歴史総合・世界史探究 わたしの解説は「◆」から。
第1問 歴史総合の授業で「近現代における都市の変容」という主題について班別学習をした。次の文窃A·Bを読み、後の問い(問1〜8)に答えよ。(資料には省略したり改めたりしたところがある。)(配点25)
A 本田さんとマルタンさんの班は、近現代における大都市の変容について考察するためにパリと東京に着目した。最初に、フランスの第二帝政下で行われたパの都市改造について調べ図1・2を基に、ノート1にまとめた。
ノート1 パリにおける社会階陪による住み分け


・図1は、19世紀前半のパリの典型的な集合住宅の姿である。2階や3階は間取りが広く調度品も豪華だが、4階や5階は狭く、調度品も少ない。
・19世紀半ば以降フランス皇帝の主導の下に、積極的な対外政策とともにパリの大規模な都市改造が行われた。この改造の結果、図1の住のあり方は次第に姿を消していった。図2は、1872年の時点で、19世紀前半とは異なる住み分けが存在することを示している。
問1 図1・2及びノート1から読み取れる事柄や、その背景について述べた文として最も適当なものを次の①~④のうちから一つ選ぺ。[ 1 ]
① パリでは、高度情報化社会が成立するなかで、富裕層と労働層は地域的な住み分けから、垂直的な住み分けに移行した。
② パリでは、高度情報化社会が成立するなかで、富裕層と労働者層は、垂直的な住み分けから、地域的な住み分けに移行した。
③ パリでは、工業化が進展するなかで、富裕層と労働者層は地域的な住み分けから、垂直的な住み分けに移行した。
④ パリでは工業化が進展するなかで、富裕層と労働者層は、垂直的な住み分けから、地城的な住み分けに移行した。
◆問い方が日本人には分かりにくい「垂直的な住み分け」と「地域的な住み分け」の区別です。パリに行けば分かりますが、こんなにビルのようなアパート(集合住宅)多いのかとビックリします。階層的な「垂直的な棲み分け(下が富裕層、上が労働者層)」は少なくなったとしても、建物(アパルトマン)は、中心部と7区や8区、16区の高級パート以外は労働者層が住んでいます。

正文は④。①②にある「高度情報化社会」は20〜21世紀の電話・ネットが広がった社会のことであり、19世紀段階では言わない表現です。③④の「工業化が進展」が19世紀を表しています。
問2 ノート1中のフランス皇帝が在位している間に起こった、フランスの対外関係上の出来事について述べた文あ・いの正誤の組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。[ 2 ]
あ フランスは、長州藩に対して、報復の砲撃を行った。
い フランスは、イギリス・ロシアと協定を結び、オスマン帝国領の分割を取り決めた。
① あ─正 い─正 ② あ─正 い─誤
③ あ─誤 い─正 ④ あ─誤 い─誤
◆この「皇帝」はもちろんナポレオン3世(1852~1870年)です(3世の即位は「ナポレオンさん、愛1馬8昂5奮2──中谷まちよ『世界史年代ワンフレーズnew』以下『ワン』)。1864年の四国艦隊下関砲撃事件(下関戦争)には、英仏米蘭が参加し、長州藩を攻撃した事件です。これを知らなくても「い」が「オスマン帝国領の分割」は第一次世界大戦でトルコが敗戦しないと起きませんから、時代が3世とちがうことで推理できます。もう3世は生きていません。3世の対外派兵は図にあるとおり。

正解は②。
問3 本田さんは、次に、江戸・東京における都市構造の変化について、パネル1にまとめた。その内容として誤っているものを、パネル1中の下線部①~④のうちから一つ選べ。[ 3 ]
パネル1
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・江戸の状況:江戸では、居住区域が身分ごとに分けられ、人口は18世紀に100万人を超えていた。その日常生活を支えるために、①物資が南海路や東廻り航路(海運)により各地から江戸に運ばれていた。
・旧町人地での文明開化:江戸から東京に改称された②明治初期には、銀座に煉瓦(れんが)街が建設され、文明開化のシンボルとなったが、そうした動向は、旧町人地の中でもごく一部の地域に限られた。
・旧武家地での都市計画:③政府は欧米諸国との条約改正を実現するため、欧化政策の一環として鹿鳴館を建設した。また市区改正という都市計画事業で道路が整備され、旧武家地の都市化が進んだ。
・郊外の宅地化:旧町人地の大半では、木造家屋が建ち並ぶ伝統的な商業街や、私的な居住空間が維持されたが、④日露戦争までに、郊外に文化住宅が建てられ、和風・洋風両方の生活様式が取り入れられた。
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考察:パリと東京それぞれで近代化が進み、都市構造も変容した。
◆「日露戦争まで」がおかしい(『ワン』語呂→日露戦争に、行1く9お0し4ん)。「文化住宅」とは大正(『(日本史)ワン』→時19 豆1腐2)・昭和初期にガラス戸・赤瓦の三角屋根の洋風応接間をもつ住宅のこと。日清戦争・日露戦争は明治の戦争です。第一次世界大戦は大正の戦争。正解は④。
文化住宅
問4 マルタンさんは、さらに東京都の住宅着工戸数と融資(ローン)との関係に興味を持ち、公定歩合(日本銀行が市中銀行に貸し出す際の金利)と新規住宅着工戸数に関するグラフ1を作成した。グラフ1から読み取れる事柄あ·いと、その背景X·Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の①~④のうちから一つ選べ。[ 4 ]

グラフ1から読み取れる事柄
あ 1970年代に、公定歩合と新規住宅着工戸数は、同じ向きに変化した。
い 1990年代に、公定歩合は低下し、新規住宅着工戸数は伸びずに横ばいとなった。
背景
X 地価や株価の急落により、平成不況と呼ばれる低成長期となった。
Y 「列島改造」を掲げた内閣が、公共投資を拡大した。
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆グラフを見たら判断できる容易な問題です。「列島改造」を掲げた内閣は田中角栄です。世界史なら田中訪中・日中国交正常化が大事で、その年に1972年に「列島改造論」を発表しています(『ワン』語呂→「田中、中国、行1く9夏72)。(『(日本史)ワン』語呂→「平成」は「時19 白[はく]89)。正解は③。
B 坂井さんの班は、植民地化されたアジアの都市をテーマにして話し合った。
坂 井:ⓐ東南アジア各地は、ヨーロッパ諸国によって植民地化されています。例えば、フランスは、19世紀後半に、まずサイゴンを拠点にして、東南アジアの植民地化を進めていきます。
永 島:サイゴン近隣のメコンデルタは、米穀生産が盛んな地域ですね。植民地化以前から、この地域で生産された米穀は、華僑·華人によって東アジアや東南アジアの各地に向けて輸出されていました。
吉 村:1889年のサイゴンにおける現地の人以外の人口構成を見ると、華僑・華人の方が、主に植民地官僚と商人であったフランス人よりも多く、華僑・華人の活動が継続していたことが読み取れます。植民地化されて、変わったところと、そうでないところがあるのですね。
先 生:考察が深まっていますね。植民地とーロに言っても、それぞれの地域の事情や、植民地化を進める宗主国の都合によって、状況は異なります。いくつか主要な都市を取り上げて、比較してみましょう。
問5 下線部ⓐについて述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[ 5 ]
① インドネシアでは、オランダから輸入される、特定の農産品への依存が進んだ。
② スペインは、マラッカを植民地の拠点とした。
③ ビルマ(ミャンマー)は、英領インドの一部として植民地化された。
④ カンボジアは、英仏植民地の緩衝地帯として、独立を保った。
◆正解は③。東南アジアのどこの国が英仏米蘭の植民地になったのか、という問いです。英領インド帝国の東隣にあるビルマ(ミャンマー)を3度の英緬(えいめん)戦争(イギリス・ビルマ戦争、緬=ビルマ)によって取り上げています。①「特定の農産品への依存」はなく、むいろ強制栽培制度で輸出用の作物を安く買い上げて儲けています、②マラッカはイギリスが取り上げます。マニラと間違わないように、フィリピンの首都はアメリカがスペインから取り上げます。④フランスがとりあげてベトナム・ラオスとともに仏領インドシナ連邦をつくります。
問6 吉村さんは、朝鮮半島の京城(現ソウル)が日本の統治によって変容した様子を調べ、パネル2を作成した。パネル2に関して述べた文あ~えについて、正しいものの組合せを、後の①~④のうちから一つ選べ。[ 6 ]

