世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

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2024年度・合格者の再現答案

2024年度・合格者の再現答案
再現答案について
 どんな答案を書いたから合格したのか知ることができないものです。そこで実際に合格されたかたに受験場で書いた答案を、試験が終わってから時間のあまり経過していない段階で再現していただきました。合格者本人から掲載の許可をえています。答案として完全ではありませんが、合格に寄与した答案であることは確かです(もちろん世界史だけで合格できるわけでもないことは言うまでもありません)。ただ予備校の細かい知識を駆使(ひけらか)した答案ではなく、高校生・高卒生が書ける合格答案とはどういうものかを知ることができます。受験場ではカンニングする教科書・参考書・用語集はなく、それまで勉強してきたことを精一杯発揮した貴重なものです。(なお下線の必要な答案に下線が引いてありません)

東大

第1問
(1)アジア。ベトナム。インドシナ戦争終結後も東西対立を基軸として南北が対立した。南ベトナムではジエム政権に対抗して南ベトナム解放民族戦線が結成され北ベトナムと合同でゲリラ戦を展開した。これに対し北は米の援助で対抗したが戦況不利に陥った。南アジア。ヒンディーのインドとムスリムのパキスタンが対立した。1965年にはカシミール領有問題から戦争が発生した。朝鮮半島。日本からの独立後も南北の対立が続いた。西アジア。ユダヤ人のイスラエルとパレスチナ・エジプトが対立し六日戦争が起きた。アフリカ。「アフリカの年」1960年以来政治的独立が相次いだが旧宗主国への経済的従属は変わらなかった。仏領アルジェリアはコロンとの泥沼の戦いを経て独立したが、仏に石油輸出を続け経済的従属が続いた。コンゴでは独立後も旧宗主国ベルギーが地下資源を求めて介入し内戦が起きた。
(2)歴史的背景。植民地が原料の輸出地域にとどまり工業化が遅れたこと、プランテーション作物栽培の強要によって自給自足的な伝統社会が崩壊し、慢性的な飢餓状態に陥ったこと、相次ぐ内戦やクーデタによる混乱などがある。これに対し国連は1964年UNCTADを創設し、発展途上国地域の開発や経済成長を支援し格差是正を試みた。

一橋
第1問
神聖ローマ皇帝から特許状を得て自立し、城壁を築いて封建諸侯からの自由を守った中世都市は、ギルドが厳しい経済統制をしき、親方・職人・徒弟の厳格な身分秩序の下自立的経済体制を整えた点で「封鎖的」であった。一方、領主という個人に富が集中せず、遠方都市との交易を行っていた点で「開放的」であった。リューベックを盟主としたハンザ同盟は北海商業圏を形成し、ロンドンやノヴゴロドにも商館を築いて交易を行い、日用品を取り扱った。またアウクスブルクは銀をイタリアに運び、東方貿易の一端を担った。社会経済史的意義は、中世都市が自給自足理念を克服し、地縁的因習を超え他地域と連携した点で村落共同体とは異なる共同体を形成したこと。また貨幣経済の浸透を促し封建諸侯の影響力を低下させ、国王の中央集権化の道を開いたこと、市民の共同体意識を育て近代市民の先駆となったことである。
第2問
13植民地の喪失後、イギリスでは産業資本家層が砂糖プランターへの対抗や人道的観点から奴隷制廃止を求め、奴隷制・奴隷貿易が廃止された。黒人共和国ハイチが独立し奴隷解放を行った後、ラテンアメリカのクリオーリョも英国の圧力で奴隷を解放した。また米国では南北戦争での北部勝利を受け憲法修正で奴隷解放がなされたが、解放奴隷はシェアクロッパー制の下白人地主の経済的従属化に置かれた。各国内では人種差別法が制定され、高等教育から退けられた黒人は最低賃金労働者に留め置かれた。19世紀末になると列強が国力を競い帝国主義政策を推進し、アフリカ分割で黒人国家を支配下に置いた。結果黒人国家の工業化は進まず、宗主国のためのモノカルチャー経済に依存することとなった。こうして奴隷解放は人権という内実の伴わないものとなり、植民地支配に形を変えたに過ぎなかった。経済的支配は西半球の最貧国の経済状況として残り黒人差別もいまだ根強い。
第3問
朝鮮半島では王建が新羅を倒して918年に高麗を建国した。契丹族は遼を立て、渤海を滅ぼし、雲南では大理が南詔を滅ぼした。中国内部では五代十国の争乱が起こり、権勢を誇っていた貴族が没落し、新興地主の形勢戸や武人の節度使が台頭した。960年には北宋が建国されたが、北宋では異民族への歳幣で農民・小商人が没落した。そこで王安石は1069年に新法を提案したが、旧法党と新法党の対立で北宋の没落を早めた。また、儒学が道徳的内容や政治的理念を説くものから周敦頤により哲学的な内容を説く宋学へと変わり、上下定分の理や華夷の別を説く朱子学へと発展した。北宋は1115年に成立した金により靖康の変で滅ぼされ、高宗が建国した南宋は金と屈辱的な講和条約を結び、中国北部を異民族に奪われた。こうして唐滅亡に伴い中国を中心とした東アジアの秩序が崩壊し、実力本位の異民族王朝が台頭した。

