世界史教室

大学受験生のための世界史問題解説

過去問センターワンフレーズ論述参考書疑問

東大世界史2023

第1問
 近代世界は主に、君主政体や共和政体をとる独立国と、その植民地からなっていた。この状態は固定的なものではなく、植民地が独立して国家をつくったり、一つの国の分裂や解体によって新しい独立国が生まれたりすることがあった。当初からの独立国であっても、革命によって政体が変わることがあり、また憲法を定めるか、議会にどこまで権力を与えるか、国民の政治参加をどの範囲まで認めるか、などといった課題についてもさまざまな対応がとられた。総じて、それぞれの国や地域が、多様な選択肢の間でよりよい方途を模索しながら近代の歴史が進んできたといえる。
 以上のことを踏まえて、1770年前後から1920年前後までの約150年間の時期に、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおいて、諸国で政治のしくみがどのように変わったか、およびどのような政体の独立国が誕生したかを、後の地図Ⅰ・Ⅱも参考にして記述せよ。解答は、解答欄(イ)に20行以内で記述し、以下の8つの語句を必ず一度は用いて、それらの語句全てに下線を付すこと。

 アメリカ独立革命 ヴェルサイユ体制 光緒新政 シモン=ボリバル 選挙法改正* 大日本帝国憲法 帝国議会** 二月革命***
 *イギリスにおける4度にわたる選挙法改正
 **ドイツ帝国の議会
 ***フランスニ月革命

第2問
 水は人類にとって不可欠の資源であり、水を大量に供給する河川は、都市や文明の発展に大きく寄与した。また河川は、交通の手段となって文化や経済の交流を促したり、境界となったりすることもあった。このことに関連する以下の3つの設問に答えよ。解答は、解答欄(口)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(3)の番号を付して記せ。

問(1) 長江は、東アジアで最も長い河川であり、新石器時代から文明を育み、この流域の発展は中国の経済的な発展を大きく促してきた。このことに関する以下の(a)·(b)の問いに、冒頭に(a)·(b)を付して答えよ。

 (a) 中国では3世紀前半に、3人の皇帝が並び立つ時代を迎えた。このうち、この川の下流域に都を置いた国の名前とその都の名前、および3世紀後半にその国を滅ぼした国の名前を記せ。
 (b) この川の流域の発展は、「湖広熟すれば天下足る」ということわざを生み出した。このことばの背景にある経済の発展と変化について、3行以内で記せ。

問(2) 西アジアは一部を除いて、雨が少なく乾燥しており、大河が流れる地域がしばしば農業の中心地となった。そこには、ときに王朝の都が置かれ、政治や文化の中心地にもなった。これに関する以下の(a)·(b)·(c)の問いに、冒頭に(a)・(b)・(c)を付して答えよ。
 (a) 次の資料は、ある王朝における都の建設の経緯を説明したものである。その王朝の名前と都の名前を記せ。

資料
 言うには、「ここは軍営地にふさわしい場所である。このティグリス川は我々と中国との隔てをなくし、これによってインド洋からの物品すべてが我々のもとにまたジャジーラやアルメニアまたその周辺からは食糧が至る。このユーフラテス川からは、それによってシリアやラッカまたその周辺からのあらゆるものが到着する」。こうしてマンスールはこの地に降り立ち、サラート運河周辺に軍営地を設営し、都のプランを定め、区画ごとに武将を配置した
    タバリー『預言者たちと諸王の歴史』
   (歴史学研究会編『世界史史料2』より、一部表記変更)

(b) 資料中の下線部に関連して、のちの9世紀に活躍するようになったマムルークの特徴と、彼らがこの王朝で果たした役割とについて、2行以内で記せ。

(c) 資料に記されている都が建設されたのは、西アジアの政治的中心地として栄えたクテシフォンの近くにおいてであった。クテシフォンを建設した国の名前に言及しつつ、その国で起こった文化的変容について、言語面を中心に、2行以内で記せ。

問(3) ナイル川はその流域に暮らす人々の生活を支えるとともに、人々の行きかう場ともなった。このことに関する以下の(a)·(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えよ。


(a) 地図中のAで、ナセル政権下に作られた公共建造物は、この川の自然特性を利用した農業のあり方を決定的に変えることとなった。近代以前において、この川の自然特性を利用する形で展開した農業について、2行以内で説明せよ。