あ 清渓川の南側には、日本語の地名や日本の百貨店が見られる。
い 朝鮮総督府が移転したのは、日本人住民の割合が大きい地域だった。
う パネル2が示しているのは、三・一独立運動後の京城である。
え パネル2の時期に、日本の政府開発援助(ODA)により工業化が進んだ。
① あ・う ② あ・え ③い・う ④ い・え
◆正解は①。「あ」は地図を見ての通り。「い」はパネル2の地図に「旧朝鮮総督府(1910年)」から北部に「(新)朝鮮総督府」に移ったことを意味している(1926年1月)。地図の右に「王宮であった景福宮内に新たに建てられた」とあるが、周辺にある景福宮の建物は示されていない。写真でみたらわかるように光化門クァンファムン)と勤政門(クンジョンムン)の間に朝鮮総督府庁舎が建てられます。日本の傲慢さが見えるような建て方です。

これらの問から日本軍が不法な武力行使を行い(朝鮮王宮占領事件、1894年7月23日)、国王の高宗を捕虜にし、大臣を脅迫して朝鮮政府軍の武装解除を行い、国王に清軍撤退を言わせます。宣戦布告をしていない国王を擒(とりこ)にして朝鮮の独立を守るために日清戦争をやる? トランプがベネズエラ大統領を誘拐した事件と似ています。この侵略が全土に知られ、反日の抵抗運動が全国でおきることになります。つまり日清戦争は東学農民戦争が原因ではなく、東学農民はすでに朝鮮政府と全州和約を結んでいて故郷に帰っていたのが、再起(第二次東学農民戦争)することとなりました。日本の教科書(詳説)では「全琫準らが甲午農民戦争(東学党の乱)をおこすと、両国軍が出兵して日清戦争となった」とこの事件を隠しています。
公文書に書いてあります→https://www.jacar.go.jp/exhibition/jacarbl-fsjwar-j/smart/main/18940723/index.html
日本史の教科書には書いたものもあります。
問7 永島さんは、第二次世界大戦後の香港の経済発展を支えた背景として、1950年代に着目してノート2を作成した。ノート2中の空欄[ ア ]・[ イ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、後の①~④のうちから一つ選べ。[ 7 ]
ノート2
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・香港はもともと中継貿易港として発展していた。イギリス本国からやってきた人は少なく、人口の大部分を占める現地の人のほとんどは、周辺から入ってきた中国人であった。1931年の調査では、非中国人人口は3万人弱で、香港の人口全体の約3% に過ぎなかった。
・香港には内戦から逃れてきた人々がさらに流入し、人口は60万人(1945年8月)から250万人(1955年)へ急増した。
・中国の人民義勇軍が[ ア ]に介入すると、アメリカ合衆国はイギリスに、中国との貿易を停止するよう要求した。この結果、香港と中国との貿易は途絶えたため、香港では、繊維製品やプラスチック製品などを生産する、労働集約型製造業が発展した。
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考察:戦後香港の経済発展の背景には[ イ ]があった。
① ア─朝鮮戦争 イ─重工業への優先投資
② ア─朝鮮戦争 イ─周辺からの労働力の流入
③ ア─ベトナム戦争 イ─重工業への優先投資
④ ア─ベトナム戦争 イ─周辺からの労働力の流入
◆[ア]の前に「人民義勇軍」「に介入」という文があり、これは朝鮮戦争を示唆します。教科書(詳説)に「国連軍が共和国軍に反撃し、中国国境近くまで追撃すると、中国は共和国側を支援して人民義勇軍を派遣した」とあります。自国とは直接関係のない戦争に参戦するので「義勇軍」という表現を使います。[イ]はもしベトナム戦争であるとすると理由が分かりません。そっけない文章になります。「経済発展」の根拠になるとはおもえません。日本は朝鮮戦争でもベトナム戦争でもアメリカの基地になったので特需を受けています。むしろ「イ─周辺からの労働力」はノート2の「香港には内戦から逃れてきた人々がさらに流入」と連携します。内戦とは日本軍撤退後の国共内戦(1945〜49)です。正解は②
問8 班活動のまとめとして、これまで取り上げた植民地の都市(1880 年代のサイゴン、1930年代の京城、1950年代の香港)について、当時の住民構成が分かるグラフ2〜4を用意し、メモを作成した。メモ1・2の正誤について述べた文として最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 8 ]

