世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史2001

【1】10世紀後半から11世紀にかけて、地中海世界は大きな歴史の転換期を迎えていた。キリスト教世界は拡大し、ローマ皇帝位をめぐる政治交渉も見られた。「ヨーロッパ世界の形成」という観点から当時の事情について述べ、その政治的・宗教的背景について説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(400字以内)

 ビザンツ帝国  オットー1世  ウラジミール1世  ファーティマ朝
 (この問題は拙著『世界史論述練習帳new』(パレード)資料編「東・京・一・筑」にもコメントを掲載)

【2】17世紀から18世紀におけるヨーロッパは絶対主義あるいは絶対王政の時代と呼ばれる。とりわけルイ14世が統治したフランスは典型的な絶対主義国家とされているが、このような政治体制がどの程度「絶対的」であったのかに注意しながら、その特徴を述べなさい。(400字以内)
(この問題は『世界史論述練習帳』資料編にもコメントを掲載)

【3】下記の問題A、Bに答えなさい。

A 今日、南アジアと呼ばれる広大な地域には、系統を異にするさまざまな人々が居住していた。この地域において、インド世界として特有の社会・宗教・文化体系の生成が始まったのは、たかだか最近3500年ほどのことである。こうして出現したインド古代の社会・宗教・文化体系とはどのようなものであり、それらはどのような過程を経て形成されたのかを説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

 インダス文明 ヴェーダ ブラーフマン* ヴァルナ ダルマ マウリヤ朝
 (注)*バラモンとも呼ばれる。
(この問題は『世界史論述練習帳new』資料編「東・京・一・筑」にもコメントを掲載)

B 4世紀後半、朝鮮半島には高句麗・百済・新羅が並び立つ形勢が生まれ、7世紀には三国の抗争は、新羅が半島中南部を統一することによって終結した。4世紀から7世紀までの朝鮮半島における情勢の推移について、中国王朝との関係を含めて、説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(200字以内)

 楽浪郡 加羅諸国 煬帝
(この問題は『世界史論述練習帳new』本文p.64に解説・解答例を掲載)


