世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

『みるみる論述力がつく世界史』 山川出版社

みるみる論述力がつく世界史』 山川出版社、黒河潤二 (編集), 山岡晃 (編集), 湯川晴雄 (編集)

 山川は『改訂版・詳説世界史論述問題集』というのを2008年に出していて、これを絶版にしたのか、新しい論述問題集はこれのようです。この旧版はやたら問題量の多いことで知られていましたが、この新版はぐっと問題量を減らしています(175問→50問)。旧版の批評はこのブログにあります。→http://worldhistoryclass.hatenablog.com/entry/2013/08/01/改訂版・詳説世界史論述問題集

 第1部は基本編、第2部は発展編となっていて第1部は歴史用語を入れるだけの問題から始め、それが100字120字と字数が増えていき、200字くらいまで行く、という短文論述問題集となっています。そこには何が問題のポイントか、何点に該当するか、事件の解説もはさみながら説明しています。これが100頁くらい。
 第2部は400字から600字の長文論述問題で、いわゆる大論述といっている問題の解説です。形式は論述解法の手順として、「analyze」問題内容の分析、次に「framing」として「枠組み/見通し」をたてよう、とつづき、さらに「factor」として必要な用語の書き出し表が付いています。さらに「keyword」として、analyzeとframingから絶対はずせないキーワードは何か探そう、と訴えています。最後に「judge」として何を論述問題の要素として書くのか書かないのかの判定をくだす個所があり、これらを踏まえて詳しい構想メモのようなものが付いています。そして「adjust」としてマス目が段落毎に並んでいて、それらを全部あわせたマス目の用紙もそろっています。
 ていねいな作りになっていて、これで勉強してみようかな、という気にさせます。

 第1部の短文論述のところは教科書『詳説世界史』の記事を指摘して、それを利用しながら解答文を仕上げていくのが主で、論述問題でありながら教科書の勉強も兼ねています。意外と教科書は書いていたんだ、という発見もあるでしょう。論述のための勉強はけっきょくこれに尽きる面はあります。短文論述問題であれば、教科書の一段落でデータは済むものもあります。
 といって教科書がすべてを網羅している訳でもないことは、この参考書の解説にも教科書からはみだしたような知識があちこち散りばめられています。教科書だけで徹底していないところが教科書会社の出版物としてどうなのか? また教科書に書いてあるのに、書いてないから書かなくてもいい、ともしている個所もあり一貫性がありません。

 このことを第2部で見てみましょう。この部になると、第1部で必ずあった教科書の記事がまったくなくなります。その示唆もない。第2部は「発展」なので教科書は見るな、ということなのか?

 

p.110[1]「前4世紀までの西アジア諸国の興亡」でじっさいの筑波大の問題(2009年度)は、
 紀元前8〜7世紀のアッシリア帝国の確立から紀元前4世紀のアレクサンドロスの東征までの西アジア世界における広域支配国家の興亡について、以下の語句を用いて400字以内で説明しなさい。
  イッソスの戦い 新バビロニア ダレイオス1世 ニネヴェ メディア

 この問題の解説の中の「judge」に、「ニネヴェに建設された大図書館などを盛り込むかは、字数との相談となる。ただしアッシリアがミタンニ王国から自立していたことや、建国時の首都であるアッシュルなどは、アッシリア帝国が確立する以前の内容なので、記述しても得点にはならない」とあるのが何故か解せない。この問題は「アッシリア帝国の確立から」書き出したらいいので、何も前2000年からある都市国家の時代から説明する必要はないが、「帝国の確立」は歴史家が帝国時代ととっている前8〜7世紀がどんな国家になったかは書かなくてはならないはず。帝国時代はアッシュル市からニネヴェ市に遷都しており、「前7世紀前半に全オリエントを征服した。強大な専制君主であったアッシリア王は、政治・軍事・宗教をみずから管理し、国内を州にわけ、駅伝制を設け、各地に総督をおいて統治した(詳説世界史)」とあり、これが確立した姿です。この全部を書かなくてはいけない訳ではないが、巻末の「模範」答案では「前7世紀に初めてオリエントを統一したのは、都をニネヴェにおくアッシリアだった。最初の世界帝国となったアッシリアは、アッシュルバニパルの治世に最盛期を迎えたが……」とあります。これが「帝国の確立」の姿ですかね。最盛期はむしろ経緯(流れ)の一時期をさしているだけではないでしょうか? 最盛期は「確立」ではないはずです。確立した後の姿ですね、一般に。「judge」が狂っているようです。

