世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大の世界史25カ年

佐藤 貢『東大の世界史25カ年』教学社・2008年版

 文系の解答文は理系のように数値化できない点にちがいがあります。そのため解答が正しい解答なのかそうでないのか、なかなか一目ではわかりにくいものです。こんな解答もある、いやこちらもいいのではないかと読む者を迷わせます。
 しかし論述問題の課題はハッキリしたものが多いので、その課題にどう応えたのかを測ることができます。けっこう数値化することもできます。たとえ文章で表すものではあれ、この課題と解答がどれだけかみ合っているのか追求すれば、それほど不明快なものではありません。課題をどれだけしっかり素直に捉えるかに実は解答の正否を判断する決め手はあり、解答文だけ読んでもいいか悪いか判断がつきにくいものです。
 このあいまいな点があるため、受験生はなんであれ片っ端から解答を集めて学習する、白黒の判断は止めにするらしい。予備校の解答を越えるような優れた答案を書きながら、開示された点数がそれほどでもない、という例を受験生とのやり取りで知っているので、いかに第1問を厳しく東大側が採点しているか看取しているつもりです。出版社は論述の解説・解答が受験生以下のレベルのものを大量に生産・販売しているため、こんなもんでいいのか、と受験生も高をくくることになります。

 そこでこの参考書『東大の世界史25カ年』を数値化してみましょう。数値化は採点官が採点することと似ていて採点基準に近くなる試みです。1ポイント1点とします。

 もちろんこの参考書は25カ年の全部の問題を載せている、という点での長所をもっていることを、とりあえず指摘して、数値化にはいります。なお、全部の解答を検討すると大量になるのでピックアップします。

問題p.2(これは『25カ年』のページ数です。2007年出題)
 この問題の課題は、農業生産の変化、その意義という2点であり、この二つをどれだけ書いてあるかの計算をします。たんに指定語句を使っただけではだめで、それが変化・意義として使い述べてあって初めてカウントします。
 この問題にたいする解答はp.6にあります。解答にいたるまでのいろいろな説明が付いていますが、解答文を検討することで途中の説明の不備が明らかになります。解答文は説明の集大成ですから。解答に欠点があれば解説に欠点があるものです。
 (1…行数、以下同じ) 課題の文章でいう変化にあたる「農法の改良」として「占城稲が導入」が挙げてありますが、変化という「前→後」の双方を書いた変化が示されていません。これは何からの変化なのか? 新品種の導入なので変化として使えないのであれば、この時期の変化にあたる技術改良はないのか? どこにも書いてありません。「長江下流域で稲作が発展した」とだけ書いてあります。しかし稲作は「前6000年までに、黄河の流域ではアワなどの雑穀を中心として、また長江の流域では稲を中心として、粗放な農耕がはじまっていた……(魏晉南北朝)華北からの人口流入にともなって長江中・下流域では人口が急増し、開発がすすんだ」とあるくらい古いものです。この11世紀のはどういう変化なのでしょうか? 指定語句を使って一言説明したらそれで十分と満足しちゃってるようです。指定語句以外の隠れデータをどれだけ入れ込むことができるかで差がつくのに、そんな気はないようです。
 (2-3)「明代には、長江下流域で家内制手工業が発展し、原料となる棉花や桑の栽培が盛んとなったため、稲作地は長江中流域に移動し、「湖広熟すれば天下足る」といわれた」とあり、これは変化であり、諺は意義を示しています(2ポイント)。
 ただし受験生もよくやるミスがここにあります。「明代には」とあるところ。明朝の約300年間がみなこれらの変化の対象ではありません。この変化が起きたのは16世紀からです。「明末には長江中流域の湖広(現在の湖北・湖南省)が新たな穀倉地帯となった」(詳説世界史)。「末」を入れる程度でガタガタ言うな、という向きには、「16・17世紀の中国に生じた新しい動きについて、経済と思想の分野を中心として述べよ」(1983)という問題がなぜあるのか考えなさい、といっておきましょう。
 (4-5)「16世紀以降、中央アメリカ原産の……各地に普及……人口増加」とありますが間違いです。16世紀にアメリカ産の新農作物が入ってきますが、それがすぐ栽培されて人口増加になったのではありません。「以降」とすると16世紀も含むので、栽培「普及」が本格化するのは17~18世紀になってからです。たとえば教科書(詳説)に「18世紀には政治の安定のもと、中国の人口は急増した。新大陸から伝来したトウモロコシやサツマイモなど、山地でも栽培可能な新作物は、山地の開墾をうながして、人口増をささえた」とあります。「この間にはいってきたアメリカ大陸原産の甘藷・ジャガイモ・トウモロコシ・落花生・タバコなどは急速に普及して、中国の農業形態を多様化し、増加する人口を支えた」とある『詳解世界史』(三省堂)は雍正帝・乾隆帝期(両帝とも18世紀)の説明のところで書いています。それに中国の人口増加が目立つのは18世紀です。世紀を入れる必要がありました。
 (8)「西ヨーロッパでは、11世紀頃から普及した三圃制農法と重量有輪犁の使用」これは変化の解答文のはずですが、何から何への変化なのか分かりません。変化とは、A→Bでなくてはいけません。
 その後の「農業生産力を増大させ、人口増加とそれに伴う都市の発展や東方植民の背景」は意義にあたるところで、これは後半が2ポイントです。「背景」はあいまいな表現ですが、人材を提供した、とハッキリ書けばいいところです。それに東方植民だけではありません。十字軍・レコンキスタもあります。
 なぜか下の「論述作成上の注意」で「変化と意義についてはある程度抽象化して述べる必要がある」と書いています。抽象化するどんな必要性があるのでしょうか? 字数が極めて少ないということであればそうせざるを得ませんが、510字もあるので必要性はありません。資料(史料)をあげてまとめる課題であれば、抽象化は必要ですが何か勘違いをしているようです。論述問題というのは大雑把なテーマをあげて。それを解答で具体的に説明するのが課題です。これとてそうです。
 (10-12) 「18世紀のイギリスではノーフォーク農法や第2次囲い込みに代表される農業革命で農業の資本主義化が進み」とあるのですが、これは何からの変化なのでしょうか? もちろん甘く採点すれば変化の後の方だけで良いともとれます。しかし「甘く」という意味での採点です。しつこいですが、変化とは、A→Bでなくてはいけないのであり、Bだけでは片方の説明になります。
 意義として「土地を失った農民が都市に流入して産業革命を支える労働力となった」が1ポイントです。しかしその後の「また、産業資本家の要求によって、地主保護法である穀物法が実現し、イギリスの自由貿易体制が確立することになる」は前の文章とどう関連しているのでしょうか? 農業資本家の登場とどう産業資本家がむすびついているのでしょうか? 「また」の意味は? たんにイギリスという国の話だというだけのようです。
 さいごの解答文は、アイルランド飢饉と米大陸移住が意義としてあげてあり、2ポイントです。しかし末尾の「激増」という過激表現はできるだけ使わない方が説得的。

