世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

2017阪大世界史

第1問(共通)
 次の文章は、フィレンツェの商人であったフランチェスコ・ペゴロッティが1330年頃に編纂した『商業の手引』の一部である。これを読んで、下の問1〜問2に答えなさい。

 中国はきわめて多数の都市や町を含む地方である。なかでも、特別な都市すなわち首都があり、そこには多くの商人が集まり、交易量も膨大である。その都市はカンバリクと呼ばれる。(中略)
 1人の商人が、通訳1人・召使い2人を連れて、25.000フロリン金貨に相当する品物を持っていくと、中国までの途上で60〜80ソンミ*の銀を支出すると見積もられる。節約すれば支出はそれ以上にならない。また、中国からタナ*に戻る際の費用は、生活費や召使いへの賃金さらにその他の諸経費を含めて、荷駄獣1頭につき5ソンミもしくはそれ以下である。銀1ソンモは5フロリン金貨に換算できる。(中略)ジェノヴァやヴェネツィアから中国へ旅しようとするなら、麻布を持っていくとよい。ウルゲンチ*に行けばこれらをうまく売ることができる。ウルゲンチでは銀塊を買い、これを持って、他のものは買わずに進むとよい。(中略)
  商人が中国まで運んできた銀はすべて、中国の君主がとりあげて彼の金庫にしまってしまう。そして銀を持ってきた商人には、引き換えに紙幣が与えられる。この紙幣は黄色い紙で、中国の君主の印が捺されている。この紙幣はバーリシュと呼ばれ、これで絹織物やその他、買いたい品物を買うことができる。この国のすべての人々は、この紙幣を受け取るよう定められている。」(中略)中国では、銀1ソンモで3枚から3枚半のダマスク絹が入手でき、また同様に銀1ソンモで3枚半から5枚のナシジ織を購入できる。

 *ソンミ:ソンモの複数形。ソンモは約370gの銀塊をさし、貨幣単位としても使われた。
 *タナ:黒海北岸の都市
 *ウルゲンチ:中央アジアの都市

問1. この書物が編纂された当時のイタリアの政治状況について、地域差やさまざまな政治・宗教勢力に注意しながら、説明しなさい(150字程度)。

問2. 引用史料の下線部で述べられているシステムが当時の中国経済に与えた影響について、前後の時代やユーラシア西方地域との相違点などにも注意しながら、説明しなさい(250字程度)。

第2問(共通)
 2017年は、ロシア革命(十一月革命)が起こってから100周年にあたる。ロシア革命は、生産手段を公有化した最初の社会主義革命であった。ロシア革命とその結果成立したソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)によって、何が達成され、何が課題として残されたのか。次の用語をすべて使って説明しなさい(300字程度)。

 民族自決 五カ年計画 冷戦 人工衛星

第3問〔文学部のみ〕
 次に示す図1は、紀元後2世紀頃のガンダーラ地域で制作されたと考えられる仏像である。また図1の矢印で指示した囲み部分を拡大したものが図2であり、ギリシア神話に登場する英雄ヘラクレスを表わしたものと考えられている。このような像がつくられた歴史的背景を文化交流と仏教の発展という二つの側面に注目しながら、説明しなさい(200字程度)。

f:id:kufuhigashi2:20200627133603p:plain
第3問〔外国語学部のみ)
 太平洋(the Pacific Ocean)とは、南米大陸を越えたマゼランがグアム島へ至る航海の際に嵐に遭わなかったことから「平穏な海(Mare Pacificum)」と名付けたことに由来する。この世界最大の大洋にはオーストラリア大陸をはじめ、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアに区分される島々が点在する。今日では「環太平洋地域(the Pacific Rim)」という地域概念が生まれ、アジア太平洋経済協力(APEC)や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)のように、太平洋を囲む国家間で協力が進展しつつある。下の問1〜問3に答えなさい。

問1. ヨーロッパにおいて太平洋という地域のイメージは探検家の業績から刺激されることとなった。ボリネシアの島々を探検して現地の人々と交流し、現地の情報をヨーロッバヘ伝えた人物について、当てはまるものの記号をすべて記入しなさい。

 ア、コロンブス  イ、タスマン  ウ、クック
 エ、アムンセン(アムンゼン)

