問題は以下でダウンロードしてください。地図・グラフは省いてあるので。ただし第1問だけ地図を載せました。
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00035517.pdf&n=02-04-2_問題冊子_世界史B.pdf
2回の試行テストの中ではこの2回目の問題が来年[2021]のテスト内容に近いと思われるので、このテストで検討します。これは1回目の試行テストと現行センター試験の中間くらいの形式だからです。1回目はがんばりすぎて写真・図・グラフが多すぎました。
わたしの解説箇所は以下の◆のところ。対策は末尾に書いてあります。
世界史B(解答番号1〜34)
第1問
現在の世界の諸地域は,長年にわたる地域間の接触と交流の中で形成されてきた。世界史における接触と交流について述べた次の文章A〜Cを読み,下の問い(問1〜8)に答えよ。(配点 24)
A 次の地図は,地中海とその周辺地域を表している。この地図中の矢印は,歴史上生じた大規模な人の移動の始点と終点並びに移動の方向を,大まかに描いたものである。矢印aと矢印bは,ヨーロッパと北アフリカとの間の南北方向の移動を,また,矢印cと矢印dは,ヨーロッパと西アジアとの間の東西方向の移動を,それぞれ指している。
A
問1 矢印aまたは矢印bが示す人の移動について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 1 ]
① 矢印aは,ノルマン人によるシチリア王国の建国を表している。
② 矢印aは,ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服を表している。
③ 矢印bは,ムッソリーニによるエチオピア侵攻を表している。
④ 矢印bは,ド=ゴールによるアルジェリアの植民地化を表している。
◆矢印aはモロッコからイベリア半島に向かっていて、矢印b はフランスからアルジェリアに向かっています。①ノルマン人はスカンディナビア半島から南下するので、この地図の矢印のどれも該当しません。②これが正解。711年にジブラルターリクが海峡を越えてゲルマン人の西ゴート王国を征服しました。③これは地理の問題でもあり、この地図の中にエチオピアが存在しないことが分かるかどうか。④ド=ゴールはアルジェリアの独立を承認した大統領であり(『ワンフレーズ』[以後『ワン』]語呂「あるじ独立、僕196622[歳])、植民地化したときの王はシャルル10世(『ワン』語呂1830、「あるじ、飛1ば8さ3れ0」)です。
時間が中世と現代にまたがり、歴史地理も広くとっていて世界史らしい良問です。通常から教科書の地図をよく見ながら勉強しないと解けないですね。
問2 矢印cまたは矢印dが示す人の移動の事例あ〜えと,それについて説明した文X・Yとの組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。[ 2 ]
事例
あ 矢印c―第1回十字軍
い 矢印c―東方植民
う 矢印d―フン人の西進
え 矢印d―ウィーン包囲
説明
X エルベ川以東で,ドイツ騎士団が中心となって行った。
Y オスマン帝国のスレイマン1世が行った。
① あ―X
② い―Y
③ う―X
④ え―Y
◆「あ」の矢印cが正しい。「え」の矢印dが該当しています。Xは東方植民の一例であり、地図に矢印がありません。したがって④のスレイマン1世の遠征の一つとしてウィーン包囲がありました。
問3 上の地図で表された地域において接触した可能性がある勢力の組合せとして誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 3 ]
① 共和政ローマとカルタゴ
② メロヴィング朝とマムルーク朝
③ ビザンツ帝国(東ローマ帝国)とヴァンダル王国
④ スペイン王国とナスル朝
◆地図上の矢印は無視しないといけない。「地域」ということなので地中海世界全体での対立関係を考えなくてはならない。すると時間的に対立関係になりそうもないものが②です。メロヴィング朝はカロリング朝ができるまでつづいた王朝で、751年まででした(『ワン』語呂「カロリー、ピンピン、長7ご5〜い1王朝」)。マムルーク朝は1250年がスタートでした(『ワン』語呂「マルーク、一1つ2小5丸0」)。時間がちがいすぎます。
B 地図1は,朝鮮で作製された『混一疆理(こんいつきょうり)歴代国都之図』である。14世紀に中国で作られた2種類の地図を基に,朝鮮半島と日本列島の地図を合わせて,1402年に作製されたと伝えられている。地図1の左端には,参考図に示したように,不正確とはいえ,アラビア半島とアフリカ,それにヨーロッパが描かれている。アフリカの中に描かれている巨大な湖のようなものは,①当時サハラ貿易で栄えていたトンブクトゥのある,ニジェール川流域を描いたものとする説もある。地図1の基となった地図が作られた時代には,[ ア ]ことが知られているように東西交通が活発であり,これらは,そのような交流を通じてもたらされた知識の反映と考えられている。地図2は,地図1から200年後に中国で作製された『坤輿万国全図』である。地図1と比べると,描かれた大陸が実際の形に近づいただけでなく,地図1には描かれなかった大陸が増えていて,その間に[ イ ]ことなどを通して,地理的知識が拡大したことが読み取れる。
地図1
地図2
地図1参考図(部分)
ナイル川
ヨーロッパ
アラビア半島
アフリカ
インド洋
(この地図は,海岸線が明確になるよう,元の地図に加工を施している。)
問4 下線部①について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 4 ]
① 生糸と銀の貿易で栄えた。
