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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大2010-予備校の答案

過去問 -東京大学

東大世界史・2010年各予備校の答案例とわたしの異見。最下段に合格者の解答。下線なしで。

河合塾)出典 http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/10/t01.html

中世末にバルト海交易に進出したオランダは、近世にかけてエルベ川以東の穀物を西欧へ供給し、東欧を従属下に置いた。16世紀後半にはハプスブルク家に対し独立戦争を行い、旧教に対する新教の宗教戦争を先導し、新教徒の商工業者や文化人を吸収した。独立後はバタヴィア、台湾、長崎を拠点に香辛料貿易とアジア域内貿易に参入し、大西洋交易にも進出してニューヨークの原型を建設するなど商業覇権を確立した。アムステルダムは国際商業・金融の中心となり、この時期にグロティウスは海洋の自由を主張し、三十年戦争に際し国際法を提唱して主権国家体制を秩序づけた。商業覇権は、航海法の制定や英蘭戦争など重商主義により台頭したイギリスに移った。株式会社制度や国債発行などの金融財政システムも、名誉革命後のイギリスに継承された。17世紀末以後のオランダは、東南アジアの諸島部でコーヒーやサトウキビ栽培などの植民地経営を開始しヨーロッパの植民地主義の先駆となった。アフリカ南部のブーア人国家は南アフリカ戦争でイギリスに併合されたが、これを機にイギリスが光栄ある孤立を放棄したことは、第一次世界大戦に向かう同盟外交の契機となった。オランダの植民地帝国は、太平洋戦争でインドネシアを日本に占領された後、戦後の民族独立運動により解体に向かった。こうしたなか主権を超克する欧州統合に当初から参画したオランダは、マーストリヒト条約の調印の場となった。

▲ この解答例は7つの中では一番良いものです。しかし欠点もあります。他の解答例もそうですが、課題になっている「中世末(14-15世紀)」の解答文がないことです。導入文に「中世から……早くから都市と産業が発達」とあるので何らか説明すべきです。

 「中世末にバルト海交易に進出したオランダ」では役割になってないし、中継貿易をして利益をあげたことが「東欧を従属下に置いた」といえない。「従属下」などと、いくらなんでも誇張です。ネーデルラント諸都市が東欧産穀物をさかんに輸入してくれたお陰で東欧貴族たちが領主直営地における穀物の増産に乗り出し、農民の賦役を強化して労働力を確保する必要性がでてきました。農場領主制(グーツヘルシャフト)です。従属下したのは農民であって(再版農奴制)東欧の王朝も支配層の貴族も従属化されたのではありません。かれらは潤っていてその勢力を拡大しています。確かに『近代ヨーロッパの誕生』(講談社選書メチエ)には輸送費の数字をあげて「ポーランドは、西欧、主としてオランダに従属する傾向があった」と書いています。ここでいう「従属」は穀物や材木の輸送(船)をオランダに依存したということであって、それをポーランドだけでなく「東欧」全体にまで及ぼして「従属下」と断定しています。河合塾は誇張の上塗りをしています。利益をあげたポーランドの貴族たちをシュラフタといいますが、かれらが国王のいなくなったのを幸いと互いに選挙しあって国王を決めていて、それを自ら「シュラフタ民主政」とさえ言っていました。貴族の中には国庫収入よりも利益を上げた貴族もいたことが、ポーランド史の専門書には出てきます。

 またこの中継貿易には何より船が必要ですが、船を造るのに必要な木材や、ピッチ(防水剤)、タール(塗料、黒船が黒いのはこのタールのため)などは低地にはなく、ともに東欧からの輸入に頼っていました。オランダも依存しています。

 この部分にかこつけて、夏のオープンに出たから的中したと喜んだコメントが「分析」に載っていますが、夏のオープンの問題はオランダ史ではないし、15世紀だけを異様に注目した、それ自身が問題をかかえた問題でした(詳細はこちら)。それがどうして20世紀まで網羅しなくてはならない受験生にとって「模試の受験者は迷わずに解答にたどりついたであろう」ということになるのか? もちろん役割の問題でもありませんでした。どこが「ズバリ的中」なのか? 誇張しすぎると嘘になります。

 「新教徒の商工業者や……を吸収した」はいいとしても「文化人を吸収した」は導入文に「経済や文化の中心となったので、多くの人材が集まり」のコピーにすぎないから、どういう文化人なのかが書いてあると良かった。それにこれはどういう世界史的役割だと言いたいのか?