問2. もともと大西洋国家であったアメリカ合衆国は、今日の環太平洋地域における協力を主導している。アメリカ合衆国は、太平洋を囲む地域に対してどのように政治的な発言力を有するようになったか。1860年代〜90年代と1940年代後半〜80年代のそれぞれの過程についてその時期に起きた戦争と関連させながら説明しなさい(それぞれ80字程度)。
………………………………………
コメント
第1問
問1. 課題は「当時(1330年頃)のイタリアの政治状況について、地域差やさまざまな政治・宗教勢力に注意しながら」でした。
 課題そのものが解答を示唆しています。つまり「さまざまな政治・宗教勢力」に分裂していて、「政治状況」は統一には程遠い状況であったということです。これについてはたいてい教科書にそれを示す地図が載っています。とくに「ルネサンス時代のイタリア」(詳説世界史、p.205)として、北部には西にサヴォイ王国、そのすぐ南にミラノ公国、ジェノヴァ共和国があり、東北部にはヴェネツィア共和国、中部にはフィレンツェ公国、ボローニャ公国やシエナ共和国が割拠しています。そして中部には帯のようにローマ教皇領があり、南部は最大の国たる両シチリア王国があります。この状況は統一される19世紀までほとんど変わらないで分裂したままでした。このモザイク状態の半島で、「政治……勢力」としては、都市間と都市内部で皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)の抗争が起きています。またこれらの都市国家がコムーネという名で呼ばれるように、貴族や大商人らが周辺の中小都市や農村も支配下におく自治的な経営をしていて、皇帝から特許状をもらっています。「宗教勢力」たるローマ教皇は、1303年のアナーニ事件、アヴィニョンに教皇庁が移る「教皇のパビロン捕囚」とシスマ(教会大分裂、1378〜1417)を体験しています。これらの一部を書けば解答になります。

問2. 課題は「システムが当時の①中国経済に与えた影響について、②前後の時代やユーラシア西方地域との相違点などにも注意しながら」でした。
 難問です。下線部は紙幣しか使えない元朝の方針が「中国経済に与えた影響」という経済学のような問題です。紙幣はどれたけでも刷ることができ、一方で無価値な紙幣とちがい、価値のある銀塊を元朝政府は独り占めにしてしまう、というこの「システム」はどんな影響を与えたか、という問いでした。
 紙幣はそれ自身は無価値ですが「買いたい品物を買うことができる」という疑似価値が付けられていて、本物の銀と同等の機能を果たしています。すると「中国の君主の印が捺されている」という根拠があれば、信用の印なので、軽い紙幣だけで経済は回ることができる、ということで、流通を盛んにする、という影響が考えられます。また銀塊を独占する元朝政府に富をもたらし、ますます信用の度合が増します。豊かな中国の品物が中国を軸にして周辺にも遠隔の地にも行き渡る、と考えられます。
 しかしながら、「国教とされたラマ教の保護にも巨費が投じられ、その財源をうるために交鈔の乱発・塩税の増徴・新しい税目の設置などがくり返されて民衆の生活は疲弊した(詳解世界史)」と豊かな銀塊を湯水のように使いだすと、紙幣「交鈔」の信用度も落ちてしまい、紙幣の紙くず化が進行します。
 阪大の教師たちが著した『市民のための世界史』には、次のように書いてあります。

 帝国全域で銀を基本的な貨幣として取引がおこなわれ、それを補うために紙幣(交紗)も発行された。陸海のネットワークの結節点として建設された首都の大都には莫大な財貨が集中し、集まった富はモンゴル王侯から御用商人への投資などにより帝国全土に循環した。……朱元璋(洪武帝・在位1368〜98年)は、多くのモンゴル人を服属させただけでなく、民衆を職業別に区分し編成する方法(注)、紙幣の使用などにおいて、元朝の遺産を引き継いだ。(注:ただし元朝と違い、銀の裏付けがなかったため、15世紀には価格が暴落し、使われなくなっていった。)

 明朝も実は紙幣を発行します。ある予備校(K)の解答文では「明では、紙幣は使用されなくなったが、銀をもとにした貨幣制度は引き続いて実施された」とありました、まるで発行されなかったかのようにも採れます。ちゃんと紙幣を印刷して発行しています。明朝前半は流通していました。わたしその1枚を持っています。もう500年前のものなので紙が黒ずんでいて読めないので、ネットにある画像を貼りつけておきます。上段に「大明通行宝鈔」と印字されているのが判読できますか? この「大明」が明朝を指しています。

f:id:kufuhigashi2:20200627133743j:plain
 なおこの問題は「影響」を問うているのに、たんに貨幣の歴史的流れを書いている答案例(O)があります。それではだめです。宋代の銅銭・紙幣から紙幣一本の元朝、そして明朝の銀流通と。これ書いて何の応答になっているのか?

