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世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

2016年度・合格者の再現答案

2016年度の再現答案
再現答案について
 どんな答案を書いたから合格したのか知ることができないものです。そこで実際に合格されたかたに受験場で書いた答案を、試験が終わってから時間のあまり経過していない段階で再現していただきました。合格者本人から掲載の許可をえています。答案として完全ではありませんが、合格に寄与した答案であることは確かです(もちろん世界史だけで合格できるわけでもないことは言うまでもありません)。ただ予備校の細かい知識を駆使(ひけらか)した答案ではなく、高校生・高卒生が書ける合格答案とはどういうものかを知ることができます。受験場ではカンニングする教科書・参考書・用語集はなく、それまで勉強してきたことを精一杯発揮した貴重なものです。(なお下線の必要な答案に下線が引いてありません)

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東大・世界史

第1問
東アジア。中国。毛沢東の死後、プロレタリア文化大革命が終了し、鄧小平が復権した。開放政策への転換で資本主義の要素を取り入れた。韓国。朴正煕から続いた開発独裁は、光州事件などの民主化を求める運動を経て民主化した。台湾や韓国では経済成長が著しくアジアニーズとして台頭した。中東。イランでは親米のパフレヴィー朝がホメイニの主導するイラン革命によって打倒され反米のイラン=イスラーム共和国が建国された。イラクのサダム=フセインはイランイラク戦争を起こし、アメリカは支援したが打倒失敗に終わった。イスラエルは平和への動きが進んだ。エジプトへシナイ半島を返還した。パレスチナに対してはPLOとパレスチナ和平協定を結んだ。中米・南米。ペルーやチリの反米社会主義政権をアメリカが裏で支援して崩壊させた。アルゼンチンはマルビナス諸島を巡ってイギリスとフォークランド紛争を戦ったがイギリスの近代兵器を前に完敗した。このように東アジアでは中国のように1990年以降の社会主義政権崩壊の前兆として社会主義国の資本主義化がみられた。中東では反米政権の誕生やイスラエルの動きは1990年以降のアメリカへのテロ攻撃や不安定なイスラムの中東情勢につながった。中米・南米での反米社会主義政権の崩壊は現在のキューバとアメリカの和解が進むなどの中南米とアメリカの融和につながった。グレナダは使えなかった。

第2問
(a)イクタ―制
棒給を現金で与えるアタ―制に変わって、軍人に現金支払いの代わりにその土地の徴税権を与える制度。
(b)カピチュレーション
帝国内を商人が自由に通行できる権利を他国に与える制度。仏に最初に与えられた。衰退期には列強がオスマン侵略の口実とした。
2(a)イクタ―制を継承して軍人に対し、現金の代わりに土地の徴税権を与える制度。官位によって差があり、官僚制を支えた。
(b)非ムスリムに対しジズヤを復活するなど弾圧を加えたため、マラーター同盟結成やシク教国家の設立などの離反を招いた。
3東南アジアでの香辛料貿易やヨーロッパでの中継貿易で繁栄したオランダに対し、イギリスはインド開拓に専念、クロムウェルは航海法で中継貿易に対抗した。フランスではコルベールが東インド会社再建や特権マニファクチュアの設立で重商主義推進し対抗した。
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筑波・世界史
【1】
紀元前4世紀アレクサンドロス大王が遠征中に死ぬとディアドコイ争いで帝国は崩壊した。西アジアにはギリシア系セレウコス朝シリアができた。セレウコス朝シリアはインドへ侵入しこの地では後にギリシア風のガンダーラ美術が栄える。アム川流域ではバクトリアが台頭し、その西ではイラン系パルティアが台頭した。後者は中国と交易を行い安息と呼ばれた。この交易を通じてアラム文字が形を変えて中央アジアに広がった。3世紀になるとササン朝ペルシアがパルティア内部からクテシフォンを都として成立。ペルシス地方から誕生したササン朝はアケメネス朝の後継としてゾロアスター教を国教とした。6世紀にはササン朝のホスロー1世は東ローマ帝国ユスティニアヌスと争った。これにより絹の道は衰退した。代わりに貿易の中心となったメッカ、メディナからイスラームが台頭した。7世紀にはササン朝はイスラーム勢力によって衰退、後に滅亡。

【2】
明は初め海禁政策を行い政府による貿易のみに制限した。15世紀初頭永楽帝の時代は鄭和による大遠征が朝貢国を増やすことを目的とし実施され、朝貢による貿易が中心であった。しかし16世紀頃からの後期倭寇の活動や西欧諸国の圧力により海禁は解除された。これにより多くの中国人が南洋華僑として流出した。清も初めは海禁を実施していたが、社会が安定すると解除した。中国に米大陸からトウモロコシなどの穀物が伝わると人口が増加し、華僑が多数流出した。17世紀の康熙帝は遷海令を出し鄭氏台湾の反清運動を防いだ。三藩の乱の際に台湾を支配すると解除した。乾隆帝の時代には貿易港を広州に制限し、公行だけに貿易をさせた。琉球王国は初め清と朝貢関係であったが、江戸時代に薩摩藩が貿易を行い日清に対しての両属関係であった。