 「独立後はバタヴィア……商業覇権を確立」はできてます。

 「国際法を提唱して主権国家体制を秩序づけた」のうち「秩序づけた」は戦争・会議・条約の総体であり、グロティウスの思想を「秩序づけた」とすると誇張です。グロティウスはウェストファリア条約が締結され前の1645年に亡くなっており、秩序が決まる前にこの世にいません。ここは「提唱」や先駆にとどめておきたいものです。日本に国際法を伝えたのもオランダ人でした(西周がオランダ留学で学んで書いた『万国公法』)。この問題はオランダ贔屓(びいき)が課題ではあるものの、誇張しすぎると嘘臭くなります。

 「株式会社制度や国債発行などの金融財政システムも、名誉革命後のイギリスに継承された」もできてます。東インド会社は「世界最初の株式会社として1602年設立」として知られていますから良いとして、「国債発行などの金融財政システム」はカンニング的・ペダンティックな解答です。真似なくていい部分です。それに「継承」は役割としては弱い。

 「ヨーロッパの植民地主義の先駆」は誇張です。コロンブスから始まっていることであり、東南アジアに関しては「16世紀から17世紀の初めにかけて、まずポルトガル、ついでオランダが、東シナ海と南シナ海を結ぶ中継貿易の利益をねらってこの地域に進出し(詳説世界史)」という順です。コーヒー・プランテーションとしては先駆は合ってますが、植民地主義の先駆ではありません。

 「南アフリカ戦争でイギリスに併合されたが、これを機にイギリスが光栄ある孤立を放棄したことは、第一次世界大戦に向かう同盟外交の契機」は回りくどい説明。これは第一次世界大戦までもっていく必要はなく、パクス=ブリタニカを危機に陥らせた、でいい。同盟外交云々は日英同盟を意識してでしょうが、「契機」をいうなら露仏同盟の方が早い。

 「オランダの植民地帝国は、太平洋戦争でインドネシアを日本に占領された後、戦後の民族独立運動により解体に向かった」は日本の役割になってます。

 「条約の調印の場となった」程度で役割か? 弱い。

 全体として経済と政治に偏り、文化面はグロティウスくらいしかない。この文化面の記述が薄いことは下のどの解答例にも該当します。「ヨーロッパの経済や文化の中心」が表せなかった。 

代々木)出典 http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/recent/tokyo/zenki/sekaishi/images/kai.pdf

15世紀末からハプスブルク家の支配下に入ったネーデルラントは、16世紀にスペインとの独立戦争を行い、北部7州がオランダとして独立した。オランダは17世紀に通商国家として発展し、アジアでは東インド会社がジャワ島のバタヴィアに拠点を築いて香辛料貿易を独占し、鎖国時代の日本とも長崎の出島を拠点に西欧諸国の中で唯一交易を許された。オランダ出身の法学者グロティウスの『海洋自由論』や『戦争と平和の法』はこうしたオランダの海外進出と国際的地位を擁護したものである。やがてオランダは英蘭戦争に敗れて商業上の覇権を失い、新大陸に建設したニューアムステルダムもイギリスに奪われニューヨークと改称された。またケープ植民地もウィーン会議でイギリス領となり、オランダ系移民の子孫はオレンジ自由国とトランスヴァール共和国を建設したが南アフリカ戦争によりイギリスに征服された。一方アジアではジャワを中心にオランダ領東インドでの植民地形成を進め、19世紀にはコーヒーなどの商品作物の強制栽培制度を実施して莫大な利益をあげたが、太平洋戦争で日本に占領され、日本の敗戦後はインドネシアとして独立したためオランダの植民地支配は終わりを告げた。第二次大戦後はヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の原加盟国となり、さらにヨーロッパ共同体の創設メンバーとなるなどヨーロッパの統合に積極的に参加し、1992年のマーストリヒト条約によってヨーロッパ連合が発足した。