 ② 西方地域との相違点は、紙幣がないことです。紙幣だけ流通させるというやり方は西方にはなく金貨・銀貨・銅貨を発行して流通させています。それは秤量(ひょうりょう)貨幣といって、重さと質で価値を測って流通する貨幣です。金貨は金そのものでなくても、金に近い価値で流通する、いわば「現生(げんなま)」です。それ自身に価値があります。ビザンツ帝国の金貨ソリドゥス金貨のように純度98%というのもあり、ローマ帝国末期の純度30%という偽金に近いものもあります。
 西方、とくにイスラーム世界の貨幣については2003年度センター試験・世界史B・追試の第3問・Bに次の記事がありました。

イスラム世界では7世紀に即位したカリフ・アブド・アルマリクの統治下で初めて貨幣改革(通貨統一)がなされ、独自のディーナール金貨、ディルハム銀貨などが発行された。この金貨はビザンツ金貨・銀貨やササン朝ペルシア銀貨を継承するものであった。この貨幣改革によって、広域にわたる経済活動が促進された。また改革の際に、貨幣の図案からは、偶像崇拝を禁ずるイスラム教の教義に従って図像が取り除かれ、『クルアーン(コーラン)』の一節や支配者名など、アラビア文字中心の図案に変更された。さらに、この改革が発達を促進した貨幣経済の下で、アター制が展開したが、徴税機構の混乱などから、イクター制がこれに取って代わった。

第3問
 課題は「ロシア革命とその結果成立したソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)によって、何が達成され、何が課題として残されたのか(指定語句→民族自決 五カ年計画 冷戦 人工衛星)」でした。これを(300字程度)で書く。
 「達成」というプラス面と「課題」という達成できなかったマイナス面とを書け、という課題です。
 こういう問題の場合にソ連史を流れとして書いてしまわないこと。指定語句がさも流れを書かないと完結しないような出し方をしているのに注意です。
 あれもこれも書けませんが、列挙してみましょう。
 達成。①ロマノフ朝を倒して共和政国家をつくります。
 ②後で崩れるとしても市民的な自由を認めています。つまり民主主義です。ロシア革命はたんに社会主義革命というだけでなく、それまで果たされなかった民主主義革命、あるいはブルジョワ革命もやらなくてはならなかったのです。1905年の第一ロシア革命のさいにいったん憲法制定・国会開設とまでいき選挙も行われたのに、ストルイピンが改悪していきました。ああ、なんか「流れ」に吸収されそうな文章になりました。気をつけなくては。つまり市民的な自由である、言論・集会・結社・信仰の自由を認めました。男女平等も実現しました。
 ③社会主義としては、土地の国有化と、その使用を農民に許可する、というかたちにしました。つまり大土地所有者がいなくなりました。大企業も国有化します。いずれ中小企業も国有化しますが、戦時共産主義のさいに中小企業は私営にもどしますが、大企業は国有化のままでした。④五か年計画によって、農業国を集団化と重工業化によって工業国(工業中心の国)に変えました。
 ⑤民族自決も実現しました。あくまで各民族国家の連合・連邦というかたちにしました。表向きでしたが。
 課題は限界でもあり、失敗でもあります。ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)・グラスノスチ(情報公開)をやらねばならなかった、という切り換えで初期の革命時の政策が実現しなかったことを証明しています。いや実現しなかった、というよりその反対のものをつくりあげた、といったほうが正確です。
 上の達成したはずの①共和政・②民主主義は共産党独裁、いや個人独裁に堕落していき、専制君主政にひとしい体制になりました。とくに民主主義は否定されました。人権を否定し、反体制のひとびとを逮捕・投獄・強制移住・強制収容所(ラーゲリ/グラーグ)送りといった監獄社会、巨大粛清マシーン(ソルジェニーツィンの『収容所群島』)をつくりあげました。五か年計画のさいに意図的に「富農」をつくることで、社会主義国には富農は要らず、貧農の味方であることを偽装しました。富農とされた者たちは銃殺か強制移住が課され、強引に人減らしが実行されます。移住した者たちには死が待っていて、死ぬために移住させられました。ソ連は全土に476カ所の強制収容所とその支部・牢獄を土台にして経営した国家でした。ソ連崩壊後も秘密警察の一員であり、保安庁長官であったプーチンはこの体制の傾向を引き継いでいます。
 ③④ 社会主義は、土地、機械、道具、原材料という「生産手段」を国有化します。少なくともソ連は国家が経済のすべてを統制するので、国有化した以上、市場で売買されないので、「(市場)価格」が存在しません。なので生産手段を使った事業の採算を判断できません。となれば非効率にならざるをえず、貧困が広がり、経済「成長」が阻害されます。本多勝一の『新ソビエト紀行』には次のような話が載っています。

