世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史2001

第1問

 輝かしい古代文明を建設したエジプトは、その後も、連綿として5000年の歴史を営んできた。その歴史は、豊かな国土を舞台とするものであるが、とりわけ近隣や遠方から到来して深い刻印を残した政治勢力と、これに対するエジプト側の主体的な対応との関わりを抜きにしては、語ることができない。

 こうした事情に注意を向け、

   1)エジプトに到来した側の関心や、進出にいたった背景

   2)進出をうけたエジプト側がとった政策や行動

の両方の側面を考えながら、エジプトが文明の発祥以来、いかなる歴史的展開をとげてきたかを概観せよ。解答は、解答欄の(イ)を使用して18行以内とし、下記の8つの語句を必ず1回は用いたうえで、その語句の部分に下線を付せ。

 アクティウムの海戦、 イスラム教、 オスマン帝国、 サラディン、 ナイル川、 ナセル、 ナポレオン、 ムハンマド・アリー

 

第2問

 20世紀の戦争と平和に関連する以下の(A)~(C)の文を読み、設問(1)~(9)に答えよ。解答は解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(9)の番号を付して記せ。

(A)20世紀前半には、国際平和の確立や新しい国際秩序のための原則が、欧米諸国によって表明された。次のa~cは、それに関連する宣言や条約の抜粋である。

a.すべての国家に政治的独立と領土保全を相互に保障する目的で、全般的な諸国家の〔1〕連合組織が結成されなければならない

b.〔2〕本条約締結国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とすると宣言する

c.「ナチズムの暴政が最終的に破壊された後、すべての国民にたいし、彼らの国境内において、安全で、恐怖と貧困から解放される生活を保障する講和が確立されることを 〔3〕両国は希望する

(1)日本は下線部〔1〕の連合組織に参加し、後に脱退した。脱退の経緯を2行以内で記せ。

(2)下線部〔2〕の本条約とはなにか。その名称を記せ。

(3)下線部〔3〕の両国とはどこの国か。両国の国名を記せ。

 

(B)20世紀の西アジアの歴史をふりかえってみると、現代の中東諸国の原型は第一次世界大戦後にできあがったことがわかる。しかし、戦後イギリスやフランスの委任統治下におかれたアラブ地域では、アラブ人の意志とは無関係に将来の国境線が画定され、とりわけイギリス統治下のパレスティナには多くの〔4〕ユダヤ人が入植してアラブ人の生存を脅かした。その結果として起こった〔5〕一連の戦争と紛争は、この地域の人々にはかりしれない打撃を与えた。1993年9月、紛争の当事者はワシントンで〔6〕歴史的な協定を結んだが、中東和平への道はなお容易ではない。

(4)下線部〔4〕に関連して、19世紀末からヨーロッパのユダヤ人の間には、パレスティナに帰還しようという政治的な運動が生まれた。この運動の名称を記せ。

(5)下線部〔5〕の戦争のなかには、1948年5月に始まった第一次中東戦争(パレスティナ戦争)がある。この戦争の結果どのようなことが起こったか、2行以内で説明せよ。

(6)下線部〔6〕の協定の名称を記せ。

 

(C)第二次世界大戦後の米ソ両国の対立による「冷たい戦争」は、アジア・アフリカ諸国をさまざまな形で巻き込んだ。しかしその一方で、これらの国々のなかから、東西陣営のはざまで第三勢力を築く動きも起こった。この動きを代表するのが、1955年にインドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議である。

(7)アジア・アフリカ会議で活躍した中国の有力政治家で、第三勢力結集のために重要な役割をはたした人物の名前を漢字で記せ。

(8)平和外交を主張していたインドは、アジア・アフリカ会議でも指導的な役割を担った。しかしインドは、ある地域の帰属問題をめぐって独立直後に隣国のパキスタンと激しく対立し、戦火を交えている。この地域の名称を記せ。

(9)やがてジアジア・アフリカ諸国のなかから、地域ごとのまとまりを基盤とした政治・経済協力機構が誕生した。その例として、1963年にアフリカ諸国により結成された組織の名称を記せ。

 

第3問

 近代以前の世界においても、商業交易はたんなる物の交換という性格をこえて、人々の社会や生活のありように深く影響をあたえる営みであった。それにより人々は新たな情報を獲得し、また異なる文化や思想にふれることができた。このような商業交易に関する以下の設問(1)~(10)に答えよ。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。

(1)東地中海で交易をはじめたフェニキア人は、前12世紀頃には西地中海まで進出するようになった。このころ、フェニキア本土において、彼らは主として2つの都市を拠点としていた。その2つの都市名を記せ。

(2)アケメネス朝ペルシアにおいては、交通網が整備され、国際交易がさかんになった。こうした交易活動にたずさわった商人は、主としてどのような人々であったか。次のなかから2つを選び、その記号を記せ。

   a アラム人    b カルデア人   c ギリシア人   d シュメール人  e ヒッタイト人

(3)中国王朝が西域経営に乗り出す以前に、モンゴル高原を支配して中央アジアの交易路を握った騎馬民族がある。その民族の名称を漢字で記せ。

(4)4世紀以後、サハラ砂漠を越える交易がはじまり、地中海地域に西アフリカ産の金がもたらされ、西アフリカにはサハラ砂漠産の岩塩が運ばれるようになった。この交易活動を基盤として、18世紀までには西アフリカに王国が成立した。その国名を記せ。