メモ1
グラフ4は、1950年代の香港の住民構成を示していると考えられる。ノー2の内容から、1950年代の香港で現地の人が占める割合は、1931年よりも減少しているためである。
メモ2
グラフ3は、1880年代のサイゴンの住民構成を示していると考えられる。グラフ3は、グラフ2・4と異なり、その人口の約4割を華僑・華人が占めているためである。
① メモ1のみ正しい。
② 二つとも正しい。
③ メモ2のみ正しい。
④ 二つとも誤っている。
◆メモ1(1950年代の香港)は「1931年よりも減少」がノート2に書いてある「60万人(1945年8月)から250万人(1955年)へ急増」と合わないからまちがい。正解は②。
第2問 世界史探究の授業で、世界史上における様々な法のあり方とその運用をテーマに生徒たちが班別学習を行った。次の文章A~C を読み、後の問い(問1〜7) に答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。)(配点21)
A 1班は、中国唐代の法について調べ、夜間の通行に関する資料1と、それに基づいて作成された、裁判の模擬問答(資料2) を見つけた。
資料1
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夜間に通行した者は、むち打ち20回とする。理由がある場合は罪に問わない。理由がある場合とは、公務で急ぐ時や、疾病などをいう。
資料2
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問:甲が夜中に出歩いていたところ、警備の役人が彼を捕らえた。公務があって早急に朝廷に参内したいと釈明したが、役人は禁令を犯したという理由で、聞き入れなかった。
答:犯罪防止のためにこの法があるのである。甲は公務への尽力ばかりを考え、その時間を考えることにうかつであった。朝廷への参内は、色が識別できる時刻に行い、夜間通行禁止の規則に従うべきである。
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中 田:資料1[ ア ]の一部で、夜間の通行を禁止するとともに、違反した場合の処分を定めています。
佐 伯:資料2は、白居易が官僚を目指す際に、準備のために自作したものだそうですが、裁判の模擬問答を作ったのはなぜでしょうか。
先 生:官僚になると、行政のほか司法を担当することもあったからです。当時の官僚には、儒学の知識や詩文の素養だけでなく、判決文の作成能力、容姿や言葉遣い、文字の美しさなども要求されました。韓愈や柳宗元も、そのような点を評価されて官僚になった人々です。
中 田:資料2の甲の釈明は、資料1を踏まえると、認められるように思ったのですが、白居易は、正当な理由とは認めなかったんですね。
問1 前の文章を参考にしつつ、[ ア ]に入る語句あ・いと、資料2の「答」に見られる白居易の考えX·Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 9 ]
[ ア ]に入る語句
あ 令
い 律
白居易の考え
X 甲の釈明は正当であり、夜間の通行禁止に違反しない。
Y 甲の釈明は正当ではなく、夜間の通行禁止に違反する。
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆律は刑法です。規律・戒律・法律はみな刑法が中心。令は行政法です。具体的には均田法・租庸調・府兵制(軍防令)などを含んでいます。正解は④。
問2 前の文章を参考にしつつ、唐代の官僚の特徴について述べた文として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 10 ]
① 文治主義の下、文人官僚が政治を担った。
② 封建制の下、世襲の諸侯が政治を担った。
③ 儒学の教養を身につけた官僚の中には、古文の復興を主張する者もいた。
④ 中央アジアや西アジア出身の色目人と呼ばれる人々が、財政面で活躍した。
◆「唐代の」というところに限定が入っています。①「文治主義」は宋代以降の特徴です。②「世襲の諸侯による封建制は「周代」です。④「色目人」は元朝です。正解は③。「古文の復興」は、韓愈と柳宗元の二人の名文家からです(環[韓]流[柳]する古文復興と覚える)。
B 2班では、中世ヨーロッパにおける慣習法についての発表を準備している。
小 澤:中世ヨーロッパの農村社会についてもっと詳しく知るために、13世紀のフランス北部ボヴェジ(ボーヴェ)地方でまとめられた『ボヴェジの慣習法』(資料3・4) を持ってきたよ。
資料3
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3月に麦を播種(はしゅ)すべき土地は、播種のために黎耕(りこう)された後、禁区となる。また、牧草地は、3月半ばから草が刈り取られる時期まで、囲い地は、全季節にわたり、森も全季節にわたって、禁区となる。牧草地では、どの季節においても、豚は許されない。なぜなら豚は、土を掘り返すことで牧草地を悪化させるからである。
資料4
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ボヴェジでは、農奴は他の地方に比べて丁重に扱われてきた。彼らは自らの領主に対して、慣習で定められた貢納の義務を果たす限りにおいて、その領主の裁判権の及ばない所へと奉仕しに行くことができ、また移り住むことができるのである。
永 井:資料3では、土地の利用方法について、具体的な規則が定められているね。
中 島:そう言えば11世紀頃から農村では[ イ ]と授業で習ったよ。
小 澤:ⓐその時期から新しい農具が普及し、耕地利用の仕方が変わっていったことが、農村社会の変化を促したんだよね。
中 島:資料4では、授業で学んだ荘園における農奴の立場とは、異なる立場が見て取れるよ。
永 井:慣習法を見ることで、中世の農村社会の具体的な状況が分かって興味深いね。
問3 前の文章を参考にしつつ、会話文中の空襴[ イ ]に入る文あ・いと下線部ⓐの状況の根拠となるものが表現されている図X·Y とについて、最も適当なものの組合せを後の①〜④のうちから一つ選ぺ。[ 11 ]
[ イ ]に入る文
あ 耕作地や牧草地が共同で利用されていた
い 大地主が村の共有地を手に入れ、大農場にしていた

① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆「あ」が三圃制農法の畑を季節毎に三分して利用する方法を表していて。図としてはXが該当します。Yのミレーの絵は「落ち穂拾い」で該当する文がありません。「い」の文はエンクロージュア(囲い込み)を指しています。中世ではなく近世(16〜18世紀)に起きます。牧羊のための牧場づくりです。正解は①。
問4 前の文章を参考にしつつ、中世ヨーロッパの農奴について述べた文として最這当なものを次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 12 ]
① 荘園では、農奴に移住の自由があったとされ、資料4からはボヴェジ地方の農奴には、条件付きで移住の自由が認められていたことが分かる。
② 荘園では農奴に移住の自由があったとされるが、資料4からはボヴェジ地方の農奴には、移住の自由がなかったことが分かる。
③ 荘園では、農奴に移住の自由がなかったとされるが、資料4からはポヴェジ地方の農奴には、条件付きで移住の自由が認められていたことが分かる。
④ 荘園では農奴に移住の自由がなかったとされ、資料4からも、ボヴェジ地方の農奴には、移住の自由がなかったことが分かる。
◆「前の文章」には「貢納の義務を果たす限りにおいて、……移り住むことができる」とあり、条件付きで移動の自由が認められています。正解は③。
C 3班は、博物館の「世界史の中の法廷」展を見学した。そこに、19世紀末の資料5・6と地図、それらについて解説したパネルが展示されていた。
資料5
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原告は、被告に対して銀貨27キルシュの支払いを要求した。しかし、被告は、これを拒否した。そこで、原告側の2人の証人が証言に立ち、私の面前でアッラーに対して証言したので、その証言は承認された。私は、原告の訴えを認め、被告に支払いを命じる判決を下した。
資料6
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ブラヴァの[ ウ ]領事であるカペッロ氏が、2棟の館をヌーライニ氏から購入した。それらの総額は、銀貨427キルシュであった。その全額を売主が受領したので、買主は、売却物を合法的に入手した。この売買は正当であり、双方の合意と自由意志による。このことについて、5人が証言した。それにしても、証言者としてはアッラーで十分である。

