世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

2021年共通テストの解説

21年共通テスト・世界史B解説
 写真・絵・グラフを省略しているため原本はネットからダウンロードしてください→https://cdn.mainichi.jp/item/jp/etc/kyotsu-2021/pdf/WHBP.pdf 

 予備校のこの問題に対する難易度評価はみな「難化」としていて、変だなあとおもっていたら、大学入試センターが発表した結果は、昨年度のセンター試験の世界史Bが、62.97だったのにたいして、今回は、63.49 と上がっています。予備校に眼力のないことを証明してしまいました(今は「昨年並」に修正しいます)。長文のため、あたふたしたようです。試験前に予備校が出版していた共通テスト問題集も内容が難しいものが多く、これでは本番とちがうなあ、とおもっていて、やはり本番との差がありすぎでした。

第1問

問1[ 1 ]
 孟子・張儀・李斯の3人のうち始皇帝に仕えた官僚はだれか、2つの資料の中の大臣はだれか、という問題です。法家思想のひとなので「う 李斯(りし)」ですね。法家思想家は3人(商鞅・韓非・李斯)はそれぞれ時期と役割がちがいます。「法家はし・か・り」と順で覚える(拙著『各駅停車』)ことと、商鞅は始皇帝より100年前の孝公に仕えて変法をおこなった戦国時代の人物、韓非は法家の集大成者で始皇帝が「皇帝」になる前の教師、そして全国統一が実現してから法家の政策を進言し実施したのが、この李斯です。
 「統治のために重視したこと」は法家思想ならZが容易に当てられます。X儒家思想、Y墨家の兼愛説。正解③

問2[ 2 ]
 ①誤りは「医薬・占い・農業関係のものも含めて」の「含めて」を「除いて」とすれば正しい。②これはトリエント公会議(1545〜63)の決定内容で、エフェソス公会議(431)はネストリウス派を異端とした公会議です。③正文で正解。自由・平等を謳う文学作品や共産主義を解説した書物の焼却(焚書)、とくにユダヤ人は雑誌・新聞の購読禁止、図書館・貸本屋の利用を禁止しました。ラジオの所有も禁止しました。情報から締め出しています。日本でも高市早苗総務大臣の「放送法違反による電波停止命令を是認する発言」がありました(2016年)。④マッカーシーはイギリスでなく、赤狩りを主導したアメリカの上院議員の名前です。

問3[ 3 ]
 (B)の文は「司馬遷は自由な経済活動を重んじ」とあるので、統制的な政策の②しか経済面の文章はないから、これが正解。容易すぎて、ちょっとばかばかしい。
 テーマ自体は、歴史の探究としては大事な点をついた良問です。しかし設問がなさけない。
 「正史……そこに記された内容が、全て紛れもない事実だったとは限らない。……彼はその中の一つを「史実」として選択したのである。正史編纂の多くが国家事業だったのに対し、『史記』はあくまで司馬遷個人が著した書物」と資料選択のテーマを提起しています。このテーマは次のマルク=ブロックの問題にも引き継がれています。
 日本の「国家事業」たる『日本書紀』以来、国家が捏造(ねつぞう)・隠蔽(いんぺい)を習性にして歴史書を作成してきました。200年頃の神功皇后の三韓征伐の話はその代表例ですね。200年頃に百済も新羅も日本という国も存在しないのに華々しいできごととしてつづられ、1945年まで、さも真実であるかのように日本人に信じ込ませました。「国家事業」だった『日清戦史』は、交戦国でない朝鮮王宮の占拠も農民の4ヶ月にわたる抵抗戦も欠落した「輝かしい」戦史を捏造しました。現在の防衛省にある「比島捷号(しょうごう)陸軍航空作戦」防衛庁防衛研修所戦史室(http://www.nids.mod.go.jp/militArY_historY_seArCh/SoshoView?kAnno=048)でも「むすび」で、「航空特攻戦法は……生還の確率皆無な攻撃法を組織化した点において、史上空前のものである。そこには深刻な経緯があったが、“神州不滅、皇軍不敗”を信じた若武者たちが祖国の重大局面を前にして、民族の伝統的精神が爆発したものとみるほかないところである……比島方面捷号作戦は、連合軍に相当の担害を与えた……」と記しています。まるで「若武者たち」が止むにやまれず起案した戦法であるかのように書いていますが、参謀本部で決めたことを文句の言えない青年たちに帰しています。それに「必死必中」といわれ、「必死」は確実な100%でも「必中」は6%前後であったのに「相当の担害を与えた」と書く神経はどこからくるのか? 病的な自殺戦法に効果があったと今も言いたいのか? こうした偽りの歴史を書くことは、ウィキペディア日本語版にも見られます(→ 