筑波大
第1問
セレウコス朝シリアから独立したイラン人国家パルティアは都をクテシフォンに移し、ローマや漢と季節風貿易を行った。3世紀パルティアを倒しササン朝が成立すると、シャープール1世は帝政ローマと戦って皇帝を捕虜にし、ホスロー1世は突厥と組んでエフタルを滅ぼしたりビザンツ皇帝と争うなど強い力を持った。7世紀成立したウマイヤ朝、8世紀ウマイヤ朝を倒し成立したアッバース朝はどちらもメソポタミア含む広大な地域を支配した。アッバース朝最盛期の王ハールーン=アッラシードは『千夜一夜物語』のモデルにもなっている。10世紀にかけてアッバース朝が弱体・分権化するとイラン人がシーア派のブワイフ朝をたてバグダード入城し、アッバース朝カリフから大アミールの称号を獲得。これによりカリフを名目上保護し実権を握った。11世紀にセルジューク朝が成立し巨大化、宰相トゥグリル=ベクがブワイフ朝を倒しバグダード入城してスルタンの称号を得た。
第2問
中国北方には契丹の国家である遼があったが、遼から女真人が独立し、完顔阿骨打が金を建国した。また金は北宋の皇帝と上皇を捕虜とする靖康の変をおこし、北宋と関係を結んで毎年大量の絹などの送らせた。北宋皇帝の弟の高宗は亡命し、臨安を都に南宋を建てることとなる。13世紀にモンゴル帝国が出現し、金は2代目ハンのオゴタイに滅ぼされる。モンゴル国はナイマンやホラズム=シャー朝などを次々滅ぼし広大な地域を得たため、色目人や南人など、人種や民族によって扱いを分けており女真人もその中に漢人として組み込まれた。14世紀末から中国におこった明が衰退の道をたどるころ、女真人のヌルハチは後金を建国する。さらにその次のホンタイジは国号を清に変え、自らの民族名を満州と称した。ホンタイジは内モンゴルと、明代に成立した朝鮮王朝である李氏朝鮮を属国化した。
第3問
スペインの支配下にあったオランダだが、商業を生業とする新教徒ゴイセンが多く、フェリペ2世の旧教政策に反発しオランダ独立戦争がおこる。スペインの懐柔策で南部は脱落したが北部7州はユトレヒト同盟を結んで連邦共和国の独立を宣言した。スペインはアルマダをイギリスに破られ手を引く。オランダは東インド会社を設立してバダヴィアを拠点とし、アンボイナ事件でイギリスをインドネシアから駆逐して東南アジアの香辛料貿易を独占した。また対日貿易や台湾など、東アジアとの交易も独占し利益を上げた。しかしイギリスが航海法を施行、中継貿易が一大産業であったオランダは大打撃を受け英蘭戦争をおこすが敗北した。敗戦の影響に加え中継貿易に依存し国内産業が発達していなかったオランダは衰退する。17世紀後半名誉革命がイギリスでおこり、ジェームズ2世の次の皇帝としてオランダからオレンジ公ウィリアムが迎えられウィリアム3世として即位した。
第4問
17世紀より東アジア貿易を展開していたオランダが、台湾にゼーランディア城を建て勢力を持っていた。その後鄭氏が台湾のオランダ人を駆逐し支配していたが、清が康煕帝時代に台湾を平定し直轄領として統治することになる。1840年代よりヨーロッパ列強が中国侵略を始め、中国がアヘン戦争後の南京条約やアロー戦争後の天津・北京条約など不平等条約を飲まされ弱体化していくと、目をつけた日本が1870年代の台湾出兵をきっかけに台湾支配のための干渉を始める。1894年日清戦争が朝鮮半島でおこり日本が勝利すると、台湾は下関条約で遼東半島・澎湖諸島とともに日本に割譲され、その後日本による同化政策がすすめられた。第二次世界大戦後日本は敗戦国となり、1951年日本と連合国の間で開かれたサンフランシスコ講和条約において締結されたサンフランシスコ平和条約では、日本が主権を回復したと同時に台湾を正式に放棄した。