② 金と塩(岩塩)の貿易が行われた。
③ 毛皮と薬用人参が主な貿易品だった。
④ 香辛料を求めて,ヨーロッパ人が進出した。
◆サハラ貿易の正解は②です。モロッコの岩塩とニジェール川上流で採れる金が同じ目方で取引きしたという貿易。センター試験の過去問にもあります(2003追、2008、2010、2015)。
問5 文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる文a〜fの組合せとして正しいものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。[ 5 ]
a ヴァスコ=ダ=ガマが,ヨーロッパからのインド航路を開拓した
b 大秦王安敦の使者とされる者が,東南アジアに到来した
c アムンゼンが,南極点に到達した
d イブン=バットゥータが,アフリカやユーラシアを旅行した
e クックが,太平洋を探検した
f マゼランの艦隊が,世界周航を行った
① ア―a イ―b
② ア―a イ―e
③ ア―c イ―b
④ ア―c イ―f
⑤ ア―d イ―e
⑥ ア―d イ―f
◆導入文「14世紀に中国で作られた……1402年に作製された」がヒント。この時期以前に旅行しているひとの文章はbとdになり、とくに「ニジェール川」云々とあればこの地域を旅行したイブンバットゥータがふさわしい。ところが地図2になると、「大陸が実際の形に近づいた」とあるので16世紀の大航海時代のもの、と推測されるので、正解⑥。eクックは18世紀のひと。cアムンゼンは1911年に南極到達。
問6 地図1の作製時期と,朝鮮半島の歴史について述べた次の文a〜cとが,年代の古いものから順に正しく配列されているものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。[ 6 ]
a 甲午農民戦争が起こった。
b 楽浪郡が置かれた。
c 豊臣秀吉が送った軍勢の侵攻を受けた。
① 地図1→a→b→c ② a→地図1→b→c
③ b→地図1→c→a ④ a→b→地図1→c
⑤ b→c→地図1→a ⑥ b→c→a→地図1
◆「地図1の作製時期」は「1402年」と書いてあり、するとaは日清戦争の原因にしたものととるか、あるいは年代を覚えていたらいい(『ワン』語呂は「百189姓4」、日清戦争の語呂は「日清焼きそば、人1焼8く9よ4」)、b楽浪郡設置は前108(『ワン』語呂は「楽天10馬8」)、c秀吉の朝鮮侵略(秀吉は異1国59に2来9な7)。正解は③となる。かつてのセンター試験の時間差問題(年代の古いものから順に)から比べると時間の長さが長く、区別しやすく、容易なものになっています。
C 海外旅行の候補地としてカナダに興味を持った林さんは,カナダでは1969年に制定された公用語法によって,英語とフランス語を公用語とする二言語政策を採っていることを知った。この政策は,ヨーロッパ人による入植以降の北アメリカ大陸の歴史を反映したものであり,近年では外国からの移民の増加に伴って,英語・フランス語以外の言語を第一言語とする人々が増加の傾向にあるという。そこで,林さんは下調べのために図書館へ行き,カナダの言語事情に関する次の資料を見つけて,メモ作りを始めた。
カナダ全体
ケベック州
ケベック州以外
英語
フランス語
その他
2011年国勢調査で申告された第一言語(母語)の比率
問7 林さんは,2011年国勢調査における第一言語の比率について,その歴史的な要因を考えて,次のメモ1を作った。メモ1中の空欄[ ウ ]と[ エ ]に入れる文a〜dの組合せとして正しいものを,下の1〜8のうちから一つ選べ。[ 7 ]
メモ1
⃝●カナダ全体で,第一言語の比率が資料のようになっているのは,[ ウ ]ことが要因だと考えられる。
⃝●ケベック州で,第一言語の比率が資料のようになっているのは,[ エ ]ことが要因だと考えられる。
歴史的な要因
a 史上初の黒人共和国になるまで,フランスの植民地であった
b イギリス連邦の成立まで,イギリスに従属する植民地であった
c ブルボン朝の時代に,フランスの植民地が建設された
d プラッシーの戦いの結果,イギリスによる支配の基礎が築かれた
① ウ―a エ―b
② ウ―a エ―c
③ ウ―b エ―c
④ ウ―b エ―d
⑤ ウ―c エ―d
⑥ ウ―c エ―a
⑦ ウ―d エ―a
⑧ ウ―d エ―b
◆易しすぎる問題。比率表では英語が多いことは、歴史的な要因のbを、ケベック州だけはフランス語が圧倒的に多いので、空欄エに入るのは文章cとなります。aは黒人で共和国になるまでとはフランスのアフリカにある植民地であり、dプラッシーの戦いはインドの出来事。正解③。
問8 林さんは,上の国勢調査でその他の言語を第一言語として申告した人々には,アジア系の移民が多く含まれていることを知った。アジアから北アメリカ大陸への移民に関する次のメモ2中の空欄[ オ ]と[ カ ]に入れる語句の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。[ 8 ]
メモ2
アジアからアメリカ合衆国への初期の移民の多くは中国人であり,1860年代の西部での[ オ ]のための労働力需要を支えた。中国人に続いて,日本人の移民も増加した。しかし,新たな移民に対する反感が強まり,1920年代には,人種偏見を背景として,[ カ ]移民法が制定された。
① オ―大陸横断鉄道の建設 カ―アジア系の移民を禁止する
② オ―大陸横断鉄道の建設 カ―特定の居住地に強制移住させる
③ オ―パナマ運河の開削 カ―アジア系の移民を禁止する
④ オ―パナマ運河の開削 カ―特定の居住地に強制移住させる
