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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1994

【1】
 次の史料は、神聖ローマ帝国内の都市ゴスラーの1219年の都市法第2条に記されているものである。この史料を読んで、下記の2問に答えよ。

もしあるよそ者がこの都市に居住のためにやって来て、そこで一年と一日滞在する間、その者の隷属身分について訴えられ、立証され、自供させられることがなければ、他の市民たちと共通の自由を享受すべきである。そして誰であれその者を自分の隷属民とみなしてはならない。

問1 ここで宣言されているヨーロッパ中世都市の「自由」の内容と性格について具体的に記せ(200字)。
問2 ヨーロッパ中世都市の市民は、この「自由」を維持するためにどのような方策をとったか、具体例を挙げて説明せよ(200字)。

【2】
 歴史的に「ネーデルラント」と呼ばれた地域は、14世紀から19世紀前半にかけて、どのような歴史的経過をたどってきたであろうか。「ネーデルラント」を構成する各地域の宗教的特色や政治権力の移り変わりに留意しながら、この点について説明しなさい。その際、下記の語をすべて文中に用い、それらを最初に使用したところでは下線を引きなさい(400字)。

 七月革命  百年戦争 ウィーン会議 ユトレヒト同盟 ウェストファリア条約

【3】
 アジアの二つの大都市に関する下記の問い(ア)、(イ)に答えなさい。その際、 それぞれの都市の名を解答中に明記すること。

(ア) つぎの文は、1862年に中国のある都市を訪れた高杉晋作の書いたものである。これを読んで、1842年から1927年に至るまでのこの都市の歴史を述べよ。なお、○○はその都市の名を述べた箇所である(200字)。

五月六日、午前漸(ようや)く○○港に到る。此は支那第一の繁津港(はんしんこう)なり。欧羅波(ヨーロッパ)諸邦の商船軍艦数千艘停泊す。(1)檣花林森(しょうかりんしん)として津口を埋めんと欲す。陸上は則ち諸邦の(2)商館粉壁(ふんべき)千尺殆ど城閣の如し。其の広大厳烈なること筆紙を以て尽すべからざるなり。…五月七日、払曉(ふつぎょう)、小銃の声陸上に轟(とどろ)く。皆云はく、是れ長毛賊と(3)支那人と戦ふ音なるべし。…五月二十一日、つらつら○○の形勢を観(み)るに、支那人は尽く外国人の(4)便役(べんえき)と為れり。英、仏の人街市を歩行すれば、清人皆傍(かたわら)に避けて道を譲る。実に○○の地は支那に属すると雖(いえど)も、英仏の属地と謂ふも、又可なり(高杉晋作『遊清五録』、一部字句を修正した)。 
(注)(1)船のマストが林立するさま。 (2)白い壁。(3)具体的には淮軍を指す。(4)使用人

(イ) ガンジス河下流域は、ムガル時代から肥沃な土地を利用した農作物、そして、 豊富で質の高い労慟力を活かした高級な織物の産地として栄えていた。しかし、その頃は、この都市はまだガンジスの河口近くの一つの小村にすぎなかった。この村が、その後、急速にアジア有数の大都市に発展していったのは、ここがイギリス植民地支配のアジアにおける拠点となったことに起因する。
 この都市を舞台として、一体、どのような事態が生じたのか。そして、それが、この都市にどのような特徴をもたらし、また、この都市がどのような運動や歴史的な出来事の場となったのかを答えなさい。その際、l7世紀末、18世紀中頃、19世紀前半、19世紀後半、20世紀初頭の各時期に注目すること(200字)。


