃により資本家が利益を得るのですか?

7A 穀物法は輸入する穀物に高い関税をかける法です。ナポレオン戦争のときと同じ高価格を平和になってもかけて、戦争中と同様に利益を維持したいのが地主です。しかし高価格の穀物法は労働者への食糧への圧迫となり、かれらを雇っている資本家にたいして賃金が安い、パンが買えないと労働者から攻撃されます。それで穀物法がなくなれば、資本家側は払う賃金を安く抑えることができるのです。


Q8 1827年にギリシア独立に際して、フランスが援助した理由がわかりません。英・ロシアはわかるのですが……。

8A はじめはロシアの干渉が見られ、これを警戒するイギリスが加わり、イギリスがフランスに働きかけて干渉するという順です。この順が、ギリシア支援といいながら、他の国がこれを利用してバルカン半島にのさばってもらいたくない、という意図をフランスは隠しています(1999年春のコソボ紛争ときはロシアが利用してNATOの後で介入してきました)。フランスにとってもナポレオン以来アフリカ征服計画があり、当時のエジプト太守ムハンマド=アリーの軍を育てたのはフランスでした。やはりロシアの南下はフランスにとっても嫌なことだったのです。それに国内にはブルボン朝が復活しながらも自由主義のたかまりがありました。「ギリシアに自由を」という声を政府とて抑えることができません。もうすぐそこに1830年の七月革命が待っています。


Q9 ティルジット条約やヴェルサイユ条約にダンツィヒ市を「自由市」とする、という教科書や参考書に書いてあるこの「自由市」とは一体どういうものを指しているのですか?

9A 独立した都市国家という意味です。どこにも属さない都市だけで政治的権利を行使できる国家です。周辺の強力な国家によってかんたんにつぶされてしまう運命でしたが。


Q10 「インターナショナル」ってものがよく分かりません。労働関係なんですか? 共産主義なんですか?

10A 労働運動の国際的組織をいう意味です。その中身は時期によっていろいろです。歴史的にみて代表的なものとしては、種々の社会主義者が集まった第一インターナショナル(日本語訳としては国際労働者協会)と第二インターナショナル(国際社会主義者大会)の二つ。そして社会主義の中から共産主義者が離れてつくった第三インターナショナル(共産主義インターナショナル、別名コミンテルン)などがあります。1989年の東欧市民革命や1991年ソ連邦解体によって、事実上、国際的な共産主義の運動は崩壊したといっていいでしょう。社会主義の国際的な組織はまだあります。


Q11 「ドイツ」と一言に言うと、19世紀後半に統一された「ドイツ帝国(第二帝国)」のことを指すと思いますが、「第二帝国」より以前のドイツ領土には一体どのような国々があったのですか。たしか、300前後の国が合併などを経てナポレオンの時代には「ライン同盟」なるものが発足したと思うのですが、できれば「ライン同盟」の国々を教えてください。

11A ライン同盟の国々は最終的には39邦になりますが、同盟の主な構成は、バイエルン・ヴュルテンベルク・バーデン・ヘッセン・メックレンブルク・ナッサウ・ベルグなど西・南ドイツの16邦です。このとき同盟成立とともに諸邦はドイツ帝国(神聖ローマ帝国)から離脱し、その結果、帝国は皇帝フランツ2世の解体宣言で名実ともに消滅しました。のちに西北のザクセン・ヴェストファーレン王国などが加わります。オーストリアとプロイセン以外の全ドイツ諸邦が加わり、39邦となりました。


Q12 1976年の東大の問題に関してひとつ質問があるのですが、鉄道が電化したのはいつ頃なのでしょうか?実は解答するときは勘で19世紀後半と書きました。

12A 勘が当たっています。1879年、ドイツのE・W・ジーメンスが初めてベルリンで実用車の試験に成功し、日本では1912年(明治45)、信越本線横川=軽井沢間の碓氷(うすい)峠アプト式歯車軌条区間が電化されたとのことです。


Q13 何の益があって国外投資(資本輸出)なんてするのですか? 資本の輸出だから、儲けゼロでは…?

13A いいえ。欧米のような高い人件費を払わなくても生産してくれる労働者がおり、安い原料や土地があります。これを利用すれば、欧米ですべて調達するより利益は大きいのです。安いところでつくって高いところ(欧米市場)に売るのは利益を産みだす基本です。これは植民地をつくる目的でもあります。


Q14 グラッドストンの小英国主義はどのような考えに基づいて生まれたのですか?

14A 小英国主義は、保守党が好戦的な帝国主義政策を批判する主張です。アイルランド、エジプトなどイギリス帝国各地の紛争に対して人命と費用の重さに苦しんでいたためです。グラッドストンはギリシア古典の研究家でもあり、自由・節約・平和を大事にする性格のひとでした。


Q15 「世界システム」ってなんですか?