◆これも容易な問題。空欄オは「1860年代の西部……労働力需要」とあるので、1869年の大陸横断鉄道の開通事業にあたります(『ワン』語呂は「人1は8ロ6ケ9ット」)。パナマ運河は西部でなく南部になります。空欄カは「人種偏見……移民法」なのでアジア人差別として移民を禁止する法が制定されました(1882年中国人排斥法、1924年排日移民法)。正解は①。
(下書き用紙)
第2問 世界史上の政治思想について述べた次の文章A〜Cを読み,下の問い(問1〜8)に答えよ。(配点 23)
A ギリシア人ポリュビオスは,著書『歴史』の中で,ローマ共和政の国制(政治体制)を優れたものと評価している。彼によれば,その国制には,コンスルという王制的要素,元老院という[ ア ]制的要素,民衆という民主制的要素が存在しており,これら三者が互いに協調や牽けん制せいをしあって均衡しているというのである。ローマ人はこの政治体制を誇りとしており,それは,彼らが自らの国家を指して呼んだ「ローマの元老院と民衆」という名称からも読み取ることができる。共和政期末の内戦を勝ち抜いたかに見えた[ イ ]でさえも,この体制を壊そうとしているという疑いをかけられ,暗殺されてしまった。
こうしたローマ国制についての理解は,以後のローマ人著作家を経由して,近世以降のヨーロッパ知識人層にも受け継がれていった。その影響は,モンテスキューらが唱え,アメリカ合衆国憲法をはじめとする近代憲法にも定められている[ ウ ]という考え方にも見ることができる。
ポリュビオスはまた,ギリシアのポリスの国制についても詳しく述べている。ただし,アテネについては「幾度か繁栄のときを迎え,とくにテミストクレスの活躍と時を同じくして最高度の輝きを放ったけれども,その浮(うわ)ついた国民性のゆえにたちまち逆境の淵(ふち)に突き落とされた」と述べ,例外的な存在と位置づけている。
問1 文章中の空欄アとイに入れる語の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 9 ]
① ア―貴族 イ―カエサル
② ア―貴族 イ―オクタウィアヌス
③ ア―僭主 イ―カエサル
④ ア―僭主 イ―オクタウィアヌス
◆これも容易な問題。空欄アは「元老院という……制的要素」とあり、貴族制が該当します。僭主は独裁者のことだから「要素」にはなりらくい。空欄イの後に「暗殺されてしまった」とあるのでカエサルと分かります。よって正解は①。
問2 文章中の空欄ウに入れる語句として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 10 ]
① 最大多数の最大幸福
② 君主の権力は神によって授けられた
③ 立法・司法・行政をそれぞれ異なる機関に委ね,権力の均衡を図る
④ 王は君臨すれども統治せず
◆空欄ウの前に「アメリカ合衆国憲法をはじめ」とあり、モンテスキューの唱えた三権分立が該当するので、正解は③となります。①ベンサム、②王権神授説、④英国の責任内閣制。
問3 ポリュビオスが言う「最高度の輝きを放った」時期のアテネについて説明している文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 11 ]
① 国を二分した内戦の中で,奴隷解放宣言が出された。
② 市民を債務奴隷にすることが禁じられるとともに,財産政治が導入された。
③ 戦車と鉄製の武器を用いて,オリエントを統一した。
④ 軍船の漕ぎ手として活躍した下層市民が,政治的発言力を強めた。
◆これも容易な問題。④下層市民が発言権を高めた、という部分は民主政最盛期を表しています。①アメリカ合衆国、②ソロンの改革はまだ民主政の前の段階。③アッシリア帝国。
B 次の文章は,ある日本人の回想録の一節である。(引用文は原文を一部省略したり,改めたりしたところがある。)
当時,清国皇帝は,康有為の意見をいれて鋭意国政の改革をはかり,要路(注1)の旧守派(注2)はこれに反抗の色を示し,北京の政界ようやく不穏の形勢を現じ来たれる時なりしかば,余は先ず香港に至り,ひそかに興中会および三合会(さんごうかい)中の人に交(まじわ)りを結んでその形勢を視察し,またフィリピンの志士と交結するの機会を得たり。はじめてポンセ君(注3)と相い見(まみゆ)るや,彼,テーブルを拍(たた)いていわく,「君知らずや,さきに[ a ]の[ b ]と釁(さん)を生ずるや(注4),我らをして内応せしめて,事平(たいら)ぐに至らば自主独立を許すを誓う。我らはその言を信じて,命を賭として戦えり,自主独立を希(こいねが)うが故(ゆえ)なり。しかして[ c ]は敗走せり,皆おもえらく,自主独立の民たるを得ん,と。いずくんぞ知らん,[ d ]のために①隷属を強いられんとは」。自由のために[ e ]と戦いし我らは,今また自由のために[ f ]と戦わざるべからざるなり」と。(宮崎滔天(とうてん)『三十三年之夢』)
(注1) 要路──重要な地位
(注2) 旧守派──守旧派に同じ。保守派
(注3) ポンセ君──文中に見える「フィリピンの志士」の一人
(注4) 釁を生ずる──戦争を始める
問4 文章中の空欄a〜fは,二つの国名によって埋めることができる。その国名の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 12 ]
① ロシア 日本 ② スペイン 清国
③ 日本 清国 ④ アメリカ合衆国 スペイン
◆ヒントはフィリピンの志士の発言であること、康有為・興中会の用語から 19世紀末の戦争であること、フィりピンが関わる戦争だな、とすれば米西戦争ではないか、という推理です。正解は④。
問5 下線部①の「隷属を強いられんとは」という言葉によって,「ポンセ君」が言い表そうとした事態として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 13 ]