 

p.114[2]「古代ギリシア・ローマと西洋中世の軍事制度」でじっさいの京大の問題(2010年度)は、
 古代ギリシア・ローマと西洋中世における軍事制度について、政治的・社会的な背景や影響を含めて、それぞれの特徴と変化を300字以内で説明せよ。
 「古代ギリシア・ローマ」とくくってあるため、1000年間の古代史で共通する点をまとめる必要がありますが、この参考書の解説では、帝政ローマの500年間がスッポリ欠けています。意図的に、ギリシアと合わせるために共和政ローマの500年間とだけセットにして説明し、解答文をつくっています。「変化」も課題である以上、帝政時代の大きな変化を飛ばしたら、変化にならないはずなのに、どうして無視したのか、その説明はどこにもありません。
 また平民没落のため「重装歩兵→傭兵」というが双方に見られるということを書いていますが、しかしギリシアとローマの傭兵はちがいます。ギリシア・ポリスが外国人(別のポリスの人)による一時的な傭兵であり、ローマの自国民志願兵に武器・給与(補償)を与えて長期に(25年)従軍させる常備「傭兵」とを区別していません。
 教科書(詳説)に「コンスタンティヌス帝の改革にもかかわらず、膨大な数の軍隊と官僚をささえるための重税は、あいつぐ属州の反乱をまねいた」とある軍隊は傭兵ではなく常備軍です。これはアウグストゥスがそれまでの志願兵で成り立っていた軍隊を解散させ、30万人の常備軍をつくり、ディオクレティアヌスが70万人に増やした軍団です。これは無視してもいい?
 古代末期にゲルマン人を傭兵にする、といっても、傭兵だけで戦争はできません。主力はあくまで常備の正規軍団です。傭兵を強調しすぎてます。また中世末にも傭兵だと強調していますが、フランスが百年戦争末期に常備軍をつくったことは知らないのでしょうか? 「シャルル7世は大商人と結んで財政をたて直し、常備軍を設置したので、中央集権化はますます進展した。(詳説世界史)」と教科書に書いてあります。これは無視してもいいの?
 「模範」答案では「ギリシア・ロ一マでは、最初は貴族の騎兵が軍事力の中心であったが、商工業の発達を背景に平民が富裕化すると、武器を自弁した平民の重装歩兵が軍隊の中核を担った。平民たちは参政権を求め貴族と平民の法的平等も逹成された。しかし長年の従軍で平民が没落すると、傭兵が軍隊の中心を占め、市民皆兵の原則が崩れた。ー方、西洋中世では、……」と帝政ローマの常備軍をまったく無視しています。

p.120[3]「カール大帝の帝国の成立」でじっさいの一橋大の問題(2009年度)は、
 (導入文省略)
 この文章は、ベルギーの歴史家アンリ・ピレンヌ(1862-1935年)による『マホメットとシャルルマーニュ』(日本語訳の標題『ヨーロッパ世界の誕生』)からの一節である。ここで述べられる「カール大帝の帝国」は、どのような経緯で成立したのか。当時のイタリア、東地中海世界の政治情勢、またマホメット(ムハンマド)との関係に言及しながら論じなさい。(400字以内)