日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策 | 佐藤由美子の音楽療法日記)。

B この問題は上とつながっています。アルザス地方のユダヤ人マルク=ブロックは対独レジスタンスに参加し銃殺された歴史家です。殺されたため未完になった書『歴史のための弁明─歴史家の仕事』から、資料(史料)を選択するにしても、選択する資料そのものに限界があることを述べた文章です。使える史料(この共通テストの導入文では「文書資料」とある語句は日本語訳のみすず書房版では「史料」となっています)が残っているのは、領主でも教会・亡命貴族・非亡命貴族の3つあり、そのうち史料の保存状態が良いのは教会→亡命貴族→非亡命貴族という順番である、というものです。

問4[ 4 ]
 「前提としたと思われる歴史上の出来事」の正誤判定問題です。「あ 国民議会が、教会財産を没収(国有化)した」は教科書(詳説)では「国民議会(1789)もこれと同時にパリに移り、翌1790年には全国の行政区画を改め、教会財産を没収し」とあり、これを担保にアッシニア紙幣を発行しました。「い 総裁政府が共和政の成立を宣言し、国王が処刑された」の共和政宣言はまちがい。宣言は国民公会のとき(1792)です(『世界史年代ワンフレーズnew(以後『ワン』と略称)』では「第一今日はせい自由1792」と語呂)。「総裁政府(1795)」は公会の後の政府です。フランス革命のめまぐるしい政変の順は「国民議会→立法議会→国民公会→総裁政府→統領政府→第一帝政」で覚え方は「国立公総統帝」です(『各駅停車』)。
 「文書資料についてのプロックの説明」
 「X」引用文の初めに、ブロックは「領主の資料」が使えるといっていて「農村共同体の資料」は古い時代のものはないといっているので、これは不採用。
 「Y」「資料がよく保管されている……領主が教会である場合」だといっていて、「俗人である場合」は「最後の可能性です。これは極めて厄介」と否定的です。
 「Z」これは「第2の場合」つまり「亡命した場合」として「悪くありません」といっています。これが該当します。出来事と資料説明の組み合わせは③。前提は歴史の問題でしたが、これは国語・読解の問題でした。

問5[ 5 ]
 「嫌われた体制」とはフランス革命が否定したものなので、④が正解。①は産業革命とともに台頭する階級で、革命以前はマニュファクチュアの経営者、革命後は機械工業の経営者ですが、フランス革命当時は、産業革命がイギリスでしか起きていない現象です。②古代スパルルタの奴隷。③オランダが1830年からジャワ島で実施した制度。プランテーションのように土地は奪わず、強制的に作物を指定して作らせるものです(『ワン』強制栽培せよ、千1830)。

第2問
A 
問1[ 6 ]
 「500万ポンドに達する前に起こった出来事」ということは1776年より前ということになります。①メキシコ独立は年代が判らなくても、ラテンアメリカの独立がフランス革命やナポレオン戦争以降と思い出せたら、これははずれます。正確には1821年ですが、覚えなくてはならない年代ではありません。②ボストン茶会事件(1773)はアメリカ独立革命の重要な出来事なので覚えたほうがいい年代です(『ワン』ボストン湾1773)。これが正解。③トルコマンチャーイ条約はカージャール朝(1796〜1925)とあるのではずれます。条約そのものも覚えていい年代です(『ワン』トルコマン、頭1828)。④神聖同盟なのでウィーン会議(1814〜15)でのこと(『ワン』ウーン、会議は一1814)。昨年までのセンター試験タイプの時間差問題でした。ただセンター試験より、4文ともちがう地域のものを混在させる傾向がつよく、これは共通テストの年代の出題傾向で、年代をしっかり覚えたほうがブレにくい、といえます。

問2[ 7 ]
 「金貨鋳造量が10年以上にわたって100万ポンドを下回った背景」という時期は、上のグラフで1799〜1813年であることが判ります。下の紙幣グラフ2はその間激増している、という対照的なかたちになっています。時期はナポレオン戦争(1799/1800/1803〜1815)と重なっています。また「仮説」の文章「イギリスの[ ア ]に対する戦い」という戦いが時期的にナポレオン戦争であることは明解でしょう。ロシアもフランスと戦っていますが、イギリスと戦うのでは対仏大同盟が崩壊します。よって正解は③。

問3[ 8 ]
 「図の金貨に肖像」とそのキャプションに「1852年鋳造」とあるのでヴィクトリア女王だとわかります。1877年にインド皇帝にもなっています。首相のディズレーリが冠をさげる漫画が教科書に載っています。彼女の在位は1837〜1901年の長期で、ヴィクトリア朝とまでいわれました(『ワン』即位年の語呂「ヴィクトリア、おてん18さん37」)。①が正解。②アン女王、③エリザベス1世、④ジョージ1世。

