世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東京外国語大学・世界史2022

第1問
 次の[A]〜[F]は、第一次世界大戦後の国際秩序をめぐって、1918年以降に書かれたものの抜粋である。これらの史料を読み、以下の問に答えなさい。〔60点〕

[A] ウィルソン大統領のアメリカ合衆国議会宛教書(14カ条)(1918年1月8日)
 われわれが、この戦争の結末として要求することは、われわれに特殊なことではまったくありません。それは、世界が健全で安全に生活できる場となることであり、とりわけ、すべての平和愛好国家にとって安全となることです。〔中略〕世界中のあらゆる人々は、実質的に〔中略〕利害を共にする盟友であり、われわれは他の人々に正義が行われない限り、われわれにも正義はなされないということを明確に認識しています。世界平和の実現のための計画は、したがって、われわれの計画でもあります。そして、われわれの考える唯一可能な計画とは、以下のようなものです。〔中略〕

第5条 すべての①植民地に関する要求は、自由かつ偏見なしに、そして厳格な公正さをもって調整されねばならない。主権をめぐるあらゆる問題を決定する際には、対象となる人民の利害が、主権の決定をうけることになる政府の公正な要求と平等の重みをもつという原則を厳格に守らねばならない。〔中略〕
第14条 大国と小国とを問わず、政治的独立と領土的保全とを相互に保障することを目的とした明確な規約のもとに国家の一般的な連合が樹立されねばならない。

〔出典:歴史学研究会編『世界史史料⑩20世紀の世界I』岩波書店、2006年。なお、一部の表現を改めた。〕


[B] ②ホー=チ=ミン反革命的な軍隊」(1923年9月7日付、フランス労働総同盟の機関紙『ラ・ヴィ・ウーヴリエール』(パリ)に掲載)
 植民地紛争が1914〜18年の帝国主義戦争の重要な一因だったことを、われわれは知っている。〔中略〕フランスの労働者階級の認識せねばならぬことは、植民地主義が労働者階級の側の解放のあらゆる試みを打ち敗るため、植民地に依存しているという事実である。多かれ少なかれ階級意識に感染した白人の兵にはもう絶対的信頼がおけないので、③フランスの軍国主義はその代わりにアフリカやアジアの原住民を使っている。フランス陸軍の159連隊のうち、10は植民地の白人、すなわち半原住民、30はアフリカ人、39は他の植民地出身の原住民から成っており、こうしてフランス陸軍の半分は植民地から徴募されているのである。
〔出典:ベルナール・B・ファル編、内山敏訳『ホー・チミン語録─民族解放のために─』河出書房新社、1968年。〕

[C] 国際連盟規約(1919年6月28日調印)
 締約国は、戦争に訴えないという義務を受諾し、各国間の開かれた公明正大な関係を定め、各国政府間の行為を律する現実の規準として④国際法の原則を確立し、組織された人々の間の相互の交渉において正義を保つとともにいっさいの条約上の義務を尊重することにより、国際協力を促進し各国間の平和と安全を達成することを目的として、この国際連盟規約に合意する。
〔中略〕
第11条 戦争または戦争の脅威は、連盟加盟国のいずれかに直接の影響がおよぶか否かを問わず、すべて連盟全体の利害関係事項であることをここに声明する。連盟は、国際的平和を擁護するために適当かつ有効と認められる措置をとる。(中略〕
第16条 第12条、第13条または第15条における約束を無視して戦争に訴えた連盟加盟国は、当然他のすべての連盟加盟国に対して戦争行為を行ったものとみなされる。他のすべての連盟加盟国は、⑤その国とのいっさいの通商上または金融上の関係の断絶[中略]をただちに行う。
(出典:歴史学研究会編「世界史史料⑩20世紀の世界I』岩波書店、2006年。)

[D] 中華民国全権代表団がヴェルサイユ講和条約調印拒否を本国に報告する電文(1919年6月28日)
 ヴェルサイユ講和条約の調印について。〔中略〕⑥山東問題の件で、我が国はつぎつぎに譲歩しました。最初は条約の本文に〔山東権益の返還を〕明記することを主張しましたが認められず、ついで条約のうしろに付記することを主張しましたが認められず、条約外に改めても認められず、わずかに声明するだけで文字にとどめるにはおよばないと主張しましたが、それでも認められませんでした。〔中略〕この件は、我が国の領土の完全および前途の安定ときわめて大きく関わっております。〔中略〕弱小国の交渉は、最初は争っても最後は譲歩するしかないというのが、ほとんど慣例となっております。今回、もしさらにこらえて調印すれば、我が国の前途はさらにいうべきものがなくなってしまうでしょう。〔中略〕詳しく検討しましたが、やむを得ず、当日は調印に行くのをやめました。
〔出典:歴史学研究会編『世界史史料⑩20世紀の世界I』岩波書店、2006年。なお、一部の表現を改めた。〕