 以上、7ポイントです。指定語句が文脈として使い方はまちがっていませんから2ポイントプラス。甘く採点すれば、変化の後者だけ書いている部分は4ポイントです。全体として11~13点だろうと推測します。完答としては24ポイント必要な問題です。

問題p.12(2005年)
 この問題にたいする解答はp.16にあります。
 この問題の課題は、「第二次世界大戦中に生じた出来事が、いかなる形で1950年代までの世界のありかたに影響を与えたのか」というもので、戦争中の出来事をもとにして戦後を関連づけることです。戦中→戦後、という構成が必要です。
 解答の中で「戦中」にあたることは、大西洋憲章(指定語句)、抗日戦争中の国民党・共産党の勢力争い(導入文)、アウシュヴィッツ(指定語句)、の3つくらいしか挙げてありません。指定語句や導入文に書いてない戦中の出来事を探さなかったようです。呑気なものです。
 いくらか「戦後処理をめぐり米英とソ連は相互不信を深め」があてはまりますが、「相互不信」は事件性をもった「出来事」とは言いがたいものです。
 このあいまいな記述を基に、東西ドイツ・ECC・南北朝鮮の成立・朝鮮戦争・日本国憲法とつづけています。これら全部を「相互不信」だけで説明するのは無理があります。ECCと戦中の何が結びつくのか明らかではありません。また朝鮮戦争は戦中の何が関連しているのか不明です。日本国憲法は戦中のどんな出来事と関連しているのか、これも分かりません。戦中→戦後、という構成ができていません。ずさんな解答です。
 下の「論述作成上の注意」とあるところに、「冷戦の経過を詳述する問題ではない。戦争中からの対立(米ソ、国民党と共産党など)が、戦後世界の分断・分裂に与えた影響という視点を堅持する」と書いてあります。ホントに堅持してくれたら、ちがった解答になったはずです。
 戦中→戦後のてきているところは、3ポイントしかありません。1ポイントの大西洋憲章→国際連合は、導入文に「国際連合など新しい国際秩序の枠組みに帰結した」と書いてあるので、これをポイントとして換算してくれるかどうか怪しい。導入文のコピーでは加点対象にはならない。なんらか大西洋憲章以外のことも言及して初めて加点対象になるはずです。たとえば設立原案が作成されたダンバートン=オークス会議か、設立を決定したサンフランシスコ会議を書かないといけません。
 これも完答としては24ポイント必要な問題です。2~3ポイントしかない。