パネル
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【地図について】
19世紀末以降、エチオピアの周辺地域は、列強によって複雑に分割され、各国の植民地となっていきました。aはフランス領、 bは[ ウ ]領、C は[ エ ]領です。
【資料について】
地図中のブラヴァのカーディー(イスラーム法に基づいて裁定を下す裁判官)が司(つかさど)っていた法廷の記録です。これらが書かれた19世紀末、が位置する地域は[ ウ ]の保護領でしたが、保護領における司法のあり方は一般に多様なものです。文中の「キルシュ」は貨幣の単位です。
・資料5は、ブラヴァ周辺の住民間の金銭をめぐる係争の記録です。原告、被告、証人はムスリムです。文中の「私」はカーディーを意味しています。
・資料6は、[ ウ ]領事がブラヴァにある家屋をムスリムの住民から購入したことを証明する記録です。証言をした5人もムスリムです。末尾にある「それにしても、証言者としてはアッラーで十分である」は、『クルアーン(コーラン)』の一節で、 ここでは、定型表現として引用されています。
問5 パネル中の空欄[ ウ ]・[ エ ]に入る国名の組合せとして正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 13 ]
① ウ─イギリス エ─ドイツ
② ウ─イギリス エ─イタリア
③ ウ─ドイツ エ─イギリス
④ ウ─ドイツ エ─イタリア
⑤ ウ─イタリア エ─イギリス
⑥ ウ─イタリア エ─ドイツ
◆ b[ ウ ]領とc[ エ ]領、とあり、エチオピアを囲んでいる「b」(エリトリアとソマリランド)はいずれムッソリーニがこのエチオピアに侵入して取りあげます(エチオピア戦争)。エチオピアの南cは英領ケニア。

正解は⑤。
問6 3班の生徒たちは、見学を終えた後、メモ1・2を作成した。前の文章を参考にしつつ、それぞれのメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 14 ]
メモ1
資料5から判断すると、この法廷では、金銭の支払いをめぐる係争に判決を下す際、証人の証言が根拠にされていたと考えられる。
メモ2
資料5・6から判断すると、この法廷では、宗主国の法律ではなく、シャリーアに則して裁定が下されていたと考えられる。
① メモ1のみ正しい。
② メモ2のみ正しい。
③ 二つとも正しい。
④ 二つとも誤っている。
◆メモ1には2人の「証言を根拠」に判決しています。メモ2では、シャリーア(イスラーム法)に合ったこととして「合法的に入手」と表現しています。正解は③ 。
問7 班別学習の後、 さらに探究を続けた江上さんは、古代ローマの法である資料7を見つけ、それについて調べた内容をノートにまとめた。ノート中の空欄[ オ ]に入る人名と[ カ ]に入る班の組合せとして正しいものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 15 ]
資料7
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誰のところであれ、他人の権利に属するコロヌスが見つかった場合には、その者はそのコロヌスを原籍地に還(かえ)すだけでなく、それまでの期間にコロヌスに課せられる人頭税の負担をも受け入れなくてはならない。また、逃亡をもくろむロヌス自身は、鉄鎖によって奴隷の状態へと縛り付けられるのが適当である。それは、自由人にふさわしい責務を、奴隷状態を宣告することで彼らに果たさせるためである。
ノート
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・資料7に現れるコロヌスは小作人を意味する。[ オ ]帝は、資料7の法を発布することで、コロヌスの地位を法的に確定させようとしただし、この法の実効性や有効範囲については、様々な議論がある。
・農業に従事した人々への制約については、[ カ ]の学習内容と比較することができる。
① オ─コンスタンティヌス カ─1班
② オ─コンスタンティヌス カ─2班
③ オ─コンスタンティヌス カ─3班
④ オ─カラカラ カ─1班
⑤ オ─カラカラ カ─2班
⑥ オ─カラカラ カ─3班
◆「コロヌス……法的に確定」をした皇帝はミラノ勅令のコンスタンティヌス帝です(『ワン』語呂→ミラノ、ミ3ド1ミ3)。カラカラ帝はこの皇帝より前に生きた暴君です。全自由民に市民権(212年、『ワン』語呂→市民権、ふ2い1に2)を与えたことと、キリスト教徒迫害で知られています。なに班かは、わかりにくい問いですが、「農業に従事した人々への制約」とあれば、農奴の自由制約について調べた問3・問4の中世の荘園と関連します。それが「[ カ ]の学習内容と比較」です。正解は②。
第3問 世界史探究の授業を受けた生徒たちが、歴史に触れるきっかけや、歴史を伝える手段について考えている。次の文章A〜Cを読み、後の問い(問1〜6) に答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。) (配点18)
A 生徒たちが放課後に、フランス革命を描いたマンガについて話し合っている。

中 山:『ベルサイユのばら』というマンガを読んでみたよ。主人公の一人のオスカルは、作者が創作した架空の貴族の女性だけど、図1のように、 民衆側に立って、革命の発端とされる襲撃に参加するんだ。
星 野:@現実の革命の過程でも、女性が大きな役割を果たす場面があったね。でも、 どうしてオスカルは、男装しているのだろう。
中 山:オスカルの父はフランスの将軍で、娘しか生まれなかったから、自分の地位を継がせるために、末娘のオスカルを男性として育てたんだよ。
星 野:図2では、 オスカルが父親に「普通の女性として育っていたら、私も15歳になる頃には嫁がされたのか」という趣旨のことを言っているね。
中 山:当時の貴族の女性は、家父長である父親や夫に対して、従属的な立場に置かれていたとえられるね。革命後、ナレオン法典によって、[ ア ]。過去の人々の、記録に残されない感情や葛藤も描けるのが、フィクション作品の強みかもしれない。
星 野:とはいえ、具体的で感情移入もしやすい分、事実と異なる描写に気付きにくい場合もあるから、注意は必要だよね。
問1 次の文Ⅰ・Ⅱ は、 フランス革命に関連する出来事について述べている。図1に描かれている出来事と、文Ⅰ・Ⅱとについて、古いものから年代順に正しく配列したものを後の①〜⑥のうちから一つ選べ。[ 16 ]
Ⅰ ロベスピエールらが、公安委員会を通じて、反対派を粛清した。
Ⅱ フランスが、 アメリカ独立戦争に参戦した結果、財政難に陥った。
① Ⅰ─Ⅱ─図1
② Ⅰ─図1─Ⅱ
③ Ⅱ─Ⅰ─図1
④ Ⅱ─図1─Ⅰ
⑤ 図1─Ⅰ─Ⅱ
⑥ 図1─Ⅱ─Ⅰ
◆革命はまず「Ⅱ フランスが、 アメリカ独立戦争に参戦した結果、財政難」があり、改革のための議会・政府が代わります。三部会を解散して国民議会→立法議会→国民公会→総裁政府→統領政府→帝政、と。これを「国立公・総統帝」と一気に覚えます(『各駅停車』──西欧近代史p.281)。問題の「I 公安委員会」は国民公会で決めたもの。バスティーユ牢獄の襲撃で革命に火がつき、国民議会ヴェルサイユからパリに移して開くことになりました。正解は④。