[E] ヤップ島及他ノ赤道以北ノ太平洋委任統治諸島二関スル日米条約(1922年7月14日)
 日本国およびアメリカ合衆国は〔中略〕、ドイツ国ヴェルサイユ条約にいう主たる同盟および連合国たる諸国〔中略〕のために、その海外属地に関する一切の権利および権原を放棄したることを思い、〔中略〕⑦4つの国〔中略〕は、ヴェルサイユ条約により太平洋中赤道以北に位する旧ドイツ領諸島群につき、以下の条項に準拠してその施政を行う〔こと〕の委任を日本国皇帝陛下に付与することに一致したることを思い、
第1条 日本国皇帝陛下(以下受任国と称す)に委任を付与したる諸島は、太平洋中赤道以北に位する旧ドイツ領諸島の全部を含む。
第2条 受任国は本委任統治条項による地域に対し、日本帝国の構成部分として施政および立法の全権を有すべく、かつ情況に応じ必要なる地方的変更を加えて、本地域に日本帝国の法規を適用することを得。
 受任国は、本委任統治条項による地域の住民の物質的および精神的幸福ならびに社会的進歩を極力増進すべし。
〔出典:アジア歴史資料センターHP。なお、条文を現代仮名遣いに変更したほか、一部の表現を改めた。〕

[F] ⑧パリ不戦条約(1928年8月27日)
第1条 締約国は、国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、かつ、その相互の関係において国家政策の手段として戦争を放棄することをその各々の人民の名において厳粛に宣言する。
第2条 締約国は、相互間に発生する紛争または衝突の処理または解決を、その性質または原因の如何を問わず、平和的手段以外で求めないことを約束する。
〔出典:歴史学研究会編『世界史史料⑩20世紀の世界I』岩波書店、2006年。]

問1 下線部①に関連して、イギリスは戦争遂行にインドの協力が必要不可欠であるとの認識のもと、第一次世界大戦中、インドに戦後の自治を約束した。それを受けて制定された1919年インド統治法は、実際には部分的な自治を定めるにとどまった。さらにイギリスは、反英運動を弾圧する法律をこの年に制定した。この法律の通称を答えなさい。[5点]

問2 下線部②の人物に先立ち、ベトナムの独立を目指す運動を展開し、維新会を結成してドンズー(東遊)運動を提唱した人物の名を答えなさい。〔5点〕

問3 下線部③に関連して、19世紀末フランスで、反ドイツ感情や排外的愛国主義の高まりを受けて元陸軍大臣か政権奪取をもくろみ、未遂に終わった。この出来事が何とよばれるかを答えなさい。〔5点〕

問4 下線部④に関連して、『戦争と平和の法』(1625年)などの著作により国際法の発展に貢献した人物の名を答えなさい。〔5点〕

問5 下線部⑤に関連して、この規定にもとづく制裁が唯一発動されたのは、1935年に軍事侵攻を行ったイタリアに対してであった。しかしムッソリーニ政権による侵略行動が止まることはなく、その実効性の低さが露呈する結果となった。このときイタリアが侵攻した独立国の名を答えなさい。〔5点〕

問6 下線部⑥に関連して、山東権益の返還などを求める中華民国の訴えが退けられたことに抗議して、北京から全国に拡大した運動の名を答えなさい。〔5点〕

問7 下線部⑦の4つの国は、国際連盟の当初の常任理事国である。この4つの国名をすべて答えなさい。〔5点〕

問8 下線部⑧の条約をフランス外相の提案にこたえるかたちで提唱したアメリカの国務長官の名を答えなさい。〔5点〕

問9 ウィルソンが史料[A]で提示した、第一次世界大戦後の国際秩序には、どのような可能性と限界があったか。史料[A]〜[F]と、その後の歴史的経過をふまえて、400字以内で説明しなさい。また、以下の語句を必ず用い、使用した箇所すべてに下線を引きなさい。〔20点〕

 植民地の戦争協力 二十ーカ条の要求 パリ講和会議 経済制裁

 戦争の違法化 ドイツ領南洋諸島


第2問
 われわれの生きる21世紀の世界は、一体化と相互依存をますます深めつつある。これまで人類は無尽蔵と思われた天然資源に大きく依存し発展してきたが、その行き過ぎた収奪と乱用による環境破壊の現実をまえに、人類の発展のあり方そのものを根本から問い直さざるを得ない状況へと追いやられている。ここ半世紀間に顕在化してきた地球規模のさまざまな環境問題は深刻さを増しており、諸国・諸地域の協同によるこれまで以上の対処を必要としている。
 グローバル・ヒストリーの観点から地球環境問題の歴史を概述する次の文章を読み、以下の問に答えなさい。〔40点〕