① 植民地として統治される。
② 不平等条約によって,関税自主権などを失う。
③ アパルトヘイトによって差別される。
④ 大国の委任統治領とされる。
◆この場合もポンセ君がフィリピンのひとなので、米西戦争の結果として「植民地」になった①が正解。②は中国・朝鮮・日本など。③南アフリカ、④第一次世界大戦後の中東。
問6 上の文章から判断して,この回想録の著者である「余」はどのような活動に従事していたと考えられるか。考えられる活動として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 14 ]
① 文章中の「清国皇帝」に協力して,同国の政治改革を阻もうとする活動
② 中国や他のアジア諸地域における民族主義を支援する活動
③ コミンテルンの指導の下に,社会主義者を組織する活動
④ 文章中の「旧守派」と連携して,共和国の樹立を目指す活動
◆「隷属」と非難するポンセ君や「余は先ず香港に至り,ひそかに興中会および三合会中の人に交(まじわ)りを結んで」いるので、民族主義を応援する立場にあることは明らかです。といってコミンテルン(1919、『ワン』語呂は「小耳、ヒ1ク9ヒ1ク9」)はまだできていないので除外。②が妥当です。
C 日本に留学しているスラメットさんが,友人の香織さんに,次の図を見せながら,母国のインドネシアについて説明している。
■図
スラメット:この図は,1950年に制定された「パンチャシラ=ガルーダ」と呼ばれるインドネシア共和国の国章です。
香 織 :ガルーダは,ヴィシュヌ神の乗り物とされる神鳥ですね。ガルーダが両足でつかんでいるリボンには,何が書かれているのですか。
スラメット:「多様性の中の統一」という意味で,インドネシアを象徴する言葉です。
香 織 :なぜ,国章にそのような言葉が使われているのですか。
スラメット:②現在のインドネシアは,多くの島々から構成されており,たどってきた歴史も多様です。20世紀になると,植民地支配からの独立運動が展開され,インドネシアとしての統合のため「多様性の中の統一」が共通のスローガンとして用いられるようになりました。
香 織 :ガルーダが身に付けている盾は何を意味しているのですか。
スラメット:パンチャシラという,インドネシアの建国五原則を図案化したものです。例えば,真ん中の星は唯一神への信仰を表しています。これは,イスラーム教を国教としているということではなく,キリスト教やヒンドゥー教,仏教も容認されており,国民それぞれが自分の宗教を持つことを勧めているのです。その他には,インドネシア民族主義,国際主義・人道主義,全員一致の原則,社会の福利があり,現在の憲法前文にも引き継がれています。
問7 下線部②について述べた文として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 15 ]
① 交易で海港都市が栄え,スワヒリ語が生まれた。
② 大乗仏教の寺院であるボロブドゥールが建設された。
③ ドンズー(東遊)運動が提唱され,日本への留学が奨励された。
④ ソ連のミサイル基地が建設され,アメリカ合衆国との間で緊張が高まった。
◆①スワヒリ語はアフリカの言葉、②これが正解。「ボロでも大丈夫(大乗仏教)シャ(シャイレンドラ朝)」と覚えます。③ベトナム、ファン=ボイチャウ(潘佩珠)の日本留学運動です。④キューバ危機。
問8 会話文にあるパンチャシラ(建国五原則)の内容と国章の図柄とを参考に,インドネシアの建国の指導者の名a・bと,その人物が目指したと考えられる事柄について述べた文あ・いとの組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。[ 16 ]
インドネシアの建国の指導者の名
a スカルノ b ナセル
インドネシアの建国の指導者が目指したと考えられる事柄
あ 地域や宗教の違いを超えて,国民全体の統合を目指した。
い 国民の政治的な権利を抑圧しながら,国家主導の経済開発を目指した。
① a―あ ② a―い
③ b―あ ④ b―い
◆aインドネシアの指導者で、bはエジプトの2代目の大統領、「あ」がスラメットの発言の中に「国民それぞれが自分の宗教を持つことを勧めている」とあるので、正解は①。「い」はナセルのスエズ運河国有化政策があります。
第3問 現在,世界各地の博物館や美術館には,かつて世界を結び付けてきた交易品や貨幣が収蔵されている。世界史上のモノについて述べた次の文章A・Bを読み,下の問い(問①〜⑥)に答えよ。(配点 18)
A 次の図1・2は,イスタンブルのトプカプ宮殿に収蔵されている中国製磁器である。
■図1 図2
問1 図1の碗(わん)は,マラッカ(ムラカ)の総督であったPerodeFariaという人物が注文して,1541年に中国で作らせたものである。その名と製作年が,碗の縁に沿って記されている。この碗の来歴はどのようなものと推測できるか。考えられることとして最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 17 ]
① この碗が作られた当時,マラッカを統治していたオスマン帝国の総督が,碗をイスタンブルのスルタンに献上したのだろう。
② この碗が作られた当時,碗は注文主の手によって,インド洋を横断し,スエズ運河を経由してイスタンブルにもたらされたのだろう。
③ この碗が作られた当時,カントン(広州)貿易はイギリスが支配していたので,碗を運んだのは東インド会社の船だったのだろう。
④ この碗が作られた当時,マラッカは東洋貿易の拠点であったので,碗は中国からまずマラッカに運ばれたのだろう。
