世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史メール

Aさんのメール
 一橋大’99年度の第一問目の解答ですが、
(1)アングロ=サクソン七王国はエグバートに統一されたあとも七王国と称したのでしょうか。それともカヌートに服属する頃にはすでに再び七つに分裂していたということでしょうか。
(2)「ロロの建国したノルマンディー公ウィリアム」という部分は明白な誤りでありますが、これを訂正する場合400字を超えてしまうようですが。
(3)12世紀のプランタジネット朝について言及するのは、9~11世紀という設問の指定を無視したものではないでしょうか。

▲(1)もともと完全に統一したイングランド王国というものは一度もなく、七王国が実質的なものです。デーン人の外圧に対抗するためにエグバートやアルフレッドという七王国のひとつのウェセックス王が全体の王を兼ねるというかたちをとっているにすぎません。統一はいつでも破られる可能性をもっています。「カヌートに服属する頃にはすでに再び七つに分裂していた」という表現が成り立ちません。分裂は600年頃の七王国建国以来のものです。この七王国を完全に破壊したのがウィリアムによるノルマン・コンクェストです。
(2)確かにまちがっています。「ロロの建国したノルマンディー公ウィリアム」でなく「ロロの建国したノルマンディー公国のウィリアム」と2字ふやして直します。ちょうど400字になります。数字は2字で1字扱いですから。マス目に制限のないかぎり2字入れてもいいのです。
 ご指摘ありがとうございます。さっそく訂正いたします。
(3)12世紀のプランタジネット朝について言及するのは、9~11世紀という設問の指定を無視したもの……にはなりません。次の設問に「それが11世紀以降に及ぼした政治的影響について述べなさい。」とあるからです。過去の一橋風に「社会秩序の変化」をのべよ、ということなら書いてはいけませんが、「政治的影響」とありますから、ノルマンディーからやってきた外来の王朝は中国風にいえば征服王朝でもあり出身地を離さず持ったままでイングランドも支配しているのです。それが姻戚関係からプランタジネット朝になります。解答の「フランスに所領をもちつつフランス王の臣下でもある関係がここに生まれた。」という文章がつなぎになっているはずです。

 


Bさんのメール
 2000年度の第三問にあるA・問1に対する答えの「南ドイツの銀は喜望峰・インド経由で得ていた。」というのは主語が必要ではありませんか? またこの答えの意味もわかりません。

▲ たしかに唐突な答えにしています。しかし答えというものは問うたひとに判ればいいのです。解答はだれか他人が、第三者が読むものではありません。問題を作成した大学の先生と応える学生側との問答にすぎないのです。答えは問いに依存しています。答えだけみたら判らない、ということがおきてもいいのです。たとえば、
 問 イギリスの都はどこですか?
 答 ロンドンです。
 もしこの問答で答えだけ見たら、何のことかわかりません。主語がないじゃないの、ということになります。しかし問いと答えの双方を見れば主語のない答えにおかしな点はありません。入試の解答は問いに依存しているのであり、それ自身で独立した文章ではありません。
 問いは「貨幣をどのように得ていたのかを、金銀の産地や経由地を」とありますから、解答にはどうしても産地と経由地が必要です。字数からもあまり説明的には書けません。また「「南ドイツの銀」なんて新大陸の銀におされて、もうないんじゃないの、と思うかもしれませんが、そうではありません。16世紀の前半までは南ドイツの銀のほうが新大陸の銀より優勢であったと歴史家たちは記録していて、スペインの銀貨は当時もっとも信用された貨幣でした。これはヨーロッパ全土に流通しただけでなく「オスマン・トルコ、さらにインドまで流れていったのである」(湯浅赳男著『文明の「血液」(貨幣から見た世界史)』新評論)と。南ドイツの衰退は新大陸の銀のほうが流入し(銀の暴落)、かつフェリペ2世の破綻と、それにともなうフッガー家の破産と関連しています。
 問いの前の説明文には「この時期、彼らはアジアの物産を買い、それをヨーロッパ市場で売りさばいて利益をあげたばかりではなく、アジア内の貿易にも参加して、大きな利益を得ていた。」という箇所に下線があり、これに関連して今の問いがあります。
 「アジア内貿易」という用語を使って説明している教科書は東京書籍『世界史B』しか知りませんが、用語としては存在します。山川の用語集には出てませんが、三省堂の『詳解世界史用語事典』には「アジア域内貿易」としてでています。中国・朝鮮半島・日本・台湾・インドなどの価格のちがう地域・国を取引相手にして差額をもうける方法です。

Cさんのメール
 
ある一橋大学の問題(2002年度)の解説本に、「「社会的」という形容詞は、社会科学の世界では「プロレタリアに関連する」というニュアンスで用いられる。プロレタリア──集合名詞としてはプロレタリアート──とは産業革命とともに登場した近代的な労働者または無産者をいう(集合名詞としては労働者階級)。したがって……」とあります。先生は、『世界史論述練習帳 new』の「社会ってなに?」というコラムに、「政治以外のすべての人間集団と、その生活」という定義をしておられますが、まるでちがう説明になっています。どちらがいいのですか?