 一体化が進行する現代世界における我々の日常生活は、科学技術の発展により消費物資や情報サービスの面で格段に豊かになった。この豊かな消費生活は、発展途上国からの膨大な天然資瀕の輸入にささえられているが、他方で世界各地の環境破壊をひきおこしている。
 たとえば、日本の年間丸太輸入量3000万立方メートルのうち、約3分の1は南洋材で、丸太切り出しだけで、年に7500平方キロメートル、大阪府の面積の4倍もの熱帯雨林を伐採・破壊していることになる。また、世界のえび取引の40パーセント、1日10億円におよぶえびの輸入は、東南アジア諸国マングローブ林を犠牲にした過剰養殖をまねいている。安価に輸入されているバナナは、フィリピンや中米諸国での①モノカルチャー的な農業構造と農民を犠牲にした大農場経営のもとで生産されており、農薬による土壌汚染もおこっている。 
 ところで、こうした②大量生産・大量消費型の産業社会の展開は、産業革命以降の先進諸国による資源の独占的支配と技術開発にささえられてきた。しかし1970年代になると、一次産品を生産・輸出する発展途上国のあいだで、自国の資源を国有化して経済開発に積極的に活用しようとする資源ナショナリズムが台頭してきた。③1973年の第4次中東戦争の際に、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国が発動した石油戦略がその典型であり、先進諸国の高度経済成長政策は大きくゆさぶられた(石油危機)。
 こうした途上国の経済的自立の動きにより、先進工業国は1980年代に省資源や省エネルギーに努力し、新素材や石油代替エネルギーの開発に取り組んだ。特に原子カエネルギーに対する期待は高いが④1986年4月のソ連チェルノブイリ原子力発電所での大事故と、2011年3月の東日本大震災による東電福島第一原発メルトダウンは、原子力発電の安全性、環境保全放射性廃棄物の処理問題について再検討を迫っている。福島原発事故は、現在でも、完全な収束の見込みはたっておらず、太陽光発電風力発電など代替エネルギー源の確保も含めて、長期の粘り強い取り組みが求められている。
 20世紀の第4四半世紀は、工業化をすすめる先進国が、化石燃料やエネルギーを大量に消費して国境・地域をこえて汚染物質をもたらし、地球の自然環境を破壊してきた。石油の大量消費によって排出される二酸化炭素などの温室効果ガスは、地球の温暖化をひきおこす主要な原因と考えられており、その排出量の削減が急務である。⑤温暖化により南極や北極の氷河が融けて海水面が上昇するとともに、エルニーニョ現象(東太平洋における海水温の上昇にともなう気候変動)の頻発は、とりわけ発展途上国における食糧生産に打撃を与えている。
 北米や北ヨーロッパでは、大気汚染が原因の酸性雨によって森林や湖沼が被害を受けている。東アジアでも、経済発展をつづける中国の大気汚染は深刻で、日本で降る酸性雨にも影響している、とみられている。また、冷房設備などに使用されるフロンガスオゾン層を破壊し、地上に達する有害な紫外線の増加によって、生態系や健康への影響が心配されている。
 現在、我々は環境を地球的規模で保全する必要に迫られている。1972年に「かけがえのない地球」をスローガンに国連人間環境会議が開催されて以来、国連を中心に様々な取り組みがなされ、⑥1992年には[ A ]の[ B ]で、国連環境開発会議(地球サミット)が開催された。そこでは、経済成長を優先したい発展途上国と環境問題重視の先進国とのあいだで意見の対立があった。10年後の2002年には南アフリカヨハネスブルクで、持続可能な開発に関する世界首脳会議(環境・開発サミット)が開かれた。
 ⑦1997年に開かれた地球温暖化防止会議では、先進国に温室効果ガスの排出量削減を求める[ C ]が採択された。[ C ]は、国内経済への制約をおそれるアメリカが2001年に離脱したが日本・EU・ロシアなどの批准により2005年に発効した。21世紀は、地球環境の保全と持続的な経済開発(持続可能な開発(sustainable development)のバランスをとりながら、貧富の格差を解消していくことが重要な課題になっている。2015年9月の国連サミットでは、「持続可能な開発目標」(SDGs)が採択された。「貧困や飢餓の根絶」「再生可能エネルギーの利用」「気候変動への対策」など17の目標が設定され、「だれひとり取り残さない」をスローガンに2030年までの目標達成をめざした様々な取り組みが展開されている。
〔出典:秋田茂編『グローバル化の世界史』ミネルヴァ書房、2019年。なお、一部の表現を改めた。〕