◆①マラッカをオスマン帝国が支配することは地理的に無理です。②スエズ運河は1869年にできるので、1541年当時にまだ存在しません。③カントン貿易をイギリスが支配できるのはアヘン戦争(1840〜42)以降なので無理。④これが問題のない文章で、正解。
問2 図1の碗が作られた世紀には,中国で社会・経済にわたる変化が起こった。その変化について述べた文ア・イと,その変化について説明した文a〜dとの組合せとして正しいものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。[ 18 ]
中国で起こった変化
ア 海上貿易が活発化し,海禁政策が崩れた。
イ 銀の流通が拡大した。
その変化についての説明
a これを一因として,新法と呼ばれる制度改革が実現した。
b 日本やアメリカ大陸からの流入の増大が,その一因であった。
c これによって,公行を通した貿易の管理が廃止された。
d これによって,日本との間で勘合貿易が始まった。
① ア―a ② ア―c ③ ア―d
④ イ―a ⑤ イ―b ⑥ イ―c
◆「図1の碗が作られた世紀」とは16世紀、明末といわれる時期です。中国でおこった変化は「ア」「イ」どちらでも良いみたいですが、海禁が「崩れた」と断言できるのは、アヘン戦争以降です。緩和はしていますが。すると「イ」で、「その変化の説明」としては「b」が適切です。正解は⑤。「a」新法は宋代の王安石(『ワン』語呂は「新法は登10録69で」)。「c」1842年の南京条約で廃止。「d」勘合貿易は明朝・永楽帝の代から(1404)。
問3 図2の器のように,顧客の注文によって中国で製作された磁器は,18世紀のヨーロッパにも輸入された。こうした磁器の輸入は,ヨーロッパにおいて,新しい飲食習慣が拡大したことと並行していた。このことについて述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 19 ]
① 茶を飲む習慣が広まった。
② 輸入された砂糖の消費が拡大した。
③ 穀物からパンが作られるようになった。
④ コーヒーハウスが流行した。
◆正解③「穀物からパン」は新石器時代の農耕のときからあります。①日本からオランダに伝わり、名誉革命のさいにオレンジ公がイギリスに伝えます。②17世紀、紅茶はコーヒーハウスから生まれます。④1650年にオクスフォードで出来たのが最初の店らしい。
B 次の貨幣X〜Zは,ロンドンの大英博物館に収蔵されている,南アジアの金貨である。なお,貨幣の写真は左が表側,右が裏側である。
貨幣X ■
裏側に描かれているのはインドの女神である。この貨幣を発行した王朝では,サンスクリット文学が栄え,それまで伝承されてきた法典や叙事詩が,現在に伝わるような形へと集大成された。仏教も盛んで,ナーランダー僧院など
を通じて,①中国との交流も行われた」。
貨幣Y ■
表側にはこの貨幣を発行した王朝の君主が描かれ,裏側にはブッダを意味する語がギリシア文字で刻まれている。この王朝の西に位置したパルティアも,初期には貨幣の銘文にギリシア文字を採用していた。だが,これらの地域ではギリシア文化の影響は次第に小さくなり,パルティアを滅ぼした国家では,[ ア ]など,イラン地方の伝統に回帰した。
貨幣Z ■
貨幣の表側にはアラビア文字が刻まれており,「アッラーの他に神はなく,ムハンマドは神の使徒である」と記されている。貨幣Zを発行した君主は,この銘文が表している宗教を信仰しながらも,人頭税(ジズヤ)を免除するなどしてインドの住民の信仰との融和を図り,北インドをほぼ支配下に収めることに成功した。
問4 下線部①について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。[ 20 ]
a 鳩摩羅什が,中国から西域へ旅し,仏教を広めた。
b 法顕が,中国からインドへ旅し,『仏国記』を著した。
① a―正 b―正
② a―正 b―誤
③ a―誤 b―正
④ a―誤 b―誤
◆「a」鳩摩羅什の説明がまちがい。鳩摩羅什はクチャ(亀茲)出身でインドに留学して学び、それを中国に伝えにきた訳経僧です。「b」正しい説明。正解は③。
問5 文章中の空欄[ ア ]に入れる語句として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 21 ]
① ゾロアスター教を国教とする
② ゴシック様式の建築が広まる
③ キープ(結縄)を用いる
④ 神聖文字を用いる
◆「パルティアを滅ぼした国家では,[ ア ]など,イラン地方の伝統に回帰」の国家はササン朝であり、この王朝では①のようにゾロアスター教が国教になりました。これが正解。②西欧の12世紀から、③インカ文明、④古代エジプト。
問6 貨幣X〜Zが,発行年代の古いものから順に正しく配列されているものを,次の①〜⑥のうちから一つ選べ。[ 22 ]
① X→Y→Z ② X→Z→Y ③ Y→X→Z
④ Y→Z→X ⑤ Z→X→Y ⑥ Z→Y→X
◆Xは「サンスクリット文学が栄え」とありグプタ朝が連想できます。ナーランダー僧院もグプタ朝でした(グプタ朝は『ワン』語呂は「愚豚にさ3つ2まる0いも」)。Yは「西にパルティア」とあり、クシャーナ朝の君主カニシカ王で、第4回仏典結集を行っています(『ワン』語呂は「クシャーミ44個5」)。Z「人頭税(ジズヤ)を免除」とあるのでムガル帝国のアクバル帝(『ワン』語呂は「悪張る千1個5殺56す」)。正解は③。
(下書き用紙)
第4問 世界史上の国家間の関係について述べた次の文章A・Bを読み,下の問い(問1〜5)に答えよ。(配点 17)
A 次の絵は,「王のケーキ」という題が付いている風刺画で,ポーランドの王と,ポーランドを分割する3国の君主たちが描かれている。君主たちの上方に描かれているのは,噂(うわさ)や名声を象徴する天使ペーメーで,ラッパでこの知らせを広めている。ポーランドは,この後,数回にわたって分割され,19世紀には独自の国家を持つことはなかった。①20世紀になって独立を回復したが,大国の狭間(はざま)にあって,たびたび難しい舵(かじ)取りを迫られた。