 この問題の解説のところに欠けているのは、カール大帝のイベリア半島での戦いです。確かに教科書(詳説)の記事には文章として載っていないのですが、教科書(詳説)の地図には「スペイン辺境伯」とあり、また「カール大帝の征服地」「カール大帝の勢力のおよんだ地域」として色が付いています。またビザンツ帝国との関係では、796年と799年に攻撃をかけており、先の地図でも「カール大帝の勢力のおよんだ地域」として色が塗ってあります。レコンキスタの初期と「カール大帝と騎士たちを描いた『ローランの歌』(東京書籍)」を習う高校生もいるでしょう。
 またビザンツ帝国とカール大帝の版図が対峙した姿も地図に表されています。さらにアッバース朝もビザンツ帝国への攻撃(782)をしており、ビザンツ帝国が屈辱的な和約を結ばされています。
 また「「要素」を「判定」しよう」の表にもアッバース朝のことは何もメモされておらずウマイヤ朝でとどまっていますし、「goal」とある「模範」答案にはまったく言及なしです。812年にはビザンツ帝国はアーヘンの和約でカールの帝位を承認していますが、このことも言及なしです。これで「関係」を説明したことになるでしょうか? 貧相な「模範」答案です。

 

p.138[6]「13〜14世紀モンゴル時代の東西交流の諸相」でじっさいの東大の問題(2015年度)は、
 (導入文省略)
 以上のことを踏まえて、この時代に、東は日本列島から西はヨーロッパにいたる広域において見られた交流の諸相について、経済的および文化的(宗教を含む)側面に焦点を当てて論じなさい。解答は、600字以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。なお、( )で並記した語句は、どちらを用いてもよい。(指定語句→ジャムチ 授時暦 染付(染付磁器) ダウ船 東方貿易 博多 ペスト(黒死病) モンテ=コルヴィノ)

 構成について特に問題はないものの、「goal」の「模範」答案におかしな解答文が見うけられます。
  「ムスリム商人はダウ船を使ってインド洋から中国に至り、東南アジアの香辛料を他地域に運んだ。彼らによってスーフィズムが広まり、東南アジアでのイスラーム化が促進された」
 この解答に誤りはないものの、「広域において見られた交流の諸相」という大きい視野の問題の解答として狭い、という指摘です。教科書(詳説)に「神との一体感を求める神秘主義(スーフィズム)がさかんになった。12世紀になると、聖者を中心に多くの神秘主義教団が結成され、教団員はムスリム商人の後を追うようにして、アフリカや中国・インド・東南アジアに進出し、各地の習俗をとりいれながらイスラームの信仰をひろめていった」とあります。東南アジアだけスーフィズムによるイスラーム教普及ではなく「アフリカ・中国・インド」もそうだということ。また海路だけでなく陸路もスーフィズム(スーフィ)による布教があったこと。
 もう一つは「西アジアでは中国絵画の影響でミニアチュールが発達した」という解答文のおかしさ。教科書(詳説)では「イル=ハン国に中国絵画が伝えられ、それがイランで発達した細密画(ミニアチュール)に大きな影響をあたえた」とあり、センター試験(2012年度)の文章でも「イラン系の絵画(細密画)もムガル帝国につたわりムガル絵画・ラージプート絵画になりますが、これもイラン系の人々が伝えたものでした」とあるのに、「西アジア」という広い領域で「発達」するはずがありません。細密画を見たことがないのかも知れません。いや教科書(詳説)に2枚カラーで、「ミニアチュール」と題した写真が載っています(p.101119)。そこには人物が描かれており、イスラーム教では偶像崇拝への懸念から人物や動物は描いてはいけないことになっていて、シーア派という血統を大事にする特異な地域に発達したものであって「西アジア」全域ではありません。

 

p.151[8]「清の諸外国への権益の承認と隣接国家との関係改変」でじっさいの京大の問題(2015年度)は以下、
 東アジアの「帝国」清は、アヘン戦争敗戦の結果、最初の不平等条約である南京条約を結び、以後の60年間にあっても、対外戦争を4回戦い、そのすべてに敗れた。清はこの4回の戦争の講和条約で、領土割譲や賠償金支払いのほか、諸外国への経済的権益の承認や、隣接国家との関係改変を強いられたのである。この4回の戦争の講和条約に規定された諸外国への経済的権益の承認と、清と隣接国家との関係改変、および、その結果、清がどのような状況に陥ったのかを、300字以内で説明せよ。