問1 下線部①に関連して、17世紀から18世紀の大西洋を舞台とする三角貿易では、アメリカ大陸やカリブ海域の植民地において特定の農産物がプランテーションで生産されるようになった。産業革命の進展にしたがって、これらの農産物の需要が高まると、生産地域のモノカルチャー化が進んだ。こうした農産物のうち、その加工が技術革新を促し、産業革命の開始と進展のきっかけとなった一次産品の名を答えなさい。〔5点〕

問2 下線部②に関連して、1903年に設立されたアメリカの自動車会社が組み立てライン方式の導入により実現した工場のシステム化は、大量生産・大量消費時代の呼び水となった。生産の効率化が販売価格を低減する一方、部分的には高賃金に還元されて消費者の購買力を高めたからである。自動車を大衆化させたこの会社の名を答えなさい。〔5点〕

問3 下線部③について、この石油戦略とはどのようなものだったのか、40字以内で説明しなさい。〔10点〕

問4 下線部④に関連して、原発事故後の当局による被害状況の隠蔽は世論の大きな反発を招き、これはゴルバチョフ指導下で情報公開が進展するきっかけとなった。ソ連末期に言論の自由化をうながしたこの情報公開政策の名をカタカナで答えなさい。[5点〕

問5 下線部⑤に関連して、近年の温暖化による海氷の融解現象は、北極圏における資源や航路をめぐる国家間の競争に拍車をかけている。今から1世紀余り前には、国家の威信をかけた極地探検がちょうどピークを迎えていた。1909年アメリカの探検家が北極点に最初に到達すると、これに遅れをとったノルウェーの探検家は目標を切り替え、1911年に南極点への初到達に成功した。このノルウェーの探検家の名を答えなさい。〔5点〕

問6 下線部⑥に関連して、この会議では温室効果ガスの排出量削減に関する気候変動枠組み条約が採択されるとともに開発と環境保全の両立を目指す理念が宣言で示され、その後の環境問題への取り組みに一つの道筋がつけられた。空欄[ A ]にあてはまる国の名と空欄[ B ]にあてはまる都市の名を答えなさい。〔5点〕

問7 下線部7について、この会議で採択された空欄[ C ]にあてはまる文書の名を答えなさい。〔5点〕

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コメントは第1問・問9だけです。
 課題は「ウィルソンが史料[A]で提示した、第一次世界大戦後の国際秩序には、どのような可能性と限界があったか。史料[A]〜[F]と、その後の歴史的経過をふまえて(指定語句→植民地の戦争協力 二十ーカ条の要求 パリ講和会議 経済制裁 戦争の違法化 ドイツ領南洋諸島)」でした。
 名高い「14カ条」の「可能性と限界」という問いでした。
 この2つの課題を史料から読み取れること(史料[A]〜[F]……をふまえて)と、「その後の歴史的経過」の2つで考えてみます。
(1)可能性
 ①史料から
 [A]の第5条で、植民地の主張、公正な要求と平等の重みと説き、第14条で大国と小国とを問わず、と公平・平等なあつかいを主張しています。
 [C]国際連盟規約:開かれた公明正大な関係といい、第11条では、戦争……すべて連盟全体の利害関係事項になるとし、第16条では、戦争に訴えた連盟加盟国……関係の断絶する、と強制力をもたせています。

(2)(史料にある)限界
 [B]ホー=チミンは列強の軍隊は植民地原住民を兵士として構成されている、と植民地を土台に戦争をおこなっている点を指摘しており、[D]の史料で、半植民地国・中国の訴えは拒否される、弱小国の交渉は譲歩するしかない、と嘆いています。ために中国は条約の調印を拒否しています。また史料[E]では、連盟は結局、植民地の再配分を実行しています。

(3)後の歴史的経過
 「可能性」としては、この集団安全保障の国際機構の構想は発展して、[F]パリ不戦条約となり、戦争の否定・放棄、平和的手段以外で求めない、というアピールまで行っています。ここまでは可能性を持たせました。
 [A]の公平・平等に期待して18〜19年世界各地で独立運動が展開しましたが、東欧は実現してもアジア・アフリカでは実現しませんでした。インドのアムリットサル虐殺に見られるような運動弾圧もおきます。
 [C]現実には、日本の満州事変・満州国設立を阻止できず、イタリアのエチオピア侵略に対しての経済制裁も石油を除外するという無意味なものにおわり、ヒトラーの周辺国侵略を抑えることはできませんでした。
 史料に書いてないことでは、連盟の組織自体のこと(全会一致、米ソの不参加、軍事力をもたない)、連盟で決めたドイツに対する巨額の賠償金は戦勝国への復讐熱をもたせ、ファシズムを醸成します。また世界恐慌に対処できず、枢軸国の侵略を開放しました。