B 
問4[ 9 ]
 「16世紀に[ ウ ]こと」とあるので明末のこととなり、①は中国と日本が逆、②は18世紀に清朝がおこなう税制のこと(『ワン』地丁銀、盗1717)、③これが一条鞭法の説明で正解(明朝が16世紀に実施、『ワン』一条、一16)、④18世紀末から19世紀。

問5[ 10 ]
 「半両銭の材料は[ エ ]です。[ オ ]が、このお金で全国の貨幣を統一……交鈔(こうしょう)の材料は[ カ ]」という文章なので、秦が戦国時代に発行していた青銅貨幣、秦の始皇帝がこれに統一し、元朝の紙幣の交鈔、という易問でした。正解は③。

問6[ 11 ]
 「父なるトルコ人」や「トルコ人の父」とはアタテュルクのこと。ケマル=パシャの尊称です。④アラビア文字でなくローマ字(ラテン文字)の誤文で、これが正解。これも易問でした。
 現在のトルコの大統領エルドアンはこの世俗化をすすめたケマル=パシャとは反対にイスラーム化政策を強行しています。「我々はオスマン帝国の子孫だ」と言い放ち、聖ソフィア寺院のモスク化、女性のスカーフ着用解禁、飲酒の規制、言論の自由否定と突き進んでいて、批判的な放送局や新聞社を閉鎖においこんでいます。

第3問 
 コロナ感染症流行に振り回された受験生にふさわしい問題で易問でした。
問1[ 12 ]
 『デカメロン』の作者は誰か(『各駅停車』ボッカチオの『デカメロン』→ぼっかメロン)、ということと、作品の特徴としてS進化論の19世紀か(『ワン』種の起源、一1859)、T人文主義のルネサンス期(14〜16世紀)かと問うています。引用文に「1348年」という年代があります。

問2[ 13 ]
 病名とその説明で正しいもの。病名はすぐ判るとして、説明文は「X」が「同じ症状」では引用文に「オリエントでは、鼻から血を出す者」とは違いますし、Z「アメリカ大陸から」というのはまちがいで一般にインドとか中国とか中央アジアとかいろいろあります。どうにしろ、まだアメリカとヨーロッパの交流がない時代です。「Y」は黒死病でヨーロッパの人口が3分の1から半分が死ぬ、というくらいの人口激減です。減り方がとくにひどかったのが英国(イングランドとウェールズ)で、ペスト前に600万人近くあった人口のほぼ半分が死亡し、18世紀初めになってやっとペスト前の水準に戻ります(『暴力と不平等の人類史』ウォルター・シャイデル、東洋経済新報社)。その影響として生き残った農民の価値は高まります。小作農はよりよい労働条件を提示されれば別の荘園に移ろうとしました。ために領主にとっては嫌なことですが、地代は下がり、荘園経済の基本的な特徴だった賦役(ただ働き)は減少し、やがて消滅します。ジャクリーの乱やワット=タイラーの乱が起きました。乱側農民の要求のひとつは、賃金労働契約を自由に交渉する権利でした。ところが「西ヨーロッパでは」こうでしたが、東欧諸国では、黒死病後に農奴制が導入され土地所有貴族は、農民の労役義務を強め、現金支払も移動の自由も制約しようとしました。グーツヘルシャフトにつながっていきます。正解は⑤。

問3[ 14 ]
 『デカメロン』には確かに怪しげな修道院や修道会の僧侶たちが登場します。しかし僧侶のことでなく、「院」や「会」の問題です。これも易問でした。①モンテ=カシーノ修道院をつくったのは6世紀のベネディクトでした(『ワン』デルモンテのコ529さん)。インノケンティウス3世は教皇絶頂期の1200年前後のひと(在位1198〜1216)(『ワン』インノケンティウスさん、い1198)。②これが正文。エルベ川以東を開拓する東方植民の先駆者です。③クローヴィスとクリュニー修道院は結び付きません。時間差も大きい。クローヴィスは5世紀にフランク王国メロヴィング朝を創始したひと(『ワン』メロン、4481)で、クリュニー修道院は10世紀に建てられました(『ワン』クリュニー、求910)。④ヘンリ3世はシモン=ド=モンフォールの反乱を受けて議会召集に応ぜざるを得なかった国王です(1256年)。修道院解散はイギリス宗教改革のときにヘンリ8世がおこなったこと。かれの改革は首長法発布で名高い(『ワン』首長家は、人1534、家はイエズス会の創設と同年だから)。