問1 下線部①に関連して,20世紀前半のヨーロッパにおける政治状況について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 23 ]
① スペイン内戦で,フランコが勝利した。
② ユーゴスラヴィア連邦が解体した。
③ イギリスで,保守党と労働党が二大政党となった。
④ フランスとベルギーが,ルール地方を占領した。
◆「20世紀前半」とあり、①1935年(『ワン』語呂「スペイン内、闘1牛9見3る6」)、②1991年、東欧の共産党政権崩壊につづく出来事(『ワン』語呂は「東欧、東1旧9焼8く9」)、20世紀後半になります。これが正解。③労働党が政権をとったのが1924年が最初で、自由党に代わることになりました(『ワン』語呂はマクドナルド労働党内閣「マック、一1工9夫2よ4、肉29、最高31」)。④1923年(『ワン』語呂は「ルール、い1く9つ2さ3」)。この問題はセンター試験とよく似ています。
問2
⑴ 絵の中の「あ」と「い」について,それぞれが表している国とその君主の名の組合せとして正しいものを,次の①〜⑥のうちから一つ選べ。なお,正しいものは複数あるが,解答は一つでよい。[ 24 ]
① あ:ロシア―エカチェリーナ2世
② あ:イギリス―エリザベス1世
③ あ:フランス―ルイ14世
④ い:ロシア―ニコライ2世
⑤ い:プロイセン―フリードリヒ2世
⑥ い:イタリア―ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世
◆ポーランド分割に加わった国々として、書いてあるオーストリア以外にプロイセンとロシアがあり、ロシアのエカチェリーナ2世が3回のどの分割にも参加しているので、①と⑤が双方とも該当します。
⑵ ⑴で選んだ答えについて,その国や王朝の歴史について述べているものを,次のa〜hから三つ選択し,それらを年代順に配列したものとして正しいものを,下の①〜⑧のうちから一つ選べ。[ 25 ]
a シュレジエンを獲得した。
b ウィーン会議に参加した。
c ローマ教皇領を併合した。
d ペテルブルクを築いて,都とした。
e テューダー朝が開かれた。
f ユトレヒト同盟を結成した。
g ドイツ帝国を建国した。
h 三国協商を形成した。
① a→b→g ② b→a→h ③ c→a→b
④ d→b→h ⑤ e→f→b ⑥ f→g→h
⑦ g→a→d ⑧ h→e→c
◆ 「a」プロイセンがオーストリア継承戦争と七年戦争で取り上げた地域です。「b」普露ともに参加してます。「c」イタリア王国が1870年に実現。「d」ピョートル1世のとき。「e」イギリスの王朝。「f」オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の対スペイン独立戦争。「g」プロイセン王国が主導しました。「h」英仏露の協商(英仏協商と英露協商)。上の24の解答を①にした場合は④、解答が⑤の場合は① となります。
B 次の資料1・2は,中国の王朝と近隣の国家との関係に関するものである。(引用文は原文を一部省略したり,改めたりしたところがある。)
資料1 トルコ語碑文「ビルゲ=カガン碑文」(735年建立)
天神のごとき天から生まれた突厥のビルゲ=カガンとして,この時,私は即位した。ウテュケン(モンゴル高原にある聖山)の山林より良いところはない。国を保つべき地はウテュケンの山林である。この地に住んで,我々は中国の民と和睦した。彼らは金・銀・酒・[ ア ]を限りなく与える。中国の民の言葉は甘く,その[ ア ]は柔らかい。甘いその言葉,柔らかいその[ ア ]に欺かれて,多くの突厥の民が死んだ。その地に行くと,お前たち突厥の民よ,死ぬぞ! ウテュケンの地に住んで,隊商を送るのであれば,お前たちにいかなる憂苦もない。
資料2 モンゴル語年代記『アルタン=ハーン伝』
アルタン=ハーンが中国に出発して迫り,平等に大いなる政事を話し合うために駐営すると,中国の明皇帝は,モンゴルのアルタン=ハーンに順義王という尊い称号を奉り,大いに金銀など諸々の財物と,莫大(ばくだい)な量のさまざまな[ ア ]の衣服を与えた。アルタン=ハーンをはじめ数多くの王侯たちは,規約を定めて中国とモンゴルの政事を協議して定めて,莫大な賞賜と交易品の望んだものを取って,引き揚げた。
問3 資料中の空欄[ ア ]に当てはまる語a・bと,資料1と資料2から読み取れる事柄あ・いとの組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。26
[ ア ]に当てはまる語
a 綿織物 b 絹織物
読み取れる事柄
あ 中国王朝は,遊牧国家の武力を警戒する一方で,遊牧社会から物産を入手しようとしている。
い 遊牧国家は,漢人社会の経済に組み込まれることを警戒しながらも,中国王朝から物産を入手しようとしている。
① a―あ ② a―い
③ b―あ ④ b―い
◆容易な問題です。空欄[ ア ]はb絹織物が正解。遊牧民と中国・農民との交易は絹馬貿易と言います。「読み取れる事柄」の文章は、「あ」が中国側からの説明ですが、「警戒」しているのは中国側より、資料1が中国への遊牧民側の警戒心が強く出されています。それが資料2では「憂苦」に陥らないように規約・協議という方法を打ち出しています。④が一番適当。
問4 資料1は,630年に中国王朝に一度滅ぼされた後,復興した突厥で立てられた碑文の一部である。この中国王朝について述べた文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 27 ]