▲ わたしの定義はあいまいな定義です。しかしこのほうが論述では有効です。きみの引用した解説本は読んでいませんが、その定義ですと「社会」は産業革命以降でないと使えない意味になってしまいます。以下はすべて一橋大学の過去問でみな産業革命以前のことを問うている問題です。こうした時期にプロリタリアは存在しません。その解説者は過去問を知らないなのではありませんか?
 
 【1】ヨーロッパとロシアは、中世から近代にいたる間に周辺部の諸民族・諸国家から何回かにわたって大きな影響をうけている。スカンディナヴィア半島の諸民族・諸国家がヨーロッパとロシアに及ぼした政治的、
社会的影響について9世紀から11世紀および17世紀から18世紀初頭の二つの時期に分けで記述せよ。前者については新しい社会関係を生むきっかけとなった事情、後者については政治的、社会的秩序の変化に着目して答えること(1986年度)
 【2】聖フランチェスコは既存の教会や
社会のあり方に対してどのような態度をとったのか。例文の主旨にこだわらずに答えよ(200字)。(1990年度)
 【3】キリスト教は、4世紀末にローマ帝国の国教となることで、その後のヨーロッパの 歴史に多大な影響を及ぼした。しかし、その現実は決して単純なものではなかった。教会そのものが完成された組織とは言い難く、その分裂の事態は帝国支配のはらむ政治問題でもあったからである。その間の事情を4~5世紀のローマ帝国の政治・
社会状況に即して、以下の用語を用いながら述べなさい。その際、ローマ帝国と東方属州地域との政治的関係に触れること。なお、用語を最初に用いた箇所に下線を付しなさい。(400字以内)
 【4】今日、南アジアと呼ばれる広大な地域には、系統を異にするさまざまな人々が居住していた。この地域において、インド世界として特有の
社会・宗教・文化体系の生成が始まったのは、たかだか最近3500年ほどのことである。こうして出現したインド古代の社会・宗教・文化体系とはどのようなものであり、それらはどのような過程を経て形成されたのかを説明しなさい。(2001年度)
 
 
以上は一橋大学だけあげましたが、京都大学でも同様であることはわずかな例をあげるだけでも納得できるでしょう。

(京都大学2000年度)中国では2世紀末以降、群雄割拠の時代となる。以後、統一に至るおよそ100年の歴史について、政治・社会・文化の三つの側面から、300字以内で述べよ。解答は所定の解答欄に記入せよ。句読点も字数に含めよ。
(京都大学1993年度)10~11世紀は、西アジアにおけるイスラム世界の歴史の展開の中で、1つの大きな転換期であったと考えられる。このように考えられる理由を、政治・
社会・宗教の3つの側面から、300字以内で具体的に述べよ。解答は所定の解答欄に記入せよ。

 「社会society」は政治以外のすべて、ということは経済(土地制度・税制・資源・技術・資本など生きることに関することがら)・文化(宗教・芸術・象徴・教育など心の願うこと)・コミュニティ(小社会にあたるもの、すなわち民族・言語・家族・身分など誰と手を組むかに関すること)がみな入る、ということです。時代とは関係なく。たいていは「社会」は経済のことととらえて書いたらいい。教科書で学ぶのも経済のことが多いから。もちろんコミュニティ的なものもあったら書いていいです。たとえば【1】なら、9世紀から11世紀は、封建制度の成立をうながしたこと、17世紀から18世紀初頭は、ドイツ全体の経済的破綻(三十年戦争による都市・農村の破壊、人口激減)を書けばいい。
 京大の問題の「社会・文化」とある場合も、この社会を経済(想起できたら民族も)ととらえたらいいのです。2000年度は、呉の成立による江南開発、五胡、1993年度なら、バグダード衰退からカイロに繁栄が移る、イラン人の自立とトルコ人の台頭。