B 
問4[ 15 ]
 「宗教と教育・政治」の誤文さがしです。①正文ですが、この政教分離法(1905年)なんて習わなかったよ、ということであれば正誤判断を止めておきます。正誤判定の問題は明快なまちがいを探すのが基本ですから。これはドレフュス事件(1894年)のさいに教会がドレフュスの人権弾圧の側に組みしたため、はげしい反対運動がおき、教会の政治介入を否定しなくてはならない、という意見に発展し、とうとう実現したものです。②正文。近代的な最初の大学といわれるベルリン大学は哲学が中心になります。③正文。マドラサは「学ぶ場/学校」の意味。④仏教は儒教のまちがいで、これが正解。あまりも易しい問題です。
 もっとも政教分離との関連でいえば、儒教は学問か宗教か、ということとからんで沖縄で裁判になり、儒教の祖・孔子を祭る「孔子廟(びょう)」の敷地を那覇市という公の役所が無償提供しているのは、政教分離を定めた憲法に違反する。と訴えられ、訴えは通り、最高裁は違憲の判決をくだしました(2021年3月)。

問5[ 16 ]
 「[ イ ]はこれが覚醒を促すに努め、[ ウ ]はこれが覚醒を防遏する」と革新的な傾向と。それを押さえつけようとする傾向が書いてあるので、前者が革命家、後者が官僚だろうと推理ができます。(C)「[ イ ]の事業は、ほとんど連続的に農民に対してその覚醒を促し」とあるので、スローガンは「ヴ=ナロード」だとこれも容易に推理できます。「事業」というと変な感じに聞こえるかも知れませんが、ナロードニキたちは政府がやらない事業(病院・学校の建設)を地方議会(ゼムストヴォ)を利用してすすめました。正解は②。

問6[ 17 ]
 「独り[ エ ]があって、農奴解放を行った」は誰れか、他に関連する史実は何か、というこれも易問。エカチェリーナ2世は18世紀後半を生きた女帝でした。「Y」クリミア半島獲得はトルコ人から戦争で取っています(1783)。この女帝でおぼえなくてはならないのは、プガチョフの反乱と武装中立同盟です。
 解放皇帝といわれたアレクサンドル2世(1855〜81)の農奴解放令は1861年でした(『ワン』農奴解放、奴1861)。クリミア戦争(1853、ペリー来航)の敗北から近代化を始めた、というロシア史の文脈で時間を読んでもいいです。「X」樺太・千島交換条約もかれのときです(1875年、『ワン』交換、島1875)。正解は③。

C 
問7[ 18 ]
 第1問でも問われた「正史……そこに記された内容が、全て紛れもない事実だったとは限らない」というテーマがここでも再現されています。「公式の歴史とが一致しない」「歴史記録を改ざんする仕事」をしている人物が拷問され、忠実な党員に転向する、という「概要」です。ソ連と社会主義圏の全体主義を描いていますが、国家・政府を守るために、不都合な真実を隠すための「歴史改竄」は主義も体制も関係なくどごても見られることです。
 この問題のヒントは「作家の経歴」に書いてあります。トロツキーはスターリンから追放された人物であり、スペイン内戦(1936〜39年)の下で、トロツキー派とスターリン派が争っている、という構図が読み取れれば容易でしょう。正解は①です。後にトロツキーはメキシコに潜んでいたのですが、スターリンが放った暗殺者にころされました(1940)。双方は世界革命論と一国社会主義論でも対立していました。「粛清(しゅくせい)」とは反対派の殺害です。わたしのスクラップには次のような新聞記事(朝日新聞、2002年11月27日)があります。「スターリン3万人?虐殺 穴開いた頭蓋骨次々 日本人銃殺史実も判明」と題して、

ロシアのサンクトペテルブルク近郊の村で、ソ連の独裁者スターリンに弾圧され、秘密警察によってひそかに銃殺された犠牲者の最大規模の埋葬地が見つかつた。発掘にあたったソ連弾圧史の専門家らは、最も過酷なスターリンの「大粛清時代」(36〜38年)にここで3万人以上が銃殺されたとみる。……5体分の遺骨を医学鑑定した結果、スターリンの大粛清時代に当たる38年前後に死亡したことが分かった。30〜40歳代の男女4人と10代前半の男児1人で、すべて額から後頭部に抜ける小さな穴が開いていた。穴は直径9・25ミリ。当時の秘密警察の内務人民委員部(NKVD)が処刑に用いた短銃の口径と一致した。