① 現住地で所有している土地・財産に対して課税する税制が採用された。
② 天子の力が衰え,有力な諸侯が,天子に代わって諸国を束ねた。
③ 口語に近い文体で表現する,新しい文学運動が唱えられた。
④ 人材を九等で評価して推薦する官僚登用法が採用された。
◆「630年」が唐代に入っていることが分かれば容易な問題です。つまり年代問題です。「唐ロ6イ1ヤ8ル」から始まりました。①は「原住地」とあるので両税法の説明、両税法は唐代から始まった税法(両税は納7屋8を0とる)で、これが正解。②東周・春秋時代の覇者のこと、③1917年頃から始まる白話運動、④三国時代の魏が始めた登用法。
問5 資料2は,中国の王朝と自国との関係を,自国の優位ないし対等とする立場から述べた歴史書の記述である。これとは異なる立場に立って書かれたと考えられる資料を,次の①〜④から一つ選べ。[ 28 ]
① 隋に宛てた日本(倭)の国書
日出ずる処(ところ)の天子が,書を日没する処の天子に致す,恙(つつが)はないか。
② 明に送った琉球国王の国書
琉球国王の尚巴志(しょうはし)はが謹んで申し上げる。我が国は,父祖が太祖皇帝(洪武帝)から暦を頂戴して臣属して以来,今に至るまで五十数年,厚い恩を受け,折にふれ朝貢している。
③ ベトナムの黎朝が出した布告
我が大越の国は文を重んじる国であり,国土は別々である上に,習俗もまた南北(ベトナムと中国)で異なっている。趙・丁・李・陳(ベトナムの諸王朝)が我が国を興して以来,漢・唐・宋・元とそれぞれ並び立つ帝国をつくってきた。
④ チベットのラサに立てられた「唐蕃会盟碑」
チベットと中国の両国は,現在支配している領域と境界を守り,その東方全ては大中国の領域,西方全てはまさしく大チベットの領域で,チベット人はチベットで安らかにし,中国人は中国で安らかにするという大いなる政事を結んで一つにした。
◆②の「臣属」が、他の対等な関係を強調する文書と違ってます。なにか沖縄に対して今の日本政府が強調したがっているような問題。
第5問 世界史に関わる経済・統計の資料に基づく授業を想定した,次の会話文A・Bを読み,下の問い(問①〜⑥)に答えよ。(配点 18)
A イギリスの綿工業に関する授業
先 生:今日は,産業革命をリードしたイギリスの綿工業について学びます。表1は,ワイシャツ生地の原料となる細い綿糸の価格の推移を表しています。原料綿花コストと生産コストの合計が綿糸価格です。
表1
年 1779 1784 1799 1812 1830 1860 1882
原料綿花コスト(x)24 24 40 18 7.75 6.875 7.125
生産コスト(y)168 107 50 12 6.75 4.625 3.375
綿糸価格(x+y)192 131 90 30 14.5 11.5 10.5
※単位:綿糸1ポンド(約454g)当たりペンス
先 生:表1からは,綿糸価格が年とともに下落していくことが読み取れます。その理由を考えてみましょう。
生徒P:機械化によって大量生産が可能になったことが重要だと思います。
生徒Q:機械の燃料となる石炭の輸送費が下がったのも理由ではないでしょうか。
生徒R:人件費が安くなったことも影響しているはずです。
先 生:なるほど。では,3人の考えはどのような事実に基づいていますか。
生徒S:例えば,表1の時期に,[ ア ]が挙げられます。
先 生:そうですね。
問1 生徒Sの発言中にある空欄[ ア ]に入れる文として適当でないものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 29 ]
① 蒸気機関が,工場の動力として導入されたこと
② 運河や鉄道などの交通網が整備されたこと
③ 保護貿易によって,輸入品の価格が下がったこと
④ 囲い込みの進展で,都市部に人口が流入したこと
◆①技術的なことで生徒Pの「機械化・大領生産」に該当、②生徒Qの「輸送費が下がった」に該当、③保護貿易は輸入品に関税をかけるので「価格が下がった」はありえない。これが正解。④は生徒Rの「人件費が安く」と関係しています。
生徒T:原料綿花の供給状況も,価格の下落に関係しているのではないでしょうか。
先 生:それも理由の一つですね。では,原料綿花の供給状況について見てみましょう。グラフ1は,イギリスで消費された綿花の生産地別の比率(帯グラフ)と,消費量の総量(折れ線グラフ)とを示すものです。
グラフ1
アメリカ合衆国 英領西インド インド その他(左目盛)
総量(右目盛 1ベイルは約227kg)
先 生:イギリスで消費される原料綿花は,18世紀末まではイギリス領西インド産の割合が多いのですが,19世紀に入ると,[ イ ]産の割合が急増し,1840年頃には4分の3以上を占めます。[ イ ]産は,[ ウ ]で大量生産される低コストの綿花でしたので,その割合が急激に増加したものと考えられます。
問2 先生の説明の中にある空欄[ イ ]と[ ウ ]に入れる語句の組合せとして正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 30 ]
① イ―インド ウ―農奴を領主直営地で働かせる制度
② イ―インド ウ―黒人奴隷を大農園で働かせる制度
③ イ―アメリカ合衆国 ウ―農奴を領主直営地で働かせる制度
④ イ―アメリカ合衆国 ウ―黒人奴隷を大農園で働かせる制度
◆これも容易な問題。グラフの通り、棉花が大半の時期で多いのはアメリカ産であり、アメリカとすれば奴隷労働となります。なので正解は④。しかしこれらのグラフに表されていない、「産業革命をリードしたイギリス」の姿があります。それは産業革命と同時進行したインドでの征服戦争であり、征服の過程で、インド綿の工場破壊と技術者殺害でした。インドで綿織物を生産できないようにした強欲・冷酷な大英帝国の姿です。産業革命はイギリスの技術改良とともにインド征服史も同時に学ぶべきものです。