【3】
11世紀に聖職者の世俗化などが問題となり、教皇と皇帝の間で叙任権をめぐり対立した。1077年には教皇が皇帝を破門し、皇帝が謝罪をしたカノッサ事件が起きた。叙任権闘争は1122年のヴォルムズ協約で一応は妥協した。この協約ではドイツ地方においては皇帝権が優位していた。しかし、13世紀の大空位時代などで皇帝権が衰退するとインノケンティウス3世の時に教皇権が優越した。インノケンティウス3世はアルビジョワ十字軍や第四回十字軍を実施。各地の王を破門するなど教皇権の全盛であった。しかし十字軍の失敗などにより衰退していく。14世紀初頭には仏王によってアナーニ事件が起き、教皇は憤死した。以後教皇が並立する大シスマと呼ばれる教会分裂となった。15世紀のコンスタンツ公会議で解決したが、以後の宗教改革や絶対王政の確立により教皇権は衰退していく。

【4】
1894年日清戦争で敗北した清は朝鮮の宗主権を失った。その後19世紀末には朝鮮は大韓帝国と国号を変え自立性を主張した。1904年朝鮮半島をめぐり日露戦争が起きた。ポーツマス条約により日本の優位が決まった。その後日本との三次に渡る協約で総督を設置し内政権外政権を奪われた。これにより朝鮮半島では義兵闘争が活発となり、伊藤博文が暗殺されると1910年日本は韓国併合を行った。初めは武断政治であったが、1919年に三一運動が起こると文化政治に変更した。しかし、日中戦争が起こると日本は皇民化政策を実施し朝鮮の人は創氏改名、神社崇拝の強制、日本に日本兵として連行された。戦後朝鮮半島は米ソにより占領された。38度を境界として、北に共産主義の支援を受け朝鮮民主主義人民共和国が成立。南は米国の支援で大韓帝国が成立。両国は冷戦の影響下で対立し、1950年の朝鮮戦争を向かえる。
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東京外大・世界史
1-8
中国語北方の諸民族は、防寒のための黒貂の毛皮の必要性から拠点となる要塞を建設し、中国北部への進出を図った。また台湾では、鄭成功が反乱の動きを見せたため、清朝がその動きを鎮圧した。一連の流れの中で清朝皇帝の康熙帝の関心は領土問題へと向いていった。北方民族の領土問題に関しては、中国在住のイエズス会士の司教が仲介となり、彼らに期待できる最大の商売の利益を約束し、穏便に調停した。またモスコー人のツァーであるピョートル1世は、ヨーロッパでの北方戦争に勝利して支配を拡大した結果、中国方面への領土拡大にも関心を寄せていた。ロシアと中国は国境の画定の必要性に迫られ、ピョートル1世と康熙帝は1689年、アルグン川とスタノヴォイ山脈を国境にすることを定めたネルチンスク条約を締結した。(334字)
2-6(2)
ポルトガルはマラッカ、スペインはマニラに進出、オランダはジャワ島に東インド会社を設立し、香辛料貿易を推進した。19世紀になると、ゴムのプランテーションの経営や、華僑のスズ採掘へと変化した。(95字)
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京大・世界史
1
アッバース朝ではトルコ人傭兵マルムークが雇われ、以後イスラム王朝の中心となりイスラム化が進んだ。中央アジアでは、10世紀にカラハン朝が成立し、最初のトルコ系イスラム王朝としてトルコ人のイスラム化を進めた。11世紀にはセルジューク朝が成立し、西進してブワイフ朝を滅ぼして西アジアを支配下に置いた。スンナ派の盟主としての地位を確立し、西アジアにおけるトルコ人のイスラム化を推進した。アフガニスタンでは、マムルークがイスラム王朝としてガズナ朝を開いた。セルジューク朝分裂後は、ルーム=セルジューク朝が小アジア、ホラズム朝が中央アジアを支配し、イスラム化を進展させた。
3
イギリスでは、政治学者や哲学者が啓蒙思想を受容した。ロックが「市民政府二論」で説いた人民主権の思想はルソーに影響を与え、フランス革命の原動力となった他、アメリカ独立宣言の基幹ともなった。また、アダム=スミスは「国富論」を発表して自由主義経済学を創始した。プロイセンでは、フリードリヒ2世がヴォルテールとの交流を通じて啓蒙思想を受容し、啓蒙専制君主として上からの啓蒙を図り、農民の保護や社会福祉の充実にのりだし、自国の近代化を推進した。しかし専制主義の維持のため一般民衆の思想の自由化は行われず、自由主義思想への取り締まりが行われたため、民衆運動に発展することはなかった。