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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1997

【1】
 キリスト教は、4世紀末にローマ帝国の国教となることで、その後のヨーロッパの 歴史に多大な影響を及ぼした。しかし、その現実は決して単純なものではなかった。教会そのものが完成された組織とは言い難く、その分裂の事態は帝国支配のはらむ政治問題でもあったからである。その間の事情を4~5世紀のローマ帝国の政治・社会状況に即して、以下の用語を用いながら述べなさい。その際、ローマ帝国と東方属州地域との政治的関係に触れること。なお、用語を最初に用いた箇所に下線を付しなさい。(400字以内)

 テオドシウス帝 五本山 単性論 カルケドン公会議
  (この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)

【2】
 次の文章は、ドイツの作家ハインリヒ・マンが、1923年8月11日に行った講演の一部です。これを読んで、下記の問いに答えなさい。

私たちは祝うべきであります。しかし時は危機的です。私たちは憲法を祝うべきであります。ところが、あれから憲法がどうなってしまったのか、私たちは知らないのです。そして今後、憲法がどうなるのだろうか、ということも分からないのです。1919年という年は、遠い昔になりました。(中略)憲法の精神は、そうこうするうちに誤認され、否認され、歪曲され、憲法からほとんど追い出されてしまいました。戦争に熱狂するナショナリズムが、かつてと同じように、またもや荒れ狂っており、もうすでに、ふたたび権力の座に達しようとしています。(中略)反動の理由は何でしょうか。皆さん全員が第1の理由としてお挙げになるであろうものを、私も挙げようと思います。隣人たちによる、外的な圧迫です。(中略)加えて、第2の主な理由として、窮乏があります。(中略)この3日間の国会をその場で体験した者は、幽霊屋敷にいたのです。こんなものは、かつて一度も見られたためしがありません。(中略)首相が登場すると、「生ける屍!」「破産者!」という怒号が投げつけられます。(中略)首相が演説を始めるとき、ドルは高値をつけていました。演説を終えるころ、ドルはさらに高くなっています。

問1 ここで言われている「憲法」について、その基本的特徴をいくつか述べなさい。(100字以内)

問2 1919年から1923年までのドイツの政治的・経済的状況について、この文章で触れられている点を中心に、具体的に説明しなさい。(300字以内)
  (この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)

【3】
 次の文章を読んで、下記の問いに答えなさい。

1911年10月、武昌で新軍が蜂起した後、中国各省は相次いで清朝からの独立を宣言した。そうした状況のなかで、1912年1月、中華民国が成立し、革命の指導者であった人物Aが南京で臨時大総統の地位についた。しかし、この年2月に清朝の宣統帝溥儀が退位した後、臨時大総統の地位は人物Bに譲られた。

問1 人物Aが誰であるかを答え、この人物の主導により1905年に組織された政治団体、この団体の掲げた基本綱領について説明しなさい。(200字以内)

問2 人物Bが誰であるかを答え、この人物を中心に繰りひろげられた1915―1916年の中国内政の動き、また、この人物の率いた政府が1915年に直面した外交上の問題について説明しなさい。(200字以内)
  (この問題のコメントは『世界史論述練習帳new』にコメント)


コメント
【1】 わかりにくい要求です。「教会そのものが完成された組織とは言い難く、その分裂の事態は帝国支配のはらむ政治問題でもあった」という問題設定の下で、「4~5世紀のローマ帝国の政治・社会状況に即して」この問題を解説せよ、ということらしい。さらに判りにくいと出題者も意識したのか、無くてもいい副問(副次的要求)の「ローマ帝国と東方属州地域との政治的関係に触れること」としつこい感じの文がくっついています。ローマ=カトリック教会とギリシア正教会に分かれてしまうことと、ローマ帝国が東西に分裂することは、たしかに一致した面があり、それが政治・社会問題、かつ状況と関係していることを説明しろ、ということです。ローマ帝国の東西分裂がたんなる政治的分裂だけではありませんよ、経済も文化(この場合は宗教)も関係していますよ、という、実は論述問題としてはありきたりの問題なのです。
 この問題は別の表情で東大の古い古い過去問にあります。「つぎにかかげる8つの事項は、すべて、ある世紀に関係している。それは何世紀か。また、その世紀における、これらの事項が関係する地域の発展の特徴を論述せよ。そのさい、この世紀に見られたそうした特徴が、それ以後の発展に対してどのような歴史的影響を与えたのかという点に、とりわけ留意すること。解答では、下記の諸事項に、随意の順序で、かならず1回は言及し、言及箇所をわくで囲んで明示せよ。 キリスト教の国教化 フン族の西方移動 コンスタンティノープル遷都 コロヌスの土地堅縛令 西ゴート族 キリスト教徒大迫害 ニケーア公会議 ドミナートゥス」(1978年度)この問題に隠されているテーマもローマ帝国の東西分裂であることが判りますか? 構想のメモを作ってみると見えてきます。
 たんなる歴史的流れの記述にならないように。また公会議の決定内容である教義論争に終わらないように注意する必要があります。「政治・社会状況」という語句に合わない記述になりやすい問題です。東西のちがいを意識的に書くことです。なお「東方属州」とは、東西に分かれてしまう東の地域をさしています。「単性論」 は細かいデータですが、一橋向きには是非ともおぼえておくべき用語のひとつです。
【2】 
問1 ワイマール憲法は論述頻出問題のひとつ。教科書に充分記載があります。
問2 「状況」といっても19~23年とあるので事実上流れの問題。これも教科書で充分です。 
【3】 問1 三民主義も論述頻出問題です。
問2 袁世凱の没落過程と対華二十一カ条要求はそれほど難しいものではありません。これも教科書範囲です。

………………………………………
(わたしの解答例)
【1】

【2】

【3】問1 孫文。興中会を組織して活動をつづけてきた孫文を中心にして、清朝打倒をめざす華興会・光復会などが東京に集まり、中国同盟会を組織した。ここで孫文は三民主義をとなえ、4大綱領をかかげた。すなわち駆除韃虜、恢復中華、創立民国、平均地権の四つで、満清を打倒し、中華民族の独立、民主主義国家の建設、土地にたいする平等な権利という社会主義を政策にした。反満と反専制の面を強調したが、帝国主義への批判は弱かった。

問2 袁世凱。独裁化していった袁は15年、翌年からの帝政復活を宣言した。このため、袁の帝政に反対する第3革命が雲南からおこり、諸外国も帝政に反対した。袁は、翌年これをとり消したが、まもなく悶死する。この間、大戦のため欧州諸国が中国問題に介入する余力のないのを利用して、日本は袁に対して山東省のドイツの権益の日本への譲渡、南満州での権益確保などを内容とする二十一か条の要求を提出し、最後通告を発して受諾させた。