問題p.22(2003年)
 この問題にたいする解答はp.26にあります。
 この問題には二つの要求があり、次のように言い換えることができました。1)「運輸・通信手段の発展が」→植民地化をうながし、2)「運輸・通信手段の発展が」→民族意識を高めた この二つを書くことが課題です。しかし解答例はp.xviiiにも示されているように、1)に比重がかかりすぎていて、2)にあたるものはほとんど書いてありません。「日本の勝利の情報」という部分だけで、これはどういう通信手段による情報なのか、またイランやガンディーがどう運輸手段・通信手段を利用したのか書いてありません。
 この解答の問題文コピー箇所、言い換えに近いものをあげてみます。右側がそれにあたります。

欧米諸国がアジア・アフリカに侵略の手を伸ばしていく……(2-3)ヨーロッパ各国のアジア進出が容易になり、アジア・アフリカの植民地化が促進されれた

情報革命の時代に生きており、世界の一体化は、ますます急速に進行……(5-6)情報の伝達は一段と迅速化

運輸・通信手段の発展が、アジア・アフリカの植民地化をうながし、各地の民族意識を高めた……(11-12)運輸・通信手段の発達はアジア・アフリカ各地の民族的覚醒も促した

 こうした問題文と類似した箇所はまず加点対象にならないと考えられます。これ以外で評価されるポイントは、指定語句・スエズ運河の後の「アジアに至る航路が短縮され」の1ポイント。「蒸気力を推進力とする(指定語句)汽船が海運の主役を担う」がもう1ポイント。「19世紀前半に発明された(指定語句)モールス信号は、19世紀末には(指定語句)マルコーニの無線電信にも応用され」で2ポイント。ただし問題文に「有線・無線の電信」の記述があります。「鉄道建設は植民地化を進める手段として利用され、ドイツはトルコから(指定語句)バグダード鉄道建設の利権」は2ポイント。
 2)にあたる中国・義和団事件について、「義和団が鉄道を破壊した」は1ポイント、ただし「事件は中国の半植民地化を進行させ、日露戦争の遠因となった」は民族意識の覚醒とは無関係な文章です。最後の文章は「対外従属を強めていたカージャール朝ではイラン立憲革命がおとり、インドで国民会議派の運動が活発化し、第一次世界大戦後のガンディーによる非暴力・不服従運動へとつながっていった」は上に述べたように、通信手段とどう関係しているのか書いてありません。ポイントなしです。
 すると、全部で7ポイントです。中身が意外とない解答です。導入文にある文章を使いすぎていていること、指定語句を使って説明したらそれで得点がえられるものだと勘違いしていることが推測されます。何を書くかは、このホームページの過去問→東大→2003年を見られたい。わたしなら完答として26ポイント必要です。

問題p.37(2000年)
 この問題にたいする解答はp.41にあります。
 この問題の課題は、1)副問が「18世紀の時代背景、とりわけフランスと中国の状況にふれながら」で、2)主問(主たる要求)は「彼らの思想のもつ歴史的意義について」です。上の解答は2)の副問に9割以上占めていて、肝心の主問2)は、末尾の1行だけです。指定語句のフランス革命だけ具体的で、末尾の「近代社会成立の思想的土壌」というあいまいな語句で済ませています。これで意義を書いたことになる?
 (1-4)フランス革命が矛盾・硬直・不満があり、それを批判するものとして啓蒙思想が展開していた、とあります。指定語句の使い方にまちがいはないし内容も正しいので4ポイントとします。ただ内容は、絶対王政・宗教統制・身分制度でこれでは政治的なものに偏っていて、経済の活況とブルジョア層の台頭があげてありません。このブルジョア層こそ啓蒙思想の支持母体です。
 (5-7)フランスと中国をつなぐ(指定語句)イエズス会宣教師があげてあります。2ポイントとします。儒教・理性・科挙という中国政治のあり方についてのまとめは3ポイント。
 (10-13)「禁書や文字の獄のような思想統制の中ではその合理性を十分発揮できなかったし……宗教統制とも無縁ではなかった」という訳のわからない解答文があります。皇帝専制・儒教の理性としてはどの政策(禁書・文字の獄・宗教統制)も合理的なはずですが、不思議です。経済史がここにも欠けています。豊かな銀流通があり、上にあげてあった新大陸作物のおかげて人口の増加があり、最大版図を形成するほどの清朝の完成期でした。こうした18世紀中国状況の説明がないので(5)「最盛期」説明は不十分です。 
 さいごの文章の1ポイントを加えて全部で10ポイントです。「主問」たる意義がこれでは何より得点が低くなります。完答として22ポイント必要です。