 この解説では、4回の戦争の中に義和団事件も入れています。「義和団事件(義和団戦争と呼ばれることもある)」と書いています。受験生に「戦争」という表現のある教科書や参考書を指摘してもらうといいでしょう。ブログでも書いていることですが、「以後」の中にアヘン戦争も入ります。というのは課題になっているのは戦争のたびに課せられた条約の中身「条約に規定された諸外国への経済的権益の承認と、清と隣接国家との関係改変、および、その結果」について南京条約でどうだったかは問題文には何も書いてないからです。南京条約における「不平等」の内容を書くことから始めなくてはなりません。
 じゃ「60年間」とある以上、義和団事件も入れるのが筋ではないかと言われるかも知れない。1900年のこの事件を待たずとも、日清戦争の後にいわゆる「中国分割」といわれるくらい、清朝政府と列強が次々と条約を結び租借地・鉄道敷設権を決め、その中で日本は清朝と福建省不割譲条約(1898)を結んでいるではありませんか。これらの諸条約は1898〜99年に集中しています。これらは日清戦争の結果として出てきたものです。以下が条約の中身を書いた記事(詳説世界史)です。

 下関条約で日本が遼東半島を獲得すると、フランスとドイツをさそって日本に圧力を加えてこれを清に返還させ(三国干渉)、その代償として清から東清鉄道の敷設権をえた(1896年)。また、ドイツが宣教師殺害事件を口実に98年、膠州湾を租借すると、同年ロシアは遼東半島南部を、イギリスは威海衛・九竜半島を租借し、フランスは99年広州湾を租借した。そのうえ、ロシアは東北地方、ドイツは山東地方、イギリスは長江流域と広東東部、フランスは広東西部と広西地方、日本は台湾の対岸にあたる福建地方での利権の優先権を清に認めさせ、各国の勢力範囲を定めた。

 

p.173[8]「アジア・アフリカの植民地の独立とその後」でじっさいの東大の問題(2012年度)は以下、
 ……植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。
 以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は解答欄(イ)に18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。(指定語句→カシミール紛争 ディエンビエンフー スエズ運河国有化 アルジェリア戦争 ワフド党 ドイモイ 非暴力・不服従 宗教的標章法(注))

 解説の初めに「地域ごとの差異を考えながら」という条件がついている、と指摘しながら、「judge」には差異を示したメモは何もありません。それぞれをバラバラに書けば自然と差異は現れるのでしょうか?
 巻末の「goal」の「模範」答案は以下のようなものです。

(下線なしで)第一次世界大戦後、エジプトはワフド党を中心に独立したが、イギリスはスエズ運河の駐屯権など保持し続けた。第二次世界大戦後、ナセルがスエズ運河国有化を宣言して経済的従属からの脱却をめざすと、スエズ戦争がおこり、これ以降ナセルはアラプ民族主義の指導的地位を固めた。インドではイギリスの支配にガンディーが非暴カ・不服従運動を展開したが、イギリスはヒンドゥー教徒とムスリムの民族運動の分断を進めた。第二次世界大戦後、インドとパキスタンは分離して独立し、両国の間にはカシミール紛争が勃発した。共産党を中心に独立運動を進めたベトナムでは、第二次世界大戦後にフランスとの間にインドシナ戦争が始まった。ディエンピエンフーの戦いの結果、フランスはペトナムから撤退し、ベトナムは南北に分断されたが、社会主義の拡大をおそれる合衆国の介入によってベトナム戦争がおこった。その後、社会主義国家として自立したペトナムは,80年代以降はドイモイという改革開放路線へと転じた。同じくフランスの植民地支配下にあったアルジェリアは、アルジエリア戦争をへて独立を達成した。独立後、フランスがアルジェリアで同化政策を進めたことで多くの移民がフランスに流入し、民族的·宗教的摩擦が問題となったため、宗教的標章法が制定された。