(b) 地図中の都市Bはこの川の河口近くにあり、12世紀から15世紀頃、国際的な東西交易の一翼を担う商人たちが、この都市と都市Cとの間で活発な交易を行った。この交易で扱われた物産と取引相手について、2行以内で説明せよ。

第3問
 健康への希求および病気は、まさに現在進行形でわれわれが経験しつつあるように政治・経済・文化などさまざまな方面において、人類の歴史に影響を与えてきた。そして人類はそれらに対応するために、医学を発達させてきた。このことに関連する以下の設問(1)〜(10)に答えよ。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(10)の番号を付して記せ。

問(1) 歴史上、影響力の大きい政治家が疫病に倒れることもあった。紀元前5世紀、アテネペリクレスは全ギリシアを二分する戦争の最中に病死し、その後アテネの民主政は混乱していくことになる。この戦争の名称を記せ。

問(2) 14世紀半ばのヨーロッパは、ペストの流行に見舞われた。このペスト流行を経験した作者が、これを背景として人間の愛や欲望などをイタリア語で赤裸々につづった物語の名称を記せ。

問(3) 明代の中国では、科学技術への関心の高まりとともに医学・薬学が発達した。16世紀末に李時珍が編纂し、江戸時代初期に日本に伝来した、薬物に関する書物の名称を記せ。

問(4) 18世紀にジェンナーによって考案された種痘は、牛痘苗を用いて天然痘を予防するものであり、19世紀には、ジャワ島のオランダ東インド会社の根拠地から日本の長崎にもたらされた。この根拠地であった都市の当時の名称を記せ。

問(5) 19世紀には世界各地でコレラの流行が繰り返されたが、同世紀後半には細菌学が発達し、様々な病原薗が発見された。結核菌やコレラ菌を発見したドイツの医師のもとには日本の北里柴三郎が留学して破傷風菌の純粋培養に成功し、破傷風の血清療法を確立した。このドイツの医師の名前を記せ。

問(6) 1980年代以降、温室効果ガスによる地球温暖化の危険性が強く認識されるようになった。温暖化の影響には、低緯度地域の感染症がより寒冷な地域へ広がることも含まれる。1990年代後半、日本で開催された国際会議で、温室効果ガス削減の数値目標が設定された。この取り決めの名称を記せ。

問(7) 今日の嗜好品は、過去においてしばしば薬品としての意味をもった。ある嗜好飲料は唐代に民衆に普及し、後に欧米にも広がり、これに関する貿易問題がアヘン戦争の原因にもなった。この飲料の名称を記せ。

問(8) 仏教では病が生・老・病・死という四苦の一つとされる。その経典の編纂やスリランカヘの布教を行った王が統治し、インド亜大陸を最初にほぼ統一した王朝の名称を記せ。

問(9) イスラーム医学は古代ギリシアの医学をもとに発展した。アリストテレスの著作にもとづいて哲学を追究するのみならず、医学者として『医学典範』を著し、ラテン語名アヴィケンナとして中世以降のヨーロッパの医学に影響を与えた人物の名前を記せ。

問(10) 漢代の医学書には、天体の運行と人間生活との関係を議論する思想がしばしば見られる。その思想を唱えた集団の名称を記せ。

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コメント

第1問
 問われている「政治のしくみ/政体」は導入文に「政体が変わることがあり、また憲法を定めるか、議会にどこまで権力を与えるか、国民の政治参加をどの範囲まで認めるか」と説明しています。憲法・議会・政治参加できるのは誰か、といったことです。
 これを今はやりの「チャットGPT」で問うてみました。字数(600字)制限なしで問うと、次のような回答が出てきました。ウィキペディアのような段落分けしながらの回答で、段落をとって提示するので、ここでは分かりやすく①〜③、(a)〜(d)という番号を振りました。