 この記事には日本人のことはわずかしか書いてありませんが、社会主義に憧れて行った日本人はたいていスパイとして処刑されました。憧れの国が、まさか処刑大好き国家とは知らなかった。主義がなんであれ、国家・権力というものが魔物であることに気づいていなかったのです。

 ②「抑圧体制への批判」として実例ですが、しかし作者オーウェルは導入文に(1903〜1950年)とあるように1950年までの出版でなくてはなりません。調べてみると『1984』は1949年に発表されています。それは判らなくても、「晩年」とあるので1950年に近い数字です。文化大革命は1966〜76年(『ワン』文革、天1966、1976)でオーウェルは生きていません。③開発独裁の実例はインドネシアのスカルノ、北朝鮮の金日成、韓国の李承晩や朴正熙など。④オーウェルの批判対象は北朝鮮でない。

問8[ 19 ]
 「18世紀の中国の朝廷」の手紙ということから清朝であり、「遼(契丹)から宋への亡命者」ということから、中国に合った習慣に従わなくてはならない事情がうかがえます。「改ざん前の文章」の波線部「「皮衣(かわごろも)を着て」「左前の服を脱ぎたい」が「改ざん後の文章」では「「遼朝の禄を食み」」「中国に身を投じたい」に、また「漢人の衣装を着て」が「先祖の墳墓に参り」に直されています。このように、「皮衣・服・衣装」が「遼朝の禄・身・墳墓」と修正・「改ざん」とにされているのはなぜか、という理由を問うています。
 これも易問でした・『四庫全書』は清朝(18世紀の王朝も清朝)、永楽大典は永楽帝の明朝、『資治通鑑』は北宋の司馬光の作品です。正解は②。辮髪のような風俗強制をしている清朝らしい改竄です。いわば文科省のほうから財務省(佐川宣寿・太田充)が改竄した森本文書を告発しているような問い方です。も、もちろんそんなつもりは文科省にはなく、そのようにわたしが勝手に読み取っているだけです。政治の世界は改竄に満ちていますが、押し通せる秘密はどれくらいあるのでしょうか?


第4問 「国家やその官僚は様々な文書を残してきた」とまたまたいわくありげな導入文です。
A 
問1[ 20 ]
 「ある戦争の結果として締結された条約」はいったん「破棄された条約」でもあり、その破棄されたほうの条約名が問われています。資料の内容からは支配者がイスラーム教徒(オスマン帝国)であり、被支配者のルーマニアの独立を承認することを明記しています。とすれば露土戦争→サン=ステファノ条約→(ベルリン会議)ベルリン条約しかありません。正解は②。どちらの条約でもバルカン半島の3国が同時に独立したことは覚えとかなくてはなりません。ルーマニア・セルビア・モンテネグロ、と、ひとつの国であるかのように。地図で見たら3国が斜めに並んでいるのがわかるでしょう。

問2[ 21 ]
 空欄[ ア ]は上の条約に書いてある3国以外のどこかで、独立はできなかったが「スルタン陛下の主権のもとに貢税義務のある自治公国」となっています。いずれ1908年の青年トルコ革命のさいに独立宣言をする国です。地図の位置からもブルガリアだとわかります。正解は②。aモンテネグロ、cギリシア、dキプロスです。 

問3[ 22 ]
 「上の資料の条約の締結後に起こった出来事」とはサン=ステファノ条約が1878年だから、これ以降の出来事はどれか、かつ正誤も判定しろという問題。「あ」の「イタリア」が「ボスニア・ヘルツェゴビナを併合」はありえない。この2つの地域に行く前にスロヴェニア、クロアチアを越えていかなくてはならない。ベルリン条約で2つの地域はオーストリアの管轄下であったのですが、青年トルコ革命をチャンスとして南下し併合しています。この併合に反発した事件が次の文「い」です。第一次世界大戦の発端となる事件です(1914年、『ワン』サクランボ、千1914)。この文章にまちがいはないから、正解は③。


問4[ 23 ]
 空欄[ イ ]と[ ウ ]に入れる国名をあてる。資料Xに「[ イ ]のリチャード=ニクソン大統領あるので合衆国、資料Yに「中華人民共和国と[ ウ ]の間の友好と協力」とあるのでソ連だろうと推理できます。対日の協力とあれば社会主義国同士のはずともとれます。正解は①。

問5[ 24 ]
 「資料X〜Zが年代の古いものから順に正しいもの」とあり、Xニクソン訪中(1972年、『ワン』ニクソン・田中訪中、訪中、行1972)、つまりZの「日中共同声明」はニクソン(2月)に出し抜かれてあわてて田中角栄が訪中した(9月)ので、同年ですが、X→Zの順。Yは「日本帝国主義の再起」とあるように戦後まもなく、といって中華人民共和国は1949年に樹立されるので、翌年(1950)毛沢東がモスクワに飛んで結んだ中ソ友好同盟相互援助条約。これが早い。よって正解は③。