コメント

【1】時間が「10世紀後半から11世紀(951~1100年)」で、課題のテーマは「「ヨーロッパ世界の形成」という観点から当時の事情について述べ、その政治的・宗教的背景について説明しなさい」です。ヒントとして前文の「地中海世界は大きな歴史の転換期を迎えていた。キリスト教世界は拡大し、ローマ皇帝位をめぐる政治交渉も見られた」があります。
 この時期の事件史をつづるだけなら何とか書けそうですが、よく考えると難問です。なにが「転換期」なのかがハッキリしないからです。出題者は判っているが、学生はこの時期を転換期として学んでいないのではないか……? どこの予備校の解答も「転換期」がいったいどういうものなのかハッキリしません。以前のどういう状況がどういう状況に変わったのか?
 はじめに「地中海世界」と言っておきながら、「「ヨーロッパ世界の形成」という観点から」と限定しています。地中海世界はイスラム圏も含んでおり、実際、指定語句に「ファーティマ朝」があります。この語句はつけ足しなのか。いや、あくまで「ヨーロッパ世界の形成」というテーマに合わせてこの語句を使わなくてはならない。観点を「ヨーロッパ世界の形成」に置くとすれば地中海世界の全部の転換期を説明する必要はない、ということでしょう。ヨーロッパには東欧も含みます。問題文の「キリスト教世界は拡大」の中に「ウラジミール1世」が入ってきますから。東(ビザンツ帝国・東欧・ロシア)西のヨーロッパをまとめて「ヨーロッパ世界」と言いうるのか。共通点はカトリックであれ正教であれ、この双方のキリスト教しかないでしょう。とするとイスラム世界と対立するキリスト教世界の形成という構図ができてきます。ヨーロッパと別に、この当時のイスラム世界「事情」を説明しても解答にはなりません。そんな解答が予備校のホームページの解答にありますが、惑わされないように。
 さて問題文を頼りにデータを集めてみましょう。
 「キリスト教世界は拡大」は西ではレコンキスタの本格化、東方植民があり、さいごに十字軍がきます。東ではスラヴ人への布教と受容があります。ポーランドやハンガリーのカトリック信仰への改宗、南スラヴ人に正教が浸透します。またロシアの正教改宗もあります。
 「ローマ皇帝位をめぐる政治交渉」はオットー1世の戴冠があり、11世紀からの叙任権闘争があります。教皇権の高まる中で、レコンキスタへの援助(20世紀のスペイン内戦と国際義勇軍に似ていて、教皇もクリュニー修道院もレコンキスタを援助しています)と、ビザンツ帝国を助けるべく十字軍が発動されます。
 この頃、イスラム世界はアッバース朝の衰退・分裂があり、ファーティマ朝もカリフを名乗って3カリフになりました。そこへトルコ人のセルジューク朝がイェルサレムまで入り込んできます。イスラム世界の弱体化という背景があり、迫害の噂があり、ビザンツ帝国の劣勢があり、ビザンツ皇帝アレクシオス1世の教皇への援助要請のもとクレルモン公会議が開かれます。それまで教皇権の弱かったところへ、叙任権闘争を勝ち抜いていく教皇中心にヨーロッパが動いていく様子が浮かびあがってきます。
 さあ、これくらいのデータがあれば、もう書けるでしょう。実はこの問題は過去問の焼き直しです。1987年度に「……通常「叙任権闘争」とよばれ、教会と国家の関係に根本的な転換をもたらすものであった。この争乱の概要を記し、また、それがいかなる意味で、ヨーロッパ史上、宗教改革、フランス大革命に匹敵するような大変革であったと言いうるのかを説明せよ」という問題です。
【2】「絶対主義国家とされているが、このような政治体制がどの程度「絶対的」であったのかに注意しながら、その特徴を述べなさい」という絶対主義の限界(近代市民社会と比較しての限界)を述べさせるのが課題。絶対主義という語句自体が誇張のことばであることを学んでいたらしめたもの。その限界・矛盾はある程度教科書に書いてあり難問ではない。absolutism とか absolute monarchy というが、決して絶対的ではなかった。台頭しつつあるブルジョワジーの勢力と衰退しつつある貴族の権力との均衡状態にのっかって成立したのが絶対主義です。それはアップとダウンしている両階級のあいだに存在して調停者的な役割をになう権力であり、このような“均衡(バランス)”の上にたった権力でした。
 なお予備校の解答は何かの歴史理論の文章をそのまま引いてきたかのような(これは多分あたっているはず)こ難しい表現で書かれていますが、そういうものをまねてはいけません。教科書の表現で充分です。
 まず絶対主義とはなにか説明し、その上で、近代市民社会のありようを想起して限界を考えます。近代市民社会は、法前平等の原理にたち、政治的・経済的に自由な個人の活動が保障されている身分制のない社会です。軍隊も市民のものであり階級がなく、議会・政府がコントロールできるものでなくてはなりません。市民の声を代表する議会が頻繁に開催されていなくてはなりません。さて、すると絶対主義はこれらとどうちがうのか考えてみます。「特徴=限界」が現れてきます。
【3】
A 6個の指定語句があり200字という易問。時間が「3500年(前1500年以降)ほど……出現したインド古代」とあり、一般にインド古代史はヴァルダナ朝までをさしている。中でもグプタ朝のときにインド的世界はできあがった。この時期に形成された「社会・宗教・文化体系」と「過程」の合計4つについて述べよという要求。指定語句にグプタ朝のことは、この王朝の時代に完成したヒンドゥー教への言及を欠かさないこと。三つの分野ごとの形成過程でもいいし総括して述べることもできます。
B 時間は「4世紀から7世紀まで」、地域は「朝鮮半島」、テーマは「情勢の推移」、副問(副次的要求)は「中国王朝との関係を含めて」という課題。「情勢の推移」ははじめの文章に、三国時代から統一へという「推移」がすでに示されています。易しい問題。指定語句も難しいものではありません。ただ副問にどれだけ迫れるかは差のつくところです。煬帝以降から中国との関係がはじめて出てくるようではダメですよ。
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(わたしの解答例)
【1】 君の答え

【2】 君の答え

【3】A インダス文明崩壊のころ入ってきたアーリア人が既住の民族の上にたつ多民族・多言語世界をつくる。その結果ブラーフマンを頂点とするヴァルナ制が浸透した閉鎖的社会を形成した。彼らが経典ヴェーダをもとにバラモン教をつくり、それに民間信仰が融合して多神教のヒンドゥー教が成立した。身分制を否定した仏教やジャイナ教も信徒をえた。仏教はとくにマウリヤ朝の王のダルマ政治によって保護され、宗教的建築物や文学もつくられた。
B 中国が五胡の侵入で混乱している間に、北の支配者・高句麗が4世紀に楽浪郡を帯方郡とともに併合した。東南の新羅は南端の加羅諸国を6世紀に吸収して台頭した。7世紀に、隋煬帝の遠征を高句麗は撃退したが、次第に疲弊してくる。唐の太宗も高句麗遠征に失敗したが、3代高宗は新羅と連合して、まず西南の百済を討ち、その後高句麗も破った。しかし新羅との戦争にはいり、唐は敗北して安東都護府を遼東に後退せざるをえなかった。