世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

鈍感なひとたち

 『世界史年代ワンフレーズnew』についてのレビューを見ると極端に分かれる様子が見られます。好評と不評の二つです。不評のひとたちの文句を見てみると、その鈍感さに気がつきます。
 たとえば、

(1)velvet zone→「年号暗記の最大の傑作」と題して、
私は改訂前のものを使っていましたが、強烈な印象と共に暗記していくこの本で入試はかなり助けられました。

 というレビューがある一方で、

(2)クラウディウス(カントに変更?)→「著者にしか意味が分からない」と題して、
 無理やりすぎて、覚えられません。
 アケメネス朝が滅んだ年は前330年ですが、
 アケメ、メメノー(メメノーの部分が330)
 、、は?って感じです。

(3)佳乃→「これのどこが語呂なんだ・・・?」と題して、
語呂に無理がある。これのどこがごろなんだ? 覚えにくい。 笑えない下品なフレーズでモラルを疑う。
語感がかなり悪い。そもそも意味を持たない語呂にどんな得があるのか・・・。

(4)メガマック→「語呂にこじつけが多すぎます」と題して、
例えば、
・前7000年、新石器時代開始…新石器7000円
・前18世紀頃、ハンムラビ王…ハンムラビ1ハン
・前108年、楽浪郡(朝鮮4郡)…楽、天馬
・8年、王莽の新成立…おも〜いや
・45年、クシャーナ朝…クシャーミ4個

このような意味不明な語呂合わせが半分以上あります。
果たして将来世界史を深く学ぼうと思った場合、上記のような陳腐な語呂合わせを継続して使っていきたいと思うでしょうか?
世界史の語呂合わせにはやはり、歴史の因果関係が組み込まれた語呂の方が体系的であり、長期記憶にも残りやすいのです。

(5)katuo007→「これのどこがいいんですか?」と題して、
現役の予備校世界史講師です。
これのどこがいいんですか?
受験業界の方も勧めていらっしゃる方がいるようですが、この業界、自分では読まず、解かず、考えず教える偽狂師が大勢います。読まず、解かず、考えずで口から出まかせで勧める口車に乗らないようにしましょう。現役の世界史講師が断言します。ちゃんと中身を見てから買いましょう!

(6)藤森→「全く使えません!」と題して、
数字の読みにも無理があり(1を棒→ぼと読むなど)
語呂と出来事が全く関係なくて、覚えられません

 このような不評の原因はどこにあのか? 一つ考えられるのは鈍感さです。鈍感さの因子は①語感のなさと、②新しいものに付いていけない、の二つでしょう。自分のこうした鈍感さに気がつかず、著者にそれをぶつけている、というのが実状です。

 ①語感のなさは、(2)(4)(6)のひとたちに見られます。(2)の例では、
 アケメ、メメノー(メメノーの部分が330)
としていますが、本文にはそんな語句はなく、下のように「あけ目、目目ノー」であり、前に書いてある前550年のアケメネス朝成立の「あけ目、光5光5王0」を受けていて、成立と滅亡がセットになっているものです。カタカナに直して、いかにも訳のわからない語呂であるように仕立てています。こういうの捏造といいます。わざわざアケメネス朝の創始者キュロス2世のイラストと「目」のイラストも入れて、「あけ目」はアケメネス朝のことですよ、と示しているのに気がつかないようです。また「あけ目、目目ノー」というリズミカルな調子も気がつかないようです。語感がない、というのはこういことです。
 

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  また(6)のひとは(1を棒→ぼと読むなど)は無理がある、と書いていますが、いったい「1」は一本の棒を象形化したもので、古来原始的な表示であり、なにが無理なのか意味不明です。表紙の裏に本書の語呂のルールが挙げてあり、そこに示してある数字の読み方は従来にない画期的なものです。他の語呂本の少なさと比べてみるとよい。 

新しいものに付いていけない、のは(3)(5)(6)のひとたちに見られます。(3)では「下品なフレーズでモラルを疑う」といい、語呂にモラルを求めています。語呂の価値は「短く、覚えやすく」であり、モラルを求める気が知れません。わたしが勤めたことのある大阪の私立高校で「耶律阿保機──アホは黄9色16」とある語呂について「アホは倫理的に使えない」と言われたことがあり、呆れ果てました。
 また(4)でも(6)でも見られるように、語呂に「こじつけ」という言い方をしていますが、「こじつけ」でない語呂ってあるんですかね? 
 また語呂とはこういうものだという通念があります。それは年号から入って出来事に行く、という従来の覚え方です。(5)(6)に見られる違和感の表明に隠れているのはこの通念です。
 序文に書いてあることを読まなかったのか、真っ先に書いてあるのは「年代→歴史用語」ではないということです。つづけて「年代→歴史用語 という順で覚えるのがこれまでの想起の仕方でした。しかし、これは覚えにくいし、回りくどい。入試問題文では、たいてい年代が問題文になくて、まず歴史用語(事件・王朝)の書かれた文章から、それはさていつだったのかと考え、いったん覚えてきた「年代→歴史用語」に帰らなくてはならない」と。それを「歴史用語→年代 このように2段階にしただけで、記憶のステップが少なくなり、受験に合ったスッキリした覚え方になります」と書いています。こうした従来の覚え方を逆転させた本書に馴染めないで、古い覚え方にこだわっているのでしょう。通念から抜け出せない。自分の鈍感さが短い文章にも表れていることに気がつかない。