問6[ 25 ]
 「下線部(A)中の国際環境」とは「サンフランシスコ講和会議……中華人民共和国はこの会議には招かれていなかった……当時の中華人民共和国を取り巻く国際環境が理由の一つ」はどういうことを指しているのか、という問い。とすると、まずサンフランシスコ講和会議はいつかがパッと思い出せなくてはならない(1951年『ワン』サンフランシスコ─1951)。①国共合作は1924年だから誤文ではないが戦前のことであり、時間が合わない。②中華民国とは台湾政府のことであり、国際連合の中国代表は当時は台湾の中華民国だった。これが正解。③大韓民国→北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)。④天安門事件(1989年)や香港弾圧(現在進行形)ならいいが、時間が合わない。
 この中国ぬきの講和条約が1951年である、ということは朝鮮戦争(1950〜53)の最中であり、アメリカが日本をポツダム宣言の拘束を解いて前進基地として確保し利用するためでもありました。日本に自衛隊の前身(警察予備隊)もつくらせ、自衛隊は自国を守るのでなく米国を護衛する米衛隊となりました。日本は基地を提供する米国新植民地に変貌します。いや米国の一州だ、日本州だというひともいます。 
 
C 
問7[ 26 ]
 「古代インドで多くの文学作品が書かれた[ エ ]語……」や、問い方の「空欄[ エ ]語で書かれた文学作品」とあるので、サンスクリット語と推理できます。支配者のムガル帝国はペルシア語としても、ムスリム全体はアラビア語が多かったははずです。「文学作品の名」は「あ」がカーリダーサの作品(『各駅停車』の覚え方→借金借りだーさ)、「い」はイラン人オマル=ハイヤームのもので、ペルシア語の作品です。「資料から読み取れる事柄」は「W」のように考えているひともいると資料に書いてあり、「X」はいないということを資料に「否定する人を、私は彼らの中に一人として見出せませんでした」という文章で表しています。なんか簡単すぎて、これ本当に思考力を問うている? いや簡単すぎることはいいことです。熱烈歓迎。正解は①。

問8[ 27 ]
 「英語教育導入の動機」と「植民地政策の特徴」の組合せ。「う」の「イギリス統治以前の諸王朝で用いられていた」は英語でありえない。英国が来てはじめて英語が話されるので、誤文です。「え」が会話文の「植民地政府は英語も使えるインド人役人を必要」とあるように、英国らしい政策です。この正誤判定も簡単すぎませんか? 「Y」藩王国という間接統治地域は550もありました。イギリスに協力するならば、以前の王位は認められたからです。「Z」仏教徒➔ヒンドゥー教徒です。仏教発祥の地はインドですが、仏教はインドでは少数派です。現在1%前後という。正解は③。この問題も簡単すぎませんか?
 
問9[ 28 ]
 下線部「ムガル帝国」①「タミル語」は南インドにいるドラヴィダ人の言語のひとつであり、ペルシア語となんら関係はない。②シャー=ジャハーンが愛妃ムムターズ=マハルのために造らせた白い大理石の廟です。これが正解。③ワヤン文化はジャワの影絵芝居。わたしが骨董屋で買ったワヤンは牛革でつくられていて、きわめて丈夫です。どんなものか知らないひとは次を見よ→https://www.youtuBe.Com/wAtCh?v=SjyHS1GkCdk ④ウルグ=ベクはティムール帝国第4代君主でティムールの孫。 

第5問
A 
問1[ 29 ]
 正誤問題です。①は「ラテン語からトルコ語への翻訳」でなくアラビア語からラテン語への翻訳です。この島のパレルモ市がその場所でした。「12世紀ルネサンス」のトレド市とともに中心都市です。これが正解。②のノルマン人がアラブ人が支配していたこの島を11世紀に征服してから両シチリア王国がつくられ、謙虚にイスラーム文化圏のほうが自分らより上だとみて勉強しました。無知な十字軍兵士は何も学びませんでしたが、ヴァイキングはちがいました。かつての支配者イスラーム教徒はユダヤ人、キリスト教徒、ビザンチンのギリシア人、ベルベル人など多民族の学者を優遇していて、ヴァイキングはそれを受け継ぐだけでよかった。船で北に向かうと大学街のサレルノがあり、こことも交流が盛んでした(The MAp of Knowledge,Violet Moller,PICADOR)。③1943年米英軍がシチリア島から南イタリアへと上陸すると、国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世がムッソリーニを解任して逮捕・投獄しました。枢軸国側の最初の無条件降伏となりました。④順としてはフェニキア人が先で、後でギリシア人が東部に来ます。双方の争いはローマの介入するところとなりポエニ戦争に発展しました。