1770年前後から1920年前後までの約150年間にわたって、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアで政治のしくみが大きく変化しました。以下にその主な変化を示します。①ヨーロッパ:(a)フランス革命(1789年)により、封建主義的な支配から民主主義的な共和制への移行が始まり、他の国々にも影響を与えた。(b)19世紀半ばには、イギリスを中心に産業革命が起こり、これによって社会や経済の変化がもたらされた。(c)ドイツやイタリアなどの多くの国々で、19世紀後半に国家統一が実現された。(d)第一次世界大戦(1914年-1918年)により、ヨーロッパの「」た。②南北アメリカ:(a)アメリカ合衆国では、独立戦争(1775年-1783年)によって英国からの独立が達成され、合衆国憲法1787年)によって政治のしくみが定められた。また、南北戦争1861年-1865年)により奴隷制が廃止された。(b)中南米の多くの国々では、19世紀にスペインやポルトガルからの独立が実現され、それに伴って政治や社会の変化がもたらされた。③東アジア:(a)中国では、19世紀半ばにアヘン戦争1839年-1842年)が勃発し、西欧列強による中国の支配が始まった。20世紀に入り、辛亥革命(1911年)によって清朝が倒れ、中華民国が誕生した。(b)日本では、明治維新(1868年)によって封建的な支配が終わり、西洋化・近代化が進められた。また、第一次世界大戦に参戦し、国際社会での地位を確立した。以上のように、1770年前後から1920年前後までの約150年間にわたって、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアの多くの国々で政治のしくみが変化し、現代の政治体制や社会の基盤が形成されたと言えます。(725字)

 この回答の前段と末尾の結論はほぼ同じことを繰り返しているので、無意味な部分です。問題文の言い換えにすぎません。
 ①〜③の部分がまともな解答になっています。①(b)では産業革命を書いていますが、ここで問われている政体(政治のしくみ)変化であり、経済変動は問われていません。不要な文章です。政体変化になっているのはフランスくらいで、後は政体変化らしいのは統一だけです。(d)の第一次世界大戦後は「政治や社会に大きな影響を与え」と無意味な内容になっています。
 ②アメリカ大陸は独立だけで、後は「それに伴って政治や社会の変化がもたらされた」とまた無意味なことを書いています。
 ③は革命と維新を書いてます。しかし政体の説明になっている文章は見られません
 課題の「憲法・議会・政治参加」のうち合衆国憲法以外は一言もなく、まして「政治参加」の説明はどこにもありません。大雑把すぎます。
 アメリカの大学ではリポートに使われると困るので、このアプリを使うことを禁止しているところもあるそうです。イーロン・マスク氏が「さらば、宿題」とツイートしたことも話題になっていますが、こんなもの使い物になりません。
 このブログに載せた合格者の再現答案(→https://worldhistoryclass.hatenablog.com/entry/2023/04/30/2023年度の再現答案 )を読んでいたいただければ、受験生の頭がいかに綿密・適確であるかが判ります。
 「600字以内で」と制限して、もう一度チャットGPTに問うてみたら、ほぼ似た回答と、アフリカ・オセアニア・アジアの植民地化の話題が新たに加わって、ますます要らないものが増えてしまいました。なんじゃ、これ。チャットGPTの背景にどれだけ膨大なデータが揃っていても、問いに対して適確な解答文が出せなければ、こんなアプリは時間のむだです。わたしはこんなにたくさんのことを知っているのだ、と空騒ぎしている図体だけ大きく脳みその小さい恐竜のようです。空振りバッター、とでも名づけるか。

 問題として得点は取りやすい易問ですが、綿密さがどれだけ出せるかで点差がひらくものでした。チャットGPTのAI技術レベルと同じような「ぼけた」答案を予備校の「模範」答案でも見ることができます。君が添削してあげてください。

第2問
問(1)(a) 「3世紀前半に、……この川の下流域に都を置いた国の名前とその都の名前、および3世紀後半にその国を滅ぼした国の名前を記せ」
 易問ですが、迷ったひともいるかもしれない。黄河流域に魏、長江下流に呉ができ、上流四川のほうに蜀ができます。順に都は洛陽、呉は建業、蜀は成都と、濁る発音同士の呉(ご)と建業(ぎょう)と覚えます。「滅ぼした国」を魏と覚えるとまちがいです。拙著『センター世界史B各駅停車』(絶版、pdfでは販売→https://worldhistoryclass.hatenablog.com/entry/2017/07/02/『センター世界史B各駅停車』の発売)に「★呉は魏によってでなく晉に滅ぼされた」と注意を喚起しています。