問題p.47(1998年)
 この問題にたいする解答はp.51にあります。
 1)主問は「18世紀から19世紀末までのアメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国の歴史について」、2)副問(副次的要求)は「その対照的な性格に留意しつつ、ヨーロッパ諸国との関係や、合衆国とラテンアメリカ諸国との相互関係のあり方の変化を中心に」という課題です。
 1)では18世紀の「ラテンアメリカ諸国の歴史について」はまったく書いてありません。もし(2-3)「スペインやポルトガルに支配されていたラテンアメリカ諸国」が18世紀のことだというなら解答になっていません。米国とは「対照的な性格」を示すためには、この支配がどんなものだったかを説明しないかぎり、18世紀を述べたことにはなりません。
 この2)「対照的な性格」が書いてある箇所は、(7-9)「民主政……経済的にも自立……寡頭支配……植民地型経済が定着」です。政治は対照的に書いてありますが(「対照的な性格」になっている解答はこの部分だけです)、経済面はできていません。というのは導入文にすでに「長く原材料の輸出国の地位にとどまってきた」と植民地型経済はこの言い換えにすぎず、似たことが書いてあり、得点になりにくいものです。「合衆国の場合には、急速な工業化を実現」という導入文と類似の(12)「工業化を達成した合衆国」があり、この著者には導入文を写す癖があります。
 「対照的な性格に留意しつつ」を重視すれば、いや採点では必ず重視するはずですが、それでいくと、政治的な対照は2ポイント、経済的な部分は全体文脈から1ポイントです。この3ポイントが全得点です。
 完答としては、20ポイント必要でした。

問題p.62(1995年)
 この問題の解答はp.66にあります。
 課題は「ローマ帝国の成立からビザンツ帝国の滅亡に至るまで、地中海とその周辺地域では、どのような文明がおこり、また異なる文明の間でどのような交流と対立が生じたのか」でした。
 初めの「設問の要求」を「地中海周辺地域におこった諸文明とその交流と対立」とまとめたところに欠陥はすでに現れていました。問題文には「地中海とその周辺地域」とあり、「地中海周辺地域」ではありません。何か似ていますがちがいます。地中海はローマ帝国が征服して支配した地域であり、「その周辺」は地中海世界以外の、まさにその周りにある周辺地域です。地中海だけであれば解答文のように三つの文明圏でいいのですが、周辺にはペルシアがあり、東欧スラヴ人の世界があります。これに言及しないと「その周辺地域」を説明したことになりません。
 (1-10)この前半部分は「どのような文明」を説明したのでなく、1世紀から8世紀までの政治史になっています。文明の「対立」として描いているのでもない。要らない文章でした。
 「どのような」とは文明の内容を説明しろ、ということであり、(10-13)「地中海周辺地域は、西ヨーロッパのラテン語文明圏、ピザンツ帝国を中心とするギリシア語文明圏、イスラム文明圏が分立し」と、どうしてかアラビア語がなく、言語だけしか文明の内容が書いてありません。下の交流のところでいくらか書いているのですが、ここでは書いてないので、一応2ポイントとしておきます。
 (15-20)「東方貿易が活発化したが、これによってピザンツ帝国やイスラム世界から文物が流入し、12世紀ルネサンスやイタリア=ルネサンスに大きな影響を与えた。また、ピザンツ帝国がギリシアの古典やローマ法を受け継ぎ、アリストテレスなどのギリシア語文献がイスラム世界でアラビア語に翻訳され、イスラム科学が発展したように、3つの文周囲は相互に関係・影響を与えあった」で4ポイントとします。ここにも「対立」がありません。忘れたようです。
 合計6ポイント。完答では、24ポイント必要です。