(5)「海の道」は、季節風を利用して開かれた交通路である。7世紀にこの交通路を使って中国とインドの間を往復し、インドの仏典を中国にもたらした僧は誰か。その人名を記せ。

(6)紙は中国で発明され、西アジアを経てヨーロッパにもたらされた。そのきっかけは、東西交易の要地であった中央アジアをめぐって、8世紀に中国王朝とイスラム王朝の軍が衝突したことだとされている。このイスラム王朝の名称と戦いの名称を記せ。

(7)12世紀頃には、アルプス以北の地域でも商業交易が発展し、とくに北海・バルト海沿岸で大きな商業圏が成立した。この地域の都市は、商業権益を守るために、都市同盟を結成した。この都市同盟の盟主となったバルト海沿岸の都市名を記せ。

(8)モンゴル帝国の成立以来、東西の文化や宗教の交流がますますさかんになった。この広大な世界を旅し、『三大陸周遊記』を書いた人物(a)は誰か。また、ローマ教皇によりモンゴル帝国に派遣され、大都の大司教となった人物(b)は誰か。それぞれの人名を、(a)(b)を付して記せ。

(9)ポルトガルは、15世紀はじめから、新たな交易路を求めてアフリカ西岸の探検に乗り出していた。こうした活動の結果、初めてアフリカ南端の喜望峰にまで到達した人物がいる。その人名を記せ。

(10) 16世紀、ポルトガルはそれまでイスラム商人が中心となっていたインド洋貿易圏に進出し、1510年にはインドの一都市(a)を、さらに翌年には東南アジアの一都市(b)を相次いで拠点とした。それぞれの都市名を、(a)(b)を付して記せ。

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[第1問の解き方

 字数が90字(3行分)増えて540字の問題となった。出題者が解答をつくってみたらとても前年までの字数(450字)では書けないことが判明した結果でしょう。従来どおり8個の語句使用を指示した上で、さらに二つの条件をつけていますが、この条件は困難なものでした。書いてみたら判ることですが、こんな条件がなくても「エジプト文明の発祥以来」の5000年の歴史をただつづるだけで精一杯です。それに条件の「 1)エジプトに到来した側の関心や、進出にいたった背景」をある程度書こうとしたら、現代までとても書けるものではありません。適当にチョコっと入れる程度にしないといけない。「 2)進出をうけたエジプト側がとった政策や行動」は逆にエジプト側からの進出の歴史ですが、この「政策や行動」はほぼ同じことを言い換えているにすぎません。とにかく長い長~い歴史をいかに要約して書くかの要約能力が問われています。この点は従来から傾向と変わっていません。もともと450字でも書くのが大変なくらいデータのたくさんある課題を出してきました。簡潔にまとめる練習が必要です。この問題は一昨年(1999年)のイベリア半島の民族史とも似ています。紀元前3世紀から紀元15世紀末までの民族と文化を書かせる問題でした。

 それでもポイントはいくつかあります。第一は、ナイル川の古代文明から、前1世紀のアクティウムの海戦までの3000年間の出入り(入られた、出ていった)歴史は、指定語句が抜けているので、ちゃんとこの期間を書けるかどうか。予備校のホームページにある解答には文明からいきなりローマ領になることを書いたボケた答案が見られます。第二のポイントは、イスラム教の時代になってファーティマ朝からオスマン帝国までの興亡が書いてあるか。第三は、19~20世紀が的確・簡略に書けているか、の三つでしょう。

(わたしの解答例)

第1問  

 わたしの解答例は『東大世界史解答文』(電子書籍・パブー)に1987年から2013年までのものが載っています。

第2問

問(1)満州事変に対し、リットン調査団の報告にもとづき、日本の占領を不当とし日本軍の撤兵を求める勧告案を連盟が採択したため

問(2)不戦条約(パリ不戦条約、ケロッグ・ブリアン協定)

問(3)イギリス、アメリカ合衆国

問(4)シオニズム運動

問(5)イスラエル建国が軍事的に確定し、大量のパレスティナ難民が発生し周辺諸国に逃れた。またエジプト革命の背景となった。

問(6)パレスティナ暫定自治協定

問(7)周恩来

問(8)カシミール地方

問(9)アフリカ統一機構(OAU)

第3問

問(1)シドン、ティルス

問(2)a、c

問(3)匈奴

問(4)ガーナ王国

問(5)義浄

問(6)アッバース朝、タラス河畔の戦い

問(7)リューベック

問(8)(a)イブン=バットゥータ (b)モンテ=コルヴィーノ

問(9)バルトロメウ=ディアス

問(10)(a)ゴア (b)マラッカ