コメント 
【1】
問1 論述としてはありきたりのテーマです。「ヨーロッパ中世都市の「自由」の内容と性格について具体的に」というもの。中世都市がどのようにできたかの成立史を問うていないので書かないこと。「内容」はどのような権利をもっていたか、と言い換えてもいいですし、「性格」は古代都市と比較するか、近代都市(近代市民)と比較するかして、違いなり限界にあたるものを導きだせば描けます。論述としてはよく出題されるものではあっても、この「性格(限界/意義)」にあたるものは、あまり書いてありません。せいぜい『詳説世界史』の「親方と職人・徒弟のあいだには厳重な身分関係が保たれていた……自由競争を禁じ、さまざまの規制を設けて生産の統制や技術の保持をはかり、市場を独占した。こうした統制はのちに自由な生産の発達をさまたげるものとなった」くらいでしょうか。
問2 『詳解世界史』では「都市は、経済的利害や自治を諸侯から守るために都市同盟を結んだ。とくにバルト海沿岸の港市リューベックを盟主とするハンザ同盟には、数十の都市が加盟し繁栄を誇った。他方、イギリスやフランスの都市は自治権が弱く、王権の保護を受けて発展した」が答えにあたります。これだけだと200字には足りません。中世をよく出す一橋としては、ここをもう少し勉強しないとできませんね。拙著『練習帳』(パレード)巻末・知識編の「基本60字」には中世都市にかんしてよく出題される6問がのっています。
【2】
 基本的には流れの問題です。時間は「14世紀から19世紀前半にかけて」で、テーマが「歴史的に「ネーデルラント」と呼ばれた地域は……どのような歴史的経過をたどってきたであろうか」、副問(なんでもかんでも書くのでなく、これだけは書いてほしいよ、という焦点をしぼる要求)が「「ネーデルラント」を構成する各地域の宗教的特色や政治権力の移り変わりに留意しながら」となっています。指定語句も一橋としては平易なものが並んでいます。よくあるまちがいが、独立戦争のところで、スペイン領にとどまる南部が、もともとカトリックが多かったと書いてしまうことです。結果としてそうなるのであって、はじめからではありません。
【3】
 (ア)この都市は問題文中のヒントとして「1842年から1927年……1862年……支那第一の繁津港……長毛賊と(3)支那人(注:具体的には淮軍を指す)……英、仏の人街市を歩行……英仏の属地」から、南京条約とかかわりがあり、太平天国の時期に高杉が来ている、栄えている港(内陸の南京ではないだろう)、英仏人が歩いているとすれば租界だろう、1927年は北伐の途中に租界の上海でクーデタがある、と類推して「上海」と決めます。ここでなにがこの期間にあったかという流れの問題です。教科書にのっている知識で書けるデータがあります。受験産業の答えのように「太平天国の乱のときに常勝軍によって被害を免れた」とか「紡績業の発展」とかの教科書外の知識は書けなくていいのです。
(イ)問題文のヒントは「ガンジス河下流域(ベンガルだなあ)……ガンジスの河口近く……イギリス植民地支配のアジアにおける拠点(カルカッタかな)……この都市がどのような運動や歴史的な出来事の場となったのかを答えなさい。その際、17世紀末、18世紀中頃、19世紀前半、19世紀後半、20世紀初頭の各時期に注目すること」とこんなにたくさん年代が関係する都市とすれば、もうカルカッタしかないなあ、といことになります。商館設立→プラッシーの戦い→インド貿易の自由化→セポイの反乱・帝国の首都→カルカッタ大会となります。

………………………………………
(わたしの解答例)
【1】
       (君の答え)
【2】 
       (君の答え)
【3】
(ア)上海は南京条約で開港するとともに貿易の中心となった。虎門寨追加条約・五港通商章程などでイギリスが租界を設けたのもこの上海がはじめてであった。25年、上海の日本人工場から始まった反帝国主義の五・三○事件もここでおきた。この動きにうながされて孫文は広州で国民政府を樹立し、蒋(正確な字ではない)介石の下で翌年から北伐がはじまった。途上の27年蒋介石はここで反共クーデタを行い、上海を拠点とする江浙財閥と結び政権の強化をはかった。 (イ)カルカッタは17世紀末イギリス東インド会社が商館を設立してから繁栄し、18世紀にはカルカッタ周辺のプラッシーの戦いに勝利したイギリスのインド支配の中心地となった。19世紀前半には会社の商業特権をうばって自由化し、世紀後半のセポイの反乱を契機に会社を解散し直接統治とした。この後樹立したインド帝国の首都となる。反英民族運動はベンガル分割令に対して1906年のカルカッタ大会で4大綱領を決議した。