先 生:最後に,東西間の綿布の流れを示すグラフ2と,これまでの表1やグラフ1を参考にして,イギリスの産業革命によって,当時の経済状況がどのように変化したのか,パネルにまとめてください。
グラフ2
a アジア(主にインド)から西へ輸出された綿布の総額
b イギリスから東へ輸出された綿布の総額
問3 先生の指示によって生徒たちが作った次のパネルのうち適当でないものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 31 ]
① 1820年頃を境に,イギリス産綿布の東への輸出総額が,インド産綿布の西への輸出総額を上回りました。
② 産業革命期において,イギリスの綿糸価格が下落した最も大きな要因は,原料綿花コストが下がったことです。
③ 19世紀半ばのイギリスは,アメリカ合衆国産の綿花を主な原料として綿布を生産し,インドなど東へ大量に輸出しました。
④ イギリスで産業革命が進展した時期には,イギリスからの綿布輸出と,イギリスへの原料綿花の輸入は共に増加傾向にあります。
◆①グラフの通り。②これは表1の「綿糸価格」では産業革命期(1760年代〜1830年)に192から14.5に下がっているのは確かであるものの、「原料棉花」は1799年に値上がりして、また下がっている、という一貫性のない数値があり、綿糸価格と必ずしも一致していない。これが適当ではない正解。④「綿布輸出」の増加はグラフ2から判明します。「原料綿花の輸入」の増加はグラフ1の消費量から判明します。
B 為替相場と原油価格に関する授業
先 生:今日は,第二次世界大戦後の世界の動向を,経済資料から検証してみましょう。グラフ3・4に共通する特徴を挙げてください。
グラフ3 米ドルに対する日本円の為替相場の推移
グラフ4 国際原油価格の推移(1バレル当たり)
生 徒:両方とも,1970年頃までは値がほとんど動いていません。グラフ3については,[ エ ]ことが原因だと思います。グラフ4については,先進国の国際石油資本が原油価格の決定権を握っていたからだと思います。
先 生:その通りです。しかし,グラフ3については,①矢印Xの時期のアメリカ合衆国大統領がとった政策によって,状況が大きく変化しています。
生 徒:グラフ4でも,1970年から数年して,価格の変動が始まります。
先 生:よく気がつきましたね。②グラフ4の矢印Yと矢印Zの時期の価格変動は,中東地域の革命や戦争が関係しています。
問4 生徒の発言中にある空欄[ エ ]に入れる文として最も適当なものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 32 ]
① 世界貿易機関が,自由貿易のルールづくりを推進していた
② 米ドルに対する各国通貨の交換比率が固定されていた
③ アムステルダムが,国際金融の中心として機能していた
④ 大国が,植民地を囲い込む経済ブロックを形成していた
◆変動相場制がいつから始まったのか、それまでの固定とは何か、という問題です。ニクソンがこのニクソン=ショックを起こすまでのあり方としては、②が適当です。①第二次世界大戦直後、②17世紀、④1930年代世界恐慌期。
問5 下線部①の人物の外交に関する事績として正しいものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 33 ]
① ヨーロッパ諸国とアメリカ大陸の相互不干渉を表明した。
② 国交のない中華人民共和国を訪問し,関係改善に踏み出した。
③ 共産主義陣営に対し,封じ込め政策を開始した。
④ ラテンアメリカ諸国に対し,善隣外交を展開した。
◆ニクソンの政策はどれ、という問題。②訪中です(訪中、行1く9な7二2人)。①モンロー大統領、③トルーマン大統領、④フランクリン=ローズヴェルト。
問6 下線部②に関連して,次の文章中の空欄オとカに当てはまる国について,それぞれの位置を示す地図中のa〜dの組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。[ 34 ]
Yの時期には,オで王政が倒れ,イスラーム共和国が成立した。
Zの時期には,隣国を侵略した[ カ ]に対し,多国籍軍が組織された。
■地図
① オ―a カ―c ② オ―a カ―d
③ オ―b カ―c ④ オ―b カ―d
◆Yは1970年代の終わり、Zは1990年代の初めです。「オ」は1979年のイラン=イスラム革命です。シーア派指導者ホメイニによるパフレヴィー朝の追放です(イラン革命、電1気9な7く9)。
「カ」はイラクであり、多国籍軍とあるので、イラクのフセイン大統領によるクウェート侵略の「湾岸戦争」です(湾岸、イ1ク9ク9ィ1ート)。正解は③。
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センター試験との相違点は、
① 地図 5枚(2020年のセンター試験・世界史Bは1枚)
② 写真・絵 10枚(2020年は4枚)
③ グラフ 6枚(2020年は1枚)
④ 対話形式 第1問のC、第2問のC、第5問(2020年は0)
⑤ 文字数 13509字(2020年は10643字)
⑥ 下書き用紙が付いたこと。
対策は、
① 歴史の事件を地図で確かめる習慣を養っておくこと。
② 年代を覚えること。語呂は中谷まちよ著『ワンフレーズnew』が抜群。
④ センター試験の過去問で正誤判定の精度を磨くこと。①のために、過去問の中の地図問題を解いておくこと。
⑤ 対話形式や思考的な問題の練習用に阪大の過去問を解いてみる。