 この解答文の中に「差異」はどう示されていますか? さーっと読んで分からないでしょう。それは採点官も同じで採点官に差異を探させることになります。これでもう落第ですね。
 「以上の点に留意し」とあるので調べてみましょう。
 「植民地政策の差異」はどう表されていますか? エジプトに関してはイギリス側の政策は何も書いてありません。インドは「ヒンドゥー教徒とムスリムの民族運動の分断を進めた」と書いてあります。ベトナムに対するフランス側の政策も書いてありません。アルジェリアも書いてありません。「社会主義や宗教運動……地域により異なる様相」は書いてありますか? エジプトは思想も宗教も何も書いてありません。インドの社会主義は書いてありません。ベトナムは共産党中心が書いてあります。アルジェリアは思想はなく宗教も不明快です。こんなに書いてなくて政治史に終始すると、この問題は何のためにあったのか分からなくなります。まして差異を探せったって無理ですね。
 これは差異を表すために、比較という作業をやらなくてはならなかったのに怠ってしまった、というか、その方法論がまるでないために沈没してしまったのです。この参考書の題に「論述力」というのが付いていますが、著者たちにないものが受験生に養われるのでしょうか?


p.186[14]「中国の科挙制度」で、でじっさいの京大の問題(2014年度)は以下、
 中国の科挙制度について、その歴史的な変遷を、政治的・社会的・文化的な側面にも留意しつつ、300字以内で説明せよ。
 「judge」のところに、「唐では蔭位の制という科挙によらない任官制度があったことを思い浮かべる人もいるかもしれないが、教科書レベルを超えた知識であるので、ここまで触れる必要はない」と書いています。東京書籍の教科書に「科挙の功罪」と題して「貴族や大官の子弟が恩典で任官できる制度(蔭位・任子の制)も残っていた」と書いてますが、山川にとって東京書籍は眼に入らない、ということでしょうか? 山川の用語集に「蔭位の制 ② 科挙によらずに家柄の官位に従って任官できる制度。高級官僚の子弟に有利であった」と2冊の教科書に載っていて、解説もしています。14年度版の用語集からこの綱目は消えました。しかし門閥貴族の強さを示すデータとして論述対策としては欠かせない用語です。
 

p.192[14]「オランダの世界史における役割」で、じっさいの東大の問題(2010年度)は以下、
 オランダおよびオランダ系の人びとの世界史における役割について、中世末から、国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望のなかで、論述しなさい。解答は解答欄(イ)に20行以内で記し、かならず以下の8つの語句を一度は用い、その語句に下線を付しなさい。(指定語句→グロティウス コーヒー 太平洋戦争 長崎 ニューヨーク ハプスブルク家 マーストリヒト条約 南アフリカ戦争)

「judge」のところに、構想メモがあり、「盛り込む用語」欄と「オランダの役割」欄とあり、課題の「役割」欄の空白が多すぎます。空白の多さは「役割」があまりない、ということになり、じっさい「模範」答案はそうなっています。
 メモは16世紀から始めていますが「中世末から」とあるのに無視しています。14〜15世紀について何らか書くべきなのに捨てちゃえーということらしい。「模範」答案では「中世末にハプスブルク家の支配下におかれたネーデルラントは、16世紀後半に独立戦争を開始し北部7州がオランダとして独立を達成した。17世紀に商業覇権を握ったオランダは北米に現在のニューヨークニューヨークの原型となる都市を建設」と書いていて結局、中世末にはなんの役割も果たさなかった解答文になっています。オランダだけの一国史を書いても役割は出せません。愚かなこと。役割を書いている文はこの後の
「世界最初の株式会社……首都アムステルダムが商業・金融の中心となったオランダは、学問や出版でもヨーロッパの中心となり、国際法の発展に寄与したグロティウス……列強による東南アジア植民地化の先駆……光栄ある孤立を放棄する契機……ヨーロッパの統合に積極的に貢献」というところが該当しています。

 取り上げなかった問題は、実は流れの問題がほとんどで、ああなってこうなって、という流れの書き方をいくら学んでも「力」は付きません。取っ付きにくい、難解な問題を避けている、という点でも「力」は付きません。問題量を少なくした以上、骨のある問題の解き方を説き明かすべきでした。
 第1編は教科書にこだわっていたのに第2編は教科書にごだわっていないのは何故なのか? むしろ教科書を無視しているような説きかたは修正した方がいいでしょう。もっと教科書にこだわってどこまで解けるか試してみたらいいのに。ま、次の改訂版に期待しましょう。