 ▲流れだけで役割はまったく書かなかった悪答。HPにある分析にも「オランダを軸として世界史の流れを論述する問題……全体の流れに乗せて……歴史の大きな流れ」とあり、問題を読まなかったようです。低点答案の模範。

駿台)出典 http://www.sundai.ac.jp/yobi/sokuhou2010/toudai_zenki/sekai/index.htm

【近現代に比重を置いた解答案】

スペイン=ハプスブルク家のカルヴァン派弾圧に対し、オラニエ公に率いられて北部7州がネーデルラント連邦共和国の独立を宣言し、ウェストファリア条約で認められた。東インド会社を設立してアジア貿易に乗り出し、グロティウスは『海洋自由論』でスペインの海上支配を批判した。17世紀前半には中継貿易で全盛を極めた。しかし英の航海法発布を機に始まる英蘭戦争で敗北。蘭領ニューアムステルダムは、英領ニューヨークとなった。アジアでは、ポルトガルに代わって香辛料貿易を独占し、アンボイナ事件で英を排除、ジャワ島のバタヴィアを拠点に東インド植民地を建設。台湾のゼーランディア城、日本の長崎にも貿易拠点を置いた。19世紀、ナポレオン戦争を経てケープ、セイロン、マラッカなどを英に奪われ、ジャワではコーヒーなど強制栽培制度を導入した。ケープでは、英の支配を嫌うオランダ系の入植者がトランスヴァール共和国などを建国するが、ダイヤモンド利権をめぐる英との南アフリカ戦争に敗れ併合された。20世紀、東インドではサレカット=イスラームなどの民族運動が高揚し、太平洋戦争中の日本軍の占領を経てインドネシアが独立した。第二次世界大戦で本国が戦場となり、最大の植民地を失ったオランダは、欧州統合に活路を求めた。仏・西独・伊・ベネルクス3国で欧州石炭鉄鋼共同体を結成。これが欧州共同体に発展し、冷戦終結後のマーストリヒト条約で欧州連合が発足した。

【前近代に比重を置いた解答案】

15世紀後半にハプスブルク家領となったネーデルラントでは中世以来、商工業が発展、宗教改革後、カルヴァン派が拡大した。フェリペ2世の旧教強制などの抑圧に対しオラニエ公を中心に北部7州がネーデルラント連邦共和国として独立した。17世紀には世界初の株式会社・蘭東インド会社がポルトガルや英を排しバタヴィア、台湾などを拠点に鎖国中の長崎で得た日本銀で中国物産も獲得するなどアジアとの中継貿易を独占、首都アムステルダムは欧州経済の中心となった。蘭独立を国際的に承認したのは三十年戦争後のウェストファリア条約であるが、この戦争中グロティウスは『戦争と平和の法』で国際法の確立を提唱した。新大陸には蘭領ネーデルラントを築いたが、英蘭戦争で喪失し英領ニューヨークとされ、続く英仏との抗争で海上覇権も失った。ナポレオン戦争中に東インド会社は解散、戦後、蘭系ブール人の入植したケープ植民地は英領となった。ブール人の移住地は南アフリカ戦争後に英領南アフリカ連邦に併合されたが、彼らの懐柔のため人種隔離政策が開始された。一方、ジャワではベルギー独立による経済破綻を背景にコーヒーなど商品作物の強制栽培で農民を困窮させた。20世紀初めまでに島嶼部を征服して蘭領東インドを形成したが、太平洋戦争中、スカルノは日本と提携、戦後インドネシアとして独立した。冷戦期の蘭は欧州統合に参画し、同国で調印されたマーストリヒト条約でEUが成立した。

 ▲【近現代に比重を置いた解答案】これも流れに終始していて、「17世紀前半には中継貿易で全盛を極めた」が、いくらか世界史的?