問2 会話文中の下線部ⓐに関して述べた文あ・いと、空欄[ ア ]に入る文X·Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 17 ]
下線部ⓐに関して述べた文
あ 女性を中心とした多数の民衆がヴェルサイユに行進し、国王一家をパリへ連行した。
い オランプ=ド=グージュは、ラ=ファイエットらとともに「人権宣言」の起草に関わった。
[ ア ]に入る文
X 家父長権は肯定されたよ
Y 家父長権は否定されたよ
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆「あ」は「ヴェルサイユ行進」と呼ばれ、貧窮した婦人たちがヴェルサイユ宮殿から国王夫妻をパリのテュイルリー宮に移す事件のこと。正しい文章。しかし、「い」のグージュは別の人権宣言「女性の権利宣言(1791)」を刊行したひと。しかし「ナレオン法典によって」「X 家父長権は肯定」されます。フランスで家父長権が否定されたのは1970年の民法によって。正解は①
B 生徒たちが、翌週の世界史探究の授業後に、先生に質問している。
星 野:先日、歴史を題材にしたマンガの話題になりました。このように私たちが歴史に触れる媒体には、他にどんなものがあるのでしょうか。
先 生:ⓑ過去や同時代の出来事を伝える手段としては、文字と文章が、広く用いられてきました。ただし最近では、絵画や風刺画が歴史上果たした役割や、歴史を知る上で果たす役割も注目されるようになっています。
中 山:そう言えばオスマン帝国支配下のキオス島で起こった事件を「虐殺」として描いた絵画が、その臨場感ゆえに、ヨーロッパの世論に影響を与えたと聞いたことがあります。
先 生:そうですね。絵画や風刺画などの視覚的効果が、特定のメッセージや歴史像を増幅する可能性も想起すべきでしょう。
星 野:根棒外交を展開したアメリカ合衆国大統領については、巨人の姿で描かれた風刺画で、強硬な外交姿勢が強調されていますね。
先 生:とはいえ、こうした特定の主張の介在は、文章の場合もあり得る話です。どのような手段に関しても、作者など、発信者側の意図や立場にも留意する態度が求められるでしょう。
中 山:記念碑や彫像などもまた、歴史に触れる手段になりそうですね。
問3 下線部ⓑの具体例について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 18 ]
① 『史記』は、支配者の年代記とその他の人物の伝記とを組み合わせた形式で記述された。
② ユーラシアの東西を広く扱った『集史』は、モンゴル語で著された。
③ ラス=カサスは、エンコミェンダ制の問題を告発する報告書を著した。
④ ランケは、残された史料の批判に基づく歴史学を追求した。
◆『集史』は、モンゴル語ではなくペルシア語。モンゴル史を研究したいひとはペルシア語の勉強を。サファヴィー朝もムガル帝国も公用語はペルシア語です。③のラス・カサスの「エンコミェンダ制の問題」といっても酷使したインディオの虐殺
を告発したもの。大型犬でインディオを噛み殺させた。正解は②
問4 星野さんと中山さんは同時代の出来事を扱った絵画や風刺画に興味を抱き自分たちでも新たに幾つか調べてみた(図3・4) 。前の会話文を参考にしつつ、そのような絵画や風刺画に関連する内容について述べた文として最も適当なものを後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 19 ]

① 会話文では、「キオス島の虐殺」のように、視党的効果が大きい絵画においては、作者の立場や意図について考慮する必要がないとする見解が示されている。
② 会話文中に登場するアメリカ合衆国の大統領はラテンアメリカヘの干渉の一方で日露戦争の講和を仲介したことでも知られる。
③ コソヴォ紛争に伴う都市への空爆を題材とした図3は、事件への怒りを伝えている。
④ 図4でアフリカを縦断するように足を広げた人物の姿は、両足先の二つの地域を植民地化したフランスの自信を象徴している。
◆正解は②。セオドア・ローズヴェルトです。彼は日露戦争の講和(ポーツマス条約)を仲介しました。①意図は明快で、「臨場感ゆえに,ヨーロッパの世論に影響」のところです。③コソヴォ紛争(1998年)ではなく、ゲルニカ爆撃(1937年)を怒ってパリにいたピカソが描いたもの。④フランス→イギリス。エジプトも南アフリカもイギリスが植民地化しました。
C 記念碑や彫像に興味を持った中山さんはカザフスタンの都市アルマティにある女性兵士像について調べパネルを作成した。

問5 グラフから読み取れる事柄あ·いと、その背景として考えられる文X·Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 20 ]
グラフから読み取れる事柄
あ 1926 年から1939 年までに、都市の人口が10 倍以上増加した。
い 1931年から1933年までに、総人口は100万人以上減少した。
背景
X 農業集団化によって農村は混乱し、各地で大量の餓死者が発生した。
Y 世界恐慌によって発生した大量の失業者が、都市へと流入した。
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆「グラフから」で「い」はグラフで明らか。「100万人以上激減」が見られます。「背景」のY「世界恐慌(『ワン』語呂→恐慌、11キ922キ9)」は1929年以降「大量の失業2者」は増えていますが、グラフでは「大量」というほど増えていません。
正解は③。
問6 中山さんのパネルを見た星野さんは、パネルの内容についてさらに調べ、メモ1・2 にまとめた。それぞれのメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 21 ]
メモ1
ソ連期のアルマティでは、十月革命の指導者の像が建てられた。ソ連期のカザフスタンでは、核実験によって、多くの住民に健康被害が発生していた。
メモ2
アルマティの中心広場に建てられた女性兵士像のモデルとなった二人の女性兵土は、独ソ戦で命を落とした。
① メモ1のみ正しい。
② メモ2のみ正しい。
③ 二つとも正しい。
④ 二つとも誤っている。
◆グラフ「あ」の「人口が10 倍」は見られない。「い」の「減少」は見られます。背景「メモ1」の健康被害、「メモ2」の独ソ戦(1941〜44年、『ワン』語呂→独ソ、独19死4一1戦)は二人の女性も含み多くの戦死者を生みました。正解は③。
第4問 歴史上に見られた様々な「帝国」のあり方について、生徒たちが資料に基づいて探究している。次の文章A〜Cを読み、後の問い(問1 〜6) に答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。) (配点18)
A ある日の世界史探究の授業で、先生が次の資料1・2を示した。
資料1
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スガンブリ族ヘカエサルが使者を送って、ローマ軍とガリアに戦争を仕掛けた者たちの引渡しを要求すると、彼らはこう返答した。「ローマ人のインペリウムはライン川までだ。カエサルの意に反してゲルマニア人がガリアヘ渡ることを、カエサルが不当と考えるなら、なぜカエサルは、自分のインペリウムや権限が、ライン川の向こう岸に及ぶことを求めるのか。」
先 生:資料1は、カエサルの『ガリア戦記』の一節です。
木 村:「インペリウム」という言葉が二度出てきます。この言葉は、英語の「エンパイア」の語源で、 日本語では「帝国」と訳されます。一度目の「インペリウム」については、ローマ人の「帝国」の領域はライン川までだった、という意味で理解できますね。
古 田:すると、ローマは[ ア ]のですね。しかし、二度目の「インペリウム」という言葉の意味は、それとは違う気がするのですが。
先 生:良い点に気づきましたね。「インペリウム」という言葉はもともと、この二度目のように、ローマの公職者が持つ「命令権」を意味していました。その後都市国家ローマの支配が拡大するなかで、各地に派遣された公職者の「命令権」だけでなく、その権限の及ぶ範囲も意味するようになります。
清 水:つまり、権限を表す言葉が後に地理的な意味も持ち、一度目の箇所のように、ローマの「支配領域」や「帝国」を意味するようになったのですか。
先 生:そのとおりです。そして帝政期にはローマが領域的な「帝国」であるという認識が定着し、その認識は、ローマ帝国が東西分裂して以降も変わらず続きます。資料2は、五賢帝時代に書かれた著作の一節です。ここから当時の「インペリウム」のイメージを読み取ってみましょう。
資料2
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アウグストゥス帝は、征服によって手に入れた王国のうち、わずかを除き奪っていた王位を元の王に返却するか、あるいは他の王国に併合させた。これら全ての王国をあたかもインペリウムの一部とみなして気を配り、年齢の上で幼いか、精神的に問題のある王には、彼らが成年に達するまで、あるいは健全な精神を取り戻すまで、いつも後見人を指名していた。
問1 前の文章を参考にしつつ、会話文中の空欄[ ア ]に入る文あ・いと、資料2から読み取れる内容X·Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 22 ]
[ ア ]に入る文
あ 元首政の開始とともに初めて「ローマ帝国」となったと言える
い 共和政の時代から、「ローマ帝国」と呼べる存在だった
資料2 から読み取れる内容
X アウグストゥス帝時代のローマ帝国は、支配下に入った諸王国の多くを直轄領とし、集権的な体制を確立した。
Y アウグストゥス帝は、復活させた諸王国についても、帝国の一部とみなしていた。
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆「ア」に入る文の「あ」の「元首政の開始とともに初めて「ローマ帝国」は、教科書のローマ史の記事はそう書いてあるのですが、ここはあくまでこの問題の資料1の文から推理しなくてはならないので、カエサル(彼の暗殺は前44年、『ワン』語呂→カエル死4し4、元首政は前27年から、『ワン』語呂→元首、首に綱27)の生きていた時代から「インペリウム」の表現が使われていたことを踏まえて、正しい文章ととります。「X」の「諸王国の多くを直轄領」はまちがいで、資料2「王位を元の王に返却」とあるように王国を許容しています。正解は④。
問2 次の図Ⅰ・Ⅱ は、ある時代にローマ人やローマ皇帝の「インペリウム」が直接及んだ領域を示している。前の文章を参考にしつつ、資料2 が書かれた時代の領域と、図Ⅰ・Ⅱとについて古いものから年代順に正しく配列したものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 23 ]
① Ⅰ─Ⅱ─資料2
② Ⅰ─資料2─Ⅱ
③ Ⅱ─Ⅰ─資料2
④ Ⅱ─資料2─Ⅰ
⑤ 資料2─Ⅰ─Ⅱ
⑥ 資料2─Ⅱ─Ⅰ

