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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

NEW 青木世界史B講義の実況中継(1)-3

p.210 唐の朝貢国を説明する中で「チャンパー(林邑)」と書いています。まちがい。この当時のチャンパーは環王といいました。環王は、旧版の詳説世界史でも書いていましたが私大でも出ています(早稲田・関学)。p.323には自分でそう書いているのに気がつかなかった?

p.217 黄巣を「塩の密輸商人」としていますが、黄巣はどこの外国から蜜輸入して密売したのか?

p.219 上段「唐が滅亡してから数十年間に、15の国々ができては消え、できては消えをくり返したことになります」とありますが、そんなことはありません。五代十国のうち五代は黄河流域の同じ土地で5回王朝交代するくらい短命な王朝ばかりでしたが、十国はどちらかといえば安定していました。これは節度使皇帝たちが割拠している状況であり、何も十国が興亡したということではありません。空間として十国が共存していた、ということです。専門家は「分裂は多く華北に起り、江南は大体において統一を保もっていた」と書いています(宮崎市定著『中国史 上』岩波全書p.294)。「割拠の乱世であった。しかし地方には案外によく治まって中央より以上に文化の進んだものもあり」と書いているものもあります(『京大東洋史 3』創元社、p.6)。これは予備校講師が誇張に走りやすいことを示しているでしょう。

p.219中ごろに 「これは北漢という国です。十国については、まれに出たとしても、これくらいです」というまちがいは旧版でも指摘しました。出るのは南唐。

p.220 上から4~5行目「後漢に悪いけれど、これはとくにありません」と言っていますが、五代十国時代が好きな早稲田・政経学部は五代の中でもっとも短命な王朝はどれかときいてきます。答えは後漢(3年間)です。

★★p.220,222 唐末五代100年間の争乱はどのような社会構造の変化をもたらしたか(70字以内)、という問題の答えが、

 魏晉南北朝以来権勢を誇ってきた門閥貴族は没落し、代って節度使などの武人が台頭した。また農村では形勢戸と呼ばれる新興の地主が登場した。

 この解答の変なところが分かりますか? 「社会構造の変化」という場合は、政治以外の人間関係の変化を書かなくてはならないのです。貴族→節度使の変化は政治(権力者)の変化であり「社会」の変化ではありません。貴族を荘園の領主として説明するのなら貴族でもいいのですが。節度使を変化した後に持ってきているので、これは解答になりません。農村は「社会」ですが、形勢戸が登場する前の農村の主体はだれですか? 前が書いてないと「変化」が分かりません。均田農民です。

★★p.225 「行政をやる役所は、唐の時代は尚書省でしたね。では、Q 宋代、六部を統轄して、行政をつかさどった役所はどこ──中書省」という、まさかと目を疑う答えが書いてあります。尚書省が統轄するのが六部であり、中書省ではありません。まるで宋代に尚書省を廃止したかのような説明ですが、尚書省の廃止は元朝になってからです。宋代一代の中でもちろん官制の改廃・虚実はあるのですが、尚書省は廃止されたことはありません。六部とくっついていたからです。

★★p.227 「唐までは皇帝独裁じゃなかったんですか?」と質問されます。結論から言うと、独裁ではありませんでした。いただろ? 貴族が、地方に。……と答えています。なんと。「地方に」なんて。中央に貴族がいます。唐は皇帝貴族合議制といえるのは、何より門下省が貴族の牙城であり、中書省からまわってくる法案に文句をつけて突き返す(封駁・反駁・逆送)権限をもち、上で書いたように、吏部試で高官を選ぶ人事権ももっています。貴族は中央にいます。どうやら中国史全体で貴族が分かっていないようです。

p.230 ウィットフォーゲルはなぜ赤字でないのか?(関学)