【前近代に比重を置いた解答案】2つの答案を分けた意味がない。比重は等しい。いくらか解答として拾えるところは、「中継貿易を独占、首都アムステルダムは欧州経済の中心となった」だけ。他は上の悪答と同じ。わたしも駿台の講師の一人ではあるものの、ネットの中でものを言っているのであり、この記事を読むのは目に触れた受験生全体に対しての発言のつもりであり、駿台だけという立場はとらないことにしています。どこかの予備校だけ誉めたたえることもしません。今まで添削してきた受験生も駿台以外の学生の方が多かった。ずけずけ物をいう人間に対して寛容な点は駿台経営者の大きいところです……といつまで言えるか(^^;)。もちろん、ここに書いているわたしの異見は、わたし個人の異見であり、眉唾つけながら読んで下さい。冷静な目を。f:id:kufuhigashi2:20130623211406g:plain

東進)出典 http://220.213.237.148/univsrch/ex/menu/index.html

(例1)

15世紀末にハプスブルク家領となったこの地域では、16世紀後半に新教徒がスペインからの独立を宣言し、1648年のウェストファリア条約で国際的に承認された。この間、東インド会社を設立したオランダは、ジャワ島のバタヴィアを拠点に東南アジア商業をおさえ、台湾は鄭成功に奪われたものの長崎で日本と通商した。一方、西インド会社を設立し、北米東岸に現在のニューヨークの原型となるニューアムステルダムを、またアフリカ南端にはケープ植民地を建設した。こうして17世紀にオランダは世界商業の覇権を握った。この時期は文化的にも繁栄し、グロティウスは国際法思想の発展に寄与した。英蘭戦争でイギリスに敗れたものの、首都のアムステルダムは世界金融の中心の地位を保持した。19世紀前半にベルギーが独立して財政難に陥ったオランダは、ジャワ島にコーヒーなどの栽培を強制する強制栽培制度を導入した。20世紀初頭にはスマトラ島のアチェ王国を征服してオランダ領東インドを完成させた。南アフリカ戦争でオランダ系移民の子孫であるブール人は敗れたものの、イギリスの世界覇権は動揺した。太平洋戦争中、日本が占領したオランダ領東インドは、戦後インドネシアとして独立を宣言し、オランダはハーグ協定でこれを認めた。こうして植民地を失ったオランダは、ヨーロッパ統合に活路を見出し、オランダで開催されたEC首脳会談の結果、マーストリヒト条約が採択されてEUが成立した。

(2)

スペインのハプスブルク家の支配下にあったオランダは.フェリベ2世の圧政に対して独立戦争を起こし、1581年ネーデルラント連邦共和国として独立宣言を行い1609年独立を確保した。国際的な独立承認は三十年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約によるが、オランダ人グロティウスはこの戦争の惨禍を見て、自然法思想に基づく国際法確立の必要を説いた。独立後のオランダは海外に進出し、東南アジアにバタヴィアを拠点としたオランダ領東インドを、北アメリカに現在のニューヨークを中心とするニューネーデルラントを築き、鎖国中の日本とも長崎で交易を行うなど、17世紀前半には世界貿易の覇権を握った。しかしその後英蘭戦争に敗北して北アメリカの領土を、ウィーン議定書でセイロン・ケープ植民地をイギリスに奪われた。オランダは1830年からジャワで強制栽培制度を採用してコーヒー、サトウキビ、藍などを生産し大きな利益をあげたが、19世紀末の南アフリカ戦争によりオランダ系プール人の建国したトランスヴァール共和国とオレンジ自由国もイギリスに併合された。オランダ領東インドも太平洋戦争中日本に占領され、戦後はインドネシアとして独立した。しかし20世紀後半になるとオランダは仏・西独・伊などとともに、EECやECなどの原加盟国となり、1992年オランダで調印されたマーストリヒト条約によりECはEUへ発展するなどヨーロッパ統合に大きな役割を果たしている。