◆地図Iはまだアフリカの北岸が領域にない時期で、カエサル以前の時代の地図。地図Ⅱはイベリア半島の南岸しか領域がないのは東西にローマ帝国が分裂して、東ローマ帝国のほうが一時的(ユスティニアヌス帝代、6世紀、この帝の即位は527年、『ワン』語呂→ユスティニアヌス、こ5ぶ2な7い)に取った領域で、ローマ皇帝が最大版図を形成した時期のものが欠けています。資料2はアウグストゥス帝以降(前1世紀〜3世紀)の地図はどこにもありません。正解は②。
B 次の授業では生徒たちが図懇室で見つけた本について話し合っている。
田 口:ムガル帝国期のグジャラート地方について也かれた本を見つけたよ。このページ(資料3) を見てくれるかな。
資料3
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ムガル帝国の最盛期に、芸術や工芸が高度に発達し、奢侈(しゃし)な生活様式が広まった。このことはグジャラートで栄えたヒンドゥー教のヴィシュヌ派教団が祭る、シュリーナートジーという名の神(左挿絵)の豪華な搬衣や装飾にうかがえる。そこには、イラン=イスラーム文化がインドにもたらした美しい影孵が示されている。
(R.Parikh、et al、Guijaratno Rajkiy ane Sanskritik ltihas)
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坂 本:ムガル帝国ってイスラーム王朝だったよね。なぜヒンドゥー教の神々も拝まれていたのかな。
田 口: ムガル帝国最盛期の皇帝の一人アクバルは、広大な領土を持つ帝国の様々な宗教文化を尊重する融和政策をとったんだ。これによって、 ヒンドゥー教の諸宗派も大いに発展した。シャー=ジャハーンの治世でも、男のダーラー=シコーが、スーフィズムとウパニシャッド哲学とが共
通していると考え様々なヒンドゥー教の経典をペルシア語に翻訳したそうだよ。
坂 本:でもシャー=ジャハーンの後に皇帝になったのは、ダーラー=シコーと対照的な思想を持ったアウラングゼープだったよね。
田 口:そうだね。ⓐアウラングゼープの治世においては、ムガル帝国の文化や政治を考える上で、重要な変化があったんだ。
問3 下線部ⓐについて述べた文として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。[ 24 ]
① インド=イスラーム文化が最盛期を迎え、タージ=マハルが建立された。
② 偶像崇拝を禁止するシク教が、ナーナクによって創始された。
③ デリー=スルタン朝最後の王朝であるロディー朝が打倒された。
④ムガル帝国の領土は最大となったが、各地で対抗勢力が強まった。
◆下線部ⓐは「アウラングゼープの治世……変化」なので、イスラーム教に真面目すぎる彼の変化は、インドのイスラーム化だったから、正解は④。①父のシャー=ジャハーンの建造物。②「偶像崇拝を禁止した」かどうか分からないとしても(禁止した)、ナーナクはムガル帝国成立(無我〜一1個5風2呂6)期のひと(1469〜1538)だからアウラングゼーブラン帝は最盛期(17世紀の1658年に即位、『ワン』語呂→あ売らん、セール、広16子5早8く)のひと。
問4 前の文章を参考にしつつ、ムガル帝国期に見られた宗教や文化について述べた文あ・いの正誤の組合せとして正しいものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 25 ]
あ シュリーナートジ一神の衣装は、ヒンドゥー文化とイラン=イスラーム文化とが融合したことを示している。
い ダーラー=シコーは、アッラーとの一体感を求める思想と、ブラフマンとアートマンとの同一性を悟ろうとする古代インド思想とが、共通すると考えていた。
① あ─正 い─正
② あ─正 い─誤
③ あ─誤 い─正
④ あ─誤 い─誤
◆「あ」の「融合」は資料3に「ヒンドゥー教の……豪華な搬衣や装飾にうかがえる……美しい影孵が示されている。」とあるので正しい文章。「い」の「共通する」は田口くんの発言「スーフィズムとウパニシャッド哲学とが共通している」と発言。正解は①>
C 生徒たちが、スペインの繁栄とその後について、先生と話し合っている。
先 生:スペインは、フェリペ2世統治下の16世紀後半には、世界帝国として君臨し、「太陽の沈まぬ帝国」とも呼ばれていましたが、次第に衰退していきました。
寺 内: 19世紀前半には、ラテンアメリカ諸国が独立していきましたね。
高 崎:それにもかかわらず、キューバはその後もスペインの植民地にとどめられました。そのためナショナリズムが高まり、独立運動が続きました。
先 生:一方で、19世紀末のカリブ海地域では、アメリカ合衆国が台頭していました。当時のキューバ独立運動の指導者ホセ=マルティが、1891年に雑誌に寄稿した論説(資料4) を見てみましょう。
資料4
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アメリカ大陸は様々な危険を乗り越えて今に至っている。だが、 このような危険とは別の危険に、 「我らのアメリカ」は、恐らく晒(さら)されている。
「我らのアメリカ」を軽んじる強国が、近い将来、親密な関係を要求しつつ近づいてくるだろう。「北のアメリカ」が野望へ向かって一気に走り出す日は、間近に迫っている。「我らのアメリカ」について何も知らない、強大この上ない隣国が軽率な行動に出ることが、我々の最大の危険なのである。(ホセ=マルティ「我らのアメリカ」)
寺 内:言葉の使い方が特徴的ですね。「我らのアメリカ」とは[ イ ]のことですか。
先 生:そのとおりです。
高 崎:しかし、アメリカ合衆国は、キューバの独立運動を支援するために、ⓑアメリカ=スペイン戦争を起こし、その結果、キューバは独立しま
した。独立は、アメリカ合衆国のおかげとは言えないでしょうか。
寺 内:それは一面的な見方です。確かにキューバは独立しましたが、プラット条項によって、アメリカ合衆国の事実上の保護国になったのですから。
問5 会話文中の空欄[ イ ]に入る語句あ・いと、下線部ⓑの結果、アメリカ合衆国が領有した場所X·Y とについて、最も適当なものの組合せを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 26 ]
[ イ ]に入る語句
あ スペインの覇権に対抗する、キューバとアメリカ合衆国との連合
い アメリカ合衆国の脅威に対抗するキューバも含むラテンアメリカ
場所
X フィリピン Y アラスカ