p.233 「中都」は赤字になっていないが、早稲田・法政・立命館・関学・関西で出しています。

p.235 「興慶」は私大では出てきます(関学・立命館)。

★★p.239 新法の説明の末尾に、「この派閥対立は、旧法党のほうが勝ってしまうんです。ということは、下層民衆の苦しい生活はそのまま……国家は根底から崩れ、その動揺のさ中、金によって攻撃され滅んでしまいます」というまちがいについて。派閥対立と新法という経済政策の効果を一緒にして、効果がなく民衆が……という強引な関連づけはいただけません。
 新法以前の国庫収入と比べて「現金収入増は3000万貫ちかくに及んだ……財政再建は,かなりの成功を収めたといってよいだろう」(竺沙雅章監編『アジアの歴史と文化3 中国史-近世』同朋舎出版p.56)。
 東京書籍の教科書も「富国強兵の改革を行った。これにより財政は好転したが,司馬光らの保守派の反対にあって,まもなく新法は中止され,政界は新法党と旧法党との党争によって混乱した」としているが、その後が書いてありません。実は司馬光が亡くなった後は新法を復活しているし、南宋の経済政策もほとんど新法でした。

★★p.240 地図にまちがった漢字があります。学生もよくまちがえるもの。これも旧版で指摘したのに。

p.241 紹興の和約がなぜ赤字でないのか? 頻度の低い「崖山の戦い」が赤字になっています。p.254の地図では崖山は内陸になっていますが、これはマカオの西南の崖山島という島の名前です。

p.243~244 「工・作……中世ヨーロッパにもギルドというのがありましたけど、それと似たようなものです」これも旧版で指摘したまちがい。

p.249 下から2行目「ナイマン部……これは必ず“部”を付けること」とありますが、そんなことはありません。これも旧版で指摘したのに直していない。教科書で付かない例、

チンギス=ハンのひきいるモンゴルの騎馬軍は,草原・オアシス地帯に支配をひろげ,西遼をうばったナイマンおよび西トルキスタン……詳説世界史 

★★p.252~253 ここに書いてある馬について、旧版バージョンではイスラーム側はラクダにしていて、そのまちがいを指摘したので、新版は馬に直っていますが、それでも分からなかったらしく、またまちがいを上塗りしています。
 下から4行目「モンゴル馬について「スピードがめちゃくちゃ速いので、イスラームの連中も準備できなかったのです……(次頁)イスラームがモンゴルに勝てない理由はこれです」とあほらしいことを書いています。モンゴルの馬は遅いことで有名です。短足のため、めちゃくちゃ速い、なんてことはありません。遠征するのはモンゴル側であり、乗りついで乗りついで遠征したのは当り前で、かれらの方が侵略しているのです。アラブ人イスラーム教徒は迎える側であり、イスラームの連中も準備できなかった、などということはありません。モンゴル人は襲撃する前に使者を送って確かめてからやるのが常道でしたから。モンゴル人の優秀さとその勝利は戦術のたくみさ、情報をふくめた準備の確かさにあります。笑い話にしたいことが優先して虚偽の説明をしてしまう。

p.259 下から6行目「彼らは後には科挙も廃止します」とまるで初めはやったが後に廃止した、ととれるような書き方をしています。モンゴル人は初めからやっていません。

★★p.260 これも旧版で指摘したもの。「マルコ=ポーロはヴェネツィアから陸路を通じてくるわけでしよう。こんなことはかつて考えられなかった。」と無知なことを書いています。

p.261 泉州を「ザイトウン」と発音するのは見たことがない。これも旧版で指摘したもの。

p.266 1行目「──金陵です。南京でもいいでしょう」とありますが、いいでしょうでは困ります。センター試験では必ず金陵で出ています(1990本試、1995追試)。

p.271 図の明の最盛期として永楽帝を説明するのはいささか無理があります。まだできたばかりの明朝がいきなり「最盛期」になり、あと200年近くはなんになるのでしょう? 宮崎市定著『中国史 下』岩波全書で明の盛時を15世紀の後半から16世紀初期において「明の盛時の文化」として英宗の後半、憲宗、孝宗たちをあげています。これも旧版で指摘しました。

