世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

16年東大模試

A模試
第1問
 18世紀後半、北アメリカで始まった革命を契機として、 19世紀前半までの間に大西洋を挟むヨーロッパとアメリカ大陸では、政治・社会・経済の大変革がおこった。この変革は当該地域に様々な影響をもたらしたが、その一つは内部の対立の顕在化であった。また、両地域の変革は環大西洋地域を越えて世界各地に新たな摩擦・対立を生むことになった。
 以上のことを念頭にヨーロッパとアメリカ大陸地域の変革に伴い当該地域や世界各地で生じた摩擦・対立について、19世紀中頃を中心に、その背景に留意しながら論じなさい。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。
 フアレス 『共産党宣言』 南北戦争
 滅満興漢 日米和親条約 コッシュート
 シパーヒー フランクフルト国民議会

(解答)
ナポレオン没落後、列強はウィーン体制でナショナリズムの抑制に努めたが、二月革命に続きドイツ三月革命で体制が崩壊すると、ナショナリズムが高揚した。ドイツでは自由主義者がフランクフルト国民議会を開催して統一問題を討議し、小ドイツ主義と大ドイツ主義の対立が生じた。オーストリアの支配に対しては、コッシュートがハンガリーの独立を宣言した。イギリスで本格化した産業革命は、ヨーロッパ各地に資本主義社会を出現させ、資本家と労働者の対立が顕在化した。マルクスは『共産党宣言』を著して民族を越えた労働者の団結と社会主義国家の建設を訴えた。アメリカ合衆国の北部では工業化が進展し、奴隷制農園の批判が高まると、南部諸州が合衆国からの離脱を求め南北戦争が勃発した。中南米ではクリオーリョを主体とした独立運動の後も大土地所有制が存続し、権威主義的政治が行われたが、メキシコでは、フアレスを中心とする自由主義的改革が始まったことから、保守勢力の抵抗とフランスの干渉で内戦に発展した。欧米で進んだ資本主義体制はアジアを変動させた。日米和親条約で鎖国を破られた日本では攘夷運動を背景に倒幕の動きが活発化した。アヘン戦争の結果、自由貿易体制に組み込まれた清では銀価が高騰し、重税に苦しむ農民が滅満興漢を唱える太平天国に結集した。またイギリスの綿製品の流入で伝統的手工業の解体したインドでは、シパーヒーの反乱が起こった。
………………………………………
▲ 1800年前後の「大変革」とは産業革命であり、米仏の市民革命(大西洋革命)、ナポレオン戦争を指しているのは確かでしょう。それの「内部の対立の顕在化」を19世紀の中頃まで飛んで影響を与え、「摩擦と対立」が生じた、とする立論そのものに時間的な経緯を無視したムリがあります。
 「模範」解答例を見てみると、1800年前後の変革(内部の対立の顕在化)と関連させていない文がたくさんあります。
 まず「ナポレオン没落後(対立顕在化の終了後)」から始まっていますが、フランス革命はどこへ行ったのでしょう? これを元にしないで、ウィーン体制→二月革命に飛び、フランクフルト国民議会まで突っ走っている。摩擦・対立を書かなくてはならないので、普墺の大小主義は書かなくてはならないですが、これがフランス革命・ナポレオン戦争の「内部の対立の顕在化」とどう通じているのか説明してもらいたいものです。
 コッシュートもフランス革命とどう関係しているのか分からない。たんに国民議会のつづきとしてだけ書いている。
 産業革命と共産党宣言は通じやすいですから、なにか他にないの、という感じです。「イギリスで本格化した産業革命は、ヨーロッパ各地に資本主義社会を出現させ」ではなく、「イギリスで本格化した産業革命は、ヨーロッパ各地に工業化(産業革命)を進展させ」のはずです。飛びすぎです。
 あとの合衆国がいきなり「北部では工業化」なんて、どこに1800年前後の大変革(内部の対立の顕在化)がからんでいるのか分からない。せめて米英戦争と経済的自立のきっかけくらい書けよ、とおもいます。
 「中南米ではクリオーリョ」以降は確かに1800年前後なので、これはそのまま行けます。ただ「フアレス」と自由主義改革は1800年前後の変革(内部の対立の顕在化)とどうつながっているのか? 書いてありません。
 アジアの欧米進出と1800年前後の関連性はどこにも書いてないですね。「欧米で進んだ資本主義体制」だけで「大変革(内部の対立の顕在化)」を言い切っていいものでしょうか? 書くとすれば、「欧米市民革命は国民を統合し、産業革命は市場拡大を求めてアジアに侵出」と書くべきでしょう。「内部の対立の顕在化」より欧米側の国内結束です。
 出題文と「模範」答案のズレがひどい解答文でした。むしろ解答文からはシンプルに19世紀中頃に起こった内乱や内部対立を地域別に箇条書き風に書けばよかったようです。するとなぜ1800年前後の「大変革」をもちだしてきたのか分からなくなります。

