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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

一橋世界史1977

(以下のどれにも字数指定がなく、1行程度)  
【1】次の文章を読んで,下記(ア)~(ウ)の問いに答えよ。
 紀元後4世紀から10世紀にかけての地中海周辺と中近東の諸地域の都市史を広くながめると,キリスト教圏,イスラム教圏を通じて,ローマ帝政時代の都市のあるものがさまざまの原因から重要性を失って歴史から姿を消す反面、連続して発展を続けるものも見られ,また,この時期に新しく発生した都市,ことに政治支配者が首都として新しく建設した都市があるなど,多様な変化が看取される。
(ア)アレクサンドリアは7世紀前半イスラム教圏に編入されるまで,ヘレニズム文化の最大の中心地であり,ここで達成された自然科学上の成果は,イスラム教圏において,インド,ペルシアなどの伝統と相まって,独自のアラビア科学に結実した。ヘレニズム時代のアレクサンドリアの代表的自然科学者のうち,2人の名前をあげ,それぞれの科学史上での業績を簡単に記せ。
(イ)イスラム教圏で10世紀末までにアラブ人支配者によって新しく建設された首都のうち,2つをあげ,それぞれの建設王朝名,建設年代を並記せよ。
(ウ)ヴェネツィアは中世の地中海国際貿易でますます重要な役割を演ずるようになるが,その出発点には,このまちが東ローマ帝国とカロリング帝国とのあいだにおかれながら,いずれからも政治的中立の立場をとることができた事情があったことが見のがせない。キリスト教圏のこの二大政治勢力の対立を生んだ8世紀の政治情勢の変化について,イタリアに重点を置いて述べよ。

【2】アメリカにおける西漸運動の終息と大陸横断鉄道網の完成は,この国の国民に計り知れない多面的な影響をあたえたと考えられるが,その影響を経済的側面に限って記せ。

【3】次の文章を読んで,下記(ア)~(オ)の問いに答えよ。
 啓蒙主義は,権威のみに依拠する伝統的な教説を排し,人間理性に絶大な信頼をおいて,理性の洞察に基づく新しい人間社会を創り上げようとする運動であった。啓蒙という用語は18世紀中頃以降に用いられるようになったが,その思想の系譜をたどると,イギリスの(ア)[  ]とフランスの(イ)[  ]とが結合したものと考えられる。すなわち(ウ)[  ]の思想がフランスに伝えられてこれがフランス啓蒙思想の源泉となり),やがてヴォルテール,モンテスキュー,ルソーおよび百科全書派などによって,(エ)啓蒙思想はフランスで最も華やかに発展せしめられたのである。また哲学者カントをして,(オ)「18世紀は啓蒙の時代もしくはフリードリッヒの世紀である」といわしめたように,啓蒙思想は近代ドイツにとっても極めて重要な意味を有していたということができる。
(ア)(イ)哲学の名称,その創始者およびその哲学の特徴を略記せよ。
(ウ)哲学者の名称を記し,彼の思想内容を略述せよ。
(エ)この文の政治的,社会的背景を述べよ。
(オ)この表現を念頭において,ドイツの啓蒙主義の特色を述べよ。

【4】次の文章を読んで,下記(ア)(イ)の問いに答えよ。
 第1次大戦後イギリス経済の復興は,国際競争力の低下も手伝ってはかばかしくなかったが,1929年に始まる世界恐慌はこれに更に追い討ちをかけることになった。
(ア)1930年代前半にイギリスの政権を担った1人の政治家と彼の所属した政党の名をあげよ。
(イ)彼の採った社会・経済政策のうち,彼がそれまで所属していた政党から除名される契機となったものを含めて,2つを記せ。

【5】 中国とロシアないしソ連との関係史につき,下記(ア)~(オ)の問いに答えよ。
(ア)清の康煕帝がヨーロッパ諸国と結んだ最初の条約として知られる露清条約の名称を記せ。また,そのときのロシア皇帝の名を記せ。
(イ)露清国境を定めるために,1727年と1858年に結ばれた条約の名称を記せ。
(ウ)1860年に結ばれた北京条約によって,ウスリー江以東にたいする露清両国の支配権に,どのような変化がもたらされたか,簡単に述べよ。
(エ)1901年の北京議定書は,朝鮮の親ロシア勢力をつよめることになったが,その理由につき,ロシアの中国にたいする関係との関連において簡単に記せ。
(オ)第2次大戦末期以後,中国とソ連が友好から対立へその国際関係を変化させるにいたるのであるが,1960年前後における両国の関係につき,簡潔に記せ。

【6】 東南アジアは,古くから外来のさまざまな文化が伝播し普及した地域である。この外来文化の伝播と普及に関連して,下記(ア)~(オ)の問いに答えよ。
(ア)ビルマでは11~13世紀に存続した王朝の時代に,外来の或る宗教の本格的な普及が見られた。この王朝の名と宗教の名とを記せ。
(イ)15~18世紀にヴェトナム北部を中心として成立した王朝は,外国から政治的に自立しつつ,この外国の文化や制度を特に積極的に採用した。この王朝の名と外国の名とを記せ。
(ウ)15世紀にマライ半島の西南部に成立した王朝は,外来の或る宗教が東南アジアの島々に普及するうえで特に重要な役割を持った。この王朝の名と宗教の名とを記せ。
(エ)16世紀以降東南アジアは西欧の強い政治的文化的影響を受けるようになったが,これによって,住民の大多数がキリスト教に改宗した代表的な群島または国の名を記せ。
(オ)多くの外来文化がこのように東南アジアに伝播するようになった理由として,この地域が古くから海上交易の中継地であったうえ,いくつかの重要な国際的特産物の生産地でもあったことがあげられよう。かかる特産物のうち,島々で主に生産されたものを1つあげよ。

(わたしの解答例)

【2】先住民の土地を奪い尽くし、鉄工業も世界一となったため、「海」のフロンティアを求めて海外進出する基盤が築かれた。