p.275~277 旧版にあった鄭和の5回遠征というまちがった数字はここでは出さず修正しています。

p.279 編纂事業を「自分に対する反発をそぐため……『永楽大典』なんていう2万2877巻。これが実はいまや世界で5冊ぐらいしか残っていない」とありますが、誇張と虚偽です。
 即位すると同時(1403年)に勅令を出して元朝の反中国政策の一掃を企て、なにより編纂事業でつくられた書物の説にしたがって科挙をおこなう、という朱子学の官学化を徹底させるためのものです。
 5冊ではなく、「現在では200余冊しか残っていない(寺田隆信)」「北京図書館,アメリカ国会図書館にややまとまった量が残存するほか,イギリス,日本などに数冊から十数冊秘蔵されているにすぎなくなった。(梅原 郁)」「約60冊しか残っていない(川勝 守)」といろいろな数字がありますが、いくらなんでも5冊ではない。

p.280 ここにも永楽帝が最盛期で、「だんだん衰退が始まります」とあります。永楽帝死後約250年間が衰退期だったことになります(?)。

★★p.289 3行目「雍正帝のときに地丁という新しい税制が定着していく。……後でまとめます」とありながら、p.297~299のところでは開始した皇帝の康煕帝の名がありません。1717年(康煕56年)広東省でスタートし、雍正帝のときに全国に拡大します。

p.290 地図の中の外モンゴルと内モンゴルのおかしさが分かりますか?

p.292 満漢偶数官制を説明した後に「官吏を採用する際に、民族差別をしなかったという点では、元より一歩進んだスマートな支配でした」と脳天気な評価をしています。満漢偶数官制をおぼえることは大事なことではあっても、このことだけで差別なしでは甘いですね。少し考えてみたらいい。満人と漢人の人口差(p.291)で差別なしですむかどうか? 偶数ということは、科挙で合格して官僚になるのですが、この合格比率の大差は推測できないでしょうか。もちろん満人には別の科挙があり、漢人と同じ席に並んで受験するのではありません。
 さらに清朝の議決機関は、満人だけの議政王大臣会議と内閣の二本立てでした。前者が全般を見ていたのが、しだいに軍事に集中し、内政は内閣にもっていくという変化はありました(いずれ雍正帝が統合します)。このうち議政王大臣の満人が27人、内閣大学士12人の半分半分が満人と漢人、合計すると39対12です。これ以外に内務関係ほかの重要官職6官は満人が独占しました。「清朝は漢人の力を利用した。軍事面でも、八旗に数倍する漢人の緑営を組織したが、実権は漢人にあたえなかった。行政面では、科挙や売官によって漢人を登用し、地方行政を担当させたが、中央の要職は一部を満州人で独占した」……詳解世界史。

p.299 「地丁銀ですが丁税が廃止されます」という解説については旧版でも指摘しました。この説明の中で私大では出題される盛世滋生人丁が書いてないのはなぜか分からない(明治・立命館)。

p.301 下に「王直」というのが赤字になっているのはなぜ? 世界史の場合は要らない。

p.302 「鄭氏の抵抗も1683年に鎮圧され……かつての市舶司のような任を負った役所は設置されていました。これは海関といいます」というのは変な説明です。三藩の乱もおさまり、鄭氏をやぶって台湾を占領し、脅威がなくなったので、遷界令を解除し、市舶司を海関と改名して1685年に4海関を設置したのです。

p.306 1行目から「さて前漢はこのあと衰退し、その関係で朝鮮に対する支配も緩んでいきます」といういいかげんな説明のところ。朝鮮四郡のうち楽浪郡は残りますが他の三郡が廃止になったのは、前漢の衰退が原因ではありません。臨屯郡・真番郡の廃止は前82年、玄菟郡は前75年で武帝の死後(前86)まもなくのことです。まだ前漢はゆるぎないときです。「魏志」東夷伝で、住民が郡県の支配を嫌って抵抗したためと書いています。