B模試
第1問
 第一次世界大戦と前後してユーラシア大陸の東西では、それまで国際秩序を構成していた大帝国の解体が進み、その際、史料にあるような「強大な国家」から「弱小民族」が自立する動きが起きた。しかし、自立を目指した東欧、中央アジア、中東、東アジアの諸民族のうち、二十世紀を通じて国民国家を維持できたものは少なく、多くは新たな「帝国」支配や国際対立に組み込まれ、20世紀を通じて帝国の残像は旧領域に残った。このことは、現代にまで続く地域紛争や民族対立の原因にもなっている。
 以上のことを踏まえて、20世紀前半の帝国の解体の経緯と、その後の諸民族の動向について、21世紀初頭までを視野に入れて論じなさい。
 委任統治 ウィルソン サン=ジェルマン条約
 外モンゴル ダライ・ラマ チェコ チェチェン
 中東戦争

(解答)
東欧では、ウィルソン米大統領が提唱した民族自決の原則が適用され、オーストリア・ハンガリー帝国はサン=ジェルマン条約・トリアノン条約で解体、チェコ人などスラヴ系民族が独立した。ロシア帝国も革命で崩壊し、ポーランド・バルト3国などが独立したが、その大半は第二次大戦の際、ソ連に再併合された。第二次大戦後、東欧諸国はソ連の衛星国として共産圏に組み込まれたが、冷戦終結で社会主義政権が崩壊、チェコとスロバキアが分離し、ユーゴスラヴィアは解体した。ソ連解体で独立した各共和国では少数民族も独立を主張し内乱を起こし、ロシア連邦でもチェチェンの独立運動が起こった。旧ロシア帝国領の西トルキスタンではトルコ系ムスリムが社会主義共和国としてソ連に編入されたが、ソ連解体後に独立した。オスマン帝国はケマルの革命で滅亡し、トルコ共和国が成立した。旧オスマン領のアラブ人移住地域の多くはフセイン・マクマホン協定に反し、サイクス・ピコ協定に基づいて英仏の委任統治領となったが、シオニズムを掲げるユダヤ人がパレスチナに流入、第二次大戦後イスラエルを建国しアラブ人と中東戦争を起こした。東アジアでは清が辛亥革命で滅亡し、外モンゴルはソ連の支援で中華民国から独立した。チベットはダライ・ラマにより事実上独立したが、中華人民共和国成立後、人民解放軍が介入し抵抗を鎮圧した。その後もチベットや新疆では漢族との対立から暴動が起こった。
………………………………………
▲ 1997年の過去問に「旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について、とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら」とそっくりの問題でした。指定語句は外モンゴルが同じでしたが、「模範」答案の文には、1997年の指定語句に使われていた語句、「民族自決、三民主義、少数民族、シオニズム、アラブ、モンゴル、オーストリア・ハンガリー、バルト三国」のうち三民主義以外はすべて使って書いてあります。あまり考えなかった物まね問題でした。新しいのは時間の範囲を「21世紀初頭まで」もってきたことです。1世紀もの時間の問題です。
 無理な課題とおもわれるのは、東大オープンと同様に時間的に長すぎることです。①帝国の解体の経緯に、②その後の諸民族の動向について、21世紀初頭までを」という長さです。じっさい、「模範」解答でも21世紀初頭まで書いているのは、「チェチェン……新疆では漢族との対立から暴動」ぐらいです。バルト三国にしても「再併合」の後のソ連崩壊と連動した再独立はあっていいのに書いてありません。ソ連から独立したウクライナ問題も書いていいでしょう。中東は「中東戦争を起した」で終わっていますが、ソ連解体・湾岸戦争後の中東における民族・宗派対立は書かなくていいのでしょうか? つまりチェチェン紛争以外に、アフガニスタン紛争(介入したソ連を追放するタリバン、その後の欧米軍の介入)もあります。湾岸戦争(1991)におけるアラブの分裂、スンナ派とシーア派の対立激化、米軍のプレゼンスと対抗する勢力(タリバン、アルカイダ)の台頭、パレスティナ自治問題などです。第一次世界大戦から問題になっているクルド人問題は今も未解決です。なぜ書いてないのか? 中国の21世紀初頭は「新疆」とするより「ウイグル(中国政府によるウイグル族弾圧)」の語句を使う方が題意に合っているようにおもいます。
 出題側の意図は、過去問1997年の目線は帝国側から少数民族へ向いているが、今回は少数民族が帝国の混乱でどうなったかを書かせる、ということらしいが、問題文に活かされていません。
 それに解答例にあるチェコとスロヴァキアが分離したことは少数民族問題なのでしょうか? ユダヤ人とアラブ人の対立は少数民族問題なのでしょうか? と疑問もでてきます。

 また東大の過去問の問題文は、第一段落は導入文で、第二段落は課題文、とほぼ決まっているのに、この実戦問題は導入文に地域限定をしているらしく「東欧、中央アジア、中東、東アジアの諸民族」と書いてしまっています。導入文で民族紛争・少数民族問題が多い地域をあげただけで、この地域以外のことも書くべきなのか迷う問い方でした。第二段落の課題文で、改めて「東欧、中央アジア、中東、東アジア」の語句を入れて問うべきでした。

 オープン・実戦のどちらの問題も、時空が広く長すぎて、書けることがたくさんあるので、どの事項をどこまで書くべきかの取捨選択に迷う問題となりました。東大の今年(2016)の問題が「1970年代後半から1980年代」と1989年冷戦終結のつながりを問うた問題であったためか、近い問題をつくってはみたものの、漠然とした問題しか作る能力がなかった。問題と「模範」答案がかみ合っていないのはそのためとおもわれます。出題者が自分の作った問題が何なのか理解しないで解答を作ってしまいました。