(3)

15世紀後半以降、ハプスブルク家の領土となったネーデルラントは、16世紀後半に独立戦争を起こし、北部7州は1581年にネーデルラント連邦共和国として独立を宣言した。戦争中の1602年にはオランダ東インド会社を設立して、以後マラッカやバタヴィア、長崎の出島などを拠点にアジア貿易を推進し、アンボイナ事件以降は香辛料貿易をほぼ独占するなど、17世紀前半に最盛期を迎えた。アムステルダムがヨーロッパの商業・金融の中心都市となり、同時期には『戦争と平和の法』などを著し、国際法を確立したグロティウスや画家レンブラントなどが出て、文化面でもオランダの黄金期を現出した。しかし、17世紀後半の英蘭戦争を機に海上覇権はイギリスに移り、北アメリカのニューアムステルダムもイギリスに奪われ、ニューヨークと改称された。以後、オランダはインドネシアの経営に集中し、1830年以降ジャワ島に強制裁培制度を導入して、コーヒーや藍などを栽培させて利益を上げたが、現地での米不足等の弊害も招いた。20世紀初頭には南アフリカのオランダ系移民の子孫のブール人が南アフリカ戦争に敗れてイギリスに併合され、20世紀半ぱの太平洋戦争では日本にインドネシアを占領され、戦後に独立を許すなど植民地支配も崩れたが、ヨーロッパ連合を成立させたマーストリヒト条約がオランダで結ばれるなど、オランダはヨーロッパ統合の歩みの中で重要な役割を果たしている。

 ▲ 3つも解答があっても徒労でした。(例1)で拾えるのは「世界商業の覇権を握った……国際法思想の発展に寄与した……イギリスの世界覇権は動揺した」くらい。(例2)で拾えるのは「世界貿易の覇権を握った……ヨーロッパ統合に大きな役割」のところぐらい。(例3)で拾えるのは末尾くらい。答案作成能力が低いですね。

合格者の再現答案

15世紀末からスペインの支配下にあったネーデルランドは16世紀に独立戦争を行い、北部7州が独立した。オランダの独立はスペインハプスブルク家を衰退に向かわせた。17世紀にはアジアで東インド会社が香辛料貿易を独占した。アンボイナ事件で香辛料貿易から排除された英にインドに向かわせるきっかけを与えた。アフリカ奴隷貿易に乗り出し新大陸にニューヨークの元となるニューアムステルダムを建設した。アジアの中継地としてケープ植民地を建設し、オランダ系移民の子孫は南アフリカにおける少数白人支配の契機となった。鎖国時代の日本と長崎の出島を通じて貿易し、西欧の政治事情や医学等を伝え、日本の近代化の基礎をつくった。グロティウスが著した「戦争と平和の法」は国際法の基礎になった。オランダで生まれた株式会社や公立銀行等の制度はイギリスに引き継つがれた。イギリスは英蘭戦争に勝利し商業上の覇権を奪った。19世紀にはジャワを中心にオランダ領東インドでの植民地形成を進め、英仏に先駆けてコーヒーなどの商品作物の強制栽培制度を実施した。19世紀末の南アフリカ戦争でのボーア人の抵抗は英に外交孤立主義を放棄させ日英同盟を結ばせた。太平洋戦争で蘭植民地は日本に占領され戦後はインドネシアとして独立した。第二次世界大戦後、西欧が地域統合を進めていくなかで、各共同体に参加し、20世紀末にはEUを発足させるマーストリヒト条約の締結地を提供し経済統合を進める役割を担った。