問2[ 30 ]
 空欄[ ア ]は、「地域2」の文章にヒントが満載です。「島国の首都……大陸の王家とも関係……14世紀に始まり15世紀まで続いたこの戦争……1851年に万国博覧会」とあるのでイギリス・ロンドンのことだと判ります。「[ ア ]の国の歴史について述べた文」は「の王位をめぐる戦争」とあるのでこのイギリスと戦ったフランスです(百年戦争)。とすれば「あ」が正文で「ルール占領」を「第一次世界大戦後」にやっています(1923年『ワン』ルール、い1923)。「い」のカルマル同盟はデンマークと組んだのはフランスでなくスウェーデン・ノルウェーでした。
 [  イ  ]に入れる文は「X」百年戦争の一因です。当時のイギリスは植民地のように原料供給地・製品市場でした。つまりフランドルのブルージュ・ガン・アントワープなどに原毛を輸出していたのです。ところがフランドルで戦争がはじまると毛織物の技術者がイギリスに亡命してきて、かれらを保護したことからイギリスが毛織物工業国に代わっていくのです。最終的にイギリスは敗戦国になりますが、技術移転がおきました。戦後のテューダー朝がこの産業で台頭してきます。よって正解は①。「Y」ノルマン朝は1066年にノルマン=コンクェストの結果としてできるので(『ワン』ノルマン、コント106ール6)、百年戦争(1339〜1453)とは時間がずれています。「戦争中」にできる王朝はランカスター朝です(1399)。この戦争中のランカスター家とヨーク家の争いが百年戦争後にばら戦争に発展します。

問3[ 31 ]
 「古代ローマの支配下に入った順」を問うているので、地域3が内容からアテネと判ります。どうしても今年はこのオリンピック話題を入れたかった、というところでしょうか。はて、開催できるかな? 
 「地域1」シチリア島はポエニ戦争(前264〜前146)の発端であり、かつ最初の属州でした。「地域2」はクラウディウス帝が43年にブリタニア南部の征服に成功しています。地中海から遠いからだいぶ後だろうな、という推理であたっています。ローマの拡大はシチリア島からはじまり、地中海世界一帯、そしてガリア(フランス)、そしてイギリス(当時はブリタニア)と北に延びていきました。
 「地域3」はギリシアを征服する戦争は、マケドニア戦争といって第二次ポエニ戦争(別名ハンニバル戦争)と第三次ポエニ戦争の間が約50年空いていて、その間におこなった戦争(前215〜前148)です。東地中海(ヘレニズム世界)征服戦争でした。戦闘は前168年でほぼ終わっています。マケドニアとは当時のギリシアのことです。正解は②。地域1(ポエニ戦争)→地域3(東地中海征服)→地域2(紀元後元首政下の征服)の順。


問4[ 32 ]
 「空欄[ ウ ]に入れる人物の名」はこの石碑を造らせた「韓国」「朝鮮」の「幼かった国王に代わり、当時の実権を握ってい」た人物なので、清末の宮廷を牛耳っていた「あ 西太后」でなく「い 大院君」であることは容易です。教科書(詳説)には「1860年代にはいると、欧米諸国は鎖国を続ける朝鮮に対し開国をせまるようになった。しかし、高宗の摂政大院君はこれを拒否し、攘夷につとめた」と書いてあります。「[   エ   ]に入れる文」も「X」でなく「Y 欧米列強に対して徹底的に抗戦すること」であることは、「洋夷」「斥邪」「邪教」という語句でも明らかです。正解は④。容易すぎる問題でした。

問5[ 33 ]
 「キリスト教を邪教」にたいして「朝鮮が重んじた[ オ ]を正しい教え」は何かというこれも易問。儒教・儒学・朱子学の説明として正しいものを選べというセンター試験のような問題。①道教、②陽明学の批判は性即理・理気二元論・客観性・主知主義にたいして心即理・一元論・主観性(致良知)・実践性(知行合一)を対峙している点です。これが正解。③仏教、④全真教。