 本書の初めの方に「効果的な学習法」という項目で、「論述練習」というところに「書き終えたら必ず誰かに添削をしてもらおう。できれば教師か講師に頼みたいが、それが無理なら友人同士で解答を交換し意見を出し合うのでもよい。大論述では細部よりも、発想がきちんとできていることが一番重要である。自分以外の人がどのような発想をしているのかを知ることは大いに参考になるだろう。」と薦めています。「発想」ということばが不思議です。発想というのはこれまでにない新鮮な考え、というような意味ですが、論述問題に発想とは何なんでしょうか? すでに何を考えるべきかは目の前の試験用紙に書いてあるのであり、なにかそれとは別の発想は必要ないのです。解答のデータに何を入れるかの発想ということなら、何より課題に沿ったデータを思いつかない限り意味のないものになります。データは基本的には教科書に書いてあるものでよいのであり、何か特別のアイディアを思いつくという意味での発想は必要ありません。問題文の引き写しの多い解答文を書く著者になぜ発想ということばが気になっているのか? 
 添削してもらうのはいいですが、ただ東大世界史の添削のできる教師はそうそういません。高校だろうと予備校だろうと通添だろうと怪しいものが多く(舌吐会・震犬蝉は止めておく)、添削者をだれにするかは判断が難しい。ひとつの方法は、東大の過去問を1問解いて、同じ解答をいろいろな先生に添削してもらい比較することです。どれくらい適確な添削をするか添削資格試験を君のほうからすることです。教師の方はじぶんが試されているとは気がつきません。不遜なやり方と考えない方がいい。「教師」といっても玉石混交ですから。いくつかの高校・予備校で教師・講師を経験したことから言えば、赤本・青本の解答に合っているかどうか程度の添削をしていて、全体構成から論理的な添削ができる教師は皆無でした。わたしの狭い経験にすぎませんが、気をつけることです。
 この参考書に書いてある解答を添削してあげると、とても良い勉強になります。解答文のレベルは学生並ですから添削にふさわしい内容です。

 ちなみに2010年度の解答はどうだったでしょう?

赤本の解答

中世末から商工業が栄えたネーデルラントは、17世紀前半にハプスブルク家のスペインから独立を達成した。オランダは東インド会社の活動によって、ジャワ島のバタヴィアを拠点に香辛料貿易を独占し、日本とは長崎の出島で貿易を行うなど各地に拠点を築き、国際商業ネットワークの中心として繁栄した。オランダは宗教や新しい思想に寛大で、人材や情報も集まりやすく、グロティウスは『海洋自由論』で貿易・航海の自由を主張し国際法の確立を促した。しかし、17世紀後半の英蘭戦争敗北により、北米の植民地をイギリスに奪われ、ニューアムステルダムはニューヨークと改称された。中継貿易主体であったオランダは、重商主義政策をとる英仏を前に急速に商業覇権を失い、植民地経営に路線を転換することになる。 19世紀初頭のウィーン会議でケープ植民地やセイロンをイギリスに奪われたものの、ジャワではコーヒーなどの商品作物の強制栽培で大きな利益を上げた。しかし、19世紀末からの南アフリカ戦争では、オランダ系移民の子孫が建てたオレンジ自由国などが英領南アフリカ連邦に併合され、アフリカにおける影響力を失った。その後、太平洋戦争中の日本の占領を経て最後の植民地であったインドネシアが独立し、植民地の宗主国としての役割を終えたオランダは、国家をこえた経済圏をめざすヨーロッパ統合に活路を見いだし、オランダで結ばれたマーストリヒト条約でEUが発足することになる。

▲ 課題は「中世末から」とあるものの、この解答文「商工業が栄えたネーデルラント」はその姿を説明しているだけで、中世末(14-15世紀)にどんな役割があったのか分からない。役割はネーデルラント以外の地域、西欧であれ全欧であれ世界であれ、なにか他者との関連で初めて言えることで、ネーデルラントがどうだったと書いても無意味な文章です。確認しておきますが、課題は「世界史における役割」でした。
 後は16世紀を飛ばして、いきなり17世紀に行ってしまったが、この間、14-16世紀の3世紀には役割はなかったことになる。やっと「国際商業ネットワークの中心として繁栄」という当たりで役割の解答になってきました。
 「オランダは宗教や新しい思想に寛大で、人材や情報も集まりやすく」は何の役割をいったことになるのか不明。
 「グロティウスは『海洋自由論』で貿易・航海の自由を主張し国際法の確立を促した」はできてます。
 この後の「しかし、17世紀……影響力を失った」までは何の役割を果たしたのか分からない。たんなるオランダ衰退史の経過を書いてます。
 最後の文章は弱い役割しか書いてないが、書いたことにはなります。
 全部で、5-6点くらいの得点でしょう。

 他者の批判ばかりで自分の解答を出してないではないか、という方に、わたしの解答は出しています。→こちら