 ホテルで昼食をとっていたときビタリクが言った——「ロシアは豊かですねえ。革命以来70余年間ああいうふうに盗んだり私物化したりしても、なんとかやってこれたんだから」。
 彼は食堂の従業員たちが帰ってゆくところを見て言っているのだ。ケーキだのパイだのお茶の葉だのを、手に手に袋に入れて出てゆく。
 「あれは堂々と盗んで出てくるんです。全員が日常的にやっているもんだからお互いさまで、かくす必要がないんですね。ときには民衆が普通では買えないものを安く手に入れるということもあるけど、たいていは泥棒です」
 月給200ルーブルでは絶対的に生活できないので、それぞれがこのように職場で泥棒やアルバイトや私物化をやって帰り、友人・同僚・親類といったコネの社会、つまりは「計画経済の裏側」の世界で物々交換して助けあう。ということになると、泥棒や私物化の可能な職業ほど人気が高く、逆にそれが困難になるほど人気がなくなる。前者の典型のひとつが食堂の従業員や国営食料品店だ。とくに食料品店の場合、自分たちの分をまず確保した上で、2番目にヤミに流す分、第3にようやく公式に売る分、という順序なので、庶民の中では食品店従業員が最も金持ちとされている。……計画経済は略奪的な完全放任無計画経済がその実態に近いことになろう。

 ⑤レーニンは『平和に関する布告』で交戦国と「民族自決に基づく無併合・無賠償」をアピールしました。そしてソ連は共和国・自治共和国の連邦というかたちをとったので民族自決は実現しました。しかしこれらの諸国は共産党の下部組織として位置づけられ従属しているのが実状でした。宗教(正教・イスラーム教)は弾圧され、民族自決が封印されていきます。レーニンは『国家と革命』の中で中央集権を批判し、民族自決は「民族の政治的分離独立の権利」を指していました。だが一方でレーニンは政治家としては中央集権論者でもありました。結局、著書やアピールで理想論を唱えても、それを自ら裏切っていったのが実状でした。このことは東欧諸国を従属的な「衛星国」にして、その自治性を否定していった経緯からも明らかです。反ソの動きはたいてい軍事的な鎮圧で応じました(東ベルリン暴動、ハンガリー暴動、プラハの春)。
 指定語句の「人工衛星」が大事なのは、1957年10月ソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功したが、何も宇宙開発ができる、という点ではなく、衛星を飛ばす技術であるロケットを空でなく敵に打ち込める、という点にあります。大陸間弾道弾(ICBM) の開発につながった点です。冷戦の深刻化です。

第3問〔文学部のみ〕
 課題は「このような像がつくられた歴史的背景を文化交流と仏教の発展という二つの側面に注目しながら」でした。①文化交流と②仏教の発展について書くことです。
 ① なんか仏像と「英雄ヘラクレスを表わしたものと考えられている」は違和感があります。この関連が分からなくても、一応「交流」の史実は答えられるでしょう。つまりアレクサンドロス大王の東方遠征、それによるヘレニズム文化の東伝、それがアフガニスタンにすでにあったインド文化、とくに仏教と融合して、初めて仏像が造られた、融合の時期はインドではクシャーナ朝の保護をうけた大乗仏教普及期でもあった、という内容です。
 なお「英雄ヘラクレス」は仏教では仏教を守ってくれる執金剛神(しゅこんごうじん)という武神に変身します。仏教はいろんなものを吸収するお化けみたいなところがあります。
 ②「仏教の発展」はこの融合面が教義にも表れてきます。それまでの小乗仏教(上座部仏教)では出家した僧侶だけが救済(解脱、悟りの世界)に入れる、自己救済に専念する修行的な仏教でした。それが出家しなくても、在家のままで救済される。衆生済度(しゅじょうさいど)といって、生きとし生けるものすべてが救済される、大きな乗りものに乗れますよ、という意味をこめて大乗仏教ともいいます。それが北伝仏教として中国・朝鮮・日本へと伝わっていきました。またブッダだけでなく、他人のために苦行をするする修行者を菩薩(ブッダに近い仏)として信仰する菩薩信仰も広がり、崇めるものが増加します。多神的な仏教です。