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆資料4の「北のアメリカ」の野望は合衆国であり、これに対抗する「我らのアメリカ」はラテンアメリカだから、[イ]には「い」がふさわしい。ⓑ米西戦争で合衆国が獲得したのは「X フィリピン」。「Y アラスカ」はロシアから買収しました(1867)。正解は③
問6 世界史上の「帝国」のあり方について探究した生徒たちは、 さらに考察を深め、その結果をメモ1 ~3 にまとめた。それぞれのメモの正誤について述べた文として最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 27 ]
メモ1
キューバがスペインからの独立を求めた背景には、 ナショナリズムの影響があった。古代のローマ帝国の支配が終わった時代にも、 自立に向けた諸民族の動きが見られた。国民国家建設を目指す独立運動が繰り広げられた点で、両者は類似していると考えられる。
メモ2
フェリペ2世は、プロテスタントを弾圧したため、オランダ独立戦争を招いた。イスラームを篤(あつ)く信仰したアウラングゼープは、ヒンドゥー寺院の破壊などを命じ、 反発を招いた。不寛容な宗教政策が、帝国衰退の要因の一つとなった点で、両者は類似していると考えられる。
メモ3
アウグストゥス帝は、 ローマ帝国の一部とされた諸王国に、王を復位させた。アクバルは、マンサブダール制を導入して地方分権を進めた。地方の政権が維持されたという点で、両者の帝国統治のあり方は類似していると考えられる。
① メモ1のみ正しい。
② メモ2のみ正しい。
③ メモ3のみ正しい。
④ メモ1とメモ2のみ正しい。
⑤ メモ1とメモ3のみ正しい。
⑥ メモ2とメモ3のみ正しい。
◆「メモ1」の帝国支配の終わるとともにゲルマン諸民族の動きは「独立運動」と言いがたい。まして「国民国家」を目指すとは言えない。国民国家と言えるには、国民(議会)に主権が移っていって本格的な国民国家が成立します。領土・歴史・言語が共通していて、それまでの国は「同じ国民」という意識を持っていないが、近代的な団結したシステムになっているものを指しいます。
「メモ3」は「諸王国」を認められたローマ帝国は国家連合のかたちをとり、マンサブダール制も地方分権的でありながら、中央の中心(皇帝)が強権であることには変わりはない。正解は② 。
第5問 世界史探究の授業で、「税制度と社会変容」というテーマについて、発表に向けた班別学習を行った。各班の活動に関連した次の問い(問1〜5) に答えよ。(資料には、省略したり、改めたりしたところがある。) (配点18)
問1 1班は、明清時代の中国における税制度の変化がもたらした社会変容について、パネルを作成した。パネルから読み取れることやその背景について述べた文として最も適当なものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 28 ]
パネル
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【税制度の変化と対応】
明清時代の中国では、財政効率化のために指定の純度の銀での納税が求められるようになった。
・市場では、様々な純度や形状の銀が、取引に使われていた。そこで農民は納税に際し、生産物を商人に売却して銀を手に入れた後、銀の純度の調整を職人に依頼し、県の役所まで自分で出掛けて納入することが必要になった。いずれも高額な経費が必要だった。
・官僚経験者や科挙合格者をはじめとする地域有力者たちは、県の行政事務に協力することで、商人、職人、役人よりも優位に立っていた。このため、彼らは納税に関わる高額な経貴を支払う必要がなかった。
【社会の変容】
地域有力者は、上記の立場を利用し、納税代行に従事して、富を蓄積するようになった。彼らによる納税代行は、納税側、徴税側どちらにとっても都合が良かった。
① 明清時代の中国では、交子や会子と呼ばれる紙幣も利用された。
② 納税手続きに関与することは、郷紳にとって、蓄財の機会となった。
③ 明代に創始された両税法に基づき、銀での納税が求められた。
④ 生産物を納税用の銀に換える経費は、政府が負担した。
◆①「交子会子開始」は北宋南宋の貨幣。②「蓄財」パネル「いずれも高額な経費が……彼らは納税に関わる高額な経貴を支払う必要がな
かった。」と一方的に郷紳(官僚経験者・科挙合格者・地域有力者)の得ばかり。③両税法は唐末期から(780年。『ワン』語呂→両税法は縄78を0とる)。④「経費は、政府が負担」したのでなく、「農民は納税に際し……高額な経費が必要だった。
正解は②。
問2 2班は、オスマン帝国の税制に関する勅令の一部(資料1) を見つけて、話し合った。会話文中の空欄[ ア ]に入る語句と、 [ イ ]に入る文との組合せとして正しいものを後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 29 ]
資料1
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徴税を請け負った者たちは、自分の請負期間は1年または2年であると言って、収穫物の全てを奪おうとする。このため、農民の多くは逃亡し、
村々は荒廃し、税収も減少して、国庫に甚大な損害が生じている。
木 田:オスマン帝国の税制は、 17 世紀になると[ ア ]から徴税請負制に変わりました。なぜでしょうか。
ギュル:戦争形態の変化や財政の悪化が、背景にあったと言われます。しかし、資料1からは、新たな問題が生じたことが分かりますね。
木 田:つまり、[ イ ]いうことでしょうか。
ギュル:そのとおりです。これに対して、帝国政府は請負期間を終身にしました。この結果、地方社会では、徴税請負を通して富を蓄え、それを利用して土地を集積した有力者が台頭することになります。
① ア─農地の徴税権を分与する制度
イ─短期間に利益を最大化しようとした結果、激しい収奪が行われた
② ア─農地の徴税権を分与する制度
イ─長期的に利益を確保しようとしたが、農民の理解を得られなかった
③ ア─非ムスリムに人頭税を課す制度
イ─短期間に利益を最大化しようとした結果、激しい収奪が行われた
④ ア─非ムスリムに人頭税を課す制度
イ─長期的に利益を確保しようとしたが、農民の理解を得られなかった
◆16世紀まで維持していたティマール制(騎士に徴税権を与え軍役を課す制度)を止め、17世紀から徴税請負制(イルティザーム制)に変えました。「請負」とは一地方の徴税権利が有力者・商人間で売買され、「請負期間は1年または2年」のうちに「収穫物の全てを奪おうとする」ほど悪どい収奪がおこなわれますが、中央政府に現金収入があり、政府はメリットが大きいが、取られる農民はたまらない。正解は①。