 (b) 「湖広熟すれば天下足る」の背景にある経済の発展と変化。
 これも易問でした。「経済の発展」としては過去問(1983)の「16・17世紀の中国に生じた新しい動きについて、経済と思想の分野を中心」の経済、2007年第1問に指定語句として「湖広熟すれば天下足る」が出題されていました。「発展」はとくに商工業で、陶磁器・絹織物で、「新興工業都市として綿布の松江、生糸の湖州、絹織物の蘇州、陶磁器の景徳鎮が栄えます。とくに景徳鎮では華やかな赤絵という陶磁器がつくられました。絵の赤色がめだつ陶磁器です」と『各駅停車』で説明しています(p49)。
 「変化」はこの商工業発展の江南がもともとは農業発展地帯であったのが、工業化したため都市の周辺では商工業の原料供給地になり、桑・藍(あい)・棉花(原料の場合は木編)、米はもっぱら湖広(長江中流域の湖北省湖南省)でつくることになりました。
 この変化がもたらした更なる変化は、両税法から一条鞭法へ、その原因となった日本銀・墨銀の流入、地主・佃戸の格差拡大、政商としての山西商人・新安商人の登場なども挙げられます。

問(2)(a) 「次の資料……王朝の名前と都の名前」
 この資料は文中のアッバース朝2代目マンスールが新首都の建設候補地を定める際の地理の説明をしている場面です。ティ「グ」リス川沿いにバ「グ」ダードあり、と覚えましょう。

(b) 「下線部(区画ごとに武将を配置した)に関連……9世紀に活躍するようになったマムルークの特徴と、彼らがこの王朝で果たした役割」………黒人でない白人の奴隷で、トルコ人・モンゴル人・などのを指してこのように呼びます。軍人奴隷とも訳します。奇妙な組み合わせです。奴隷が付きながら農業の奴隷ではなく、マムルーク朝ができるように、時には君主にもなる軍事専門の奴隷です。アッバース朝から多用していて、カリフの親衛隊となり、カリフの権力を強化し、領土拡大の戦力ともなりました。中には官僚になる者もあります。

(c)「クテシフォンを建設した国の名前に……その国で起こった文化的変容について、言語面を中心に」……パルティアが建設し、それをササン朝が受け継いだ都です。歴史地図を見ましょう。バグダードの近くです。
 「文化的変容」については、過去問(1995)に「1〜15世紀地中海世界と周辺の文明」というテーマで出題があり、このうち「周辺の文明」に該当するのがパルティアとササン朝で養成されたイラン文明でした。教科書(詳説)では「イラン文明の特徴」という題で、「初期のパルティアの文化はヘレニズムの影響を強くうけ、王は「ギリシア人を愛するもの」という称号をおびていた。しかし紀元1世紀ころ、イランの伝統文化が復活しはじめると、ギリシアの神がみとイランの神がみとが、ともにまつられるようになった。またつぎのササン朝の時代に、イランの民族的宗教であるゾロアスター教の教典『アヴェスター』が編集された。……ササン朝時代には建築・美術・工芸の分野が大いに発達した。」と記されています。「言語」は、ギリシア語からペルシア語(あるいはパルティア語)へ、という変化です。
 
問(3)(a) 「近代以前において、この川(ナイル川)の自然特性を利用する形で展開した農業について」……必要なのは、定期的な洪水(増水と氾濫)、肥沃な土(を運んでくれる)、灌漑、小麦栽培などです。過去問(2007)に「暦の歴史」として「古代メソポタミア古代エジプトにおける暦とその発達の背景」として問うています。この背景が類題です。

(b) 「地図中の都市B(アレクサンドリア)……12世紀から15世紀頃、……都市C(アデン)との間で活発な交易を行った。この交易で扱われた物産と取引相手について」……「物産」は東から香辛料・薬品・象牙・絹織物・綿布・宝石、西欧からは金銀・毛織物・奴隷・武器などです。「取引相手」はカーリミー商人というムスリム商人たちが中継し、西にヴェネツィア商人を中心のイタリア商人、東にインドのグジャラート商人がいました。

第3問
(1)ペロポネソス戦争 (2)デカメロン 
(3)本草綱目 (4)バタヴィア
(5)コッホ (6)京都議定書
(7)茶 (8)マウリヤ朝 (9)イブン=シーナー
(10)陰陽家