問6[ 34 ]
 年代順の問題なので、4つのことが何を指しているか判らないとどうしようもないですが、どれも干支(えと)の文字が文章の中にあるので想起しやすいつくりです。ただ年代がみな近いので、今回の唯一の難問だったといえるでしょう。
 う壬午軍乱(壬午事変、1882年、『ワン』痔後、ひと1は8恥82ずかしい)は、俸給米の遅れ、朝鮮軍を指導する日本軍教官の横柄な態度、米と金の買い占めに走る商人と銀行家、日本に取り入る閔妃一族が許せないと一族殺害と日本公使館襲撃にいたった事件です。大院君がやらせたらしいクーデター事件ですが、清朝が袁世凱に介入させて鎮圧し閔妃が復帰します。閔妃は親日から親清に転換します。
 え甲申事変(清仏戦争と同年であり、またこの戦争をチャンスととらえておこなったクーデター失敗事件、『ワン』神仏交信、火1884)は壬午軍乱の後に開化派は親清の事大党と親日の独立党に分裂し、後者がおこしたものです。親清の閔妃政権を倒すべくおこした親日派官僚のクーデターですが三日天下で終わります。福沢諭吉がしくんだと見られています。失敗が明らかになると福沢は「今回の事変で日本はその被害者であり、支那と朝鮮は加害者である。私が目指す当の敵は支那であるから、まず朝鮮京城の支那兵を皆殺しにし、我が兵は支那に侵入し、直ちに北京城を陥れ、支那人もどうすることもできなくなり、我らが正当の要求を承諾し低頭し謝罪するまでの処置を取らなければならない」と書きます。福沢は他国にたいして平然と軍事介入を扇動するヘイトスピーカーでした。
 お甲午農民戦争(1894年、『ワン』1894)は日清戦争の原因とした戦争です。この農民反乱は李氏朝鮮政府にたいする反乱・戦争であり、日清は無関係でしたが、政府が清朝に援軍を求めたため朝鮮半島を戦場にたたかうことになりました。しかし政府と農民とは全州和約で和解してしまい、戦闘が始まる前に終わっており、日清両軍の派兵の意味がなくなりました。日本軍は甲申事変後の日清天津条約(1885)にしたがって派兵したものの、目的がなくなり、朝鮮政府の改革という別の目的を創作し、かつ宮廷を占拠して国王をあやつり、進軍撤退を言わせます。断わった清朝との戦闘に入ります。さらに再蜂起した農民との戦闘がありました。つまり教科書のように「全琫準らが甲午農民戦争(東学党の乱)をおこすと、両国軍が出兵して日清戦争となった(詳説)」というほど単純な戦争ではありません。四国の「後備歩兵第十九大隊」が抵抗する農民を殲滅(せんめつ/ジェノサイド)した戦争でした。日清戦争は呼び名がまちがいで、日清朝戦争と呼ぶべき戦争です。
 正解は①。覚え方(『各駅停車』)は「壬午軍乱→甲申政変→甲午農民戦争→日清戦争→下関条約→三国干渉(頭文字)壬甲甲日下三 じここにしさん(事故小西さん)」   

 結論としての対策
 ①センター試験とレベルは変わらないが、出題の形式がかわったためとっつきにくくはなりました。しかし基本的には正誤問題なので、従来のセンター試験過去問で正誤判断の訓練をすること。市販の共通テスト問題集は役に立たない。この共通テスト風の難易度、どちらかといえば易しめの問題をつくるのは意外と難しいからです。難しい問題はつくりやすいものです。
 ②時間差問題も相変わらずよく出題しているので、年代を覚えることは得策であること。とくに共通テストの時間差問題は資料読解問題が易しいために、時間も場所もバラバラな出来事が並列されていて、時間差で受験生を迷わせようという意図が見えます。中谷まちよ著『世界史年代ワンフレーズnew』(パレード)を勧めます。抜群におぼえやすい。
 ③資料として史料が材料になるのは、これで確定した形式ですが、そうかといって資料集のようなものを勉強する必要はないようです。教科書にのっている史料(ハンムラビ法典、マグナ=カルタ、権利の章典、アメリカ独立宣言、人権宣言)は必ず把握しておいてください。他のものに関しては、今回の問題でもわかるように、出題しそうな史料というのはまず当てることはできない。問題は容易でも問題そのものはけっこう専門的な内容になっているので大学教授がかかわっていることは明らかです。教授の専門性にせまることは不可能でしょう。史料を出しても高校生にわかるような、読めるレベルに直して出していますから、史料探しをする必要がありません。
 ④地図を絶えず参照しつつ勉強すること。センター試験でもそうでしたが、これは今回の場合でも「ブルガリア」の位置を問う問題は教科書(詳説)では「ベルリン条約後のバルカン半島」という地図に載っていて、地図は教科書は豊富にあるので、これも他の参考書をあさる必要がありません。
 教科書・『世界史年代ワンフレーズnew』・古いセンター試験問題集の3点で満点をねらいましょう。