第3問〔外国語学部のみ)
問1. 「ボリネシアの島々を探検して現地の人々と交流し、現地の情報をヨーロッバヘ伝えた人物」を選べ、という問題。コロンブスはキューバまで行ったが中南米を越えて太平洋には入っていません。またアムンゼンは南極に到達した探検家です。するとタスマニア島・ニュージーランド・フィジー島を回ったタスマン、ベーリング海峡からニュージーランドまで探検しハワイ島まで、ほぼ太平洋全域を回ったクックが該当します。

問2. 「アメリカ合衆国は、今日の環太平洋地域における協力を主導している。アメリカ合衆国は、太平洋を囲む地域に対してどのように政治的な発言力を有するようになったか。①1860年代〜90年代と②1940年代後半〜80年代のそれぞれの過程についてその時期に起きた戦争と関連させながら説明しなさい(それぞれ80字程度)。
 ①これは想像力をかきたてる問題です。アメリカが「環太平洋地域」でなにをしたか、というので、90年代の米西戦争でグアム・フィリピン領有、ハワイの併合、ジョン=ヘイの門戸開放宣言はすぐ浮かぶでしょう、ただ60年代は浮かぶか? 想起できない場合は東アジア、つまり中国・日本・朝鮮の地図を描いてみる。するとこの3地域にも何かしてないか……、と想像してみる。アロー戦争中の太平天国の乱で常勝軍を創設したのはアメリカのウォードでした。それを英国人ゴードンが受け継ぎます。もっと少し前に日本にペリーの黒船が沖縄(ここで琉米修好条約を締結)から日本にのぼり、日米修好通商条約を1858年に結び、これは60年にワシントン会議で批准書の交換をしています。アメリカ側の全権はハリスだったのでハリス条約ともいいます。1865年にアメリカは英仏、オランダとともに兵庫開港要求事件をおこします。開港したはずの日本は鎖国に戻りがちなため安政五カ国条約の勅許と兵庫の早期開港を迫った事件です。なんとか1868年に神戸港が開き、鳥羽・伏見の戦いで逃げる徳川慶喜をアメリカの軍艦イロコイ号で江戸まで脱出させています。
 少し細かいが、(ジェネラル・)シャーマン号が、1866年に朝鮮半島(羊角島)に近づいて朝鮮農民から反撃をうけて撤退しています。江華島でも交戦しています(1867)。

 ②1940年代後半〜80年代
 40年代はアジア・太平洋戦争で米国は、東アジア・東南アジア一帯を侵略した日本軍の撃退に成功します。原爆を落としてトドメを差しました。
 40年代の末の1950年から朝鮮戦争を展開します。表向きは国連軍でしたが米国が主導します。鴨緑江に近づくと中国が参戦します。日本の自衛隊の起源もできます。米軍の基地は沖縄に集中するようになります。
 またこの1950年からベトナムへの介入を始めます。フランスは54年のジュネーヴ休戦協定で撤退しますが米軍が肩代わりをすることになり、75年まで泥沼にはまります。その間、ニクソン訪中があり中国とは国交交渉を始めます。米中国交正常化はやっと1979年に実現します。台湾(中華民国)・韓国・フィリピン・日本・オーストラリアなどと軍事同盟を結び中国・ベトナムに対する包囲網を築きました(米華相互防衛条約・米韓相互防衛条約・米比相互防衛条約・日米安全保障条約・太平洋安全保障条約・東南アジア条約機構など)。 

問3. 「ヨーロッパでは1993年にヨーロッパ連合(EU)が発足した。アジア太平洋経済協力と比較した場合ヨーロッパ連合に見られる協力の特徴はどのような点にあったか」という問い。
 この問題の類題は、一橋の過去問(2015年第2問)「ECとASEANの比較(400字)」があります。阪大の問題はアジア太平洋経済協力(APEC)なので、ASEANより広い国々を集めています。
 共通点は広域な超国家的な協力機構であり、後で加盟国を増やしていった点、平和維持に貢献しているも共通しています。この問題集の「特徴」は相違点と同じ意味なので、この共通点は要りません。
 ヨーロッパ連合(EU)はその結束性が強く、国家を越えた組織として各国の法を越えた法・議会・裁判所・通貨などをもち、事実上国境のない世界をつくっています。それに対してアジア太平洋経済協力(APEC)は政治的な独立は維持し、主に経済的な協力機構として機能しています。政治的な声明は出しても拘束力はありません。