★★p.306 下の方で卑弥呼の説明であれば、「親魏倭王」の称号をあげないとセンター試験対策にもなりません(1995本試、2004追試)。

p.308 乙支文徳を赤字にしなくなったのは旧版で指摘して直っているのはいいものの、ルビが「おつしぶんとく」とは一般には読みません。「いつしぶんとく」です。

★★p.311 下のQ「高麗において特権身分を輩出した階層を何と呼ぶか?──両班」と建国とともに書いています。高麗の建国当初から両班が力をもったのではありません。この問の正解は王族・貴族・豪族です。
 朝鮮史の専門家・旗田巍によれば、「王室・貴族・官人」を支配層としていて、高麗時代は新羅王朝の下で成立した骨品制(姓氏制)から、後の李氏朝鮮で確立する地主的官人へいたる過渡期であり、隷民を支配する未熟な官人国家の時代であった。」という。この「未熟な官人国家」は、1170年以降の武人政権の時代に文人(文班)が徹底して殺され、モンゴル人の侵入に悩まされて武人政権は倒れても、次には倭寇に悩まされて官僚の支配は安定しない。科挙を採用しても新羅以来の有力者・貴族の子弟でなければ官吏になる道は閉ざされていました。さらに高麗政府の信仰は仏教(禅宗)であり儒教ではなかった(『高麗版大蔵経』を想起せよ)。また朱子学を科挙の科目にしたのは、自らすすんでではなく、元朝が科挙を復活した(1315年)ときに高麗の科挙に受かった者は元朝の科挙を受ける資格を与えるということから始まっています。元朝の属国の位置にあった高麗の服従した姿でもあったのです。
 東大の過去問(1985年)「14・15世紀の朝鮮における支配層について,当時の思想動向に関連させながら,3行以内で述べよ」をどう書くかということとかかわってきます。同じまちがいは「名人の授業」でも見られます。

p.323 下から4行目「干伐」という漢字はある? 干魃(旱魃)のまちがい?

p.328 1行目。雲南に大理国という国ができるけど、これなんて「タイ族の国」という意味だよね……珍説です。

p.334 下から5行目「スンダ海峡」は赤字? 解答に必要な用語とはおもえない。

★★★p.337 下のQのオランダによって実施された「強制栽培制度」を30字で説明せよ、という解答が、「本国向け商品作物を耕地の5分の1に強制的に栽培させる制度」だと。おいおいオランダ本国にサトウキビ・藍・コーヒー・米を売ってどうするのか? 教科書を見ましょう。

オランダ領東インドとし、コーヒー・サトウキビ・藍などのヨーロッパ向け農作物の強制栽培を行なうようになった……三省堂・世界史B 
オランダは,コーヒー,サトウキビ,藍などヨーロッパ向け商品作物の強制栽培制度をつくって,農民の犠牲のうえに大きな利益をあげた……東京書籍・世界史B 

 本国以外に高く売って儲けるための農作物です。とくにコーヒー・紅茶がヨーロッパの大衆の嗜好品になっているため大きな市場になっていました。本国だけでまかなうために「強制」はしない。本国オランダが財政危機なのにオランダで消費してもらう?

 以上でお終い。予備校の授業における誇張から虚偽に走ってしまう例を見てきました。受験は勝負です。ぼろぼろの刀では戦えない。こういうものに惑わされないで、しっかり正しい知識をえて合格してください。そうすれば、この批判も役に立ったことになります。実際、『実況中継』を信じたために一年浪人したとメールしてきた学生がいます。わたしの批判を見て気がついて、東大に合格しました。本になっているからと信用してはいけませんよ。東京で大岡俊明という先生の講義を聴いて、そのレベルの高さと面白さに驚嘆したことがあります。本は一冊もだしていませんが、この『実況中継』とは対極にある教師です。いやいや、ここまで自分をさらけだしたのは大人物の証しなのか? 
 いずれにしろ教科書を読んでほしいものです。