日本の歴史でも朝鮮を植民地化しようとしたときに徴税と略奪・買い占めによって「全てを奪おうとする」収奪が行なわれました。事例はここでで見ることがてきます。→
https://www.youtube.com/watch?v=T7U9lnrKklw&t=21s
問3 3班は、ヨーロッパの関税について調べ、 ドイツの経済学者リストがまとめた請願書(資料2) を見つけた。資料2を参考にしつつ、リストの主張に合致すると考えられる文あ・いと、それと同様の考えや背景があると推測される事例X·Yとについて、最も適当なものの組合せを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 30 ]
資料2
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ドイツでは、関税と通行税を取る38 の境界線が、域内の交通を麻痺(まひ)させています。あたかも人間の四肢が縛られ、血液が他の臓器に流れないのと同様の作用を引き起こしています。ハンブルクからオーストリアヘ、10に及ぶ諸邦を横切る際に、それぞれの関税規則を調査し、通過関税を支払わねばなりません。ここに署名をした忠実なる者は、崇高なるドイツ連邦議会に謹んでお願いいたします。
1、 ドイツ域内の関税を廃止すること。
2、 ドイツ以外の諸国民がヨーロッパで通商の自由原則を承認するまで、彼らに対して共通の関税を設定すること。
(Deutsche Geschichte in Quellen und Darstellung)
リストの主張
あ 諸外国が通商の自由を認めているので、後発国のドイツ諸邦はドイツ以外の国々に対して、関税を撤廃すべきである。
い 諸外国が通商の自由を認めていないので、後発国のドイツ諸邦はドイツ以外の国々に対して、共通して関税をかけるべきである。
事例
X コブデンやブライトらによって主張された穀物輸入に関する政策
Y 南北戦争直前のアメリカ合衆国北部諸州で主張された貿易政策
① あ─X ② あ─Y ③ い─X ④ い─Y
◆リストの「あ」ドイツ域内の関税を廃止を説いているが、他国に対しての関税撤廃は求めていない。「い」こで「外の国々に対して,共通して関税を」と主張している。事例の「X」穀物法という外国産穀物に高関税を課して輸入を制限してたが、二人は廃止を求めていた。「Y」の北部はイギリスに対して関税政策(=保護貿易=関税推進)でした。正解は④
問4 4班は、第二次世界大戦直後に締結されたある協定を取り上げ、その第1条(資料3) を基に考察し、その内容をノートにまとめた。ノート中の空欄[ ウ ]・[ エ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 31 ]
資料3
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輸出入の際に課される関税と手数料に関して、一つの締結国が、輸出入される産物に対して有する利益恩恵、特権は、他のあらゆる締結国にも、
即刻かつ無条件に認められる。
ノート
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•この協定は、第二次世界大戦後の経済的な世界秩序を築くことを目的としていた。
•この協定が締結された歴史的背景として[ ウ ]への反省がある。
・イギリスは消極的な姿勢を示していたのに対して、[ エ ]は、 この協定の成立に積極的な役割を果たした。
① ウ─株式市場で投機的な動きが活発化し、アジア通貨危機が発生したこと
エ─アメリカ合衆国
② ウ─株式市場で投機的な動きが活発化し、アジア通貨危機が発生したこと
エ─ソ連
③ ウ─ブロック経済の成立によって、世界経済が分断されたこと
エ─アメリカ合衆国
④ ウ─ブロック経済の成立によって、世界経済が分断されたこと
エ─ソ連
◆ノートの「第二次世界大戦後の経済的な世界秩」とはGATT(関税と貿易に関する一般協定)のことで、 経済問題から第二次世界大戦に発展したことから、自由で平等な国際貿易体制ほ築こうとしたが、その主軸になったのは合衆国だった。ブレトン・ウッズ(=金ドル)体制もその一つ。正解は③。
問5 各班の発表を聞いたあなたは、モンゴル帝国がユーラシア大陸に広く影響を与えた時期の中国における税に興味を持ち、資料4・5を見つけ、探究活動を続けることにした。参照する資料やパネル及び事例と、探究活動の方針とについて述べた文として最も適当なものを後の①〜④のうちから一つ選べ。[ 32 ]
資料4 クビライの治世における命令(『元史』の一節)
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・上都の商税(商品の取引価格に応じて徴収される税)は、通常、取引価格の三十分の一であるが、六十分の一にする。(1283年7月)
・大都の商税は、通常、取引価格の三十分の一であるが、四十分の一にする。(1283年9月)
資料5 高麗で作成された漢語会話文集『老乞大(ろうきつだい)』の一節
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仲 介 人:買い手が商税を払う決まりになっている。
大都の商人:この馬を俺が買った分の商税は、いつ払うんだい。
仲 介 人:おやすい御用さ。私が商税を役所で払ってきてあげよう。
① 減税措置について述べる資料4 と、1班が作成したパネル及び2班が見つけた資料1とを参照して、税率の変更が流通にもたらした影響について探究する。
② 増税措置について述べる資料4 と、3班が見つけた資料2及び4班が見つけた資料3とを参照して、税率の変更が流通にもたらした影響について探究する。
③ 1班及び2班が取り上げた事例と、資料5に見られる仲介人の役割とを参照して、納税や徴税の具体的な仕組みについて探究する。
④ 3班及び4班が取り上げた事例と、資料5に見られる大都の商人の役割とを参照して、税制と地域の有力者との関係について探究する。
◆①この第5問の初めにもどって、1班は郷紳が納税を代行する、2班は徴税請負人がむさぼる、②3班(関税同盟)や4班(GATT)は国家と国家の取引の事例であり、資料5のような国内市場での取引税代行の事例とはちがう。正解は③。
1班 2班 3班 4班 5班
明清 オスマ 国・国 国・国 蒙古
ン帝国 関税 協定 帝国
郷紳 徴税 徴税
| 請負 仲買人
| | |
農民 農民 商人
………………………………………