15A 山川の『世界の歴史』に結構説明した記事がありました。
〔解説1 近代世界システム〕
 大航海時代以来、西ヨーロッパを中心に発展した経済体制を、われわれは資本主義とよんでいる。資本主義の発展は、重商主義の例が示すように、まずもって国民経済という単位で進行したが、世界史的な立場からもっと大局的にながめるならば、それが根本的にはヨーロッパ世界経済であったことに気づくであろう。この世界経済の基本性格は、できるだけ大きな利潤の実現をめざす市場むけ生産のために成立した世界的な分業体制と規定される。
 ヨーロッパ世界経済は、近代以前の世界システムが、中国やローマなどにみられるような世界帝国のかたちをとったのに対し、政治的な統合を欠く世界的な分業体制という意味で、つまりなによりも経済的な一体性に重点をおいて、「近代世界システム」とよばれる。このシステムはいっきょに成立したものではなく、大航海時代における西ヨーロッパの世界進出とともにはじまり、西欧内部での覇権の交代をともないつつ、現代にいたるまで拡大してきた。その際、世界経済は中核・半周縁および周縁という、三つの構成要素からなっていることに注意しなければならない。まず16世紀のヨーロッパ世界経済では、西欧諸国が中核となり、かつての最先進地域であった地中海地域は半周縁となる。そして、東欧と新大陸はこの世界経済の周縁を形成した。中核地域では、主要な産業であった農業についていえば、資本家的地主に雇用される自由な賃労働が、半周縁では分益小作制が、周縁では奴隷制(アメリカ)や農奴制の遅咲きともよべる強制労働(東北ドイツや東欧)が、労働管理の形態となる。
 以上のような見方は、いささか奇抜にみえるかもしれない。しかし17世紀以降ロシア・トルコ・アジア・アフリカがしだいに近代世界システムにとりこまれ、「第三世界」における低開発が深刻な問題になっている現在、これは世界史のみなおしに有力な手がかりをあたえてくれるであろう。
 また帝国書院の教科書『世界史B』には以下の記事があります。
 キーワード「覇権国家」  近代世界システムでは、中核諸国のうち、圧倒的な経済力をもつ一国が、他の中核諸国との競争に勝ち、覇権(ヘゲモニー)を確立した国家をいう。17世紀中ごろのオランダ、19世紀のイギリス、20世紀後半のアメリカ合衆国の三国がその代表で、いずれも、経済的優位を背景に自由貿易を主張した。
 この世界システム論はウォーラースティンというひとが唱えてはやったものですが、内容はヨーロッパ中心に世界経済がまわったということを言いたいもので、ヨーロッパ中心史観のひとつです。かっこよく世界史がまとまるのでつかうひとは大学でも多くなってきました。しかしこのひとの言っていることは京大の出した『世界資本主義の歴史構造』(河野健二・飯沼二郎編、岩波書店、1970)とあまり変わりません。ウォーラスティンの著書は70年代半ばですから、京大の方が早いです。この中に世界分業体制のこと、中心と周辺のことも書いてあります。わたしはこの本にあるものをもとにして、すでに20年来、駿台でつぎのように説明しています。これは産業革命の歴史的経緯と、その影響という問題に対処するには是非とも必要なことがらです。
(1)核国、イギリス「世界の工場」(2)準辺境国、米独仏露日……自立的国民経済形成 (3)辺境地、ラテン米、アジア、アフリカ、モノカルチャ的一次産品国、競合的在来手工業の衰退、農村共同体の崩壊、原料食料を安く供給し機械製品を高く買う従属国に転落、後進経済の形成
 ただ世界史の展開を理解する理論としての「世界システム論」は明らかに西欧中心史観であり、これでは近世・近代を理解できても、それ以前は世界の連関がなくなることになる、という欠陥をもっています。
 「近代世界システム」ということば自体は世界史の論述のためにとくに知っておかなくてはいけない、というものでもありません。これを知っていていたからとて、東大の銀経済(2004年度)が解けるともおもえません。


Q16 『練習帳』の「基本60字」のp55にある、イギリスの「地主議会」がどういうものなのか教えてください。

16A 地主議会とは、近現代史の目からみて地主だけが議席をもっている議会のことで、当時は産業資本家の議員が一人もいない議会でした。これは19世紀末までつづきます。20世紀になってやっと産業資本家の議員が当選します。庶民院(下院)の議員として活躍した自由党のグラッドストンは、東京3区くらいの土地をもち、そこで働く農業労働者は2500人だということです。これでも中規模の地主です。